2-11:熱血公アクセル
狩りの時間が迫っていた。
オルトレップが率いる、聖教府の黒星騎兵隊は市街を駆けていた。そろそろ、モノリスとラシャの戦闘が始まる頃だった。
戦況は、彼らの思惑通りに進んでいる。そもそも、ウォレス自治区への襲撃は、亜人への恐怖をあおることにあった。
どんなことをしても、それは亜人の罪になる。亜人が暴れれば暴れるだけ、亜人との共存を望む、帝国南部の勢力が減退するというわけだった。
だからこそ、オルトレップはこうして大鷹族の装束を着ているのだ。
赤い仮面は髑髏に似る。全身に捲かれた赤布は、まるで拘束具だった。
(神の敵を倒すため、悪魔と手を組むか)
聖教府の方針は、そういうことになる。邪魔な南部を潰すため、かつて排除した亜人とも手を組むのだから。
(これだから面白い)
上を見ると、大鷹族のグライダーが相変わらず灯りを振っている。夜戦で道案内があることほど、心強いことはない。こうした情報があったからこそ、オルトレップは騎兵を二つに分けたのだ。
一つは、モノリスへの追撃として馬車を追わせている。もう一つは、こうしてモノリスが行きそうな地点へ先回りをする。挟み撃ちだ。
「便利なものだ」
大砲の着弾も、敵の動きも、全て空から筒抜けというわけだった。帝国が亜人を恐れるのも分かる。彼らの中には、単純に手ごわい一族もいるのだ。
(それを手なずけた、マクシミリアンは大したものだが)
辺境への布教を任務とするあの神官を、オルトレップも、聖教府も、本心からは信じていない。よくない噂があるからだ。彼が動員する亜人達も同様だ。
マクシミリアン神官と、聖教府は、ウォレス自治区襲撃という同じ目的のために、それぞれ兵力を持ち寄ったようなものだった。
神官の説法に、巨木を倒すために斧と鉈を持ち寄る男達の話がある。聖教府とマクシミリアン神官は、それぞれ斧と鉈を持ち寄って、同じ巨木を倒そうとしていた。
「隊長」
部下が告げた。
「グライダーから、合図が」
「分かっている。先行したラシャ君に合流するのだな」
オルトレップは、にやりと笑った。
「ラシャ君の身体能力は、亜人にしてもかなりのものだ。多少の足止めはするだろう」
後は、フリューゲル家の切り札、亜人の公女モノリスを捕えるか殺すかすればいい。彼女がいなくなれば、南部の大貴族フリューゲル家は正式に断絶し、今度こそ命運を絶たれるだろう。
オルトレップは笑う。こんな戦いは初めてだった。
戦いというより、狩りなのだ。狩猟は広大な土地を持つ貴族の特権である。
馬腹を蹴った時、頭上のグライダーが激しく光を振った。
「目の前に、騎兵です」
「何?」
長い通りだった。その先に、騎兵が現れていた。数は、こちらとほぼ同数。鋼が月光で鈍色に光っている。
(伏兵だと?)
進路を読まれていたのだろうか。
だが、だとして、誰に?
「迂回しますか」
「いや、いいよ。このまま、まっすぐだ」
オルトレップの目が、らんらんと輝いた。
彼らはまだ大鷹族の仮面を付けていた。歪な笑みが周りに見られなかったのは、幸運だったろう。
「隊長」
「敵も騎士だ。見ろ、あの隊列を。一匹の獣のようじゃないか?」
五十騎ほどの騎兵が、広い路地で相対する。こちらが左に寄ると、敵も示し合わせたように同じ方向に寄った。
まるで馬上試合だ。
「真の騎兵だ!」
オルトレップは嬉々として速度を上げる。双方合わせて、百騎近くの馬だ。馬蹄が地を揺るがせる。
「さぁ! こんな市街で騎兵同士が出会うなんて、得難いことだぞ!」
オルトレップに呼応するように、敵も速度を上げた。
馬上で、炎が揺らめく。一瞬、最前列の騎兵の姿が巨大化したように錯覚した。
(炎の剣だと)
オルトレップが呻く。敵の正体を、察した。馬を操り、部下の一人に器用に先頭を譲る。自分は急停止、後続の小隊も、停止させた。
「お、オルトレップ様?」
「いいから、そのままだ。敵を見ろ、砂漠の異教徒の蛇のように」
敵の攻撃が、先に届いた。
小細工はない。
鋭く、熱い切っ先だった。
馬上から先頭の部下が叩き落される。触れてはならぬものに近づいたかのように、後続の騎兵も次々と落馬した。前方から悲鳴が来る。
「オルトレップ様!」
「いいから進めぇ! 突撃しろ! その敵を抜ければ、モノリスはすぐそこだぞ!」
無事だった部下達が前に進む。オルトレップは相手が誰かに気づいていた。
炎の中から野太い腕が伸び、騎兵を掴む。その腕に炎が纏わりつき、騎兵の装束を炎上させた。
「あ、アクセル……!」
「あー。やっぱりだ」
フリューゲル家公子アクセル。本来であれば、次期公爵だった人間だ。
アクセルの白銀の鎧の各所から、炎が噴き出す。
貴族のマナにも、種類がある。魔術師のように魔力を自由に使える者。逆にマナが血液や筋肉と一体化しており、『体質』となってしまっている者。
アクセルは後者だった。フリューゲル家のマナが溶け込んだ血液を持つ。その血は、本人の意思で血管を破り、空気に触れて発火する。
「て、帝都にいるはずではっ?」
「逃げたという噂もあったな。……誰か、自治区に手引きしたか?」
オルトレップは頭を振った。
「これは相手が悪い」
オルトレップの見切りは早い。部隊の半数を突撃させ、もう半分を退かせた。華麗と言えるほどの転進だった。後ろから馬蹄の音がする。追撃されているようだ。
「いかがされます」
「相手にするな。砂漠で半年孤立して生還するような騎馬隊だぞ」
「しかし」
部下は、次々と火に飛び込んでいく味方の騎兵を見やる。
「あれでは、亜人の装束を着たゲール人の死体が、残ります」
オルトレップは笑った。
「構わん。この戦いで、もみ消せる」
自治区を派手に破壊すれば、多少の異常な死体などどうとでもなる。
「……もし、戦が失敗すれば」
「おいおい。港に亜人、ここに我々がいる。これでどうやって負けるというのだね」
「水の精霊術師がいると」
「亜人公女の野蛮な術か。はっ、どうせ、大したことあるまいよ」
まさか洪水を起こすわけでもあるまい。オルトレップは、まだ軽く考えていた。魔の島に行った神官とは、そこまでの連絡はなかった。
◆
「逃げたか」
アクセルはダークグリーンの瞳で、去っていく騎兵を見送った。部下に追撃させたが、人数を割くわけにもいかない。
港と砲台がある陣地を結ぶ大通りは、今も激戦になっているはずだった。これからそこに向かう以上、アクセル達にも余裕はない。
「この騎兵、装束は亜人ですが、中身はゲール人です」
部下が下馬して、敵の死体を改めていた。
アクセルは問う。
「黒星騎兵隊か」
「恐らくは」
「ふん、やはりな」
黒星騎兵隊は、聖教府の様々な裏仕事を担っていた。背教者の粛清や、政敵の調略。自治区にいたと知った時点で、良からぬことをするという疑念があった。
それがまさか、亜人に扮して暴れることだとは、さすがに思わなかったが。
「恐らくは、敵にはオルトレップがいるだろう」
騎士という点では、アクセルと同じ相手だった。何度か共に戦ったこともある。
アクセルの記憶では、オルトレップは理詰めで戦う相手だった。もっと言えば、相手を追い詰めるのに割く準備を楽しんでいるフシさえある。手間をかけた料理が美味くなるように、手間をかけた状況がより美味しいと信じているようなのだ。
「享楽家め」
アクセルが息を吐くと、全身鎧の隙間から熱風が噴き出た。
「フン! 貴族として、何たる様か!」
「閣下! 熱いです!」
「熱い! 馬が嫌がってますぞ!」
「ふはは、そう褒めるな」
部下の悲鳴は、アクセルには喝采に聞こえるらしい。
アクセルは全身に甲冑を纏っていた。グレートヘルムという円筒形の兜で、複雑な文様が刻まれている。アクセル本人のマナと反応して、文様は赤く光っていた。
甲冑からは、夏場の陽炎のように熱気が漂っている。
彼らゲール人の騎兵は、このように大将が突撃することがままある。貴族にはマナがあるからだ。マナの有無は時に戦力に決定的な影響を与える。そのため、鎧で完全に武装させ、極限まで死ににくくしてから貴族を前線に送り込むという戦法も取られる。
魔術は奇跡や精霊術と比して、効果が安定しているため、このように『装置』として運用されることも多かった。
(この手で、随分と亜人を焼き殺してきたものだが)
アクセルは自らの手を見つめる。
先ほど、実に十年ぶりに妹の背を叩いた手だ。
アクセルが当初、隠れていたのにも理由がある。
彼は亜人を幾度となく殺してきた。自らの体に染み込んだ、燃える血というマナによって。
それは彼の人生であり、習慣だった。妹とはいえ、亜人の少女に触れた時、アクセルは彼女を焼き殺してしまうことを心配していた。
それは杞憂だった。
どうやら十年前に仕舞い込んだ妹の思い出は、アクセルの頭の片隅で元気にやっていたらしい。
「ふはは!」
「……アクセル殿下?」
「いや。亜人の少女を守り、ゲール人の騎兵を、これだけ殺したわけか」
アクセルは路地でくすぶる死体を見下ろした。
「私の評判も、いよいよ地に落ちるぞ」
そうは言っても、彼は楽しそうに大笑した。港では、また火の手が上がる。敵の大砲が倉庫にでも着弾したのだろう。
「行くぞ。我らには、民を守る使命がある」
その時、彼らの頭上を、一羽の鳥が飛んでいった。夜闇に、巨大な白い翼が浮かび上がる。鳥はアクセル達を見つめるように旋回すると、ゆっくりと港へ向かって飛んでいった。