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2-5:オットーの決意

 モノリスが部屋を出た。

 長旅と心労で、疲れていたのだろう。別室にベッドがあることを伝えると、苦も無くイザベラの膝を降りて、寝室へ向かった。


「お休みになりました」


 ヘルマンがそう報告して、後ろ手にドアを閉じる。

 イザベラの眉毛が、ぴくぴく動く。

 仮面が剥がれつつあった。

 オットーは何も言わずに、部屋全域に防音の魔術を展開した。

 ここは、フリューゲル家の隠れ家。拘禁を脱出したイザベラは、いち早く体制を立て直し、ここに拠点を構えたというわけだった。


「姉さん、その」


 イザベラは、短い言葉でオットーの言い訳を封じ込めた。


「で?」


(怖い!)


 主に、目が怖い。

 イザベラは、ショースに包まれた足を組み換える。ソファに肘をつき、睨むようにオットーを見つめた。

 銀髪と、黒々とした目は、人を睨むと氷の女王のような冷たさを放散する。

 片手を振って市民一生分の稼ぎを動かし、騎士団に掛けを請求する時の、商人イザベラの顔だった。なお、あだ名は、鉄仮面。

 彼女のビロードの仮面は、一時期、舞踏会のために用意されたものだった。


「えーと」

「説明は簡潔に」

「そ、その前に。姉さんは、なんでここに」


 イザベラは、低い声で言った。


「あなた達だけじゃ失敗すると思ったから。実際、そうだったでしょう?」


 オットーが沈黙した。

 イザベラは雄弁だった。怖いほど。


「何で護衛がヘルマン一人なの?」

「それは、目立たないように」

「限度があるわ。あなた魔術師でしょ? なんかツテあるでしょう。目立たないのは結構だけど、そのために島へたどり着く成功率を下げるのは、本末転倒じゃないかしらね」

「じ、時間がなかったんだ。フリューゲル家の正規の軍隊を動かすと、戦争になりかねなかったし」

「あら、そう? まぁいいわ。しかも、いきなりこの自治区に来るし。相談してくれれば、捕まってても、別の拠点を紹介してやったのにね。そもそも、そのための使い魔でしょ? ネズミなら、捕まっている部屋の間を行き来できるから」

「そ、その通りだ。でも」

「しかも、準備に小切手を切り過ぎ! これじゃ、誰が見ても私らが動いてるってわかるわ。もっと少額なのを切りなさいよね」

「いや、でも」


 一しきり詰った後、イザベラもまた沈黙した。

 オットーは、素早く自分の主張を滑り込ませた。


「僕だって、これ以外の方法があれば、そうしたさ!」


 使い魔に、魔術師の精神を注ぐ術は、高等な魔術として知られている。だが、実際に行う者は少ない。

 失敗すれば、人間の体に戻ってくる術を失うからだ。

 オットーはそんな状態で、馬車で何日という旅をし、さらに海を越えたのだ。


「ふん。馬鹿じゃないの?」

「そんな言い方は。魔術師がついていけば、便利だ」

「音の魔術だけでしょ?」

「今は魔力(マナ)も回復した。マナさえ十分なら、他の魔術だって使えるんだよ」

「ああ、もういいわ」


 イザベラは手を振った。


「要するに、一人でやり過ぎよ。なんで私達に、一言もないわけ」


 そう言われると、オットーは言葉もなかった。

 ネズミの体が、さらに縮んでいくみたいだった。


「時間が、どうしても、なかったんだ。大臣達は、モノがいる島も掴んでいた。彼女の身柄を押さえるためには、姉さんたちとやりとりしている時間も惜しかった。モノの存在はともかく、どうして隠した島まで大臣や神官に漏れたのかは、分からないけれど」


 オットーはテーブルの上を歩いて、イザベラへ寄った。

 姉は唇を尖らせて、オットーを見つめている。


「恐らく、敵は、モノの島に文を二つ送っていた。一つは、モノの村へ。これは、モノを大陸へおびき出すための文だろう。もう一つは、島にいた神官に」

「マクシミリアンってやつでしょう?」

「知ってるのかい」

「聖教府の布教部隊よ。ふぅん、でも、完全な協力体制にはないみたいね?」

「推測するしかないけれど、ね。大臣は、僕とヘルマンとは違う、島へ迎えに行く部隊を用意していたらしい。モノを神官を通してではなく、自分の手で捕まえたかったんだろう。完全に協力体制にあったら、恐らく、神官の方を使ったはずだ。自分の部下を島に派遣する手間が、余計になる」


 オットーはその隙を突いた。

 敵が派遣した、モノを迎えに行く部隊よりも先に、オットーとヘルマンが村に到着した。

 そこで、敵が伏せていた、マクシミリアンという保険が働いた。

 彼は戦争という多少強引なやり方で、モノの身柄を押さえようとした。

 結局は失敗したわけだが、モノの精霊術師としての覚醒がなければ、どうなっていたことか。


「ライレーン・マクシミリアン。聖教府の、外界への布教部隊。フランシスカの話とも、一致する、か」


 イザベラは、ペンで頭をかいた。


「聖教府も、亜人との関係には苦慮しているということね。亜人を聖教化すれば、亜人の間を分断して、敵の力を弱められる。宣教師が死ねば、戦いの口実にもなるし」

「でも、不思議だ。聖教に追い出された亜人が、聖教に改宗するなんて」

「そこなのよねぇ。亜人同士にある不満を、上手く取り込んだということかしら? 島に行った神官は、油断ならない相手ね。一体どんな餌で釣ってるんだか……」


 島の亜人達が腕に巻いていた青い布は、聖教府に改宗したという証でもある。

 生まれついての聖教徒は、二つ星の印。そうでないものは、体に青いものを身に着けることで、改悛を示すのだ。

 聖ゲール帝国には、当然ながら、二つ星の信徒しかいない。

 信徒が多い所では奇跡の威力は増すから、マクシミリアンはそうした下準備にも時間をかけたのだろう。


「それで、その」


 オットーは、訊かねばならなかった。


「グレトは、裏切っていたのかい」

「ええ。一番最初に釈放されたフランシスカから、それが聞かされたの。で、私も出て、ギリギリのところであなた達を拾いあげる計画を立てたわけ」

「自治区の兵士が、いたようだけど」

「それは、これよ」


 イザベラはテーブルに伏せられていた紙片を、オットーに見せた。


「これは?」


 筆記官特有の美しいゲール文字で、びっしりと数字が書き込まれていた。

 オットーは前足で紙片を押さえつけ、鼻を押し付けながら読んだ。


「この自治区の帳簿か」

「そ。一年に一回、自治区は決算を纏めて帝都へ報告する義務がある。でも、明らかに利益率がおかしい。普通は二割。王族との取引があっても三割なのに、ここじゃ毎年五割」

「……不正経理?」

「つまり、誰かが損失を隠してるってこと。その誰かさんに、『私がその損失、埋めてあげるけど。どう?』って囁いたわけ」


 元々、自治区は中立である。フリューゲル家に転んだものがいても、おかしくはない。

 こんな芸当は、オットーには無理だった。


「だから言ったでしょ。ちょっと待てば、グレト以外に、もう何人か手配してあげたのに」


 ぐうの音も出なかった。


「イザベラ様」


 ヘルマンが話に入ってきた。


「グレト卿を推したのは、私です。オットー様の責ではありません」

「あら、そうなの?」


 イザベラはあまり関心がなさそうに、頷いた。


「だとしても。一番の問題は、勝手に計画を変えたことよ、オットー」


 オットーのネズミが、びくりと揺れた。


「本来なら、あなたは大陸に残って、フリューゲルの家臣と、捕らわれている私達との連絡をつける手はずだったでしょう。あなたの魔術で使い魔を駆使すれば、鳥でもなんでも、使い放題なんだから。使い魔で連絡を取ったり、建物の設備を動かしたり。そういうのって、宮廷魔術師、あんたの本業なんじゃない?」


 切れ長の目がオットーを見つめた。


「何か言いたいことは」

「ない。でも」

「なによ?」

「な、何でもないです」

「ったく」


 イザベラはため息を吐いた。

 理屈は全て、彼女に味方している。

 だが、オットーの即断が、モノを神官の手から救ったことも事実だった。

 二人の力関係は、昔からこれだ。

 できないくせに前に出て、騒動を大きくしてから泣きついてくるこの弟が、イザベラには時たま疎ましく思えるのかもしれない。

 本人が一生懸命な分、余計に。


「一言、連絡くれればよかったのよ」

「……文は、出したんだよ?」

「馬鹿。あの暗号だらけの? あのね、出発してから文が届くんじゃ、事後報告じゃない」


 そこで、イザベラはもう一度、大きく息を吐いた。

 半眼を作って、オットーを促した。


「で?」


 オットーのネズミは、首を傾げた。


「言ったの?」

「何を」

「本題。あの子の、相続のこと」

「あ、ああ。伝えてあるよ」


 この相続に関する法律は、名を『フリューゲル家閉め出し令』という。

 名前は、異民族閉め出し令と似ている。内容も、そうだ。


 第一、長男アクセル以下、四名の相続権を停止させる。


 第二、フリューゲル家を帝国の外へ閉め出す。


 主導したのは、宮廷の大臣達。特にフリューゲル家と関係の深い、ロッソウという大臣が中心だった。

 ロッソウは銀行家の出身で、フリューゲル家の財産を管理した後、宮廷へ紹介された。

 つまり、フリューゲルの手の内は筒抜けというわけだ。

 彼の裏切りで、フリューゲル家の劣勢は決したと言っていい。

 大臣らで作る帝国評議会で法案が練られ、皇帝が署名して、この類の法律は発布される。

 フリューゲル家断絶の手続きは、今も淡々と進んでいる。


「今はまだ、第一の段階だ」


 イザベラもオットーも、家の領地や鉱山が、どんどん無断で売買されている現実を知っていた。

 相続者がいない、つまり誰のものでもない資産。

 庇護者がいないということなのだ。新しい庇護者を求めて、フリューゲル家の下にあった都市や村は、これからどんどん敵へ転んでいく。


「なら、これは時間との勝負よ。モノリスの存在は、早く、大々的に明かす方がいい」


 まだ、フリューゲル家に対する閉め出し、つまり追放は実行されていない。

 ここで強引にフリューゲル家を排除に動けば、内戦となる。

 フリューゲル家の領民は、百万人。帝国のおよそ十分の一だ。

 ここが一斉に崩壊すれば、帝国としても無視できない打撃となる。

 私闘(フェーデ)が乱舞する群雄割拠の再来ともなろう。

 恐らく敵が動き出すのは、もっと時間をかけて、フリューゲルの力を削り取った後だ。

 いわば自壊を待っているのだ。


「モノリスは明らかに亜人だけど、実物見て確信したわ。あれを私たちの兄妹じゃないと言い張れるやつはいない。母様に、似すぎよ」


 イザベラはにんまり笑った。


「十分に相続権を主張できるわ。亜人差別に凝り固まっている連中には、大きな衝撃になるでしょうね。南部の主張は宮廷に通りやすくなる」


 今、帝国は南部と北部で二分している。

 南部は聖教府の指導する『異民族閉め出し令』、すなわち国境封鎖の解除を望む。腐敗した聖教府を憎む神官等が母体だが、その主張を具体化すると結局はそこに収束する。聖教府の利権の源泉が、『閉め出し令』だからだ。

 南部に多い商人も、富農も、運動に参加するメリットをそこに見ている。

 聖教府に気兼ねなく貿易して、金がほしい。そういうことだ。


 北部はその反対。


 異民族とはすなわち亜人のことだ。

 亜人の公女であるモノリスは、南部の主張の象徴にもなりうる。

 モノリスが『私を帝国に入れてください』と主張するのは、全く当たり前で、しかもそのためにはどうしたって『閉め出し令』は邪魔だ。

 彼女が十五歳の少女であることを考えれば、いかにも聖教府の『正しさ』にヒビを入れそうではないか。


(姉さんらしい博打だ)


 折しも、活版印刷の存在が南部を後押ししている。

 グレトが見せたようなパンフレットで、金さえあれば主張はいくらでもばらまけるようになった。


「そう、よかった」


 イザベラは安堵した様子だ。


「私はてっきり、あんたがまだ話してないかと思ったわ」

「どうしてそう思うんだ?」

「だって、あの子の態度が、軽いから」


 ああ、とオットーは納得した。島でのことを全て語らなければ、モノの強さは分かるまい。

 それでも、オットーはちくりと胸が痛むのを感じた。


「ただ、彼女の中で、まだ現実の自分の身分と、実感が追いついていないところは、あるだろう。迷いはあるはずだ」


 オットーは、モノに理解の不足を感じている。妹が突き進むのは、生き馬の目を抜くような政争の世界だ。その過酷さを本当に伝えることが、まだできていないと感じていた。


「むしろそれが当たり前だし、迷っている間は彼女の意思を尊重するべきだ。時間が要るよ。状況を理解して、心を固めるためには」

「……なるほど。そうね。ずっと島にいたのだものね」


 イザベラの目がきらりと光るのを、オットーは見逃さなかった。


「じゃ、私が教育(、、)してあげるわ」


 オットーは、迷う。

 このまま、イザベラに主導権を渡していいものだろうか。

 イザベラの才能は、誰もが認めるところだ。けれど、その才能は時に強引であり、容赦がない。誰でも自分と同じ才覚を持っていると、錯覚してしまう所がある。


「全てが終わったら、あの子には領地を相続させましょう。黒字で回すことを覚えれば、今後は、亜人との交渉だってできる。色々、使い道はあるわ。亜人と流ちょうに話せるゲール人自体が、貴重なんだもの」

「ああ、それも……有効かもしれない」


 姉は、正しい。

 ただ、オットーは胸が痛むのを感じた。

 こうなることを知りつつ、彼女を島から連れ出したのは、他ならぬオットー自身なのだ。彼は、妹が公爵家を名乗ることで様々な困難に直面すると知っていたが、その内容について具体的には話さなかった。

 話しても、彼女には理解できなかったかもしれない。何より、島に襲撃があった時点で、あのまま村に居続けるという選択肢は取りえない。

 一方で、オットーに『モノをなんとしても連れてこないといけない』という、冷酷な打算があったことも確かだ。船で彼女に大陸の状況を詳しく話し、降りてからも度々貴族の役割について説いたが、そうするたびにオットーは当時の自分の打算を思わずにはいられなかった。

 少なくとも島を出る時点では、モノの知識の不足は、オットーにとって都合がよかった。

 それが事実で、それがオットーの狡さだった。あるいは、狡いと感じてしまうのがオットーの性格だった。


(僕には、責任がある)


 年の離れた兄として。妹が大事な選択をした時に、家族の中で一番、その近くにいたという責任が。

 せめて今後は誠実であろうとすることが、オットーにできるせめてもの誠意だった。

 モノが自治区の現状を見て、進む道の険しさを本当に知った時。その時が、オットーとモノの信頼関係が壊れるかどうかの、分水嶺になるだろう。


「でも、彼女は家柄の道具じゃない。傷ついたとしても、きっと口には出さないだろう」


 イザベラが意外そうな顔をした。


「それを忘れないでほしいな」

「……ふぅん? ったく。ま、あんたはそれでいいわ」


 イザベラは肩をすくめて、息を吐いた。片目を開けて、ちらりとオットーを見る。

 言葉はなくとも、それが彼女の労いだった。


「損な役目ね」

「覚悟の上さ」

「ま、おかえり、オットー」

「ああ。同じことを、気兼ねなくモノに言えるようになる日を、早いところ作ろうじゃないか」


 オットーはそこで、思い出した。

 グレト男爵の裏切りが事実なら、彼からの情報も正しておく必要がある。


「ところで、兄さんは? 脱出したとは聞いたけど」


 オットーが尋ねると、イザベラは意味深な笑みを浮かべた。



あらすじは改稿中です。

少しずつ変わるかもしれませんが、ご了承いただければ幸いです。


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