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亜人公女物語 ~猫耳の公女、モノリス~  作者: mafork(真安 一)『目覚まし』書籍化&コミカライズ!
第3章 亜人公女

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3-15:空気の鷹

 猛烈な風と臭気が、オットーを襲っていた。嵐の中を飛ぶグライダーは、まるで大海で翻弄される小舟だ。突風を受ける度に、グライダーは跳ね上がり、あるいは叩き落される。まだ墜落していないのが、不思議なくらいだった。

 夜明けを迎えた地平線が、目まぐるしく上下していた。


「ま、まずい」


 ネズミのオットーは、羽に捕まりながら呻いた。どんどん地面が近づいてくる。

 墜落の目的地は、城壁の外にある湖だ。だが風があまりにも強い。


(湖まで、グライダーが持てばいいけど)


 高度はどんどん下がっていく。操縦者の少女――大鷹族の精霊術師は、振り落とされないように捕まっているので精いっぱいのようだ。


「聞こえるかっ!」


 オットーは試しに声を張ってみた。大鷹族の少女は応えない。虚ろな目で、前を見つめるだけだ。


(やっぱり、意思を抑えられてる)


 オットーは歯噛みした。モノと同じ年頃の娘だ。こんなことをする人間がいるなんて、とても信じられなかった。同じ相手がモノを狙っているのだと思うと、ぞっとする。


「ああ、くそっ。羽をかじり過ぎたよ」


 方向は、湖の方で合っている。元々が大きい湖だ。そちらの方へ飛ばすこと自体は、難しくない。

 だが、やはり辿り着くまでに落ちそうだ。

 背後から、囁き声がした。ぞくりとして、振り返る。

 頭上の嵐に、無数の貌が浮かんでいた。鳥、馬、羊、山羊、そして人――ありとあらゆる生き物の貌が、時に浮かび上がり、時に混ざり合い、オットー達を見つめている。


「め、冥府は下にあるものだと思ってたよ」


 軽口を叩こうとするが、うまくいかなかった。

 嵐の中から、黒いもやが伸びてきた。

 暴風の中、水中に揺蕩(たゆた)う血液のように、オットー達に向かってもやが近づいてくる。


「つ、捕まるっ」


 もやがグライダーを包み込む。意識が薄れるほどの、猛烈な臭気。

 オットーが観念しかけた時、ぐっとグライダーが持ち上がった。周囲を覆っていた臭気が晴れる。ネズミの鼻が、精霊の気配を感得した。


「これは」


 オットーは唸った。豪雨の中に、生き物の姿が浮かび上がる。


「鷹……?」


 応えるように、グライダーが安定し始めた。進む先は、湖だ。巨大な翼がグライダーを包み込み、湖まで運んでいく。


「この子の、本来の精霊か」


 この少女は、大鷹族の精霊術師だ。固有の精霊を持っているのは、道理だった。

 ウォレス自治区においても、オットー達は空気の鷹を目にしている。恐らく同じ精霊だろう。


「君も、この子を守ろうとしているのか?」


 嵐の中心から離れたことで、本来の精霊が自由になりつつあるのかもしれない。

 精霊術師と精霊は、強い絆で結ばれている。精霊術師が意識を取り戻すのも、意外と早いかもしれない。

 グライダーの軌道が安定する。

 真っ直ぐ、前へ。

 目指すは、妹が待つ湖だ。


「いいぞ、このまま、真っ直ぐだ!」


 城壁の上で、水の虎が走っているのが見える。



     ◆



「お兄様!」


 モノは叫んだ。ごうごうと前から風が吹きつける。嵐はいよいよ強さを増していた。ヘルマンが率いる騎兵は、モノを追って城壁の傍を走っているが、声は随分届きにくくなっている。

 いつもは自慢の猫耳も、もろに風を受けるので、今はぺたんと伏せさせていた。


(あっちだ)


 雨で煙る視界。グライダーは風に翻弄されながらも、湖へ向かっている。時折ぐっと下向きになる先端が、モノをハラハラさせた。

 ある時、嵐から黒いもやが伸びる。まるで雲が巨大な腕を伸ばして、グライダーを握りつぶそうとするみたいだ。


「い、急がなきゃ」


 モノは覚悟を決めた。城壁の上からでは、もどかしい。


「降りるよ、サンティ!」


 虎の咆哮が響き渡る。雨がたちまち弾けて、モノの周りだけ無風になった。

 モノと水の虎は、城壁から飛び降りる。下は、増水した運河になっていた。


「こ、公女様!」


 ヘルマン達の悲鳴。落下の途中、すれ違い様、モノは彼らを励ました。


「大丈夫!」


 モノは精霊術を行使した。

 運河の水がうねる。波濤はモノを突き上げ、噴き上がった。折よく、どこからか板戸が飛んできた。運河の水で壁を立て、器用に板戸をキャッチする。


「よっ」


 モノは、木の板を足の下に敷いた。『波乗り(イグバ・イグヴェ)』という、島の遊びの要領である。


「行くよ!」


 激流の運河は、湖まで流れ込む一本の道だった。風に逆らって水の虎で駆けるのではなく、激流を利用するのだ。

 板戸の上で、モノはバランスを取る。風がやってくるが、身を低くしてやり過ごした。


「なんと……」


 ヘルマン達が目をまん丸に見開いて、モノを追ってきた。

 それよりも大分早く、モノを載せた波は湖へ駆けつけた。板に乗ったまま、モノは湖上を走る。隣をサンティが並走した。


「モノ!」


 猫の耳が、兄の声を聴いた。グライダーは、もうすぐそこだった

 モノは手を伸ばしかけて、ぞくりとする。

 真っ黒いもやが、グライダーを追ってきているのだ。異様な臭い。敵の正体は、やはりウォレス自治区に現れたものと同種の、穢れた精霊なのだろう。

 自治区でも、敵は最初は黒いもやの形をとっていた。


(帝国から、亜人がいなくなったせいだ)


 帝国から、亜人がいなくなった。その結果、精霊が呼ばれることがなくなった。

 亜人の神話によれば、精霊を呼び出すことは、神様がいる世界から、力を受け取ることだった。

 ゲール人が亜人を追い出したことで、その交流がなくなったのだ。


(この土地で、精霊が呼ばれなくなったせいで、何かがおかしくなった?)


 マクシミリアン神官の柔和な微笑が、頭をよぎる。首を振って、モノは集中を取り戻した。


(とにかく。グライダーが落ちたから、あの黒いもやが追ってきてるんだ)


 モノの勘は当たっていた。やはり、あの精霊術師は重要な役割を担っている。大事じゃなければ、こうして嵐が追ってくるはずもない。


「今、行きます!」


 モノは湖水に呼びかけた。グライダーにもやが絡みつく直前、水の壁が通せんぼする。

 突風。グライダーがぐっと高度を下げる。

 跳べば、届く距離だった。


(今なら!)


 翡翠色の瞳が輝く。裸足の足で板戸を操り、モノは風を切る。右へ、左へ。

 絶妙なタイミングで、水がモノを押し上げる。まるで跳ね台。板切れに乗ったまま、モノは空へ飛び上がった。


「モノ!」

「お兄様!」


 モノがグライダーから、精霊術師の少女と、オットーのネズミを抱え込んだ。

 精霊術師の少女は、全く抵抗しなかった。直後、黒いもやがやってきて、グライダーを包み込む。あと少し遅ければ、モノ達も呑まれていただろう。

 モノは、少女の体を抱いたまま、落下する。少女の手足は、ぞっとするほど冷たかった。

 視界の端で、着水したグライダーが湖面へ突き刺さり、バラバラになっていった。


(間に合った)


 モノは精霊術師の顔を見て、驚く。


(この子が、ギギか)


 物凄く鼻が高く、目つきが鋭い。虚ろな表情でさえ、迫力がある。


(鷹顔ってやつかな)


 聞いたことがある。それは、大鷹族に見られる顔立ちだった。獣毛を持った亜人が少ないのと同様に、この顔の大鷹族もだんだん少なくなっているという。


「モノ、いいタイミングだ」

「んに!」


 モノは笑顔を見せた。もちろん、危機はまだまだ続く。

 なんといっても、落下は継続中なのだ。足の下に迫る真っ黒な湖面は、どんどん迫ってくる。


「潜るよ!」

「こ、このままかっ?」

「さぁ息止めて!」


 叫んで、モノ達は水面に突入した。モノ達を狙っていた黒いもやを、湖面が押し返す。


(今、水面は危険だな)


 下手に大きな精霊術を使うと、ウォレス自治区のように心を侵されてしまうかもしれない。精霊術は共感の力だ。あのもやに向かって行使することは、できるだけ避けた方がいい。

 幸い、オットーが魔術を使って、幾らかの空気を気泡として水中に持ち込んでくれていた。しばらくは溺れる心配はないだろう。

 湖面から、轟音が響いてくる。びりびりとした振動が、水に伝わった。


(雷?)


 モノが目で問うと、オットーが教えてくれた。持ち込んだ空気の塊が、モノ達の頭を包み込んだ。


「ぷはっ。雷は心配ないよ。この深さに辿り着く前に、表層で拡散してしまうから」

「か、カクサン?」

「魔術師の知識さ。奇跡で雷は一般的だ。僕らも色々と効果を実験をしているのさ。まぁ、深い所は雷でも安全ということ」


 言葉を頼りに、モノはとても深く泳ぐ。島娘にとって、素潜りは朝飯前だ。オットーのおかげで、とりあえずは空気を心配する必要もない。

 表層で大きな音がした。

 雷が落ちたらしい。水中が、少しだけ明るくなる。


(あれ?)


 嵐だというのに、湖の水は澄んでいた。湖底の方で、何かが光ったように見えた。


(湖底に、何かある?)


 気にはなったが、今は考えている時間も惜しかった。

 精霊術師の少女が、腕の中で呻いている。吸っている空気は二人分だ。オットーの気泡も、そんなに長く持つとも思えない。

 モノはできるだけ岸に近づいてから、意を決して、水面へ出る。

 顔を出したモノ達を出迎えたのは、暗雲に覆い尽くされた空だった。


「そんな」


 モノは愕然とする。凄まじい臭気だ。さっきよりも、むしろずっと強い。


「あ、嵐が……!」


 黒いもやだけが、モノ達を追ってきていたのではない。嵐そのものが地表付近にまで降りてきて、湖を覆い尽くそうとしているようだ。獲物を捕まえるのに、巨大な覆いを被せてしまうみたいに。

 どこかでヘルマンの声が聞こえる。

 だが、方向までは分からない。

 黒いもやは、モノ達を嘲るように周囲を回っていた。


 ――オイデ。


 そんな声を聴いて、ぞくりとした。大鷹族の少女が、腕の中で体を揺らす。


「わ、私達を……取り込もうとしてる?」


 少女はぶつぶつと何ごとかを繰り返している。目はどんどん虚ろになっていく。

 モノは体を揺らし、声を張った。


「しっかりして!」

「う……」


 モノは、大鷹族の斥候達が教えてくれた、彼女の名前を思い出した。


「あなたは、ギギ!」

「ぎ……」

「あなたの名前! みんな待ってた、だから、目を覚まして!」


 言葉が、精霊術師の少女に届いたらしい。結ばれた口元が、微かに言葉を紡ぐ。

 さ、と微かな声が先触れだった。


「サルヒ、来て……」


 それは『風』を意味する、大鷹族の言葉。

 突如、突風。猛烈に吹き荒れて、モノ達の周囲にあったもやを吹き飛ばす。

 周囲が真っ黒なことで、かえってそれを掻き分けるものの姿が際立っていた。


「空気の、鷹?」


 風は鷹の形をしていた。モノはウォレス自治区で、同じ精霊を見たことを思い出した。


「精霊が、この子を守ろうと?」


 オットーが声を震わせた。モノも震える。でもそれは、別の原因だった。

 精霊術師の感覚が告げた。


「あの空気の鷹、危険です」

「なに?」

「周りのもやに、取り込まれかけてる。苦しんでますよ」


 空気の鷹は苦し気に身をよじる。姿は、巨大だ。周りのもやがどんどん纏わりつくことで、大きさが膨れ上がっているのだ。

 モノの精霊術師としての才能が、あの精霊の苦しみを感得する。共感の力が、苦痛を理解させる。

 それでも鷹は、上空を目指して飛んでいく。

 言葉にできない気高さを、モノは感じ取った。


 ――行ってくれ。


 声は、優しく、染み渡るようだ。強い力も感じる。強く、古く、そして気高い精霊だった。


「あの子、私達からもやを引きはがすために?」


 犠牲。

 そんな言葉が頭をよぎった時、頼もしい声が聞こえた。


「公女様!」


 ヘルマンだった。

 騎兵達はもやが薄れた所を突き破って、岸辺に現れる。彼らにとっては、庭同然の場所だろう。先頭のヘルマンが、モノ達に手を振った。


「早く、こっちへ! 空にあった嵐が、この一か所に集まっているのです!」


 水の虎、サンティが湖面から現れた。サンティはモノ達を背中に乗せて、ヘルマンの元へ走る。

 周囲からも、黒いもやがやってくる。まるで、モノ達を押し潰すみたいに。空気の鷹が吹き散らしたもやが、再びモノ達の周囲で結集しようとしていた。


「さっきみたいに、もやに包囲されるぞ。相手は空気そのものだ、囲われたら、逃げ場がない」

「は、早く出ないと!」


 だが、いつものように、全速力で走れない。

 モノがギギを抱えているせいだ。騎乗は重労働だ。体勢が不安定で、速度が出ないのだ。


「公女様!」


 もやが閉じ切る直前、ヘルマンがギギを抱え上げた。

 モノは加速し、真っ黒いもやを突き破る。名残惜しいような囁き声が、敵の企みを挫いた証左だった。


「前が、明るくなってきました!」

「いいぞ。もやの外に、出つつあるんだ!」


 その時、鐘が聞こえた。鐘はサザンの中で連鎖し、一体となった音を響かせる。

 奇跡の発動の前には、鐘が鳴らされる。


「仕上げですな」


 モノ達が立てた作戦は、アルスター湖など、広くて人のいない場所に嵐の中心を呼び寄せ、強力な奇跡を振るうことだった。

 そのために、囮の騎兵がいたり、精霊術師を墜としたりしたのである。全て、空にある嵐を、攻撃のできる位置に呼び寄せるためだった。

 マクシミリアン達は、モノを狙ってもいる。地表にいたモノ自身ですら、囮になる覚悟だった。


「あ、あの鷹は?」


 空気の鷹は、空へ舞い上がっていく。

 モノは、先ほど見た奇跡の雷を思い出す。空に穴を開け、攻撃の起点になった奇跡だ。

 あんなものがやってくる場所を、空気の鷹が飛んでいる。


「……このままじゃ、あのもやごと、奇跡にやられちゃう」


 背後を振り返るモノに、ヘルマンが首を振った。


精霊術師(イファ・ルグエ)は、助かるけど。このままじゃ、精霊(イファ)が」

「公女様」

「私……」

「公女様!」


 ヘルマンは悲し気な目で叱咤した。


「残念ですが……もう時間がありません」


 空気の鷹が空へ舞い上がっていく。大鷹族の少女の、閉じられた瞳から、涙が零れた。


「公女様が、この少女と、街を救いました。もう、十分すぎるほどです」

「でも」

「お願いです。今回ばかりは。全てを救うことは、叶いません」


 鐘の音が激しい。響く音は、どうにもならない現実をモノに理解させる。


「聖教府の鐘だ」


 オットーがモノの肩で言った。


「フランシスカが、止めの奇跡を放つ。相手が地面に降りてきた、この機を逃せない。作戦通り……この湖で、一網打尽にするしかないよ」


 モノは言葉を失う。

 あの精霊も、助けたかった。だが空はあまりにも遠く、モノはあまりに小さい。

 見捨てる。その言葉が、心に突き刺さる。


(もっと、頑張れば)


 そう心に決めた時、モノはもう祈り始めていた。私は見捨てない。運命に翻弄される大鷹族の少女に、モノは己自身を映していた。

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