2-7:黒星騎兵
同じ日の夜。ウォレス自治区に一艘の船が到着した。
亜人が多いのは、いつものことだ。
だが不思議な積み荷が、荷積み人の目を引いた。
近づくと、ひどく臭う。聖教府の『二つ星』の刻印がされてはいる。ただ、誰がどんな目的でこれをウォレス自治区に運んだのか、全く荷札に記載がない。
「困りますね」
港の係員は、船員を呼び止めた。
「中身は何ですか? これでは通関できませんよ」
「いや、我々も聞いていない。確認を取るから、明日まで待ってくれないか」
彼らに、いや、自治区に明日がないことを知る者はその場にいなかった。
◆
「たぁっ!」
馬上から槍が突き出された。
馬の速力が乗った切っ先は、襤褸を着た男の胸に突き込まれる。
苦悶の呻き。槍が容赦なく、ひねられる。
内臓を掻きまわされる激痛に耐えきれず、男は白目を剥いた。
被っていたフードが外れると、獣の耳が露わになる。
「しまった、亜人だったか。間違えた」
馬上で舌打ちがあった。
一人の騎兵が倒れた男を振り返る。
年齢は三十を少し過ぎた頃。灰黄色の、先端がカールした髭。目じりは優しげに下がっていて、一目で貴族と分かる男だ。
けれど、身なりは異様だった。
鎧は全身を覆う金属製。兜や襟元は、動物の毛皮や爪で装飾されている。荒々しい尚武の雰囲気だ。赤い布地は、サーコートというよりは、でたらめに巻き付けられた拘束具のようだった。
背中には弓を背負っている。手に持った槍は赤柄で、目だった装飾はない。
「できるだけ、ゲール人の貧民を殺すんだったな。でないと、リアリティーがない」
騎兵は馬を進ませた。
彼に続く仲間も、似たような装備だ。
彼らは『黒星騎兵』という聖教府の騎兵部隊だった。辺境の騎士修道会が母体である。やがて聖教府の教皇が認めることで、正式に発足した。今は、とある理由があって亜人の装束に身をやつしている。
もはや一目では、ゲール人の騎兵とは分かるまい。
遊牧民、それも亜人の遊牧民の装束なのだ。
馬にまで異民族の装飾を施す念の入れようである。
他の騎兵は、嘴のある赤色の仮面で顔を隠していた。仮面の眼窩は、髑髏を思わせる。
「自治区に神罰を」
誰かの呟きが、風に乗った。
殺戮も風のように進んだ。
場所としては、ウォレス自治区の裏通りに当たる。
馬蹄を響かせて、騎兵が細い路地を驀進する。彼らは逃げ惑う人々を、次々と馬蹄にかけ、あるいは刺殺した。
狭い通りに、逃げ場などない。
「開けて! 開けてくださいぃ!」
貧民の一人は、建物の玄関に拳を叩きつける。だが、中に入れてくれる者はいない。
その背中を、槍が突いた。
突いて、引く。
瞬く間にされた一連の動作。貧民は己が突かれたことにさえ、気づかなかったかもしれない。
胸を押さえ、呻きながら倒れた。それらしい悲鳴さえない。
その死体を、後続の騎兵が踏みつぶした。
「殺し過ぎではないですか。オルトレップ卿」
黒馬に乗った一人が、並んできた。言葉が少したどたどしい。
「はは、新入りか。自治区の将来は、決している。我々がこうするか、これからやってくる亜人共が、こうするか。その違いはなんだい?」
灰黄色の髭をつまみながら、オルトレップは言い返した。新入りの騎兵は口をつぐんだ。
「これから、君の友人がやってきて、同じことをするのだろう。別にいいではないか? それに、全くの無意味というわけではないんだ」
オルトレップは、悪戯っぽく笑う。本当に楽しそうに。
「フリューゲル家のモノリスを探しているのは、我々も同じなのだよ。どうも、この辺りで見失ったそうじゃないか? 騒ぎを起こすだけでは、いかにも能がないじゃないか」
特大の悪戯をしかける子供のようだ。
「そろそろ、いい時間だな」
オルトレップは叫んだ。
「集合!」
それは、亜人達が使う言葉だった。
騎兵達が集合する。
オルトレップは仮面を被り直し、槍で進路を指定した。
騎兵たちは広場へ流れ込んだ。
元々は、公園として設計されたのかもしれない。だがベンチは破壊され、木々は枯れ、荒れ果てた石畳が寒々しいだけだった。打ち捨てられた噴水が、水もなく、無残な姿をさらしている。
オルトレップは演説に備えて息を吸った。
「この汚らしい貧民街の、亜人の諸君! 祖霊になり代わりご挨拶申し上げる」
こちらはゲール語だった。
亜人同士は方言がきつい。異なった氏族でのやりとりは、今ではゲール語が使われる。
谷底のような貧民窟に、ゲール語の演説がわんわんと響いた。
「我々は、昨今の亜人権威回復に同調する者である! 今ここに、亜人の故地、帝国南部への橋頭保を築くため、手始めにこの自治区を占拠する!」
血に塗れた槍が掲げられた。月が、矛先に冷たい輝きを宿らせる。
周囲から、亜人達の感嘆の息が漏れた。
「鷹の民の装束だ」
亜人の一人が、そう呟くのが聞こえた。彼らは装束を見て、オルトレップが亜人達だと信じているようだ。
オルトレップは仮面の下で笑う。
彼らが扮するは、鷹の民。あるいは大鷹族。
山間の荒れ地で生きる遊牧民だった。
土地が、貧しい。
だから定住せず、移動しながら生きるのだ。
『異民族閉め出し令』で退去した亜人の中でも、武威で言えば、最も危険な一族だった。彼らが愛した草原は、聖教府によって開墾され、執拗な奇跡で土質を変えられ、見事な畑に生まれ変わっている。
聖ゲール帝国が未だ持ち続けている騎士団は、彼らの侵入を防ぐためと言っていい。
「本拠はもっと、北じゃないか」
「なんでこんな南に」
聴衆を無視して、オルトレップは続けた。
「まずはこの貧民街で、我々は憎むべきゲール人を殺した! 今ここに、自治区の亜人諸君に、挨拶を送る! 共に立て! 共に戦おう!」
オルトレップは目線で新入りに合図をした。
新入りは馬を駆けさせて、辺りを一周する。
十分に視線を惹きつけたところで、彼は赤い仮面を外した。
顕れたのは、浅黒く日焼けした亜人の顔だ。
整った顔立ちと言っていい。
吊り気味の目。結ばれた口元からは、犬歯の先が覗いている。髪は黒く、ざんばら。黒色の瞳が辺りを睥睨すると、光に反応して青色に輝いた。
「本物の、亜人だわ」
ゲール人の女が、呻いた。たまたま騒動に居合わせたのかもしれない。
裕福なゲール人に独特の白い肌は、騒動のせいか、ほとんど血の気が失せていた。
手にはパンの篭がある。
自治区の人間としては珍しく、亜人に慈善事業をしていたようだ。
隣には、夫らしき紳士がいる。
「なぜだ」
紳士は公園の柵を越え、前に出てきた。
亜人の騎兵に向かって、歩いてくる。
「この自治区の生まれを、知っているのか? 元々は、亜人とゲール人の、共存のための自治区だったんだ」
異国情緒ある亜人の紋が刻まれた建物。水の流れない水路。
見捨てられたこの区画で、紳士の言葉は空しかった。
亜人の青年は、馬上から紳士を見下ろす。
「フリューゲル家が、ようやく閉め出し令の撤廃を、排斥の撤廃を言い出したんだ。なのに、こんなことを起こしたら」
その先は、なかった。
紳士の脚に、矢が叩き込まれた。
悲鳴が、荒れ果てた公園に響き渡る。
「いけないな、ラシャ。実にいけない。中途半端だよ」
オルトレップは挙げていた手を降ろした。弓を撃った騎兵が隊列に戻った。
「殺せとは言わないが。こういうのは、生かした方がいいからね。亜人に肩入れをしたから、矢を喰らったのだと思うだろうから」
オルトレップは馬を駆けさせて、夫人へ寄った。
亜人の青年――ラシャは無表情で、考えは読めない。
(何を考えているか、よく分からんやつだ)
オルトレップは嘆息した。亜人らしい、褐色の引き締まった肉体を一瞥する。
(心を開いてくれないなんて……私は寂しい!)
ラシャは、元々は『魔の島』という南の孤島にいたらしい。
『白狼族』という氏族の出身だ。
マクシミリアンという神官に案内されて、今はオルトレップの騎兵隊にいる。
正直なところ、このラシャという若い亜人には謎が多い。
オルトレップも、彼がここにいる詳しい事情は知らない。
フリューゲル家、つまり南部に反対する勢力にも、派閥と思惑がある。ラシャはオルトレップとは違う側に属していた。辺境への布教を任務とする神官が、この亜人に首輪をつけている。
そんな出自はともかく、存在自体が有効だった。
亜人の振りをして暴れまわる場合、一人くらいは本当の亜人を混ぜた方が、ぐっと真実味が増す。
「おかげで、大分説得力が出たよ」
オルトレップは仮面の奥で笑った。
「亜人が暴れる。国境を守る『閉め出し令』の維持を望む声は、いやおうなく高まるだろう。亜人差別の撤廃を謳う南部、そしてフリューゲル家はさらに旗色を悪くするというわけだ」
陰惨に笑って、オルトレップは夫人に向き直った。
「ご婦人、共存と言いましたね」
オルトレップは言った。
「それが素晴らしいことだとは分かります。本当です」
夫人の目の前に、オルトレップは槍を突き付けた。
怯えた目だ。
どうして、どうして、と夫人は何度も呟いていた。
「ですが、それはお伽話です。なぜなら、心の根っこのところで、我々は……いえ、あなた方は獣の耳の生えた隣人が恐ろしいからだ」
オルトレップは本心から言った。
その辺りの気持ちは、亜人側も同じだろうと思う。
「なにより、ほとんどのゲール人は亜人を見たこともない」
本来であれば、支配者たる貴族が変革を議論すべきなのだろう。聖ゲール帝国の支配階層は、帝国発祥の地である北部と関係が深い。そして北部は保守的だった。歴史ある貴族によくみられる病だ。
フリューゲル家は南部の領袖として、北部と対抗できる数少ない家柄の一つだ。
今はその彼らも倒れかかっている。
「それに、これは私の持論なのですが。どんなに素晴らしい主張も、それが戦争になったらおしまいですよ」
ラシャの槍が、オルトレップの質問を停めた。
若い亜人は首を振った。
微かに、本当に微かに刻まれた眉間の皺に、オルトレップは亜人の不快感を察した。
(若いな)
生真面目な性格らしい。無駄な殺生は好まないというわけだ。
「これは。ご婦人、命拾いしましたなぁ」
異形の装束の集団は、貧民窟を後にした。
「甘い、甘いなぁ! ラシャ君! 君は亜人としてもっと我々ゲール人を憎んでくれてもいいんだよぉっ?」
ラシャは無言だった。
オルトレップは馬を並走させながら、ラシャに笑いかけた。
憎めと言いながら、オルトレップの態度は実に気安い。
「次は、そこそこ大きな屋敷のある、中央区へ向かうぞ。やつらの近くで荒事を起こせば、フリューゲル家のモノリスがおびき出せるかもしれん」
その言葉は半分真実で、半分は嘘だった。
オルトレップは、市街の狩りが楽しかった。
辺境での戦は、血と鉄で作る芸術だ。同じことを、いつか市街地でもやってみたかった。
「……俺はいいのか?」
ラシャはたどたどしいゲール語で尋ねた。
「はは、そうだよ。私は何も、亜人全員を毛嫌いしているわけじゃない。『敵』であっても、別に憎んでいるわけじゃあないんだ」
貴族である彼にとって、平民も、亜人も、同じだった。
「私は軍人。剣の貴族。故に、他の楽しみを知らんだけさ」
オルトレップは、脇にいた貧民を突き倒した。彼もまた、貴族に特有の病を持っている。
その病は、享楽という。
(ご連絡)
作品タイトルを変更いたしました。