1-3:襲撃
戦いの太鼓は、西の方角から聞こえた。
村には方々に太鼓を打つための櫓がある。危険が迫った時には、その役目の男が櫓に上がって、備え付けの太鼓を叩くのだ。
普段は陽気なリズムを送る太鼓も、今は走っている心臓のような、切羽詰まったリズムを刻んでいた。それだけ敵が近いのだ。
モノは太鼓の音を聞き分けて、敵が家の近くにまでやってきていることを察知した。広場を駆け抜けると、村の正面へ向かう男達とすれ違う。
「モノ?」
「西にも、敵がいます。私は、そっちへ!」
「おい、女が戦うな!」
「私だって、狩人ですから!」
言い返して、広場を抜けて、ひたすら駆ける。
モノは根っからの行動の女。
悩みがあっても、体を動かしていれば気にならなかった。
だんだんと畑が増えてきた。作付け前の畝が、もう作られている。渡り鳥が伸びやかな声で歌っていた。
(こんな時に、戦いを仕掛ける人がいるなんて)
モノは脇腹に吊った短剣の感触を、確かめた。走りながら考える。
友達の虎を――サンティを呼ぶべきだろうか。モノが狩りの友としている虎なら、どんな敵でも蹴散らしてくれるだろう。一方で、森に呼びに行く時間も惜しい。
(サンティなら、自分で気づいて、駆けつけてくれると思うけど)
女の叫び声が聞こえたのは、そんな時だ。
(近い)
モノは家がある方へ駆けた。
生まれ育った、赤土の家。医療所も兼ねているので、他の家よりも一回り大きい。その入り口を囲うように、二人の男が立っている。モノの心臓が跳ねた。いずれも腰を落とし、一人が槍で、もう一人が剣で武装していた。
こちらに背中を向けている。モノにはまだ気づいていない。
「何をしているっ」
あいにく、弓は家の中だ。
石で不意打ちをしてもよかったが、まずモノは慣習に従い声を張った。不安を、勇気と怒りで心の奥へ押しやった。
「いい大人が、こんな日に! 家から離れて!」
二人の男は、モノに向かって振り返った。
あまりの異様さに、モノは肌が粟立った。
どちらも極彩色の仮面で顔を隠している。片方は、モノ達と似た獣の耳が頭から突き出ていた。もう片方の頭には、何もない。黒髪が風で揺れているだけだった。
どちらも狼と思しき毛皮を、外套のように羽織っている。装束はお揃いというわけだ。
「今は、平和週間だったか?」
槍を持った方が呼びかけた。こっちは獣耳がない方。
「そ、そうです! 戦争なんて、もっての外です!」
「はは、そんなもの、古いよ」
嘲笑ったのは、剣を持った方だ。こっちには獣耳がある。そいつは右腕に巻いた、青い布を見せつけた。
「こいつがあれば、もう島の習慣など、恐れることはないそうだ」
「その布が?」
「いずれ分かるさ」
モノの目が厳しくなった。彼女が短剣を抜くと、男達は肩をすくめる。
「うわぁぁぁあ!」
その時、家の入り口から人が飛び出してきた。火の粉を纏いながら。
装束に引火しているらしい。必死に転げ回って火を消そうとしている。そのうちに畑の畝に頭から突っ込んで、イモと土にまみれた。
「こっちにも敵がいるぞ!」
隙を突いてモノが声を張った。
「こいつ!」
剣の男が飛びかかる。焦りによる、実に分かりやすい動き。
モノの狙い通りだ。彼女は一瞬早く身を屈め、相手の懐へ飛び込んでいた。
男と戦う手順は、たった一つ。
(まずは姿勢を崩すこと!)
相手の膝裏に足を回して、思い切り引いた。
前のめりになっていた相手は、容易くバランスを崩す。落ちてきた相手の顎に向かって、モノは短剣の柄を叩き込んだ。衝撃が脳天を突き抜けただろう。
「くそっ」
さすがに昏倒はしなかった。剣を持った男は、ふらついているだけだ。だが回復するまでは戦力にならない。
「やるね」
槍を持った男が言った。
飄々とした態度に、かえって脅威を感じる。剣が先手だとすれば、後詰めの方が実力は上だろう。
「退きませんか?」
槍は切っ先を、ぴたりとモノに向けた。
「その理由がない。大人しくついて来い」
「う、うー。やっぱりそうですよね……!」
その時、助けが来た。
「いたぞ、こっちだ!」
「モノを助けてあげて」
「西はもう大丈夫だ!」
「男を、ここに、集結させろ!」
様々な声だ。槍も、剣も、たじろぐ。
「ンネーイィィ!」
氏族の戦いのための祈りが、方々から聞こえ、わんわんと反響した。
戦いにおける伝来の叫びだった。これを聞いて、この氏族の強さを思い出さない人はいない。
剣も槍も、モノを諦めた。彼らは、倒れている火に焼かれた男を負ぶって、声とは逆方向に逃げ出した。
モノはふうっと息を吐いた。
(助かった)
半日もにらみ合っていたかのように、疲れた。あの槍は相当な使い手に違いない。
殺気を思い出し、モノは身震いする。
そうしている間にも、味方の声はどんどん近づいてきた。
(あれ?)
モノは違和感を覚えた。
声は、もうすぐ近くからだ。足音も、武具の金属音も猫耳にやかましいほどだ。
だというのに、道にも建物の陰にも人気はない。
近くの家から、こわごわと騒動を覗く女子供の視線を感じるが、それくらいだった。助けが来る気配はない。モノは耳を方々へ動かしたが、やっぱり誰も来なかった。
「ここはもう大丈夫だ。さっきの敵は、もうずっと奥、密林の方へ逃げてしまったよ」
優しい男の声がした。
モノはびっくりしてしまった。慌てて振り返る。誰もいない。
声ももうそれっきり、聞こえなかった。
(オネの術かな?)
モノは首をひねって、ひとまず自分の家に入ることにした。
親代わりのオネからは、ここで沢山のことを教わったものだ。大陸の正しい言葉遣いや、計算、初歩の医術、そして歴史。
モノにとって、オネはかけがえのない人だった。
低い塀の裏には薬草畑がある。昔そこでサンティが粗相をして大目玉を食らったのを思い出した。今はその畑にも、無数の足跡があった。
(無事、だよね?)
家の中も荒らされていた。家具が蹴倒され、水瓶が割られている。ツンと鼻にくる匂いは、ヤシ酒だろう。奥の壷が割られたのだ。
さっと血の気が引いた。
「お、オネっ?」
「はいはい。生きてるよ」
我慢できずに声を張ってしまったが、気の抜けたいらえがあった。