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亜人公女物語 ~猫耳の公女、モノリス~  作者: mafork(真安 一)『目覚まし』書籍化&コミカライズ!
第3章 亜人公女

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3-4:宮廷の噂


 水車が石臼を引く音が、工場(こうば)の中に響いていた。

 十歳の少年の小さな手が、(うす)から零れる木の破片を、塵取りに寄せ集める。彼は地下の臼部屋から這い出ると、母親が待っている竈へ行き、大きな鍋に木片を注ぎ込んだ。木片は、煮崩れした豆ほど柔くなるまで、じっくりと煮られる。

 運河の悪臭が、北側の窓から部屋に入り込んできた。その窓を横切って、少年は隣の部屋へ手伝いに行く。差し込んだ日光が、舞い立つ埃を煙のように際立たせた。

 隣は、紙漉き部屋になっている。大人十名ほどが狭い部屋に詰め込まれ、煮られた木片を、崩し、紙に梳く作業を黙々と行っていた。面子は、父親や、上の兄弟達、そして工場の徒弟だった。


「急ぐぞ」

「宮廷に納める分だ。そっちが先だ」


 時折交わされる、短い会話。

 宮廷、と息子は父親たちの会話を繰り返す。窓の外を流れる運河は、ずっとずっとさかのぼれば、確かに宮廷の近くまで行ける。

 ここは、『帝都』と呼ばれている街だった。『ヴィエナ』という都の名前はあるが、皇帝がおわす都であり、聖教府の中心地でもあることから、単に『帝都』と呼び習わされていた。

 とはいえ、この一家が宮廷を目にすることはほとんどない。彼らの生活の大部分は、この工場と、運河沿いに蝟集(いしゅう)する歓楽街の中で営まれる。そこから出ることも、出ようと思うこともない。

 どこまでもくすみ、汚れた町並み。それが彼らにとっての帝都だった。


「おい、乾いた紙があるだろう。そっちを片してくれ」


 作業を言い渡され、彼は隅の乾燥台へ向かった。まだ十歳ほどだったが、子供が働くことは珍しくない。

 紙漉きは、一枚一枚の紙をひたすらに漉いていく作業だ。人手は多いほどいいし、子供の手も必要になるのだった。

 乾燥した紙を重ねながら、少年は工場の中を見回す。壁には、所狭しと紙が貼られていた。

 これらは、町へ行けば無料で配られているパンフレット。


「亜人……?」


 特に目立つのが、『亜人』と言われる人種に関するものだ。白黒の版画で、獣のような化け物が人を襲う様子が描かれている。これが、帝国で教えられている『亜人』である。


「また、紙の値段が上がった」

「うんと南の方は、ちょっとは景気がいいみたいだ」

「紙を高値で買ってくれる商人もいるらしいぜ」


 父親が会話している。ここ数日で話題になっている、大陸の南の、自治区のことだろうか。


「なんでも、亜人の貴族がいるらしい」


 貴族という単語と、パンフレットの恐ろしい版画が、子供の頭で正面衝突を起こした。首をひねるばかりである。


「おい、紙はまとまったか?」

「うん、父さん」

「幾つだ?」

「二段分だよ」

「そうか。母さんに、渡してこい。な?」


 子供は、部屋を隔てた母親の所へ戻った。

 母親は竈の傍で別の内職を行っているところだった。

 運河沿いは工場の密集地となっている。紙漉き場の向かいには、貴族達の洋服を留めるピンの工場があった。母親は、生産されたピンを綺麗に纏めて、箱詰めする内職を行っていた。


「母さん、これ」


 そこで、表へ通じる戸が叩かれた。工場に、陰鬱な空気が垂れこめる。


「お父さん、催促だよ」

「仕方ねぇよ。できてる分だけでも、あげちまいな」

「あいよ。坊や、紙をこっちへ」


 母親が外で待つ荷受人に、ピンの詰まった箱を渡した。出来上がっていた紙も、麻紐で綴じて渡される。

 荷受人は千本のピンが詰まった箱を受け取ると、ぞんざいに中身を確かめた。乗ってきた船へ一度戻る。報酬として差し出されたのは、パンの塊と、数枚の銅貨だった。

 母親は、伸ばした手を引っ込めた。

 作業を見上げていた少年は、素朴な疑問を口にする。


「これだけかい?」


 荷受人は、言った。


「嫌なら、別にいいよ。他を当たる」


 母親が慌てて子供を叱りつけた。彼女は何度も礼を言って、報酬を受け取った。

 運河の空気で変色したパンの塊と、銅貨。二日分の労働で、受け取ったのはそれだけだった。

 ドアが閉じられた後、母親は咳をした。

 運河は都市の排水で異臭を放ち、向かいの工場からは金属の粉を含んだ風が吹いてくる。空気が悪いのだった。


「坊や。最近は、パンも豆も高いから。しょうがないんだ」

「どうして? 前は、もっともらえたじゃないか」

「不作なんだ。聖教府の偉い神官様が、一生懸命お祈りしてるからね。じきに、よくなるからね」


 母親は息子の頭を撫でる。

 子供が窓の外を見やると、聖教府の白い尖塔が向かいの屋根越しに見えた。


「景気は、どんなだ」


 父親や、工場の徒弟達が代価を覗きにやってくる。テーブルに置かれた一塊のパンと銅貨は、彼らの肩を落とさせるだけだった。


「……誰か、なんとかしてくれればいいのに」


 子供は工場に戻りながら、壁のパンフレットを見やる。

 相変わらず、白黒の『亜人』が牙を剥き出しにしていた。


「飯さえ食えれば、俺達はなんでもいいんだけどな」


 愚痴をこぼして、子供は再び作業に戻った。



     ◆



 運河沿いに蝟集する工場を過ぎると、街並みは徐々に都らしくなっていった。

 道幅は広く、清潔になり、豪奢な馬車が見られるようになる。下町に見られる闘鶏場や売春宿は身をひそめ、瀟洒な住宅に通りを空け渡すようになる。

 工場での物資を満載した馬車は、時折運河から積み荷を補充して、そんな通りを北へ進んでいく。

 見えてきたのは、宮廷だ。

 シェーンブルク宮殿という。王族と貴族が住まう、巨大な地区だった。中には千人余りが暮らしているため、まさに都市の中にある都市だった。


「ウォレス自治区?」


 とある庁舎で、声があった。

 開け放たれた窓からは、宮廷の庭園を覗くことができる。ホロヴィッツ川の上流から水を引かれた噴水が、今日も涼しげだった。

 浄化の魔術もあって、噴水は運河と異なり清浄である。


「すまん、それは、ええと。どの自治区だったかな?」


 老年の男性が顔を書類から上げた。

 窓からの光が、後ろに流した金髪を照らしている。服装は、黒。聖職者や法官にも見えたが、ぎょろりと大きな目が彼らにはない迫力だった。


「亜人に攻め込まれ、フリューゲル家が守った、あの自治区ですよ、ロッソウ大臣」


 部下に言われ、大臣はやっと頷いた。そもそもこの部下をウォレス自治区まで派遣し、情報を取らせたのは大臣自身だった。部下も呆れ顔である。


「部下を遠くに派遣し過ぎて、一人一人を覚えていないのでは?」

「ふん、大丈夫だ。今思い出したところだ」


 大臣は、名をクレメンス・フォン・ロッソウという。

 年齢は六十に届く。常に眉間に刻まれたしわと、左右にピンと突き出した髭が、完璧に神経質そうな印象を作っていた。


「そうか、フリューゲル家の話か」


 言っている間にも、ロッソウ大臣は作業を止めない。書類の間を、手袋をした手が行き来する。羽ペンを鞭に置き換えれば、軍団を指揮する将軍にも見えただろう。


「ああ、帳簿の類はそこにおいておけ。その机じゃない。横、そう、そこだよ」


 大きく開いた窓の上には、役職を示す天秤の紋章が掲げられていた。財政を統括する大臣を示すしるしである。

 宮廷には、財政、軍事、聖教、典礼など様々な職務を行う十六人の大臣が詰めている。徴税と予算、そして投資を担う財務大臣は、特に力の強い役職だった。

 国庫から自在に私腹を肥やせるという意味においても、力を蓄えやすい地位である。


「あの、後にしましょうか?」

「いや、いい。他の者は、一度退出するように」


 大臣は手を振って、部屋に詰めていた他の部下達を外に出した。


「……さて、フリューゲル家の話だったか」

「はい」

「子供全ての相続権を停止されても、まだ生き残っている。辺境の島から、亜人の娘を連れてきたのだろう?」


 ロッソウ大臣は無表情に続けた。頭に手をやり、思い出すしぐさをした。


「ウォレス自治区が亜人に襲撃されたのは……確か半月前だな」

「はい。探ってきましたが、明らかに逆効果でしたね」

「聖教府の失点だな。亜人に襲わせたのはよかったが、自前の騎兵を派遣したのはいかにもまずい。南北の勢力争いでは、今は南部の方が勢いがある」


 帝国は今、南部と北部に分かれて権力闘争を行っている。

 宮廷は帝国の中心部にあるため、南部の貴族と北部の貴族が、まさにぶつかり合う最前線だった。


「こうまで手こずるとは……裏切ったのは、少し早計だったかもしれんなぁ」


 大臣は悪びれもせず、目元を揉んだ。

 ロッソウ大臣は、南部のフリューゲル家に近い人間である。銀行家の出身で、今は亡きフリューゲル公爵――モノリス達の父だ――に取り立てられ、宮廷へ紹介されたのだ。

 だが、彼はフリューゲル家を裏切った。

 北部の大貴族と結託し、フリューゲル家を断絶させる法律を作り、一族を宮廷に拘禁したのだ。アクセル、イザベラ、オットー、フランシスカ。そうした一人一人に罪を着せ、領地、財産、特権の一切の相続も認めなかった。


「ちと、予想と違う粘りだな」


 自治区に敵対勢力がいるというのは、好ましいことではない。数少ない貿易港なのだ。

 なんとかしろ、という悲鳴じみた書状が、日夜ロッソウの元に届く。そして、その一つ一つを大臣は丁寧に黙殺した。


「亜人公女、と」

「ふむ?」

「少なくとも民草の間では、そう呼ばれているようです。彼女はまだ十五歳と幼い。後見人として、相続権を失った家族も返り咲いています」


 ロッソウ大臣は書類に向かいながら、にやりとした。


「後見人! なるほど、上手い考えだな。実際の執務はフリューゲル家の娘と息子がやっても、それなら理屈が通るね」

「はぁ。ま、確かに公爵級の爵位なら、十五歳じゃ若すぎます」


 部下は曖昧に頷く。

 ロッソウ大臣は、書類を捌く手を止めない。報告をする者にとっては、戸惑おうというものだった。


「亜人公女は、具体的に何かしたか? 器量が知りたい」

「それについては、鳥で報告が。二日前、亜人公女が有力者に面通しました。その時、亜人の食べ物が振る舞われたそうです」


 大臣は興味を引かれたようだ。初めて、書類を捌く手が止まった。部屋が、一瞬で静かになった。


「ほう?」

「イモです」

「イモ?」

「自治区を襲った大鷹族が残していった糧食の一部に、新しく買い付けたものを足して、広場で炊き出しを。好評だったようですね」


 ふむ、とロッソウ大臣は顎を撫でた。

 ぎょろりと部下を睨み付けて、机にあった砂時計をひっくり返す。大臣は休憩時間さえ、きっちりと決めていた。


「『パンとサーカス』だな。食事と娯楽を与える支配者は、民にとって人気のある支配者になれる。効果を十分に分かっているとしたら……英才教育を受けているとみていいだろう」


 本人が聞いたら顎を落しそうな評価を下した。


「他には何かあるかの?」


 大臣と部下は、その後も意見を交わした。

 フリューゲル家のモノリス一行は、各勢力に名前と顔を売りながら、ゆっくりと北上してくる。大臣と部下はその認識で一致した。部下は密偵の数を増やすことを提案し、大臣は付帯的な指示を加えた。

 フリューゲル家へついた貴族の数を見て、大臣は舌を巻く。

 宮廷で拘禁したときよりも、むしろ増えていた。


「しかし、貴族とはいえ、亜人は亜人です。差別されてきた歴史があります」


 部下が言い差した。


「宮廷内で根回しをすれば、間に合うのでは? 亜人の貴族など、存在してはならないと」

「そう単純な話でもない」


 ロッソウ大臣は席を立ち、壁に近づいた。

 壁には帝国の版図を示した地図が貼られている。大きさは、画家が使うキャンパス程度のものだった。

 帝国の版図は、円形で大まかに表現できる。周囲には、亜人達の棲家がある荒れ地や、砂漠、深い山岳地帯がある。


「君は、幾つだ?」

「はい?」

「年齢だ。答えたまえ」

「……今年で、三十に」

「私は六六になる」


 大臣は、笑った。


「異民族閉め出し令で、完全に今の版図が決まったのは、おおよそ三十年前だ。君は、今まで亜人に会ったことがあるかね? 今回の旅は除いてだ」

「ありません」


 そういうことだ、とロッソウは頷いた。


「多くの民にとって、だからこそ亜人は恐ろしい。聖壁の中で一生を終える民にとって、聖教府の教えが唯一の亜人の知識になるからだ」


 これが、北部の貴族のように排他的な、お高く留まった貴族なら、まだよかった。フリューゲル家のモノリスは、そういうタイプではあるまい。


「亜人がそう怖くないと知れたら、今の民草は揃って南部を支持するかもしれんよ。暮らし向きが悪いのだから。聖教府の人気も、かつてよりは落ちている」


 部下が息を呑んだ。


「あなたは亜人との共存が、上手く行くと……?」

「さてな。それは、分からん。好戦的な亜人は、実際に多いのだから。国を守るのは、いつだって強力な軍隊と、確固とした城壁だよ」


 ただ、とロッソウは心の中だけで付け足す。

 共存が上手く行く確率は、モノリスがいない時よりも、ずっと上がった。モノリスは亜人の言葉を話すという。

 言葉は、常に人間同士の潤滑油だ。同じ言葉を話し、慣用句を使いこなすことは、外交官にとって最も重要な素養の一つだった。

 南部が息を吹き返したのには、そういった事情もあるだろう。単純に、上手く行きそうな確率が上がったのだから。


「人数が増えたということは、態度を保留にしていた貴族の一部も、敵に流れたということだろう。いっそ手っ取り早く……暗殺でもしてしまうかの」


 その時、部屋の扉が叩かれた。


「取り込み中だ」

「聖教府からです」


 扉の外からの声は、困惑である。大臣は鼻を鳴らした。


「どうぞ」


 白いローブ姿の男性が入ってきた。男性は両手を広げて、腰を折る。聖職者の優雅な一礼だった。

 聖職者は、そっと大臣に手紙を渡す。要件はそれだけのようだった。


「返答は、明日中にと」


 大臣は机に戻り、手紙に目を落す。その目が、深刻に細められた。クク、と色の薄い唇が歪む。


「大臣?」

「静かに。ほら見ろ、私達の正しさが、またしても証明されそうだぞ?」


 大臣は目を細めて、大陸の地図へ寄った。

 よく見ると、地図には無数のピンが留められている。

 ピンの色は、赤、緑、青で色分けされていた。ウォレス自治区には青のピンが留められており、周囲にも同じ色のピンが幾本か留められていた。

 これは大臣が戦況を把握する時に使っている図面だった。

 青は南部の勢力を表し、緑は北部を表す。

 赤がそれ以外の、未知の勢力だった。

 聖教府からの手紙に目を落とし、大臣は赤のピンを次々と地図に刺していく。見る間に、大陸の国境付近には赤いピンが乱れ咲いた。


「辺境で、亜人達が挙兵をした」


 赤いピンは、帝国の南半分の、国境周囲に集まっている。まさに聖教府の奇跡『聖壁』がある場所だった。

 大臣は、辺境に咲いたピンの群れをしげしげと見つめた。


「例の、マクシミリアン神官が扇動したものらしい」


 ロッソウの脳裏に現れるのは、柔和な笑みを張り付けた、大柄な神官だった。元はと言えば、モノリスが育った島を大臣達に伝えたのは、あのマクシミリアン神官だ。

 ふと、疑問が再来する。

 そもそもなぜ、マクシミリアンはモノリスがいた島を探し当てることができたのだろうか。亜人が暮らす『魔の島』については、聖教府の情報網かと考えていた。

 だが、マクシミリアン一味は、すでに聖教府と袂を分かっている。明らかに、彼だけが知っている何かがあるようだ。


「大臣?」


 部下の言葉で、ロッソウ大臣は気を取り直した。手紙を読み進める。

 手紙には、彼らが名乗る名称も記されている。見慣れない名前に、ロッソウは戸惑った。


「『学派』とは」

「何です?」

「連中が名乗っている名前だよ。まるで、学者だな。探究者のつもりか?」


 『亜人学派』。それが、帝国の周囲に突如として現れた兵達の名であった。

 ロッソウ大臣は首をひねる。帝国の周りに刺さった赤いピンは、国土が流す血のようにも見えた。


「どうなさいます?」


 部下からの言葉に、ロッソウ大臣は応えた。


「どうもせん。国境には聖壁がある。マクシミリアン程度では、亜人共を入れることはできんよ」


 大臣は、大いに誤っていた。


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