3-2:聖女フランシスカ
モノは息を呑んだ。目の前に、見たことのない少女が座っている。
「初めまして」
彼女は法衣に身を包み、背の高い帽子を被っていた。肌は白く、モノの褐色とは大違い。すっと通った鼻筋の下で、可愛らしい唇が結ばれている。艶やかな赤色の髪が、細い肩に沿って流れていた。
大きな翡翠色の瞳に、目が吸い寄せられる。
「私は、フランシスカ・フォン・デア・フリューゲル。聖教府南部トレニア司教領と修道会を、卑賎の身ながら任ぜられています」
声も鈴のように可憐だ。
フランシスカは連れている二人を紹介した。どちらもフランシスカの忠実な部下であるらしい。
「お姉様。私達の可愛らしい妹が、退屈していますよ」
傍らでイザベラが頷いた。
「そうね、紹介しましょうか。この子が、私達の末っ子、シモーネ・モノリスよ」
フリューゲル家の家族は、今や五人兄妹。長兄で騎士のアクセル、長女で商いに強いイザベラ、そして次男の魔術師オットー。十五歳のモノは、末っ子である。
そして目の前にいるのが、会えていなかった最後の家族。
(フランシスカ……)
兄妹の四番目で、年齢は十七歳。モノと二つしか違わないというのに、気品が段違いである。
「モノリスは、知っての通り、亜人の公女」
モノは慌てて立ち、教えてもらったお辞儀をした。フランシスカ達の目線は、モノの頭の上に注がれている。きっとよく動く猫の耳に、注目しているのだろう。
「モノリスです。みんなからは、その、モノと。ようこそ、いらっしゃいました」
モノは覚えたばかりの礼儀を尽くした。着ている余所行きの服と相まって、なんだか自分が自分じゃないような、変な感じだった。
対して、来訪者の礼儀は堂に入ったものだ。
「帝都でも、もう噂になっています。自治区を救ったそうですね」
フランシスカ達も、モノに向かって腰を折った。
「こちらこそ。先触れのない訪問、失礼を。自治区の信徒を救っていただいたことにも、お礼を申し上げます」
「い、いいえ。みんなが、頑張ってくれましたので」
フランシスカは微かな笑みで、頷いてくれた。モノは頬を染める。
しばし和やかな対面となったが、ネズミ姿のオットーがテーブルに降り立ち、話を急かした。
「それで、フランシスカ。話を急かして悪いんだけど、突然どうしたんだ?」
オットーが本題を尋ねた。ネズミとなった次兄を見て、フランシスカは複雑そうな顔をする。
それも一瞬で、すぐに咳払いをした。
「ご心配なく」
「でも予定より、君の合流が大分早い。いや勿論、早いのは申し分ないんだが……聖壁を抜ける準備が整ったのか?」
『聖壁』という言葉に、モノははっとした。
窓から、北の空を見上げる。
聖ゲール帝国の内部へと続く空は、今日も少し揺らめいて見える。聖壁とは、ゲール人が亜人の侵入を防ぐために作りだした、マナによる防壁なのだった。
高空で起こる光の照り返しが、いかにその防壁が巨大かを告げている。
亜人であるモノを島流しにした『異民族閉め出し令』の、目に見える形だった。
「お察しの通り、奇跡『聖壁』を通る準備は、万事つつがなく整いました。こちらを」
フランシスカの部下が、分厚い書類の束をテーブルへ置いた。モノはざっと目を通す。
「……さっぱりです」
フランシスカが無言で目元を押さえた。
お付きの二人がモノに説明をする。頭が痛くなりそうな内容だったが、要はモノは指定された箇所に署名をしさえすれば、聖ゲール帝国に入れるようだった。
「公女シモーネ・モノリス」
フランシスカは告げた。背筋が伸びる。
同じ姉のイザベラを野花の美しさとするなら、フランシスカは彫像の美しさなのだった。どこか居住まいを正されてしまう。
「一応、説明しておきます。聖ゲール帝国において、秩序とは光の神の言葉。聖典に記された神の言葉こそ、貴族や皇帝の権威を保証しさえする、法律なのです」
「は、はい」
「私は神官。あなたが聖壁を通れるように、特別に法律を解釈しました。以後、特に聖教府を相手にする時には、私の言葉に従うように。神官との論争には、聖教府の教えに対する理解が必要です」
モノは頷く。
「さて。ところで、アクセルお兄様は?」
フランシスカは訊ねた。後ろに控えていたイザベラが、応じる。
「今は、外で騎士団を率いてるわ。今日の予定で、庁舎に先に入る予定よ」
「そうですか。少し……いえ、お兄様方には、かなり言いたいことがあったのですが」
モノは、不穏なものを感じた。
「お兄様方が、みんなして帝都を出たものですから。私一人で、様々な実務をすることになり……お兄様方が帝都の壁に穴を開けたり、自治区に騎兵を密輸したり、洪水を起こしたりしたもので。目を閉じると、書状の塔が見えるようです」
う、とモノは呻いた。モノの起床時の水びだしを見たら、この人はなんと言うだろう。
オットーが口を挟む。
「ふ、フランシスカ」
「でもやはり一番は」
フランシスカがジト目になった。
「勝手にネズミになったお兄様です。部屋から出てこないお兄様を誤魔化すのに、どれほどのことをしたか。『喪に服している』と言い訳しましたが、限界があります」
「あ、うん……」
「勿論、危険を冒す価値があったのは認めますが――どれだけ心配したと」
フランシスカが説教を始めたので、モノは唖然とした。お付きの二人が、フランシスカを宥める。
「失礼を、公女シモーネ・モノリス。私はどうも、堅苦しすぎるようです」
フランシスカは咳払いをした。ただしその目は、ばつの悪そうなモノを見逃すつもりはないようだ。
「あなたにも、近々お話が。政治的な場に出る前に、問題を起さないよう、私がきちんと指導をして差し上げます。お姉様やお兄様は、やはり少々、破天荒に過ぎます」
モノは不穏な気配の理由を察した。
堅物で、説教が長い。そういうタイプの女性なのかもしれない。
(これは、大変かも)
幸いにも詳しく聞く前に、庁舎へ行く時間となった。
「公女シモーネ・モノリス」
「は、はい」
「言い忘れましたが。遠い島から、よく来ました。あなたには、私に似たところがあると思っています」
モノは首を傾げた。
「似たところ?」
「ゆっくり話ができるのを、楽しみにしています。これは本当よ」
去り際にフランシスカの手が伸びてきて、モノの猫耳に触れた。
「ひっ?」
「ふむ。もふもふ」
その後、馬車に乗った。モノにとっては、初めての公務となる。馬車に揺られて、モノ達は庁舎に向かった。
◆
まったく、目が回るような忙しさだった。
すでにフランシスカとの話は終わり、モノは自治区の庁舎にやってきている。
時間は待ってはくれない。進むと決断した時から、海流に乗った船のように、モノを前へ前へと運んでいく。
庁舎では、今日は会議が行われる予定である。
モノはその会議が始まる前に、来庁した有力者に片っ端から引き合わされた。貴族や商人、時には詩人。目が回るとはこのことだった。典雅な口調で功績を謳うことを告げられ、モノは顔を真っ赤にした。
(でも、すごいなぁ)
庁舎の中は、言葉で言い表せないほど立派だった。絨毯が敷かれ、高い天井には明り取りの窓。絵画や彫刻が、壁を隙なく飾っている。
モノの翡翠色の目は、来訪者と立派な調度品の間で、くるくると行ったり来たりした。
新しい予感に、状況も忘れてモノはわくわくした。
「さぁモノ。忙しいだろうけど、もう次の方よ」
イザベラがモノを導いた。まるでダンスに誘われているかのようだ。
次から次へと、面会を希望する人がやってくる。モノを目にして驚く人もいれば、品定めするように見つめる人、物凄く褒めてくる人、対応は様々だ。
「ほほう! これが、かの公女様ですか!」
今も、商人という男がやってきて、断ってからモノの前に跪いた。
「亜人を含めた外との貿易は、我々にとっても悲願でありまして」
商人はからりと笑って、立ち上がった。面会相手は、これで二二人目である。
この頃になると、モノは相手がどういう人か、だいたいわかるようになっていた。
(これは、きっと……)
「嘆願だな」
ネズミのオットーが、モノの耳にそっと囁いた。モノも頷く。
「つきましては、領地で収穫した小麦を、備蓄用ではなく、我々にも商わせていただければと。辺境の亜人にも、我が国の豊かな小麦を届けることは、運動の趣旨に照らして適切です」
「まぁ、それは」
引き取ったのは、イザベラだった。淑女は嫣然と笑う美しさで、商人の注意を惹きつける。
「素晴らしいですわ」
「おお、リヒテンシュタット伯夫人! あなたとお話しできてよかった」
「ただ、今日は自治区に関する集まり。そのお話は、もう少し後で」
「やや、これは! 失礼しました」
このように、商人が相手だとイザベラが引き取る。彼らは一しきりモノを褒め、自治区での奮闘を讃えると、一つか二つ商売の話をしていった。
モノは話が分からないながらも、勉強だと思って、できるだけ商人の顔と、話の内容を覚えようとした。
猫の耳がピクピクと動くたび、周りの視線が集まる。それももう慣れてしまった。髪と同じ銀色の猫耳は、さぞや珍しいだろう。
「ほう、これは噂の、亜人公女殿」
そうしていると、次の人がやってきた。がっしりとした体に、ふさふさの髭を蓄えている。日に焼けた肌には、傷が目立った。
「武人だ。兄さん寄りの人だな」
この人はモノに挨拶すると、アクセルの方に引き取られた。
(お兄様、相変わらず大きいなぁ)
長男アクセルは、燃えるような赤髪の、背の高い男性である。今は鎧を脱いで、赤と白で大きく色分けされた装束を身に着けていた。首や腕の派手な飾りに、イザベラと同じ派手好きの血がちらほらと。
体つきは、がっしりとしている。武人が二人並ぶと岩山同士が会話しているみたいだった。
「自治区では、残念であったな!」
「うむ! だが、幸いなことが二つある」
「ほう?」
「一つは、こうして古い友にまた会えたこと。もう一つは、新しい英雄が生まれたことだ」
アクセルは、武人の関心をモノに誘導した。そこで、武人がモノを再確認する。
しばらくの、探るような視線。身が強張るが、モノは相手を真っ直ぐ見返した。武人は、破顔した。
「なるほど! 確かに、これは確かに!」
武人はアクセルと笑い合い、握手をして、帰っていった。
ボルサという小物入れの中から、オットーのネズミが鼻を出した。
「いいぞ。お疲れ様だね、モノ」
「……お兄様、人と会うのって、こんなに大変なんですね」
モノは、家族の振る舞いにも驚いていた。イザベラはともかく、アクセルも如才なく振る舞っている。質問の受け取り方、いなし方。勉強になるばかりだ
「お兄様……私、発音とか上手くできてます?」
貴族のゲール語は、独特の響きがある。多分モノはひどくなまって聞こえているだろう。
「ああ、大丈夫だよ。ヘルマンに教わった作法も、きちんとできているさ」
「んに。でも短剣で戦う方が、まだ楽かも……あれ?」
ちらりと、部屋の隅を見やる。使用人と警備に紛れ込んで、フランシスカがちょこんと腰かけていた。
壁際にいて、あまり目立っていない。ほとんど調度品の一部といった紛れ具合だ。モノも、今になって気づいた。
「フランシスカお姉様は」
「うん?」
「不思議な方ですよね」
オットーが口を開いた。
「フランシスカは、生まれてからすぐに聖教府へ送られたんだ。それも、とてもとても規則が厳しい場所にね」
人が来る合間に、オットーは教えてくれた。
「だからちょっと、僕らとは雰囲気が違うだろう」
「今は神官、なんですよね」
「その通りだ。島を襲ったマクシミリアンと同じだね。だけど、聖教府は、帝国の法を司る巨大な組織だ。フランシスカのように、君の味方になってくれる神官もいるということさ」
ふーん、と思ってモノは聞いていた。
(そう言えば、お姉様は私が似ていると言ったけれど)
ずっと離れた島にいた、という状況を、重ねているのかもしれない
モノには、オネというよき理解者がいてくれた。島は明るくて、暖かくて、いい場所だったと思う。
(でも、きっと、育ちとかは全然違うよなー)
他の家よりも高い教育を受け、島の有力者が育ての親だった。おまけに立場上、舐められたら負けだと思っている。こういう子供がどういう育ちをするかと言えば、モノの幼年期は恐るべきガキ大将だった。
「それにしても。亜人は一人もいませんね」
考えても仕方がないので、モノは話題を変えた。
亜人は体に獣のしるしを持っている。モノにとっては、頭の猫耳がそれである。亜人がこの中にいれば、すぐに分かるはずだった。
「仕方がない。自治区は差別が強い街だったから」
そうしてさらに十数人を相手にした後、表が騒がしくなった。
「何事だ?」
「はっ。表で、神官が」
報告を受けたアクセルは、顔をしかめた。
「聖教府だと?」
「人数は三人。役職は、司教といったところかと。亜人の公女は、認めないと」
「馬鹿な。黒星騎兵まで送り込んでおいて、今更、自治区の人間が聞く耳を持つと思うのか」
「追い出しますか」
「いや待て。これ以上強硬になられても、困る」
アクセルは苦々しく言った。素早く騎士達に指示を送る。会議場の警備は、兄に従う騎士が担当していた。
「神官ですか」
フランシスカにも、従者が囁いたようだ。モノは姉がそう呟くのを、猫の耳で聞き取った。フランシスカは続ける。
「罠かもしれません。まずは様子を――」
モノの翡翠色の瞳が、きらりと輝いた。
「外に出ましょう!」
イザベラもアクセルも、驚いたようだ。フランシスカが椅子を蹴った。
「へ。待って」
「中にいたのでは、外の人の顔が見えませんし。それに……やっぱり、外の人とも話したいです」
「はぁ?」
さらに言うと、神官がいる、という点がモノの癪に障った。彼らは自治区のために働いている亜人達を、なおも悪く言っているのだ。
そのくせモノが近くを通ると、さっと教会の中に逃げてしまう。
同じ神官のフランシスカが部屋の奥で目を白黒させていたが、モノの目には入らなかった。
「文句を言うなら今です」
アクセルが肩を竦め、イザベラが頭の横をさすった。
「そっちは別日程にしようと思ってたんだけど」
「では一緒にやりましょう」
「公女よ、だが……いや、その意気やよし!」
モノが動くと、イザベラやアクセルも付いていった。会議の中心人物が動いたからか、面会に来ていた者達も、庁舎の中からぞろぞろと外へ出ていく。
「……本当に猫みたい」
すばしっこさに呆れたように、フランシスカが嘆息した。そのため息は、出ていく間際に、長女イザベラが手を振ったことでなおも深くなる。
モノ達は庁舎を出た。外には人だかりができていた。
広場の中央に、いつの間にか演台が置かれている。白いローブの一団だ。一人は背の高い帽子を被っており、まるで教会の尖塔が移動しているかのようだった。
「忘れたのか!」
鞭で打つような、鋭い声だ。モノは、思わず耳を伏せた。
「亜人は、悪魔の使い。獣の象徴を持った、聖ゲール帝国の敵だった。なればこそ、光の力で打ち払ったのではなかったか? 払暁が世界を明に染めるように!」
演説は続く。
亜人達の襲撃があったのも確かだ。だが黒星騎兵という聖教府の部隊が自治区に入り込んでいたことも、すでに明らかになっている。
それでも聴衆は多かった。演台には人だかりができて、ざっと見ても聴衆は百人はいるだろう。
広場の隅や、屋根の上には襤褸を被った者もいた。自治区の亜人達に違いない。
「どうして、みんな黙って聞いているんでしょう」
「ゲール人は、ずっとずっと聖教の中で育つ。だから神官の言葉が、どうしても耳に届くんだ。雷を恐れるのと同じ。刷り込まれた反応なんだよ」
うーむ、とモノは唸った。
勢いで出てきてしまったが、モノに聖教の知識はない。下手に相手の議論に乗ると、面倒なことになりそうだった。
(でも、何か言わないと)
モノは腕を組んだ。すると、後ろから誰かが進んできた。
彼女が進むと、周りがどよめく。人混みがみるみる割れていった。
フランシスカだった。法衣に身を包んだ少女は、演台の上の神官らを見上げる。
「亜人は魔の物! 聖教を光とすれば、あれらは闇、影なのだ! 夜のための獣の目が、その証明だ!」
「影だからこそ!」
フランシスカは言った。見事な、一声。
水を打ったように、広場は静まり返った。
「影だからこそ、必要だとも言えるでしょう」
モノは息を呑んだ。白い服はひたすらに清らかで、声は清流のように巡っている。
「聖教府は、聖文書主義。聖典に書かれた言葉を元に、議論を始めるべきです」
演説をしていた神官が、目を剥いた。何人かが囁き合う。
「少なくとも、聖典には亜人を差別してよいという文言はありません。人を示す比喩はありますが、亜人とゲール人を取り上げて、区別した文章もありません」
フランシスカは、神官の足元を示す。
「それに、あなたの足元にあるもの。それは、何ですか?」
「なんだと」
「影。光があれば、影になる部分が生まれるものです。亜人を影といい、光の神をこそ貴いと言いますが、影を生まない光などありますか?」
フランシスカの声は、決して大きくはない。なのに、広場中に届いていく。
(すごい)
モノは思った。剣戟に例えれば、僅かな隙に切り込み、猛烈な連撃を仕掛けたようなものかもしれない。あれほど威勢がよかった神官が、今や防戦一方だ。
「影も光も、現に存在するものです。ならば、徒に恐れず、煽らず、影を知ることこそ、あなた方のような知恵のある方の務めでしょう」
神官が、沈黙した。見事なものだった。相手が使った僅かな言葉を見つけて、自分の議論に引き込んでしまった。そしてぐるりと話を引き延ばしてから、すっぱりと本題に切り込んだ。
『知恵のある方』という言い方も、相手を立てているようで、反論を綺麗に封じている。
フランシスカがモノの方へ戻ってくる。フランシスカに注目していた人は、モノに気づくだろう。
「とりあえず、静かにしましたよ。後は、あなたのお仕事」
姉は言った。
「こ、公女様」
市民に呼ばれて、モノは慌てて背筋を伸ばした。議論は、フランシスカがやってくれた。
モノがやるべきは、彼女の努力を無駄にしないこと。つまり精一杯、胸を張っていることだった。
「ありがとう、お姉様」
モノは礼を言う。お姉様と呼ばれて、フランシスカは少し驚いたようだったが、口をむにゃむにゃさせて黙った。
「わ、私は」
いつの間にか、広場は静寂だった。モノは悟った。試されているのは、今、ここだ。
「フリューゲル家の、モノリスです」
名乗って、モノは周囲を見つめた。
「ずっと、南の島にいました。だから、実は大陸のことにはまだ分からないこともあります」
自治区の人達は、モノを見つめていた。視線で感じる。彼らは、すでにモノの味方だ。
気持ちが昂る。
すると、遠くで水柱が上がった。水は大きくアーチを描いて、広場へやってくる。まるで水の架け橋だ。水から小さな生き物が飛び出して、モノの周りに群がった。
(やばっ)
水の虎、サンティも出てきて、モノの後ろに控える。神官が息を吹き返した。
「見ろ! これが、亜人達の精霊術! 獣を使役する、夜に蠢く悪魔の証明だ! 聖ゲール帝国は、この術と戦い、国土からようやく閉め出したのだ!」
「ち、違います!」
モノは神官を見据えた。
「あなた方は、私達を怖がります。あとよく馬鹿だって言います。それはきっと、私達のやり方を知らないからです」
モノは続けた。水でできた小動物は、モノを見上げている。
自治区の人に、精霊を――亜人の言う『精霊』怖がる人はいなかった。この力で自治区を守ったからだろう。
それは、一番強い自信になった。自ら行動して、勝ち取った信頼だからだ。
獣のしるしを持つ亜人は、独自の慣習を持つ。言葉も、食事も、服装もそうだ。動物の魂を操る精霊術は、その最たるもの。
「私達も、あなた方のやり方をよくは知りません。でも……きっと、それはこれからでも解決できると思います」
「ほう? どうやってだ?」
「それはですね」
モノには、腹案があった。今回の顔合わせの後に振る舞おうと思っていた、ある物があったのだ。
それを告げた時、広場がどよめく。
神官達が悲鳴を上げて、吐き捨てるが、もはや誰も聞いていなかった。
◆
「……まさか、一番の破天荒が公女本人だとは」
フランシスカが、ぽつりと呟いた。ネズミが法衣を駆け上がり、その肩に留まる。
「でも、今までにない貴族だろう?」
「確かに……こんな貴族は、見たことがないかもしれません」
人と獣に取り囲まれて話す公女に、フランシスカは苦笑を投げる。親しみやすさという点では、恐らく古今例を見ないだろう。
銀の髪と、獣の耳を持つ公女。明るさと、強さで彼女は人を惹きつける。
水の虎の上に立ち、公女は熱弁を振るう。
獣のしるしを持つ亜人と、大陸の支配者ゲール人との間に、きっと違いはないと。仲良くすることも、できるはずだと。だって、家族にさえなれるのだから。
「で? そろそろ、教えてくれてもいいんじゃない? あなたがわざわざ、自治区に出てきた理由をさ」
イザベラが問うと、フランシスカが頷いた。目が怜悧に光っていた。
「いいでしょう。懐疑的でしたが、公女シモーネ・モノリスは宮廷でも相応の戦力になりそうです」
フランシスカは、すでに神官の顔になっていた。
「お父様に――亡くなった先代フリューゲル公爵に、新しい遺言が見つかりました。私は臨終の秘跡を執り行った神官として、それをあなた方に伝えに来たのです」




