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亜人公女物語 ~猫耳の公女、モノリス~  作者: mafork(真安 一)『目覚まし』書籍化&コミカライズ!
第3章 亜人公女

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3-1:公女のお仕事


「フリューゲル公爵家、亜人の公女、シモーネ・モノリス。前へ!」


 呼びかけられて、モノはゆっくりと立ち上がった。鼓動を押さえて、前を見つめる。

 長い長い赤絨毯が敷かれた、大広間。絨毯の左右に偉い人達が並び、モノを品定めするように見つめていた。

 正確には、モノの頭に生えた、猫の耳を。読み手はモノもまったく覚えていない肩書を読み上げる。


「フリューゲル公爵領、聖教府南部トレニア司教領相続権者。後見人として、帝国三軍総監アクセル・フォン・デア・フリューゲル殿、リヒテンシュタット伯フリードリヒご夫妻」


 読み手は、そこで間を置いた。


「聖教府フランシスカ修道会から、相続権者シモーネ・モノリス殿に対する『異民族閉め出し令』の除外が発議されています。これは南部修道会が承認し、彼女の聖壁の通過が認められました。続きまして、ウォレス自治区より」


 モノは歩みを進める。頭がくらくらした。

 事前に教えられていても、実際にこの赤い絨毯を歩くと、迫力が段違いである。

 書類を読む声は途切れない。ほとんど一つながりの音となって、モノの頭を素通りしていく。

 でも、しくじるわけにはいかない。ごくりと喉を鳴らして、歩き続ける。転ばないように気を付けて。

 フリューゲル家の人脈と、ウォレス自治区で味方になってくれた人たちが、総力を挙げてモノをこの場に送り出してくれたのだ。

 進む先には、大きな椅子。座っているのは、一人の男性だ。

 遠すぎてまだよくは見えない。体は小さく、被った王冠が目立っていた。豪華なローブを羽織っていて、織り込まれた糸が、遠目からもキラキラと輝いて見える。


「近く」


 男は、モノを招いた。

 モノは歩み続けた。胸は鳴り続けている。着慣れない豪華な服が重い。やたらと踵が高いこの靴もだ。なんだって、こんなに飾りが多いのだろう。


(それでも、進まなきゃ)


 モノは亜人の公女となる。そして今まで土地の外へ追い出されていた亜人達と、聖ゲール帝国の間を取り持つのだ。


(亜人と、ゲール人)


 分かたれていたこの二つが、やっと――。


 ――それだけ?


 その時、声が聞こえた。それはどこか遠くから、潮騒のように鳴ってくる声だった。意識しなければ聞こえないほど、小さい。

 モノは奇妙に思い、耳を澄ました。


 ――気づいた?


 モノは足を止めていた。いつの間にか、周りにあった赤い絨毯も消えている。完全な暗闇だった。


 ――気づいた?


 戸惑うモノに、声は続けてくる。笑っているようでもあったし、不安そうでもあった。気づいた、気づいた、と問いかけがさざ波のように広がっていく。小さな子供が、大勢でモノをからかっているみたいだ。


「気づいたって……何によ?」


 問いかけようとした時が、夢の終わりだった。



     ◆



 ぱちりと目を開ける。野生児の見事な起床だった。

 身をよじると、柔らかい布が体を繭みたいに包み込んでいる。ここはベッドの上である。朝日が柔らかく背中を押していた。


「んにににに」


 モノはベッドから這い出ると、体全体を使って大きく伸びをした。息を吐いて、鏡に映った寝間着姿と、ぼさぼさの髪を確認する。髪に手櫛を入れると、同じ銀色の毛で覆われた猫耳が、ぴょこんと飛び出してきた。


「……夢か」


 それもそのはずだ。モノがああいう恰好をして、ああいう舞台に立つのはまだ先の予定なのだ。


「最近、勉強が多かったからなー」


 詰め込まれた知識が、こんな夢を見せたのかもしれない。確かに宮廷の情景は、教え込まれたそれとそっくりだった。


「でも、あとちょっとだったなぁ」


 夢の中なので惜しいも何もないのだが、モノは腕を組んで悔しがった。あと少しで、皇帝の顔が見えそうだったのだ。とてもとても偉いお人のようだが、イマイチ実感が湧かない。


(それに、何だったんだろう。『気づいた』って)


 その時、階下から悲鳴が聞こえた。嫌な汗が出てくる。


「ま、まさか」


 モノは窓を開けた。

 不安は、的中していた。裏口の井戸から、水が噴出していた。水は太陽に喧嘩を売るかのごとく、天高く噴き上がっている。モノは起きて早々、頭を抱えたくなった。


(『気づいた?』って、これか!)


 モノは、最近やっかいな『友達』を抱えていたことを思い出した。夢の中にまで出てくるとは、本当に油断ならない。

 部屋は二階だ。窓からは遠くの海まで見渡せる。ここは、小高い丘の上に構えたお屋敷なのだ。

 騒動に驚いて、海鳥たちがたちまち屋根から海へと翔けていった。半眼で鳥を見送りつつ、あの鳥のように遠くへ逃げて行きたい、とモノは考えた。


「公女様ー!」


 庭から使用人の悲鳴が聞こえた。洗濯物を抱えた女性が、モノに手を振っている。


「水を止めてくださいまし!」

「い、今消します!」

「お早くぅ!」


 使用人のざわめきが聞こえる。表の通りからも、まただ、今日もだ、という通行人の囁き。顔から火が出そうだ。


(あーもう。朝からごめんなさいね!)


 ここは、ウォレス自治区という。モノは家族とこの街を救ってから、しばらく滞在していた。

 モノは、何度か深呼吸する。心を落ち着かせて、水に語り掛けた。

 モノは、精霊術師。故郷の言葉では、イファ・ルグエと呼称する。

 両手を水柱へ向けた。ゆっくりと、水柱の高さが下がっていく。ようやくモノがいる二階と同じ高さまで水位が下がった。

 ほっと安堵したのも、束の間のことだ。水の中から無数の視線を感じたのだ。

 血圧が急降下する。水が、大挙して二階の部屋へ流れ込んできた。


「何ごとですか!」

「モノ!」

「あーもう、またやったのっ?」


 家族も起きてきて、モノの寝室のドアを開ける。そして各人がそれぞれ、呆れた息を吐き出した。


「……モノ」


 一番上の姉が、首を振った。名前は、イザベラ。長女はすっかり着替えて、すでに貴婦人らしい衣服に身を包んでいた。完璧な白い肌が、こんな時でもちょっとうらやましい。艶やかな銀の髪は、今日は結わずに後ろへ流していた。


「……お、お姉様」

「この館を、動物園にするつもりなの?」


 びしょ濡れの室内に、小さな生き物達が屯していた。彼らは、犬だったり、蛇だったり、鳥だったり。どれも澄んだ水で象られている。ガラスのように透き通った、水でできた小動物というわけだ。


「んに。こういうイファ――精霊を操るのが、私の能力なんですけど……まだ、言うことをきいてくれなくて」


 全身から滴を垂らしながら、モノは頭を搔いた。


「自治区が襲われた時に、仲間にした子達なんですけど。ほら、あの黒いもやって、いろんな精霊が混ざったやつだったので」


 話している最中も、水の小動物は好き勝手に動き回っている。モノの周りだけ野原のようだった。


「知ってるわ。仲間にしたんでしょう? でも、だからって」


 イザベラが額を押さえた。と、最後に大きな虎が窓から飛び込んできた。

 この虎も、透き通った水で象られた、水の虎だ。

 虎は大きく唸る。小動物を押しのけて、モノの前で深々と頭を垂れた。大きな口を開けて、腕を舐めてくる。


「ああ、もう! みんな引っ込んで!」


 モノが手を振ると、小さな生き物たちは泡のように消えた。モノの意思に反して居座っているのは、水の虎だけだった。


「サンティ」

「グルル」


 付き合いの長い水の虎は、退かないつもりらしい。

 ばつの悪さが頂点に達した。


「……ごめんなさい。ちゃんと躾けておきますノデ」

「いや、ううん。まぁ、君の力はさらに特殊な方向に進化しつつある」


 兄の声がした。イザベラの肩に、紫のトサカを持ったネズミがいる。ネズミは器用に二本足で立って、モノに向かって腕を広げた。

 モノは、ネズミに向かって挨拶した。


「お兄様。おはようございます」

「おはよう、モノ。今日も好調なようで、何よりだよ」


 兄は今、ネズミの体に身をやつしている。名前は、オットー。本当は二十歳の男性なのだが、使い魔という、魔術師が自在に操れる動物に精神を移していた。


「王都に体を置いてきたことが、悔やまれる。器具さえあれば、いや、せめて自由に動く手足があれば、色々と調べて少しばかりマシにしてやれるんだけど」


 兄はのほほんと続けた。


「なんにせよ、珍しい状況だね。精霊術は一人が一つの精霊だけど、君はその例外になるというわけだ」

「みんな勝手に出てきます」

「それは仕方がない。変わりたてというのは、何にしても苦労するものさ。そのうち、いい方法を思いつくさ」


 オットーが笑った。肩に乗るネズミを、長女が睨む。


「そのうち?」

「王道も最初は一歩から、さ。時間が必要だと思うな」

「もう、四日連続よ」

「まぁまぁ、姉さん」


 その時、表から馬蹄の音が聞こえた。モノの亜人の聴覚を持ってしなくても、誰にでも聞こえただろう。爆発するような大声が、窓からやってきたのだから。


「どうした――!」


 大声に、モノは腰を抜かした。

 壮年の使用人が部屋に入ってきた。彼は窓から大通りへ手を振った。両手には、旗を持っている。手旗信号だ。きびきびした動きがしばらく続くと、やがて大通りから笑い声が響いてきた。


「そうか――! モノ、元気で何よりだな――!」


 がっはっは、と大笑する声が遠ざかっていく。あれは、家族の中で一番上の、兄の声だった。恥ずかしさで耳の先まで煮えそうだ。

 兄はモノの健康を自治区中で喧伝しながら、朝の巡回に戻ったようだ。自治区は兵力を大きく失ったので、住民の不安を鑑みて、兄が毎朝巡回を行っているのだった。

 兄が遠ざかると、ようやく部屋に静けさが戻る。

 モノは、ようやく安堵の息を吐いた。


(朝から騒がしい一家です)


 長男のアクセル、長女イザベラ、次男オットー。彼らが、モノが旅で出会った家族達だった。一筋縄ではいかない人ばかりだが、各人がそれぞれの道のスペシャリストである。

 例えば、今の大声は、長男で騎士のアクセル。長女のイザベラは商人。次男オットーは、世の法則に通じた魔術師だ。

 あと一人、まだ会えていない兄妹がいるが、彼女もなかなかの地位を築いているらしい。


(でも、会えてよかったな)


 モノは色々と複雑な経緯で、故郷を後にした。後ろ向きになったこともあったが、今では家族と会えてよかったと思っている。

 起床後ずぶ濡れという体たらくは、いただけないが。


「……すみません。お部屋、片付けますね」

「その前に、着替えること。今日の仕事は、あなたが主役なのだから」


 そうだった、とモノは頷く。水で濡れた衣服を絞って、立ち上がった。

 手を振って、今度こそサンティを井戸の中に帰す。そこら中にあった水たまりも、意思をもったように動いて井戸の底へ帰っていった。

 ごほん、と咳払いした。猫耳も屈伸運動をして、水を払っている。


「そうでした。今日から、お仕事ですよね」


 モノは目を輝かせた。失敗は引きずらない方だ。

 イザベラは頷く。女性の使用人が部屋に入ってきて、布でモノの肌を拭いていった。


「ええ、そう。今日の仕事は特別よ。公女として、初仕事になるかもしれない」

「偉い人に会うんですよね?」

「その通り」


 ウォレス自治区が受けた、亜人の海賊による襲撃。聖教府も実は亜人に化けた騎馬隊を派遣していて、自治区は陸と海から攻めたてられたことになる。

 そんな襲撃から、十日が経とうとしていた。自治区は徐々に混乱から立ち直り、復興が進もうとしている。

 今必要なのが、当面のリーダーだった。

 自治区は本来は独立した都市だ。長官という人物が最高位で、彼と議会が後ろに控える聖ゲール帝国とやりとりしながら自治区を運営している。けれど、彼らの大部分は自治区をすでに逃げ出していた。亜人の襲撃を知っていた、という噂まで立っている。

 自治区の人々は、新しい守護者を求めていた。

 そしてそれに応えられるのは――


「私達フリューゲル家ぐらいってわけ。これを機に、この街を味方に引き入れるのよ」


 イザベラは笑う。姉の顔ではなく、怜悧な策略家の顔だった。


「だから兄さんや、モノに街を巡回させたんだね」

「当然よ。売れる時に、徹底的に顔と名前を売っておくのよ」


 モノ達は、襲撃が止んだ翌日から、市街を回って歩いていた。焼け跡を見舞ったり、家を失った怪我人を自治区の庁舎に迎えたりした。モノには信じられない話だったが、どうやら略奪を働いた人もいたらしい。

 『私達が守ります』というのを行動で示すのは、確かに市民を安心させたようだった。

 自治区の被害も、無視できないだろう。桟橋や倉庫等、港の重要な建物が破壊されていた。足で踏んで動かす『クレーン』という装置もあったそうだが、これもぐしゃぐしゃに壊されていた。

 怪我人は集計されただけで三百人。死者も出ていて、モノは水葬には出席できなかったが、亜人の作法で死者の安息を願った。


「襲ってきた大鷹族の捕虜もいますし……」


 モノは頭がくらくらしそうだった。ほんの数週間前までは、密林を駆けまわっていた、ただの一人の少女だったのだ。

 でも、目の前のことに何かしたい。

 以前イザベラに告げた気持ちは、モノの思考を走らせた。


「うーん、と。でも、とりあえず水路は復旧したわけですし。あと、亜人の人達も、私達に協力してくれるって言ってくれてます。亜人は体力がとにかくありますから、彼らとゲール人が一緒に働いてくれさえすれば、きっともっと早くよくなるはずです」


 モノは、自分から意見を述べていた。

 実際のところ、自治区の中で差別されていた亜人と、ゲール人の協働はうまくいっていないところもある。特に、教会の近くには絶対に亜人達は近づかない。神官が彼らを強烈に嫌っているからだった。士気も下ろうというものだ。

 使用人達が目を丸くし、オットーが息を吐き出す。


「君は、なんというか。強い子だ」

「え? そうですか?」

「ああ。聖ラレンティウスを弟子に持った賢者の喜びが分かる」


 どうやら褒められているらしい。モノは耳をピコピコ動かして、頬を搔いた。


「自治区だけじゃないわ」


 イザベラが言った。


「私達には、私達の戦いもある。帝国宮廷の勢力争いは、まだ続いてる」


 モノは顎に指を当てた。そもそもウォレス自治区が襲われたのも、この宮廷での争いが原因だと言えなくもない。

 宮廷の勢力争いで、フリューゲル家の旗色が悪くなったから、モノも故郷の島から呼び出されたのだ。


「帝国の南半分と、北半分の争いですよね」


 イザベラに一度、大きな地図を見せてもらったことがある。帝国は巨大な一つの円のような形をしている。今はその上半分と、下半分が、中心部の都で喧嘩をしているのだった。

 モノ達家族は、フリューゲル家という大貴族だ。帝国の南半分をまとめ上げる立場である。


「ええ、そう。あなた以外の家族は、宮廷で相続権を停止されているから、今は、モノ、あなたがフリューゲル家の家督の持ち主ということになっている。それと」


 イザベラは付け加えた。


「複雑かもしれないけど、あなたが亜人であるということも大事。私達の宮廷での主張は、亜人への差別を止めるということも含まれてる。亜人でもあり、貴族でもあるあなたが私達の頭になれば、ぐっと説得力が増すのよ」

「ついでに言えば。君には、すでに自治区の亜人の心を掴んで、襲撃を退けたという実績もある。亜人の人気を獲れる貴族、というのが、他にない君だけの強みなんだ」


 モノはつばを飲み込んだ。自治区に来てから、だんだんとモノの立場の重要さが分かってきたのだ。

 モノは今後、帝国の貴族フリューゲル家の顔になるということだった。


「南部は、亜人への差別を止めることも主張の一つ。亜人の貴族である君は、この理想に現実味を与えるだろう。いわば、僕らの本気を示す凄みなんだ」

「つまり。今日、これから会う人達は……」


 イザベラが指を立てた。


「表向きは、自治区への弔意と、今後の運営のための会議だけど。十中八九、みんな『あなた』を見に来る」


 緊張が、じわじわと這い上がってきた。


「私達に勝算ありと見込めば、この自治区にももっと手を貸してくれるようになるし、私達の今後の戦いでも味方になってくれる。自治区の復興も、私達の今後も、あなたの印象が鍵になるわけ」


 うう、とモノは呻いた。分かっていたことではあったが、改めて告げられると緊張もひとしおだ。

 オットーを見やると、ネズミは大きく頷いて見せた。


「安心してくれ。勿論、僕も君と一緒に行く。姉さんも、兄さんも同席する。一人にしないことは約束しよう。それでももし、君が応えに困る質問があったら」


 そこで、ネズミの声がモノの声になった。


「代わりに僕が答えてもいい。遠慮は要らない。音の魔術は、活舌も変声も完璧だ」

「……さすがにそれは、インチキでは」

「モノ。この心配性が表に出ないように、お互い頑張りましょう」


 どこか不服そうなオットーを尻目に、イザベラとオットーの間で同意が成立した。


「というわけで!」


 イザベラが、ポンと手を叩いた。


「さぁ、まずは食事。それが終わったら、着替えましょう!」


 その後、濡れた服を脱いで、軽く湯を浴びた。朝食を取ってから、身支度が始まった。

 用意されていた衣服に袖を通す。


「お嬢様。それは、巻き付けるのではなく……」

「え?」


 などと格闘していると、表から馬の蹄の音が聞こえてきた。猫の耳がピクピクと動いて音を拾う。


(お兄様が帰ってきたのかな?)


 だが、兄の騎馬隊ではないと知れた。猫の亜人の耳は、優秀だ。今となっては足音だけで家族の機嫌が分かるほどなのだ。


(これは、馬車の音だね)


 荷馬は、馬蹄の後に車輪の音が続くから分かりやすい。荷物を満載した荷車と、馬車では、また微妙に音が違う。

 この車輪の音は、馬車のそれだ。しかも、この屋敷の前で停まったようだ。


(お客さん?)


 変に思いながらも、モノは自分の姿を鏡に映して確認した。

 思わず、目を見張った。

 まずは、顔。褐色の肌はそのままに、目の縁に色を付け、頬にちょっと色を入れている。元々薄かった唇にも、ほんの少し朱を乗せてある。これだけで何歳か年上に見えた。

 服も、初めてのものだ。褐色の肌に映える、夕日色の衣服である。帯のようなものでお腹の辺りを押さえて、首回りが少し広めに露出する形だった。ペティコートで膨らんだスカートは、南国の花を思わせる。


「お似合いです」

「コルセットは、お嬢様には必要ないでしょう。こんなに細くて、しなやかなお体は、初めてですわ」


 使用人の言葉を聞きながら、モノは袖の生地をつまんだ。

 すべすべしている。よく風を通すけど、ざらざらした島の衣服とは大違いだ。麻ではない。生地からして、初めての手触りだ。

 重いのは嫌だというモノの意を汲んだのか、装飾は控えめだ。


「人前にお出になる時は、ここ」


 そう言って、使用人の女性は、モノの薄い胸を示した。


「こちらに、ブローチをお付けします。瞳と同じ、翡翠色と、イザベラ様から」


(さ、さすがお姉様……!)


 イザベラは、おてんば娘だったモノを女性らしく仕上げてくれていた。

 実は、島の晴れ着もなかなかのものだと密かに自負していたが、それも怪しくなってしまった。

 口惜しいやら嬉しいやらで、猫の耳もくるくる方向を変えていた。


(こ、こんな贅沢、してもいいのかなぁ)


 モノは不安に思う。けれど、鏡を見た時の、頬が熱くなるような感覚は、嘘じゃない。

 あうあうと口を開閉していると、ドアがノックされた。


「お嬢様」


 渋い男性の声。一番慣れた相手である。

 モノが外へ出ると、壮年の男性は鋭い目を光らせ、上から下までモノを点検した。武人の目だった。背筋が伸びる。


「ヘルマン」

「よくお似合いです。すぐに一階へ、ご足労願います」


 モノは導かれるままに、応接間へ向かった。

 応接間は、品のよい調度品に囲まれた、小部屋だった。一人の女性が、モノに背を向けて座っていた。椅子の両側には、白い服を着た大人が二人立っている。二人ともローブを目深に被っていて、男か女かも分からない。

 椅子の人物が女性だと分かったのは、フードを被らずに、背の高い帽子を被っていたからだった。豊かな赤色の髪が、細い肩に沿って流れている。モノと同じくらい小柄だろう。

 モノが首を傾げていると、後ろからイザベラとオットーがやってきた。


「まったく、急に来るのね」


 イザベラが言う。部屋の中の女性は、振り返りもしない。オットーもモノの肩へ飛び移り、言った。


「君との合流は、まだ先の予定だったけど。聖壁を抜けた後、帝都の貴族の勧誘をするはずじゃあ」


 オットーの言葉を受けて、女性がようやく立ち上がった。両端を固める人物、そのローブの端に、モノは『二つ星』の刻印を見た。

 黒地に、白点を左右に並べた『二つ星』の印。これは、聖教府、つまり神に仕える人々を示すのだった。


「フランシスカ。君が来てくれたのは嬉しいけれど……どんなニュースを持って来たんだい?」


 モノは首をひねった。


(フランシスカ?)


 はて、どこかで聞いたことがあるような。


「あ」


 フランシスカ。それは、まだ会えていない家族の名前。五人兄妹の、モノのもう一人の姉の名であった。



公女のお仕事(戦後処理)


お待たせいたしました。更新、再開いたします。


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