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2-2:脱走公爵家

 モノは、樽でウォレス自治区に輸送(、、)された。

 倉庫の中で下されて、船の中で会った役人に、港を案内された。

 今いるのは、船着き場のすぐ近くである。往来もあって多少不安だが、人通りのないところにぽつんといても、それはそれで怪しいだろう。

 迎えが来るまでここで待て、とのことだ。


「船よりも揺れました」

「お立場もあります。ご勘弁を」


 ヘルマンに対して、モノは唇を尖らせた。

 急いで樽に入れといわれたので、せっかく用意した肌を白くする化粧品も、やっつけるように塗りたくるしかなかった。

 出来栄えが気にかかる。

 モノは、精霊術師(イファ・ルグエ)の力で、海水をちょっと呼び寄せた。

 掌の上に、平らな水の膜を作る。

 角度を調整してやると、水面はモノの姿を映した。


(うわ)


 白粉(おしろい)は、確かに肌を隠していた。

 帽子を被っているから、猫の耳も外に出ていない。

 亜人の特徴は完全に隠されていた。


(でも、なんだか変な色)


 肌色というより、真っ白なのだった。


「公爵令嬢って、もっとこう、立派な扱いかと思ってました」

「モノ、そうは言ってもね」


 オットーのネズミは、モノのポケットから顔を出した。

 モノが下を見る。ネズミと、目が合う。

 兄は目を丸くし、吹き出すように顔を逸らした。


「……お兄様、何か?」

「い、いや。なんでもないよ」

「目を逸らさずに。さぁ、言ってください?」

「何でもないんだ、いや、ほんと」


 モノはネズミを取り出すと、指で腹をくすぐった。


「お兄様。お兄様のご指示だというのは、よく、よぉっく覚えておいてくださいねっ」


 モノの気持ちを汲んだのだろう。

 鏡にしていた水が、彼女の足元で形を変える。ごく小さな虎になった。

 ネズミに向かって、ガウガウ威嚇した。

 ヘルマンが目を丸くする。船旅の間に、力関係が確立してしまっていた。また、こうも動じない娘も珍しいのかもしれない。


「あ、ああ。勿論だ。分かったから、やめてくれ。と、虎もしまって」


 オットーは気を取り直して、語り始めた。


「ふぅ。さて、貴族は領民があってこそだ。彼らの幸福を最大化することが、本来の役割」


 オットーは続けた。


「君は、ウチが滅んでも領民は大丈夫と言ったね」


 モノは頷いた。


「それは短期的には正しい。でも、長期的には間違ってもいる」

「どういう意味、ですか?」

「畑が毎日、きちんと存在する。家がある。税を納めたら、同じ税について二度と徴収を受けない。それは当たり前のことだ」


 モノは、仕方なく肯定した。


「その当たり前を維持するのが、支配者なんだ。領地で言えば、領主、つまり我々だ」

「はぁ」

「逆に言えば。安定した基盤や、財力を持っていない領主は、その役目を果たしていないことになる。時代や戦争による荒波から、領民を守ることが僕らの務め。長期的に安定した仕事を与えることが、重要なんだ」


 重たい話だった。

 こういうのを、高貴なる者の義務というのだろうか。

 オットーは締めくくった。


「相応の扱いを取り戻したかったら、まずは今の騒動を解決することだよ」


 モノは帽子の中で、猫の耳を動かした。

 突然お説教を受けて、幾らか憮然とした。


(でも、結局は、私は亜人だし……)


 モノは辺りを見回した。

 モノと同じような土色の肌は、やはり往来でも目についた。船の中で聞いた限りでは、このウォレス自治区に、最近は亜人が集まっているということだった。


(仕事があるのかな)


 その辺りの事情は、もっと賑やかな場所で確かめた方がいいかもしれない。

 蹄の音が聞こえた。


(馬?)


 モノは目を見開いた。


「馬車だ」


 慌てて口をつぐむ。馬車を見たことがないと思われそうだ。

 実際、ほとんどないのだが。


「ここの協力者、グレト男爵に面会する」


 モノは、目線をオットーへ下げた。

 なお、こうして会話をしていても、内容が他人に漏れることはない。オットーの音の魔術は、モノ達の会話を漏らさない防音の効果を果たしていた。


「男爵? 男爵は、確か、爵位の一つですよね。公爵、侯爵、伯爵、子爵、それから、えっと、男爵、の順番で偉くなる」

「その通り。五爵という」


 モノはオネの授業を復習した。

 馬車から一人の男性が降りてくる。小太りで、鷲鼻。年齢は四十歳くらい。恐そうな顔だったが、笑うと愛嬌があった。


「これは、グレト卿」


 ヘルマンが剣の柄を鳴らして、頭を下げた。


(あの人が男爵様?)


 モノは緊張で身が固くなった。

 爵位の上では、フリューゲル家の方が遥かに上位だ。が、モノの頭では『とりあえず爵位持ちは偉い人』という認識だった。公爵令嬢という立場も、どちらかといえば『令嬢』という響きが魅力なのである。

 オットーのネズミが囁く。


「グレト男爵は、フリューゲル家の庇護を受けた家系だ。領地と爵位を持ちながらも、余剰資本を用いてこの街で貿易商をしている。異民族閉め出し令に反対する立場は、僕らと同じ」


 グレト男爵は、微笑をモノに向けた。

 彼にオットーの言葉は聞こえていないようだ。


「ご到着なされたと聞いて、飛んでまいりました。あなたが」


 男爵は、首を傾げる。

 目を細めたところを見るに、モノが化粧で肌色を変えていることに気づいたようだ。


「はい、そうです」

「やはり、そうでしたか。私はヨアヒム・フォン・グレトと申します。ご同行は、ヘルマン卿だけですか?」


 男爵はどんどん話を進める。いかにも時間に追われる商人だった。


(お兄様がネズミ姿なのは、言った方がいいかな)


 黙っていると、いつか不都合がありそうだ。

 ヘルマンが引き取った。


「はい。私だけです」

「なるほど。確かに、目立たないことが肝要ですからな」


 グレト男爵は納得したようだった。

 オットーのネズミが、モノにだけ囁く。


「僕のことは、まだ秘密にしておいた方がいい」

「なぜですか?」

「僕が外に出て動き回っていることは、数少ない、情報面のアドバンテージなんだ。漏れないに越したことはない」


 モノは眉をひそめた。


「この人は、完全には信用してはいけない、ということですか」

「そうじゃない。ちょっと様子を見て、機を見て話すさ。男爵が往来でネズミと話すのも決まりが悪いだろう?」


 モノは、ずっと俯いてオットーと話していた。男爵には不思議に思えたようだ。


「どうかされました?」

「い、いえ、何でもないです」

「そうですか。では、うん、ここではなんです。一度、ぜひ屋敷にどうぞ。砂糖菓子も、亜人から買い上げた香辛料もありますよ」


 モノ達は馬車に乗った。

 ステップに足をかけて、思わず尻込みしてしまった。中の座席には、赤色のすべすべした布が張られていた。ビロードというらしい。座ると腰が包み込まれるみたいだった。モノは、船の固い床にうんざりしていたことを思い知った。


(別世界だ……)


 資材置き場を過ぎると、騒がしい港に戻ってくる。

 モノは唖然としたまま、さっきまで未体験の象徴だった船を見送った。

 馬車は滑るように猥雑な港から、瀟洒な感じのする中央通りへと進む。


「改めて、自己紹介を致しましょう」


 グレト男爵は切り出した。


「ヨアヒム・フォン・グレト。この街で商いをしております。フリューゲル公爵閣下、特に公女イザベラ様には、よくしていただきました」

「私は」


 モノは名乗る時、ちょっと迷った。

 シモーネ・モノリス・フォン・デア・フリューゲルが本来の名前。モノリスは亜人の集落で暮らすために、母が特別に混ぜた名であった。

 大陸に着いた以上、帝国の一般的な名である『シモーネ』を名乗るべきかもしれないが――


「シモーネ・モノリス・フォン・デア・フリューゲルです。モノリスで構いません」


 モノは島の名前を使いたかった。

 オットーには、すでにモノと呼んでもらっている。その方がずっと自然だった。


「畏まりました。ところで、申し訳ありませんが」


 グレト男爵が申し出た。


「帽子を取っていただいても?」


 モノは帽子を取った。

 亜人の証、猫の耳がピンと突き出す。銀の髪も、サラリと流れた。


「……確かに、とても、亡き公爵夫人によく似ておいでだ。疑いようもない。血統鑑定人は、不要でしょうなぁ」


 グレト男爵は眩しそうに呟いた。


「しかし、これは。高貴な家から亜人の公女様が……となると、いやはや、確かに強烈だ」


 モノは首を傾げる。グレト男爵は、なんだか呻くようだった。


「聖教府は、亜人というだけで差別をしています。高貴なる亜人という存在は、彼らの考えの矛盾を突くでしょう。影響は、確かに……」

「あ、あの?」

「ああ、失礼しました」


 グレト男爵は誤魔化すように笑った後、幾らかの話を聞かせてくれた。きっと成功した商人なのだ。話がうまく、モノの不安を上手に取り除いてくれた。

 街の話が出た時、モノの視線は窓の外へ向かった。


(あれ)


 ふと妙に思った。

 天気は、いい。建物の隙間から青空が覗いている。けれど、遠くの空が揺らいだように見えたのだ。

 夏場の陽炎に近い。そんな気温ではないのだが。


(気のせい、かな)


 モノは視線を落した。路地のあちこちでは、亜人達が座り込んでいた。

 彼らを気にもせず、裕福そうな男達が歩いていく。道端の人間など、石ころと同じ存在感しかないみたいだ。


「首都の様子は、いかがですか」


 ヘルマンが口を開いた。グレト男爵は、身を乗り出す。


「うん、それがですな。私も詳しくは知らないのですが、どうも、動きがあったようです」

「動き、とは?」

「フリューゲル家のご家族が、首都で捕らえられているのは、ご存じでしょう」


 モノは頷いた。

 ヘルマンが促す。


「詳しくは、聞こえちゃいないんですがね? どうも、それぞれ、逃げてしまったそうです」

「なんだって!?」


 オットーの声だった。

 突然である。グレト男爵は、びっくりしたようだ。


「な、なんですか、今のは」

「し、失礼」


 モノは咳払いした。


「喉が悪くて。みょ、妙な声が」

「さ、左様ですか」

「男爵。先程の話、詳しくお聞かせ願えませんか」


 ヘルマンが話題を戻した。

 オットーのネズミは、まだ続けていた。


「信じられない! まだ僕の体が帝都に置いたままなんだぞ! 真面目に捕まってるのは僕だけなのかっ?」


 すでにオットーの防音は復活している。

 モノは指でポケットの中のオットーをあやしながら、グレト男爵の話を聞いた。


「次女フランシスカ様は、元々、聖界に入ってる。つまり、聖職者です。爵位や領地、つまり世俗財産の相続権がないから、聖教府ともめるのを嫌った連中が、釈放しました。ここだけは、確認がとれてます」


 モノは今までの経緯を思い返した。

 確か、敵はフリューゲル家の断絶を狙っている。

 そのため家族を監禁していたのだ。帝都とは、ウォレスの北方、帝国の中心部にある都である。


「長女のイザベラ様は、なんといいますか……その、大変失礼な話なのですが」

「なんでしょう?」

「自身の相続権を手放す書類に署名をして、保釈金を払って、堂々と出てきました」


 え、と思った。

 オットーの泣き言が聞こえる。


「なんていい加減な人だ。そりゃあれだけ稼いでれば要らないだろうけどさ。空気読んでくれ空気を、そもそも」


 立て板に水のようだ。


「長男の、アクセル様は……」

「アクセル様は?」

「ご自身のお体で、壁に穴を空けて脱走しました」


 沈黙が落ちた。


「……え?」

「今、帝都じゃ公表するかどうか、真剣に議論してるそうです。噂じゃ自分の騎士団に戻って帝都に攻め込むつもり、とか。ま、あくまでも噂ですが。討伐隊を組織して、追いかけている貴族もいるそうです。公表するとしたら、懸賞金をかけるという噂も」


 オットーがポケットの中でもぞもぞ動く。

 瀕死だ。

 ヘルマンが尋ねた。


「オットー様は」

「ああ。そちらは大人しく部屋に籠っているそうです。まぁ、元気な時から滅多に部屋の外に出ない方であったそうですが」


 モノは、気づくと口を開けていた。

 とんでもない一族だった。少なくとも、やられたまま黙っている家族達でないことは確かだった。


(うまくやっていけるかな)


 一抹の不安が過ぎる。

 兄妹の動静を聞いたのは、これが初めてだった。

 長男アクセルが一番の年長。多分、今は二十五歳のはずだ。

 長女のイザベラが、その二つ下。次がオットーで、ニ十歳と言っていた。四番目の子にして次女のフランシスカがいて、最後がモノとなる。フランシスカは十七歳と聞いたから、モノの二つ上だ。

 フリューゲル家は、どんな時代になっても家が生き残れるように、彼ら子供たちをあらゆる分野に分けて育てていた。

 一人は、騎士。一人は、商人。一人は、魔術師。一人は、神官。

 最後の一人が、異民族の精霊術師モノリス――つまりモノ本人というわけだ。


(物凄く個性的な人ばかりだったら、どうしよう)


 その時、馬車が急に速度を緩めた。


「どうした」


 グレト男爵が、窓から御者に問いかけた。


「こりゃ、ダメです」

「何がだ」

「前で、馬車が衝突事故やってます。車輪をやってますよ。当分動きませんね」


 グレト男爵は、肩を竦めた。


「迂回しますよ」

「ああ、そうしてくれ」


 馬車は大通りを外れ、裏道に入った。

 なんとなく縁起が悪いな、とモノは思った。


 裏道の湿った空気が、窓から流れてきた。


お読みいただきありがとうございました。


【お知らせ】

 次話投稿から、タイトルを変更する可能性があります。

 どんな風に変えるかは、まだ決めてはいませんが……もうちょっと具体的に中身が分かるタイトルにしようかなぁと思ってます。


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