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亜人公女物語 ~猫耳の公女、モノリス~  作者: mafork(真安 一)『目覚まし』書籍化&コミカライズ!
第3章 亜人公女

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3-14:長女の危機

 イザベラにとって、その部屋は懐かしい場所だった。

 慣れ親しんだ書架に、よく使い込んだ机。インク壺には羽ペンが置かれ、魅力的な数字が書かれた帳面が広げられている。

 幼い頃から出入りし、初めて帳簿に触れたのもこの部屋だった。この地方独特のインクの香りが、懐かしい。


「動くな、静かにしろ」


 そんな部屋の中で、彼女はかつてない緊張にあった。

 背後を振り返っても、誰もいない。壁にある燭台の灯りが、頼りなく揺れているだけだ。

 きし、と背後で足音がする。


(死角に……)


 声はしても、姿は見えない。いたぶるようなやり方だった。


「誰か!」


 イザベラは声を張った。まるで洞窟の中にいるかのような、不思議な響き方をした。


(防音の魔術……!)


 イザベラは舌打ちした。やられた、と思った。

 オットーの音魔術と同じだ。もうイザベラの声は、部屋の外に届かない。

 相手の言葉に気を取られたことで、魔術を展開する隙を与えてしまった。声を聞いた瞬間、部屋の外へ逃げ出せばよかったのだ。


(相手は、魔術に慣れてる……!)


 空恐ろしいものを感じながら、イザベラは走り出した。男装であったことが幸いだった。布地の多い女物の服であれば、こうはいかない。

 だがいずれにせよ無駄だった。


「静かに、と言ったはず」


 最初に捕まれたのは、肩だった。

 引き寄せられ、脇腹を強かに打たれる。波打つような、独特の打撃だ。力が抜け、膝から崩れる。うつ伏せになったイザベラを、農夫姿の男が見下ろしていた。

 年頃は、もう老年と言っていい。無精ひげを生やし、薄汚れたチュニックを身に着けている。農地で笑顔を浮かべていれば似合いそうだ。

 けれど、眼光は冷たい。昆虫を思わせる、何の感情も浮かんでいない目だった。


「終わったか」

「ああ、問題ない」


 貴族の邸宅には、大体が暖炉をしつらえてある。新たな声が聞こえたのは、その暖炉の中からだった。

 イザベラは舌打ちした。暖炉や天井裏は、屋敷に忍び込むための常とう手段だ。最初の男もそうして忍び込んだのだ。

 暖炉から現れたのは、若い男だった。似たような農夫姿である。


「貴族の女は、楽でいい」

「なん、ですって」

「警戒がない。煙突から入ってくるのは、聖人だけだと思っている」


 男達は顔を見合わせて笑った。何か言ってやりたかったが、あいにく声は出なかった。


「モノリスはどこだ」


 イザベラは眉をひそめる。


「この屋敷にいないことは、分かっている。だから、どの場所にいる?」


 実際、モノは城壁で嵐と対決しているはずだった。勿論、親切に教えてやる謂れはない。

 この者達もある程度の下調べはしただろうが、恐らく誰に聞いても要領を得なかったはずだ。


「狙いは、あの子ってわけ?」

「そうだ」


 老年の刺客は頷く。目が微かに光っていた。


「嵐を倒したその帰り道。ぼろきれのようにしたお前を放り出せば、さしもの亜人公女も動揺するだろう」


 若い方が口を挟んだ。少女一人を相手に、まるで万の軍勢に挑むかのように、誇らしげだ。

 察しがついた。つまり、モノリスの帰り道を知るため、そしてイザベラを人質として使うために、押し入ってきたのだろう。

 若い刺客は、囁くように言う。


「諦めろ、フリューゲル家。亜人との共存、聖壁に遮られない貿易。そんなものが実現するはずがない……させていいはずがない」


 イザベラは、男の言葉に北方の訛りを嗅ぎとった。


「……あんた、北の人?」


 男は応えなかった。老いている方が、微かに苦い顔をする。


「ははぁ。北の貴族の、宮廷魔術師崩れってわけね」


 イザベラは、思い切り挑発的な笑みを浮かべてやった。

 魔術を使える者は少ない。何らかの事情で、国に召し抱えられなくなった魔術師が、汚れ仕事に手を染めるのはたまに聞く話だった。

 よく見ると、若い方は、ほとんど少年と言っていいくらいだ。


「……お前たちのせいで、帝国が荒れた。家も、領地も、お前たちが亜人と通じていたせいだぞ」

「そんなことを本気にしてるの? まるで、頭の固い神官ね」


 魔術の素養をいいことに、都合のいいことを吹き込まれ、いいように使われているのかもしれない。だとしたら、この少年は少し哀れだ。

 暮らし向きが悪くなった貴族は、幾らでもいる。不作が続くようになり、だからこそ商業に活路を求めるようになった。南部の動きは、その流れに乗っている。自由な商いに、差別も、聖壁も、邪魔だからだ。

 けれど、結果として損をする人間もいる。それが支配者の業だった。

 イザベラは視線を動かす。今度はこちらが時間を稼ぐ番だ。

 邸宅は、東西に長い形をしている。ここは中心から少しだけ外れた、東側だ。使用人や、兵士が訪うこともある。

 その辺りのことは、敵も分かっているらしい。


「無駄だ。お前の屋敷の兵士が、来ることはないよ」


 イザベラの心を読んだように、老いた方がせせら笑った。


「大した自信ね」

「じきにわかるさ」


 刺客は、指示を出した。


「場所を変える。若いのは味方を集めな」

「でも」

「何人か、すでに屋敷へ入り込んでいる。うまく手引きし、この部屋に集めてこい」


 一通りの指示を終えると、老年の刺客はイザベラの顔を覗き込んだ。髪を掴まれて、強引に上へ向かされる。


「まったく、お前たちは実に容易いな。困った農夫の振りをすれば、誰でも迎え入れるのだから。これほど、忍び込むのに楽な屋敷はないだろうさ」

「……次回から、直しましょう」

「そうだ、次回があればな。面白い」


 刺客はくつくつと笑う。


「その間、俺はこの女の体に聞こう。亜人公女の、位置をな」


 刺客は短刀を取り出した。使い込まれた刃に、ぞっとさせられる。イザベラは口を噛みしめた。


「亜人は嫌いだが、その諺は好きでなぁ」


 男は、ナイフをイザベラの耳に当てた。冷たい輝き。顔の横に、痛み。すっと赤い血が、顎を伝って滴った。


「命は一つしかない。だが、指は五本。目と耳は? なんと! 二つもあるじゃないか!」


 防音の中に哄笑が響き、イザベラが観念したときだった。

 轟音が、静けさを貫いた。窓から、光。一瞬で夜が明けたかと思えるほど強烈な光が、部屋に差し込み、うずくまるイザベラと、醜い笑みを浮かべる刺客を照らし出した。


「ふ、フランシスカの奇跡か」

「出鱈目な」


 男達が息を呑む。イザベラが驚いたのは、その後だった。

 穿たれた暗雲の穴に向けて、一羽の鳥が飛んでいく。目を凝らして見なければならないほど、小さい。それでも鳥は、強風の中を精一杯風をはらんで飛んでいく。

 きっと、足には小さなネズミを抱えているに違いない。


(あの子達が、あんなにがんばっているのに)


 よく動く瞳と、猫の耳が脳裏をよぎる。

 お姉様、と励まされた気がした。


(私が足を引っ張ったら……それこそ、姉が廃るってものじゃない!)


 ついでに、いつも何かと責めている弟へも、面目が立たなくなる。


(……できる?)


 イザベラは息を呑む。やるしかないと、心に決めた。かつて慣れ親しんだ、執務室でもある。どこに何があるのかは、分かっていた。


「あれは、鳥か? 随分、大きな……」


 老年の男が、言った。彼はうずくまったイザベラに、依然として刃を当てている。


「精霊? あれが、あれほど大きな」


 その隙が、イザベラを救った。男装をした上着の内側から、イザベラは扇を取り出した。

 貴婦人は扇を使って、口元を隠したり、顔を隠したりする。正式な場では、笑顔や泣き顔など、明確な表情を出すことはよく思われてはいなかったからだ。

 扇子には、留金に金属が使われている。構造は、頑丈だ。

 イザベラは咄嗟に、扇子の角を男に突き立てた。狙いは、急所。

 (のど)だ。

 囁くために、頭を下げていたことが災いした。

 男が呻いて、耳に当てられた刃が逸れる。首筋に痛みが走ったが、構っている暇はなかった。

 イザベラは素早く身を起こし、窓に近づく。窓を押し開けると、確かに魔術の領域が崩れる気配があった。


「中に、敵よ!」


 顔の横を、矢のようなものが駆け抜けていく。魔術に違いなかった。

 イザベラは素早く机の裏に潜り込んだ。

 すると、立ちどころに机の調度品が砕け散る。魔術が放たれているのだ。弓矢も撃たれているかもしれない。


「貴様!」

「どうします!」


 たった一突きで、相手が混乱しているのが、博打好きの笑いを誘った。


「やってくれたな」


 老年の刺客が、乱暴にイザベラへ歩み寄った。手には、短刀。廊下への出口は、若い方が塞いでいる。

 飛び散った調度品を投げつけ、後ずさるが、どうにもならない。一突きにできるところまで相手が近寄ったところで、窓から土煙が吹き込んできた。


(……精霊?)


 イザベラは窓の外を一瞥する。嵐に揺れる林の中で、一瞬、亜人の目の光があったような気がした。けれど、一瞬だけだ。

 亜人は耳がいい。

 ひょっとしたら、モノに接触をしたという協力者が――


(今は、考えている場合じゃない)


 突然の土煙に、相手が怯んだ。その隙に、隣の部屋へと通じる扉に身を滑り込ませた。とりあえず施錠する。

 どうやら、こちらの部屋は無人であったらしい。

 隣の部屋から、笛を吹く音がする。仲間を呼んでいるのだ。


「ああ、もう」


 イザベラは唇を噛んだ。しまった、と思った。こちら側の部屋は、屋敷の中心――人が沢山詰めている方とは、逆側へ伸びる部屋だったのだ。この先へ進むと、湖、そして森の方角だ。

 一息ついたことで、危機の全貌もはっきりした。

 反対側の、邸宅の西側が不自然に明るい。火事だ、という叫び声も聞こえる。ここと正反対の方向で炎を起こし、陽動をしたのだろう。あの場所は、フランシスカがいる聖堂に近い場所でもあった。

 兵士がフランシスカ側の防備を固めるのは、自然なことだ。


「イザベラ様!」


 使用人たちの声が、廊下から聞こえた。

 イザベラの声が届き、集まった者もいるのだ。

 けれど、彼らが相対するのは老練な刺客と、魔術師だ。兵士、それもとびきり優秀な兵士でなければ、相手にならない。


「来てはダメ! 相手は、魔術師よ!」


 部屋の中で声を張る。


「フランシスカの聖堂へ! そこには、奇跡を使える側近が、控えているはずだから!」


 イザベラは計算して、ぞっとした。屋敷の反対側の聖堂へ、今から、使用人が助けを求めに走るというのか。果たしてイザベラを助けられる戦力が現れるまで、どれくらいかかるというのだろう。


「くそっ、追え!」


 刺客たちが追ってくる。危機はまだ去っていない。イザベラは口を引き結んで、屋敷の奥へ逃げ込んだ。



     ◆



 夜雨の中を、モノを載せたサンティは疾走する。サザンを囲う城壁の上は、風も強い。モノは水の虎にしがみつくようにして、目だけはしっかりと前を見据えていた。


「公女様!」


 ヘルマンが城壁の下で声を張った。


「フランシスカは様へは、作戦をなんとっ?」

「決行は外のアルスター湖と、伝えてください!」


 空では、落ちかけたグライダーがゆっくりと湖へ近づいていく。モノは急ぐ。視界の端に、炎を宿す邸宅が見えていた。

 火は、一階で起きているようだ。邸宅は三階建ての屋敷である。確か火が起きた位置は、フランシスカの聖堂が近いはずだった。


「フランシスカお姉様を、狙っているのかな」


 モノが呟くと、虎が低く唸った。これは、あまりよくない方の唸り方だった。


「お前、違うと思うの?」

「グウウ」

「ふぅん?」


 走りながら、モノは城壁の向こうに霞んでいく邸宅を見つめる。


(お姉様)


 モノは唇を噛みしめた。

 一度一緒になれた家族は、今やバラバラに危機に瀕している。いつも一緒のオットーさえも、今はいない。ゆっくりと降下していくグライダーに、しがみついているのだ。


(でも、今は信じないと……!)


 モノは思った。今度の敵は、みんな一緒では戦えない。

 家族の無事を祈りながら、モノはサンティと共に城壁を駆けていった。

 その途中、赤い光が輝いた。湖のすぐ近くだった。燃えるような光は、加速しながら、湖の道を疾走しているようだ。


「あれは」


 やがて邸宅の傍に辿り着いた炎は、ゆっくりと大きくなる。まるで、炎の塔がせりあがっていくみたいに。


「お、お兄様の、炎?」


 モノは猫耳を、困惑気味に動かした。炎の塔は、ゆっくりと上へ伸びていく。亜人の目は、塔の頂上に白銀の鎧があることに気づいた。

 微かに、ドドドド、と滝のような音も聞こえる。


「え、えええ……?」



     ◆



 フリューゲル家の屋敷は、領地を治める場でもある。今はその広さが仇になっていた。

 家族のほとんどが、実質的には邸宅にいない毎日だったのだ。東西の多くは空き部屋であり、中心にある公的な部屋のみを使って執務をしていたというのが、実態である。東西に長く、羽を広げたような構造の邸宅は、家族のイザベラにとってさえ、脱出の難しい場所となっていた。

 敵は後ろから迫ってくる。時折は廊下へ出て、部屋から部屋へ渡り歩き、なんとか相手を巻こうとする。

 もたもたしていると、林で見た仲間たちも上がってくるだろう。


「それまでに……って」


 前から熱気を感じて、イザベラは立ち止まった。暗闇の中に、ぼうっと炎が浮かんでいる。その火が動き、青白い魔術師の顔を浮かび上がらせた。


(新しい、魔術師っ?)


 思った時、炎のつぶてが飛んできた。避けると、床や天井で弾ける。壁の絵が燃え上がり、燭台が一瞬で溶けた。


「ああ、騎士団から担保に取ろうと思ってたのに!」


 後ろから、足音が聞こえる。


(追い詰められた……!)


 思った時、またしても異様な音がした。今度は、窓だ。爆発に近い音だ。


「なんだ」


 背後で、刺客達も息を呑んだのが分かる。前にいる炎を操る魔術師も、胡乱げな視線を窓の外へ向けた。

 嵐の風雨に叩かれている、窓。

 ドドドド、と滝つぼのような轟音を引きつれて、白銀の鎧が窓枠の()からせり上げってきた。

 ここは三階である。

 鎧の周りには、奔流のような炎があった。イザベラは、猛烈な勢いで炎を下に叩きつけているのだと気が付いた。


「炎を自分の下に起こして……体を押し上げている、のか?」


 魔術師があんぐりと口を開けた。階段の近くからも、騎士団の兵士が上がってきた。


「階段の方が、早かったか!」


 下からせりあがってきた白銀の鎧は、拳で窓を割った。

 鷹揚ささえ感じさせる動作で、邸宅の中へ歩んでくる。突如として生まれた熱気に、邸宅の中が一気に熱くなった。吹き込む雨が、鎧の近くて蒸発する。

 霧のような蒸気に、何人かが咳き込んだ。


「ま、まがい物の貴族め」


 襲撃者の一人が言った。

 白銀の鎧、長兄のアクセルは周囲を見回した。大笑する。


「やはり、あの火は陽動であったか!」


 まるで、問題を綺麗に解けた子供だった。大きな腕が伸びて、イザベラを抱き起す。


「……む。顔に怪我があるな」

「嫁入りの後でよかったわ」


 アクセルは首を振る。怒りを押し殺したくぐもった笑いが、兜の下からやってきた。


「何がおかしい」


 炎の魔術師も問う。それはアクセルの笑いを大きくしただけだった。


「家主に、誰何するか」


 騎士は剣を抜いた。『燃える血液』が剣に伝い、巨大な刀身を形成する。

 一際響いたのは、イザベラに問いかけた、あの若い魔術師の声だった。


「まがい物の貴族め! お前のような連中が!」

「血統がまがい物なら、想いもまがい物か」


 アクセルは、もう笑っていなかった。


「そのまがい物が、貴殿らの固陋(ころう)を灰にしようというのだ」


 長兄が、炎の嵐となって、刺客へ突進した。邸宅の廊下は、騎士と刺客が入り乱れる乱戦となった。狭い廊下に、炎と怒号が吹き荒れる。


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