表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/98

2-3:裏通り

 馬車はしばらく、順調に進んだ。

 けれど、景色は一変していた。上を見ても、空など見えない。建物が密集して、ひどく暗く、空気も濁っていた。

 まるで谷底だ。

 僅かな空を区切るように、洗濯物の糸が建物の間に張られている。


(大通りの、すぐ裏なのに)


 モノは鼻を覆った。亜人の鼻に、ここの臭いはきつい。

 それでも住人はいるのだ。

 道の脇に、座り込んでいる亜人達だ。汚れた服に、汚れた肌。施しのための器が彼らの前に置かれていた。

 時折、建物の壁に彫り込まれた意匠が目を引く。

 抽象化された鷹、蛇、虎――亜人の氏族(オボド)を象った意匠だ。

 元々、亜人が住んでいた建物なのだろうか。


「この辺りは、ひどいもんです」


 グレト男爵が言った。

 モノは訊ねた。


「ここ最近ですか?」

「ええ、そうですね。ここが貧民街、まぁ、つまり、あまりよくない地域だったのは昔からでしたが」


 そこで、グレト男爵は窓を見やった。さっきから、なぜかしきりに外を気にしていた。

 男爵は続ける。


「フリューゲル家は、南部の領袖として、ウォレスのような自治区で亜人も雇える事業を行っていたのです」

「事業?」

「ええ。立派な方々でしたよ」


 モノは、オットーの話を思い出した。

 帝国がフリューゲル家に出した罪状には、亜人を擁護した罪というものがあった。亜人を雇ったことも、その中に入るのだろうか。


「通常、金は出しても、間に何かを挟むんですがね。他の商人とか、あるいは他国の商館とか。でも、公爵閣下は家の名前でそのまま雇っていらした。フリューゲル家の娘で、神官でもあったフランシスカ様など、心労いかばかりであったか……」

「では、これは」


 モノは話を遮って、問うた。


「彼らを雇っていた私達が、消えかかっているから?」


 男爵は目を丸くした。


「仰る通り。船で、亜人がウォレスへやってきたでしょう。あれは、他の自治区や、帝国外の都市が次々と亜人を切っているからですよ。フリューゲル家の様子を見て、旗色が変わったことに気づいたんでしょうなぁ」


 モノは物凄く重い物を飲んだ気分になった。


(これ、私、帝都へ行くだけで済むのかな?)


 島が遠ざかっていくような気がした。

 オネ、と呼んでみたいに気分になる。

 今年の種イモは大丈夫だろうか。急な雨が降っていないだろうか。

 そういえば、新イモの粉で作る、あの甘い焼き菓子を今年はまだ食べていない。

 そんな風に寂しく思うと、無性に水を使って虎を出したくなる。


「確か、ここに」


 グレト男爵が、馬車の中を漁った。

 紙を何枚もモノに渡してきた。


「これは?」

「新聞です。あとは、パンフレット」


 モノは目を瞬かせた。


「今、保守派と開放派が、ウォレス自治区でも大論争をしてましてね。彼らは、自分たちの主張を広めるために、どんどんこんなのを刷ってるんですよ」


 内容は様々だった。


 ――『聖典に明記のない差別は、神官のねつ造』

 ――『農業への奇跡の使用は、長期的には収穫量を減らす』

 ――『黒死病の伝染は、亜人のせい』

 ――『神官と貴族に対する不課税が、財政赤字を助長している』


 あれやこれや。あまりにも知らない単語が、多すぎた。

 船の中でオットーから様々な講義を受けたのだが、まだ知らないことも多いのだ。精霊術の練習と並行していたせいで、余計に時間が足りなかった。

 ただ、中には気になるものもある。


 ――『フリューゲル家閉め出し令、可決。ロッソウ大臣の謀略』


 日付を見ると、一月以上前の号外だった。

 何度見ても、露骨な名前である。モノは喉を鳴らした。ここにあるロッソウという大臣が、オットー達を拘禁した中心人物らしい。


「こんなに沢山、誰が書いているんでしょう」

「いえ、それは、印刷です。活版印刷という、最新のものですよ」


 と、男爵。

 モノは首を傾げた。


「印刷、ですか?」

「イザベラ様が投資をされておりましてな。今日の需要を読んでいたのでしょう。まぁ、あの人は、多分に山師的なところがありますので」


 モノは曖昧に頷いておく。印刷という仕事は知っていた。『活版印刷』というのが紙を刷る仕事なのは分かる。

 それがどう特別なのかは、後で聞けばいいだろう。


「他には何かありますか? なんでも聞いてください」


 グレトは訊ねる。モノは眉をひそめた。

 なにか変だった。

 グレト男爵の目線は、時折窓の外へ向かう。まるで何かを待っているように。

 今の声も、なんだか猫なで声だった。


「旦那」


 不意に、御者がそんな声を出した。


「どうした」

「前に兵士が。止まれと言っています」

「兵士?」


 男爵は怪訝な顔をした。

 でもそれは、なんだか怪訝な顔を『作った』みたいだった。

 馬車がゆっくりと速度を緩めて、やがて止まる。

 男爵が馬車を降りて、応対へ向かった。


「隠れるべきですか?」


 ヘルマンが素早く囁いた。


「いえ、そのための場所もありません。身を低くしておいてください」


 モノは身を屈めて、外の音に耳を澄ませた。

 帽子を外す。猫の耳が風を感じ、さらに、妙にピリピリする感じも受けた。

 気が立っている。馬の嘶き。

 騒動の気配だった。


「グレト卿ですね」

「そうだ」

「あなたは、嫌疑で告発されています」


 男爵が、息を呑んだようだ。


「私がか」


 モノの疑念が、強くなった。

 猫の耳は誤魔化せない。男爵は嫌疑に驚いているのではない。その対象が自分であることに、驚いているのだ。


「お兄様、ヘルマンさん」


 オットーも気づいていたようだ。


「……グレトは、イザベラ姉さんとも懇意な、付き合いの長い商人だ」


 それでも、外の会話は続いていく。

 それも、男爵にとっても、モノ達にとっても、愉快ではない方向に。


「馬鹿な」

「間違いありません」

「確認しろ。そうだ、聖教府に確認をとってくれ」


 耳を疑った。


(聖教府?)


 マクシミリアンなどの、神官が所属している組織だった。異民族閉め出し令を作った組織でもある。

 巨大な組織で、内部には様々な派閥がある。モノ達の味方ともいえる派閥もあれば、明確に敵となる者もいるらしい。


(でも、これは)


 空気が、明らかに不穏だ。


「いいえ。ある亜人を不法に通関させた、と。これは具体的な内容です。猊下もあなたの行動に、深い関心をお持ちです」


 心臓が跳びはねた。その亜人とは、まさにモノのことに違いない。


「及び、密輸も」

「密輸? ふ、不法通関だと?」


 グレト男爵は繰り返した。

 辺りで、ささやき声が聞こえる。周りの貧民街の住人たちが、この騒ぎを遠巻きに眺めているようだ。


「大体、その亜人というのはどこの誰だ」

「それは明かせません。馬車には何が?」

「きゃ、客人だ」

「改めさせてもらいます」


 足音が、近づく。

 モノは慌てて帽子を被った。

 扉が開かれる。

 兵士は赤いチョッキを着て、黒い帽子を被っていた。

 緊張した顔が、開いた扉からモノ達を覗き込む。


「このウォレス自治区の兵士だ」


 オットーが囁いた。


「自治区の?」

「ああ。聖教府とは、指揮系統が違う。ここの自治領に直属だから、中立と言っていいだろう。でも、なんだって、こんな、待ち伏せみたいなことを」


 オットーの解説を聞きながら、モノは顔を下に向けて、俯いていた。

 肌は白く塗ってある。多少不自然かもしれないが、誤魔化せないことも、ないはずだ。


「この方は?」

「さる御令嬢だ。私は、ノイマン伯パウル」


 兵士達が顔を見合わせた。

 なお、ノイマンとはヘルマンが度々使う偽名であった。

 儀礼としてそういう爵位もあるため、追及されても、全くの嘘にはならないらしい。


「お降りください」


 モノは、ヘルマンに体を支えられながら降りた。

 その様子を、兵士たちがじっと見つめている。

 モノは顔を見られないよう、俯いていた。


「おい」

「はっ」

「イザ……じゃない、ご婦人! 確認をお願いします!」


 兵士達の間を抜けて、一人の人物がモノの目の前に現れた。

 磨き上げられた黒靴。仕立てのよい、白のショース。くすんだ茶色の上着を羽織っているかと思えば、首元には華やかなスカーフを巻いていた。

 モノにもう少し知識があれば、法服貴族と称したかもしれない。


(女の人?)


 そう思ったのは、白シャツの胸が、見事に膨らんでいたからだ。

 モノはゆっくりと、目線を上げる。

 女性は、銀色の髪を無造作に後ろで纏めていた。

 顔には、


「か、仮面……?」


 ビロードの仮面があった。

 モノは口をパクパクさせた。


「仮面、仮面です!」


 島で読んだ物語みたいだった。モノは何度も読み返したものだ。状況も忘れて、見惚れてしまう。

 女性がモノに近寄る。

 腰をかがめて、モノの顔を覗き込んだ。

 その手が伸びて、帽子を取る。猫の耳が露わになって、周囲がどよめいた。


「銀の髪」


 女性にしては低い声だ。

 滑らかな指が伸びて、モノの顎を撫でた。


「ひっ?」


 女性は、指に付着した白粉を見つめる。


「これは、化粧。間違いない」


 女性が手を振る。兵士達がモノに詰め寄った。

 通りの奥から、グレト男爵の悲鳴が聞こえる。


「連れていきなさい」


 モノは後ろから兵士に引っ立てられた。

 兵士が用意した馬車に向かわされる。


(サンティ!)


 モノは、念じた。周辺の水を意識する。

 兵士達がどよめいた。彼らの足元を通り抜けて、道端に溜まっていた水がモノの方へ集まっていくのだ。

 だが、僅かな量だった。

 拳くらいの大きさの虎が、ガウガウと可愛らしく吠えた。大きさはオットーのネズミといい勝負だ。

 近くに、水が少ないのだ。精霊術は水を操ることはできても、水を生み出すことはできない。


「モノリス様」


 ヘルマンが、モノの肩を叩いた。気づかれないほど、微かに、首を振って見せる。


「……え?」


 結局、モノは兵士達に捕まった。一番騒いでいたのは、そしてビロード仮面の女性に一番大きな悲鳴を上げたのは、グレト男爵だった。



     ◆



 貧民街から、悲鳴が聞こえた。

 彼らは、自分達が出遅れたのだと気づいた。

 大通りの先に置いておいた斥候が、ようやく馬蹄を鳴らして戻ってきた。


「事故です」

「事故?」


 よほど駆けてきたのだろう。栗色の馬体には、汗が光っていた。

 そのやりとりもまた、彼らに注目を集めさせる。

 自治区ウォレスを東西に横断する、大通り。

 そこの一角で、漆黒の甲冑を身に着けた一団が、たむろしているのだから。


「道幅の狭い曲がりで、馬車が車軸をやっています。連中は、回り道をしたようです」

「では」

「はい。こちらには来ません」


 彼らの心を代弁するように、馬が一際大きくいなないた。


「……では、どうする」

「それは」

「猊下に報告をするのかね。標的を逃がしました。我々の仕事はここで終わりです、と」


 話している騎兵が、兜のフェイスガードを開けた。

 一目で貴族と分かる男だった。

 灰黄色の髭を伸ばし、先端をわずかにカールさせている。目じりは優しげに下がっていたが、頬はこけて、戦慣れした精悍な雰囲気を作っている。茶色の目は、大通りの先を見据えていた。


「決行は近い。それまでに、できる限りの手を講じる」

「見つからない場合は、いかがいたしましょう」

「その場合は」


 男は辺りを睥睨した。

 通行人が慌てて退く。


「……自治区共々、散ってもらうほかあるまい」


 騎兵が前進を始めた。

 男は速足で大通りを駆けさせながら、後ろを振り返る。


「新入り!」


 騎兵の一人が、顔を上げた。彼はまだフェイスガードを閉じたままだ。

 他の騎兵が、『二つ星』――聖教府の印がついたランスを携えているのに対し、その騎兵だけが短槍を持っている。

 馬上で振るうだけではなく、地上で白兵戦をすることも想定された長さなのだった。

 意匠も独特だ。

 狼の刻印がなされている。


「期待しているぞ」


 短槍の騎兵は頷き、悲鳴が聞こえた貧民窟の方を仰いだ。

 聖ゲール帝国へと続く青空は、今日も見えない壁で揺らいでいる。


 聖教府の奇蹟――『聖壁』を感じながら、一行は貧民窟へ向かった。

 だがそこにあったのは、打ち捨てられた馬車と、簀巻きにされたグレト男爵だけだった。


お待たせいたしました。

次回はもうちょい早めに更新します。


ビロード(ベルベット)の仮面は実在するようです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ