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3-11:窮鼠の決意


 モノはフリューゲル家の屋敷へ帰着した。

 屋敷はすでに人でごった返し、今が非常事態であることを告げている。窓という窓に明かりが灯り、出入りする騎士が忙しない。マクシミリアン達が聖壁を越えたという報は、昨日の段階でフリューゲル家に届いていた。きっとある程度の準備は、してあったのだろう。


「ヘルマン、大鷹族を偵察に行かせてください」


 モノが指示すると、ヘルマンが問うた。移動しながらの会話である。


「大鷹族を?」

「グライダーが本当にウォレス自治区のものと同じか、確かめてもらいたいんです。彼らは、目もいいし、騎馬の民です」

「……なるほど、そこまでお考えでしたか。承知しました、アクセル様に進言しましょう」


 馬を停める場所にもすでに人が集まっている。大騒ぎになることは目に見えていたので、モノは正面を避けて裏口から家へ入った。


「モノ!」


 一番最初にモノを見つけたのは、長女のイザベラだ。長女はモノを見つけると、廊下にも関わらず抱き着いてくる。


「あんた、まったく。心配したじゃないのよ!」

「ご、ごめんなさい、お姉様」


 柔らかい胸から脱出して、モノは抱えていた名簿を姉に見せた。


「……これは?」

「お父様からです」


 端的に告げて、モノはぴこぴこ耳を動かした。

 長女は眉を顰める。黒い装丁の本に、重大な何かを感じたようだ。


「姉さん。その、単独行動の言い訳になるかは、分からないけど」

「協力者に会ったのね?」


 弁解するオットーを、イザベラは先取りした。モノが頷くと、姉は顎に手を当てる。怜悧な表情は、すでに策略家のそれだった。


「面会者は、あなたを指名した」

「は、はい。まずは嵐に備えなければいけませんけど」


 イザベラとモノは、窓を見上げた。はめ込まれた板戸が、ガタガタと揺れている。いつの間にか、風がさらに強くなったようだ。


「……フランシスカを呼んでくるわ。奇跡の準備で、聖堂にいるはず」

「兄さんは?」

「大広間で、人と会ってる。すぐに呼びにいかせましょう」


 モノ達は邸宅の食堂で、話をまとめることにした。

 薄暗い食堂で、使用人達が次々と燭台に火を灯していく。蝋燭の灯りが部屋の様子を浮かび上がらせた時、モノは内装と広さに目を奪われた。食事をとる部屋に、これだけの広さが必要な理由が分からなかった。

 しかもこれは家族用の食堂で、来客用の場所は別にあるという。

 言われてみると、ウォレス自治区の庁舎と比べても、内装の方は質素だった。


(すごい所に来たんだ)


 土で固めて作った狭い家で、オネと二人きりで食事をとっていた時が、無性に懐かしくなった。少し前に、故郷の料理を味わったせいだろうか。


「モノ、大丈夫?」


 家族を待つ間、イザベラが声をかけてくれる。


「んに、大丈夫です」


 モノは無理して笑みを作ってみたが、胸の鼓動は収まらなかった。

 だって、オネは――


「待たせたな」


 ぎゅっと名簿を握った時、フランシスカとアクセルが揃って入室した。

 フランシスカは背の高い帽子を外し、白いローブを羽織っているだけだった。アクセルは白と赤の服を着こんでおり、歩くと随所で金属の音が鳴る。きっとこの上に、鎧を付けるのだ。

 家族の集合を見計らって、オットーが防音の魔術を展開する。燭台に灯された火が、魔術の気配に揺れ動く。

 なんだか密談をするみたいで、モノは後ろ暗い気持ちになった。


(でも)


 実際に、後ろ暗い話なのだ。だって、これは聖ゲール帝国の中に亜人がいたという話。そして、モノ達の父は家族にもそれを隠し、南部と北部の勢力争いに利用していたという話だからだ。


(あと、私が島に送られた時も)


 協力者の名簿の中にあった、育ての親の名前。モノの父が、何らかの企みをもってモノを島に送ったのは、疑いようのない気がした。

 モノは本当なら、今すぐにでも名簿を上から下まで読んでしまいたい。けれど、戦いが迫っている。

 嵐の精霊に加えて、亜人の軍勢。きっと厳しい戦いになる。

 もし、モノの心を壊してしまうような事実が出てきた時、ちゃんと戦えるのか、モノには自信がない。


「お姉様、お兄様。聞いてください」


 モノは翡翠色の瞳を煌めかせて、まずは事実を語った。

 テオドールから聞いた話。そして、モノが見たテオドールの特徴。父親からの遺言が、協力者の名簿であったことも明かした。


「……てっきり、今の嵐の話かと思ったがな」

「ですが、これも重要です。公女シモーネ・モノリスは正しい判断をしました」


 フランシスカは首を振った。ローブに縫い込まれた二つ星の印に手を当て、目を閉じる。祈りの文句を唱えたようだ。


「……ですが、にわかには信じられない話です。帝国の中に、亜人が? それも、聖教府の黒星だなんて」


 惑うフランシスカに、イザベラが声をかける。途中、ごうと外で突風が吹いて、場をひやりとさせた。


「でも、色々なことに筋が通るわ。聖教府はマクシミリアンのような神官を使って亜人に布教していたけれど、帝国の中に亜人がいれば、それもできる。亜人に協力者がいればね」


 長女は指を一つ立てた。


「帝国の外は亜人の土地。その亜人学派が支援したのなら、辺境への布教も可能だわ。道案内がいるのだもの」

「マクシミリアンがやっていたように?」

「そうね。聖教府は、亜人の布教に成算があったんだわ」


 それに、とイザベラは付け足した。


「島のことも、筋が通る」


 モノは首を傾げる。


「……どういうことですか?」


 イザベラは迷ったようだ。口に出すべきかどうか、真剣に悩んでいる。いつもはっきりと言う女性なだけに、モノは不穏に感じた。


「モノ。まだあなたも、本の全てを読めてはいないのでしょう?」

「は、はい」

「ずっと不思議に思っていたのよ。あなたを隠した『魔の島』が、敵にばれた理由が」


 モノははっとした。考えてみれば、当たり前のことだ。


「もしオネがあなたの思う通り、亜人学派の一人であったなら……」


 その想像に、ぞっとした。


「……オネ、から?」


 オネから、島の場所が漏れたのかもしれない。

 だってオネは、島でモノと一緒に手紙のやりとりだってしていたのだ。


 モノはぎゅっと手を握って、俯いた。自分の体が、だんだんと重たくて、感覚の通わない石になっていくみたいだ。


(なに、それ)


 信じていた足場が、音を立てて崩れていく。でもオネは、父親との関係や、大陸の亜人との関係など、一言もモノに言わなかった。

 だから、無関係とも考えられる。一方で、だからこそ隠してきたとも考えられる。


「……いずれにせよ、調査は後にせねばならん」


 翡翠色の瞳が、場を鎮めた。アクセルだった。

 議論を打ち切ったのは、むしろモノのためかもしれなかった。


「その遺言書を読み込まなければ、確かなことは言えない。そうだろう?」


 家族は無言の肯定をした。


「今は、嵐と敵が迫っている。この遺言書について、考えるのは止そう。土煙を以て敵の兵力を判断するようなものだ。恐れを自分ででかくしては、勝てる戦も勝てなくなるぞ」


 オットーも兄の提案に同調した。


「この屋敷には、図書室もある。執政のための部屋もね。テオドールの素性も、まだよく分からないところがある。裏付けを取りながら進めるべきだ」


 大切な話のはずなのに、モノにはうまく理解できなかった。


「今は、まずは近づいている嵐と、亜人の軍勢の話だ」


 アクセルが話を戻した。


「モノリスと俺で、斥候を派遣した。彼らの帰途を待たねばならん。報告を聞くに、どうもただの嵐ではないような気もするが」


 モノは頷いた。呼吸を整えていく。


「あれは精霊ですよ、お兄様」

「お前も見たか」

「はい。オットーお兄様も」


 オットーがテーブルの上で、鼻を鳴らした。机に散らばるメモ書きの上を、ネズミが行ったり来たりする。

 モノとオットーは、二人で城壁の上から観測したことを、家族に話した。


「つまり、あれは意思を持ったマナの塊だ。どう見ても、ウォレス自治区で見たあの黒いもやの親戚になる。そしてそんなものを使ってくるのは」

「あのマクシミリアン神官ってわけね」


 イザベラが肩をすくめると、アクセルが言った。


「……まずいな、亜人の軍勢の目撃情報が、現実味を帯びてきおったわ」

「おや。お兄様は、見間違いであってほしかったと?」

「戦う分には、いい。だが進軍速度が速すぎる」


 アクセルは腕を組んだ。燭台を持ち、壁に貼られた地図に近づく。


「聖壁を破った位置からすると……まさか、帝都へ向けて真っ直ぐ進んでおるのか?」


 長兄は、潮目を読むような眼差しで地図を見つめていた。長考するアクセルに、イザベラが口を挟む。


「でも、嵐が敵だとして……どう戦うの?」

「それもある。ウォレス自治区では、敵は地上にいた。まず我らは、上空に攻撃を届けねばならん」


 窓の外では、ごうごうと風が鳴っている。誰が言うまでもなく、難問だった。

 イザベラがまず口を開いた。


「精霊術師が中にいるのなら、それに向かって矢を射るとか?」

「それだけで十分とは限らん。ウォレス自治区でも、最後にものを言ったのは、爆発的な威力だ」

「風で矢が上手く飛ぶかも分からない」

「お兄様。サザンの信徒達の祈りを使えば、ウォレス自治区より強力な奇跡は放つことはできます。威力については、心配無用かと」


 アクセルが腕を組んだ。


「……いずれにせよ、ここからは軍議だな。ヘルマンと、各隊に声をかけねば」


 防音の魔術が解ける。


「ま、待ってください」


 モノが口を開いた。


「……あの精霊の中には、精霊術師がいます」

「うむ、そのようだが」

「あの精霊の、中心のようなものです。だから……」


 モノは言った。


「精霊術師を下に落せば、主を失って、嵐が弱まるかも」


 実際にそうか、確信はない。精霊術師と精霊は、強く繋がっている。その経験から、推論を重ねただけだ。

 それでも言ったのは、このまま攻撃に巻き込めば、空の精霊術師は確実に命を落とすと思ったからだ。


「……湖に落せば、中の精霊術師も保護できるかもしれませんし」


 アクセルは目を細めた。モノの本心を察したようだ。


「公女よ。まさか、敵を救うつもりか」


 アクセルは、苦々しく言う。モノがはっきり頷いたのを見て、長兄は精霊術師の件を考慮し始めたようだ。


「だがな。さっきも言ったが、(まと)が、あまりにも小さい。いっそ空を飛べるやつがいれば、可能だろうが」

「フランシスカ、あなた空を飛ぶ使い魔を持っていなかった?」

「ただの鳥です、お姉様。せいぜい小型の荷物や、手紙を運ぶくらいですよ」

「ウォレス自治区で増えた精霊(イファ)にも、鳥がいますけど……」

「それじゃあ、攻撃と呼ぶにはとても足りん」


 オットーが最後に、おずおずと発言した。


「そ、空に運ぶっていうなら」


 全員の視線が、オットーに集まる。


「ここに、その……ネズミサイズの魔術師が、いるんだけど」



     ◆



 フリューゲル家は、にわかに騒がしさを増していた。

 かつてない嵐が近づいていることに加え、人づてに亜人学派が近域に現れたという噂も立っている。城壁の外に街がはみ出していることから、人々の不安も強い。街は教区という聖教府の決めた区画で切り分けられていたが、その教区の一つ一つから使いのものがフリューゲル家への邸宅にやってきているのだ。

 自主的に家を出て、壁の中に避難してくる住民もいる。まだ夜半だというのに、フリューゲル家の邸宅の前には軍の伝令と、教区の使い、避難の嘆願に来る住民達が集まっていた。


「好機だな」


 その中で、一人が言った。恰好は、ごく普通の農民だった。薄汚れたチュニックと日焼けした肌、頭には穴の空いた帽子を被っている。標準的な農夫の恰好だ。

 だが注意してみれば、彼の眼光は異様に鋭い。


「ロッソウ大臣の指示通り、連中はサザンに来たな」


 彼らは帝都ヴィエナにいるロッソウ大臣が派遣した密偵だった。彼らには、特別な裁量が与えられている。


 ――亜人公女は、邪魔である。絶好の機会があれば、裁量で除くべし。


 暗殺の指示であった。

 フリューゲル家の警備は、万全だ。だがサザンそのものが戦場になりそうな混乱とあっては、その警備にも綻びが生まれる。事実、邸宅には予定外の来客が次々とやってきているだろう。


「仕事をしよう」


 リーダー格の男が言うと、四人の男達は頷きを交わした。

 亜人公女は、まだ小さい人物に過ぎない。今の段階なら、南部と北部の政争の間で、現れては消えていく数多ある人物の一つだった。

 だが、今回は聖ゲール帝国内での騒動だ。これをつつがなく抑え、勝利すれば、亜人公女の名声はいよいよ高まる。

 そうなれば、もう汚い殺し方はできない。

 亜人公女が、得体の知れない単なる田舎娘であるうちに、潰しておくべきだった。帝国中に亜人公女の名が響いてからでは、もう遅い。

 けれど、彼らは森の中から、自分達もまた監視されているということに気づかなかった。


「やれやれ。警戒したとおりだ」


 黒いローブを被った、肌の白い男性――テオドールは、邸宅へ向かっていく男達を見送る。樹上から見降ろせば、湖のほとりの邸宅から、そこへ向かう道、市街の方向までを一望できた。


「密偵はどこにでもいる」


 彼らのような存在を見越したからこそ、テオドールはわざわざ邸宅での面会を避けたのだ。


「これくらいの危機は、己の手で抜けていただかないと困りますよ、公女様」


 公女シモーネ・モノリスには、確かに器を感じる。公爵夫人との血縁も明らかだ。

 だが、彼女は少し正直すぎる。優しすぎ、潔癖にすぎる。そこが不安材料で、戦では悪い方に働くかもしれなかった。彼女は『見捨てる』ということができないのだ。それは、一度自分が見捨てられたと感じているからかもしれない。

 テオドールは懐から遠眼鏡を取り出した。暗殺者達が邸宅を大きく迂回して、湖のほとりの森へ向かうことを確認する。

 どうやらサザンでの戦いは、マクシミリアン一行と、フリューゲル家、そしてロッソウ大臣の密偵による三つ巴となるらしい。

 テオドールにしても、マクシミリアン達の動きは予想を超えた速さだった。


「しかし、嵐とどう戦うのか」


 テオドールが不安視すると、なぜか、邸宅の方から巨大な設備が曳かれてきた。バッタを思わせる、奇妙な形状。


投石器(カタパルト)……?」


 周囲には、なぜか岩ではなく、蓋をされた水瓶が置かれている。投石器(カタパルト)本体にも、『差し押さえ』の札。

 今度は、テオドールが顎を落す番だった。


「おいおい。あんなもの出してきて、俺への支払いは大丈夫だろうな?」


 だが今のところ、テオドールには手助けする義理も、手段もなかった。嵐は段々と近づいてきている。思えば、祖先も言ったものだ。投げた槍が手元に戻ることはない。フリューゲル家に賭けた以上、もう後戻りはできなかった。


「オネ、あの裏切者め。とんでもない娘に育てたものだぜ」


 キキ、と舌打ちする。テオドールは己の精霊を呼び出した。土煙を起こし、それが晴れる頃には、樹上から彼の姿は消えていた。


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