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3-13:暗雲を抜けて

「お兄様―!」

「なんだー!」

「こっちは、準備完了ですー!」

「うーむ風で聞こえんぞー! はっはっはぁ!」


 フリューゲル家が用意した戦列は、大きく二段に分かれていた。

 城壁の中と、外である。

 フリューゲル家の兵士達が、すでに隊伍を組んで嵐と向かい合っていた。彼らは城壁の外に広がる市街に布陣し、臨戦態勢にある。

 建物の陰に隠れて、武器を抱えているのは、飛び道具の兵士達だ。クロスボウという木を十字型に組み合わせた武器と、長い長い弓を持った兵士が、モノの位置からも綺麗に並んで見える。

 アクセルを始めとした騎兵達は、弓兵の後ろの大通りに、並んで布陣を終えたところだった。

 全てを合わせれば、千人を優に超える。ウォレス自治区から行軍してきた兵数と、サザンが元々準備していた兵力があわさっての結果だ。


(大丈夫かな)


 陣を見降ろして、不安に思う。

 風で猫耳が揺れるので、時々は手で押さえなければいけなかった。

 モノは、サザンを内外に隔てる城壁の上にいた。城壁の下には石の橋があって、さらにその下には川が流れている。緊急時にはこの川から水を呼びよせて、身を守るという手はずだった。


「事前に、マクシミリアン達のような、亜人学派の情報が入っていたのが、幸いしたね」


 モノがくたびれていると、ネズミ姿のオットーが、肩の上で言った。


「サザンの街も警戒態勢にあった。兵の参集は、しやすかっただろう」

「……アクセルお兄様は、大丈夫でしょうか」


 遠くの音を聞こうと、猫耳を立てる。


「仕方がない。誰かが、一先ずは嵐の注意を引かなければいけない」


 アクセル率いる騎兵達が、大きな通りに控えている。

 彼らは最も危険な役割を担う。すなわち、嵐が来たら市街の外へ躍り出て、注意を惹きつける役割だった。

 モノが仲間にした大鷹族も、騎兵の中には混じっている。彼らには弓矢を持ち、騎馬で走りながら注意を引くという、最も危険な役割が与えられた。


「嵐と戦った経験なんて、誰にもない。思いついたことを実行していくしかない」


 確かなこともあった。

 それは、オットーのような魔術師の知識だった。


「雷や風を受けたら、金属の鎧はほとんど意味をなさない。できるだけ軽装にして、気休めだけど、剣や槍を掲げながら走るのはやめた方がいい」


 モノも、雷に打たれたことがある。魔の島でマクシミリアンに奇跡を使われたのだ。水の虎、サンティもそこで死に、モノの精霊となったのだ。


「騎兵はただでさえ背が高い。本当に危険と隣り合わせだ」


 モノは小さく頷いた。ちらりと、ネズミの姿を見てしまう。危険と隣り合わせと言うなら、むしろこの兄こそが最も危険な役割だった。

 モノ達の隠れる壁の下には、巨大な設備が設置されていた。

 折よく、階段から足音が聞こえた。


「公女様。装置の点検は完了です」


 家令のヘルマンである。モノは頷いて、問うた。


「町の人の避難は」

「まだ、三割ほどが残っています」

「……そうですか」

「とはいえ、これが限度です。残っている者は、城壁に近く、頑丈な教会に身を寄せています」


 そのようにして待つこと、数刻が過ぎた。夜が徐々に終わり、空が黎明の色に変わり始める。ごうごうと強い風が、ひどく不気味だ。

 放っておいた斥候が戻ってきて、モノの考えが正しいことを伝える。

 大鷹族は、一族特有の鋭い目つきを、さらに険しくした。やはり嵐は、精霊だ。それもウォレス自治区と同じ、穢れた精霊なのだった。


「公女様、荒の中に、空気の鷹の精霊が」

「空気の、鷹?」

「はい。久遠の蒼穹に誓って、本当です。あれは大鷹族の精霊術師、名前は、ギギという娘です」


 精霊術師の名前を知った時、いよいよ助けたいという気持ちが膨れ上がった。


(助けたいよ、でも……)


 街も、家族も守らなければならない。助けたいものが、多すぎる。

 体を冷やさないように、とヘルマンがコートを渡してくれる。裾が風に強く靡いて、モノの体がごとさらっていってしまいそうだ。


(どうすればいいの、オネ)


 嵐の予感に曇る空。その先に、故郷の島がある。

 懐かしい密林。土の匂い。けれど、いつものように温かい気持ちにはなれなかった。

 帝国の中にずっと隠れていた亜人達。島でモノを育ててくれたオネもまた、その一人だった可能性が高い。


(私は、どうしてここにいるの?)


 生まれた時から、ずっと誰かの陰謀の中で生かされてきたのではないか。その疑いが、心に黒いもやをかける。

 オネにだけは、裏切ってほしくない。

 家族から捨てられたモノを、育ててくれた。オネに打算があったとすれば、それは島で受けた愛情が、偽りだったかもしれないということだった。


「モノ」


 オットーが言った。


「……その、大丈夫かい」

「ありがとうございます、お兄様」


 モノは顔を上げ、笑みを張り付けた。


「……お兄様も、気を付けて」

「あ、ああ。ありがとう」

「んに」


 やがて、空の上に黒い雲が現れた。まるでサザンという街にだけ、夜がもう一度運ばれてきたかのようだ。

 黎明の空の中で、その位置だけぽっかりと黒い。

 強かった風が、馬をなぎ倒さんばかりに吹き荒れる。雨粒がつぶてのように襲い掛かる。そこら中で木が悲鳴をあげる。どこかで半開きだったらしい戸がねじ切れて、モノの遥か頭上に飛んでいった。

 市街から悲鳴が聞こえ出した。兵士からもだ。

 風のたった一吹きで、これだけの数の兵士が崩れかかっている。


「まずは、第一射だ! 上を狙え! 公女より先に、我らに注意を向けさせろ!」


 遠くから響く、アクセルの声だ。開戦のラッパの音が聞こえてくる。


「放てぃ!」


 夜闇の中に、ぱんっと弦を張る音が連鎖した。

 弓矢はほとんどが風に叩き落され、あるいは吹き散らされて明後日の方向へ流れていく。元より、誰も雲にまで届くとは思っていない。あくまで注意を引くためだけのものだ。


「公女様、オットー様、いよいよです。準備はよろしいですか」


 ヘルマンが問うたのは、モノの眼下にある一台の設備のことだった。

 跳ねる前のバッタのような形をしており、一本の長い腕を持っている。腕を天高く延ばせば、城壁の高さまで届こうという代物だ。


「い、一度、やり方は見せてもらいましたけど」

「練習通りにやれば、大丈夫さ。今回に限って言えば、失敗しても、害がない」


 その時、嵐に動きがあった。解散、と遠くから声が響いてくる。地鳴りのような音は、一斉に門へ後退してくる弓兵のものだった。

 よほど恐ろしいらしい。クロスボウを投げ捨てて逃げる兵士までいる。

 すでに嵐はサザンの上を覆っていた。雲の間の切れ目が、まるで巨大な目のように見える。その形が、三日月形に歪んだ。


(笑った?)


 ぞくりとした。

 戦慄が全身を駆け抜ける。

 上空の雲が、生き物のようにうねった。

 サザンの街に、稲光が槌のごとく襲い掛かる。強風が逃げてきた兵士を巻き上げた。モノはぎりぎり手が届く範囲だったので、川の水を纏めて水玉を作ると、その中に兵士をキャッチする。


「こ、公女様!」

「早く逃げて!」


 弓兵だけではない、危険なのは、むしろアクセル達だった。サザンの市街地からどんどん離れていくのだ。

 金属を打ち鳴らす音が聞こえるのは、騎兵の中に鍋と木槌を持ったものがいるからだろう。大鷹族の騎射と、音、そして騎兵そのものの動き。アクセル達は必死に、嵐の狙いを街から逸らそうとしている。

 遠くで、炎が躍った。アクセルの、燃える血液という、マナによる体質だった。


「この嵐は、マナによるものだ。兄さんなら、対抗できるかもしれないけど」


 夜闇に舞う炎と騎兵は、敵の注意を引いたようだ。騎兵が市街の外へ走っていくのを、黒いもやをはらんだ風が追跡していく。


「わ、私も、早く」


 モノは精霊術の力を準備した。

 上空を見上げる。嵐に煙る空は、真っ黒だ。これだけの大きさの相手だ、やはり狙うは精霊術師だ。


「お姉様の準備は、まだなの」


 モノは呟く。

 騎兵達が駆けまわっているのは、精霊術師を見つけるためでもあった。城壁の中に避難した兵士達も、今は弓矢を望遠筒に持ち替えて、食い入るように嵐を見つめているに違いない。


「あの中に、いるはずなのに」


 ――鐘はまだ鳴らないのか!


 騎兵達の声は、悲鳴に近い。

 鐘が鳴ったのはその時だ。

 呼応するように、サザンのありとあらゆる教会が鐘楼を打ち鳴らした。響きあう音は、町全体が一つの楽器になったみたいだ。


「フランシスカが、聖教府の鐘を鳴らした」

「じゃあ」


 空に光が生まれ、世界を克明に照らし出した。


「反撃の一矢だ。奇跡が来るぞ」


 光は、瞬時に直線となった。滝のように上空から流れ落ちて、地面で弾け、轟音と輝きをまき散らす。奇跡による稲妻だ。


「『神罰』の奇跡だ。ウォレス自治区の雷と、同じやつだ」


 モノは上空に目を凝らす。

 この奇跡は攻撃のためではなかった。一時的に雲を払い、空を照らすためだ。


「見えた!」


 雷鳴は、嵐の中央を貫いていた。雲がなくなった場所に、朝の空が見える。

 さらに、散発的に起こる稲光が、雲の隙間を漂う翼を、影絵のように浮かび上がらせた。


(間違いない)


 三角形の翼。ランプの灯り。紛れもなく、ウォレス自治区で見たグライダーだ。


「あの位置……なるほど」


 オットーが声をあげた。


「グライダーがいるのは、嵐の『目』なのかもしれないな」

「嵐の、目?」

「中心みたいなものだ。強い嵐になると、風が渦を巻く。そこには中心ができる。集まった風が一まとまりになって、上に噴き上がる猛烈な風が吹くんだ」


 モノは改めて兄の知識に舌を巻いた。


「そう言えば、大鷹族は嵐が川の水を吸い上げていたと」

「間違いない。普通の嵐と、構図は同じだ」

「じゃ、あそこが中心で……」

「精霊術師は、その中ってわけだ」


 モノとオットーが顔を見合わせる。頷き合うと、ヘルマンが素早く叫んだ。


「投石器だ!」


 モノが下に降りると、巨大な構造物が出迎えた。


 投石器(カタパルト)という。


 巨大な石を遠くまで投げつけるためのもので、かつては戦争のために使われたらしい。

 普通は地面に固定して使う。けれど今回は空を狙うために、橋の傾きを利用して、仰角をつけるよう設置されていた。

 投げるものも、きっと史上類を見ないだろう。


「お兄様!」


 モノは、カタパルトの上に、オットーのネズミを載せた。兵士が石を置くべき台座に、水瓶を載せる。

 奇跡によって穿たれた穴は、徐々に狭まっていく。雲がもう一度グライダーを覆ってしまう前に、勝負をかけなければならない。

 兵士達がカタパルトに据え付けられた目盛りを読み、方向を最終調整していった。


「ほ、本当に、いいんですね?」


 モノは上目遣いに、カタパルトを這い上がるオットーに問うた。


「うん、思ったより、乗り心地が良さそうだ」


 オットーはむしろ上機嫌そうだった。


「もう……!」

「モノ、僕らも守られているだけじゃない」


 オットーは言った。


「妹のためには、僕のようなネズミだって、たまには体を張ろうと思うのさ」


 風雨で冷えた体に、気遣いが暖かかった。難しい顔を作ろうとしても、耳が勝手に動いてしまう。何かを言いかけて、結局口をもごもごさせただけだった。

 その間にも、兵士達が指差しでカタパルトを確認しあっていた。


「オットー様、早く中に!」


 オットーが水瓶の中に入る。


「準備はいいよ」


 兵士達が巨大な装置の前に回る。モノも危険なので離れた。この長大な木製の腕が、旋回し、水瓶を放り投げるのだ。

 兵士達は迅速に動く。投石のための腕は、三角形の台座にある、軸に固定されている。この軸を挟んで反対側には、ロープのついた重りがあった。

 この重りを兵士達が思い切り引っ張ることで、投石のための腕が回転する仕組みだ。

 全体の指揮を執るのは、ヘルマンだ。老戦士もまた、空に穿たれた大穴と、グライダーが舞う台風の目を見つめている。

 鷹を思わせる鋭い目が、慎重に辺りを見回す。


「ヘルマン、風ですか?」

「はい。これだけ強いと、無風の時を選ぶことはできませんが」


 ヘルマンが、不意に手を挙げた。


「順風です、公女様!」


 ヘルマンの言葉が、合図だった。


「三」


 兵士がレバーに手をかけ、


「二」


 モノが祈り、


「一」


 オットーがぐっと力を込めた。


発射(ロス)!」


 兵士達が一斉に重りのロープを引いた。留金が外れる。

 重しが下がる勢いで、対面の腕が持ち上がり、ネズミを入れた水瓶を力任せに投射した。元々が、城壁を越えて石を投げ込むための設備である。

 水甕はサザンの城壁の高さを優に超え、上昇。一抱えもある水瓶が、あっという間に豆粒になった。


(ここで!)


 モノは祈った。

 鐘が鳴り響く。

 人々の祈りが、モノの心に流れ込んだ。

 モノの体は、人々の意思が通過するための通り道に過ぎない。オットーは、『奇跡の才能がある』と言っていたが、こういうことかもしれない。モノは人々の心の力を――すなわちマナを精霊術に転化できるからこそ、非常時において凄まじい威力を発揮するのだ。

 区別し、拒絶するための力ではない。

 共感し、共に戦うための力だ。


 ――公女様、どうか。


 大鷹族の意思の一片(ひとひら)を、感じた。モノの猫の耳は、確かに聞き届ける。

 水瓶が割れた。飛び出した水は、モノの精霊術で生き物の姿を象る。

 いつもの水の虎ではない。

 モノはウォレス自治区で、穢れた精霊を鎮めた時、その中で呻いていた精霊をも仲間にしていた。


(お願い、手伝って……!)


 解き放たれた水が、生き物を象る。

 馬、犬、蛇、ありとあらゆる生き物が水瓶から飛び出していく。その中に鳥の姿があった。

 鳥は小さなネズミを足で掴むと、翼を広げて風をはらむ。

 周囲からは、つぶてのように水滴が叩きつけられる。強烈な風もだ。

 だが、モノは水の精霊術師。

 叩きつける雨は、むしろ恵みだった。水をどんどん吸収し、鳥はむしろ大きく、強くなっていく。

 足で抱えたネズミが、やっぱり悲鳴をあげていた。


「ウォレス自治区で迎えた、精霊ですか」


 ヘルマンが息を呑んだ。

 今までの旅で、モノが受け入れてきたもの。それが今度は、モノを支える番だった。

 ネズミを掴んだ鳥が、嵐の中心へと近づいていく。折しも、アクセルが燃える剣を中心辺りの地面で振っていた。灯台のようなものだ。目指すべき場所を、見失うことはない。


 ――クルシイヨ。


 呻くような声。

 鳥が昇っていく。嵐の裂け目に向けて。

 オットーの言った通りだ。嵐の中心には、上へ吹き抜ける風が吹いている。一度気流に乗ってしまえば、導かれるようにモノの鳥と、オットーは嵐の中心へ吸い上げられる。

 モノは精霊術師として、水の鳥の心を感得した。

 暗雲を抜けた先は、黎明を過ぎ、もう青空になっていた。


 ――もう子供じゃないのよ。


 モノはオネの小言を思い出していた。空を飛ぶ感覚を得ながら、自分に問いかける。

 あれも嘘だったのだろうか。モノに知識を授け、島から送り出してくれた優しささえも。


(そんなことない)


 モノは首を振った。

 暗い場所にいるのなら、明るい場所に出るまで、進めばいい。どんな暗雲に襲われても、青空が世界から消えたわけではないのだから。

 モノは運命を知るために、公女となったのだ。

 翡翠色の瞳に、意思の光が宿る。褐色の腕を振って、モノは両手を空にかざした。


「このまま、空まで!」


 最後の一押しを受けて、水の鳥が上空に出る。透き通った体を、陽光が煌めかせた。

 叩き落そうとする強風が吹き荒れる頃には、鳥はグライダーのすぐ近くにまで迫っていた。

 鳥はそのままグライダーに近づき、作戦を実行した。


「う、うまくいくかなー」

「目論見としては、最上かと」


 ヘルマンが己の前歯を指さした。


「なにしろ、こと人間が作る設備や装置は、彼ら(、、)との戦いでしたので」



     ◆



 ごうごうと鳴る風の音が、大鷹族の娘、ギギの両耳を塞いでいた。稲妻が雲を払ったが、ギギの意識は依然として闇を彷徨っていた。


(なに、これ)


 体の熱さは、頂点に達していた。気を失ったら、体がばらばらになってしまいそうだ。

 小川で水を補給した時から、おかしくなった。地面から、無数の声が湧き出し、ギギの周りに纏わりついてくる。巨大な精霊が出現したことで、その土地その土地で迎える者なく迷子になっていた精霊が、一斉に集まったのかもしれない。

 あるいは、こうした迷子になった精霊こそ、この嵐のような、穢れた精霊の原因なのかもしれない。亜人が大陸から消えたことで、正しい流れが淀んだのだ。


(怖い)


 自分が消えていく恐怖。もはや名前さえ判然としない。

 心を塗りつぶすのは、無限に湧き出る怒りと憎悪だ。下で逃げ惑うゲール人を吹き飛ばし、建物を破壊すると、確かに胸がすくような気持だった。

 けれど、胸に痛みが刺さる。自分の大事な部分が損なわれ続けているのに、どうすることもできない。


(誰か、助けて)


 そう思った矢先、ギギは違和感を感じた。

 彼女はグライダーに乗っている。氏族の時から愛用している、三角形の翼を二つ組み合わせたグライダーだった。

 片方の翼に、何かが乗ったような感じたのだ。

 ギギはほとんど無意識のうちに体重を移動し、バランスを取ろうとして――凍り付いた。


「な、なにこれ」


 ガリガリ、ガリガリと、何かを噛み砕くような音がする。グライダーを支える翼に、小さな穴が開き始めていた。

 ギギは目を見開く。


「ね、ね、ねずみっ?」


 混乱のあまり、ギギは目を見張った。声を出すなんて久しぶりだった。

 グライダーに乗ったネズミが、あろうことか、命ともいえる翼をかじっている。


「うそ、こ、高度がっ!」


 グライダーの高度が下がり始める。

 保存食を食い荒らし、樽に穴を開け、ロープを切る。古今東西、人間の設備は彼らとの戦いである。

 鼠害という。

 巨大な嵐を降したのは、小さなネズミの牙だった。



     ◆



「グライダーが、降りてきます!」


 モノは空を指さした。グライダーはゆっくりと高度を落しながら、地面に近づいていく。

 オットーはうまくやったらしい。

 安堵していると、後ろから騎馬の音が聞こえた。


「モノ!」


 長兄アクセルだった。馬が棹立ちになり、橋の上で止まる。兄は腕を振り上げたままのカタパルトを見やり、にやりと笑った。

 なお、嵐が敵とあって、いつも身に着けている兜は外している。


「うまくやったな」

「は、はい!」

「だが、まだ終わりではないぞ」


 アクセルは騎乗したまま言う。その後ろから、残りの騎兵達が追いついてきた。


「では、手はず通り」


 モノが言いかけた時、城壁の中から伝令がやってきた。ひどく青ざめている。


「申せ」


 伝令は弾かれたように言った。


「フリューゲル家のお屋敷に、敵が! ひ、火の手も!」


 嵐はまだ始まったばかりのようだ。


「な、中に敵?」


 さっと青ざめるモノに対して、アクセルは言った。


「聞いたか?」

「は、はい」

「新しい敵だ。こっちは、政治の話だろう」


 ヘルマンが進言した。


「アクセル様。私が屋敷へ戻ります」

「いや……」


 アクセルは顎をさする。


「火というのが気になる。手練れの魔術師がいた場合、厄介なことになるぞ。城壁の中で、敵に好き放題させるわけにもいかん」


 長兄は馬首を巡らせた。


「畏まりました」

「モノリス。俺は城壁の中へ戻る。お前は、湖へ向え」


 グライダーはみるみる高度を下げていく。落ちる先は、城壁近くの湖のようだ。


「アルスター湖だよ!」


 そこで、大風が吹いた。城壁の中から悲鳴が聞こえる。


「気を付けろ……嵐はまだ生きてる」

「は、はい!」

「外の部隊は、お前とヘルマンに任せる」


 モノとアクセルは、視線を交わす。頷き合うと、それぞれの方向に駆け出した。

 アクセルが馬を棹立ちにさせて、剣を天に掲げた。


「城壁の中へ! 俺の旗下は着いて参れ! 聞こえたかっ? 戻ぉるぞぉ!」


 アクセルと側近の騎士達が、サザンの城壁の中に入っていく。

 モノも精霊術師として、もうひと頑張りしなければいけなかった。


「おいで、サンティ!」


 水の虎が顕現する。モノは城壁の上に這いあがると、虎に乗り、城壁伝いに湖へ向かった。サザンを一周する城壁は、湖への一番の近道だ。


「あ、あんな場所を」

「こ、公女様に続けー!」


 あんぐり口を開けていた騎兵達だが、公女を先に行かせるわけにもいかず、下の道を大急ぎで追った。

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