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1-11:大陸へ(後編)

「お兄様」

「なんだい、モノリス」

「冷汗が出てきました。帰っていいですか」

「そ、そそそれは困る」


 オットーが本当に慌てて言った。

 仕切り直して、ネズミはモノに語り掛ける。


「君は大陸で、死んだという記録を否定し、自らの出自を名乗るだけでいい。公爵令嬢としての、正当な権利を」


 覚悟は、していた。だが言われた瞬間、一瞬で、喉がからからに渇いた。


「まさか」


 声は震えた。


「……私に、まさか、公爵家を継げと? 叩き出しておいて?」


 猫の耳が揺れる。この耳を持つ人間は、大陸では生きることはできないのだ。


「いや、実際に継ぐ必要はない。君が相続者として名乗りをあげれば、断絶の危機は乗り切れる。相続者が『いない』という状況が変わりさえすれば、なんとでもなる。最悪、来てくれるだけでいい。宮廷闘争とかは、全部こっちでやるから」

「で、でも」

「他に手がない。恥ずかしい話だが、正直、隠し子なんてよくある話なんだよ」


 開いた口が塞がらなかった。


「それに、実は君の身分については」

「お兄様」


 モノは言った。咳払い。指を一つ立てて、


「私達の言葉に、こういうものがあります。焼けない森はない」

「なんだい、それは」

「残念ですが。栄華は永く続かないということです。えーと、あるいは、ナツクサや ツワモノどもが 夢の跡……?」


 モノは村の話術を駆使した。少なくとも駆使しようと試みた。

 大きく息を吐く。ネズミに向かって居住まいを正し、語り掛けた。


「諦めましょう。貴族が滅んでも、帝国が滅んだり、領民の方々が死んでしまうわけじゃありませんし」

「そういうわけにもいかない」


 モノは、きょとんとした。その否定があまりにも悲壮で、力強かったからだ。


「いや、すまない。話を戻そう。実は、君の身分については、島に隠す前に、当時のフリューゲル家と宮廷の間で取り決めがある。表には出ていないけど。そこには、幸いにも、相続に関する文言はない。多分……こういう時を見越して、空白にしておいたんだ」


 モノは複雑な気持ちになった。モノがずっと島で育てられたのは、こうした有事の際の保険でもあったのだろうか。

 大陸の外の、異民族の村。何もなければ、そのまま捨て置けばいい。何かあれば、利用できるだろう。

 そんな思惑で。

 モノは、追い詰められているのを悟った。

 山猫族の長などは、この辺りはきっと了承済みなのだろう。根回しは完璧というわけだ。

 オネ、と呼びたかった。

 でも堪える。

 モノも十五歳。成人しているのだ。


「でも私、亜人ですよ? 大陸では、差別されて」

「それでもだ。むしろ、亜人の方がいいくらいだ」


 モノは首を傾げた。

 聞きたいことは、沢山ある。どうしてそんな状況まで追い込まれたのか、とか。家族は今どうなっているのか、とか。

 同時に、オットーの態度の理由が分かった。ずっと遠慮があったような気がしたのだ。

 これは、家族が離れ離れになっていた妹を迎えに来た、という話ではない。オットーは家族の都合で、モノを政治の世界に引きずり出そうとしているのだ。

 兄の態度には、彼が抱える申し訳なさが滲んでいた。


「今の神官は追い払ったけど。恐らく、敵は次の手を放ってくるだろう。君はいずれにせよ、狙われる身だ。島よりも大陸の方が、僕らも守りやすい」


 モノは言い返そうと思った。けれど、気づいてしまった。


(私が島にいると、また戦争が起こるってこと?)


 オットーは、モノの不安を察したようだった。

 オネや、長を見やる。彼らに断ってから、話し始めた。


「失礼を承知で言わせてもらうなら、亜人と、僕の国はうまくやっているといるとは言えない。けれど、公爵家の血筋を主張すれば、君は亜人として、この状況に采配を振るうこともできる。それは、この島を守ることにも繋がるし、もっと便利にすることだってできる」


 モノはため息を落す。状況は、あらゆる他の選択肢を奪っていた。

 これ以上島を巻き込みたくないなら、大陸に行くしかない。そういうことだった。


「なんといいますか。都合が、よすぎませんか?」


 なんとなく悔しくて、モノはじとっとオットーを見た。


「……今更、呼び戻すなんて」


 オットーは肩を落とした。戦いで生まれた信頼関係は、かなり危うくなっていた。


「十年以上ですよ。最後に大陸を出てから」

「それでも、君は公爵の血筋を引いてる。血筋は消えない。公爵令嬢なんだ」


 公爵令嬢、という単語で、モノの猫耳がピクリと動いた。

 モノは思わず、首を傾げた。胸がドキドキして、変な気持ちになる。


「こ、公爵、令嬢ですか。レイジョウ」


 モノは、うんうん唸った。首を振る。何かを退けるように手を振った。耳はピコピコ動いていた。


「いやでも、私は、なんというか。ケチなコムスメというやつですし……」


 風向きが変わり始めたことに気づいていないのは、オットーだけだった。


「そんなことはない。君の顔立ちや、髪の色は、母さんにそっくりだ。瞳は父さんの色だし」

「う、うーん。で、でもなー」



     ◆



「悩んでおいでですな」


 ヘルマンが、モノとオットーを見て呟いた。


「大丈夫だと思うよ」


 オネが言う。長も頷いた。


「あの娘は、なんというべきだろうな。猫の目のようなところがある」

「猫の目?」

「なんだかんだで、現金ってことだよ、ヘルマンさん」


 モノは首をひねっている。でも、公爵令嬢という単語はまんざらでもなさそうだった。

 でもなー、どうしよっかなー、などと繰り返している。


「……あれは」


 ヘルマンの呟きを、オネが拾った。


「な、現金だろ」

「公女ということは、ご存じなかったのですか?」

「いや。多分、令嬢ってとこに反応してるんだな」


 モノの神経は、かなり太い方だった。

 一度、ニシキヘビの上で寝て大人の度肝を抜いた。まぁ、そのニシキヘビの下にはサンティという虎がいたのだが。

 モノの家には、数冊の本がある。オネが大陸から持ち込んだ非常に希少なものだ。モノは勉強も兼ねて、何度も読み返したものだ。それは彼女の中にずっと大陸への――生家への思いがあったことの証左でもあった。

 そして年頃の娘らしい憧れで、公爵令嬢という単語に、『公女』とは違う輝きを感じてしまったのだろう。


「なに、あの二人は上手くいくさ」


 オネの言う通りかもしれなかった。

 オットーとモノのやりとりは、出来のいい妹に言い返されて右往左往する兄のそれだった。猫が捕まえたネズミで遊んでいるようにも見える。家族にのみ可能な不躾さが、すでに見え隠れしていた。


「……お二人は、よろしいのですか?」


 ヘルマンが尋ねた。

 長は頷く。一族の長として、騒動の種は集落の外にあった方がいい。


「オネ様は?」

「オネでいい。あんたらの名前の呼び方はよく分からんし」


 乳母は、オットーとモノの様子を見つめた。


「決めるのは、あの子だよ。もう大人だ」


 オネはヘルマンに、彼女が施した教育を伝えた。

 歴史、薬学、動植物の知識、そして言語。

 モノがどんな道を歩んでもいいように、できる限りの知識をオネは授けたのだった。


「亜人同士なら、どんな方言もいける。大陸の公用語も読み書きできるが、発音はそっちで鍛えてやってくれ」


 ヘルマンは打たれたように胸を押さえた。そして、膝を突いた姿勢のまま、深々とオネに頭を垂れた。


「やれやれ。もう十五歳だ。独り立ちする頃なんだからね」


 今生の別れになろうことを、オネはちゃんと知っていた。



     ◆



「いいでしょう」

「そうだよね。なかなか行く気には……え?」


 気づくと、モノは頷いていた。ごほんと咳払いして、不純な気持ちを抑える。


「大陸、行けばいいんですね」

「き、来てくれるのかい」

「はい。待っててもしょうがないですし。いるだけで島に害となっては、断る方法を知りません。ただし」


 モノはネズミの前に、人差し指を立てる。付け加えるのを忘れなかった。


「相続のことは、もう少し考えさせてください」

「それでいい。今は、相続できる人間がいるという事実が、重要だ」


 モノはもう一度頷いた。


「大陸へ行った後は、私は何をすれば?」

「君は、公女として表に出る。他の貴族に面会したり、色々と法律上の書面にサインしたりね。場合によっては、演説することもあるだろう」


 演説、とモノは呻いた。


「今回のような危険もあるかもしれない。それは、悪いがどうしようもない。出来る限り守るけど、危険の覚悟はしておいて欲しい」

「島には……」

「いつかは戻れるよう、取り計らおう。でも約束はできない。戻れるとしても、二、三年はかかるし、君の身分は今とは違ったものになっている」


 モノはその年月について考えてみた。オネには島の有力者としての責任がある。モノは一人で大陸へ行かなくてはならない。

 オットーの言い方にも、ちょっと含みがある。『今は』とか、『恐らく』とか、ところどころで言葉の意味を持たせるのだ。


(でも、とにかく動かないと)


 このままでは埒が明かない。

 待つのは好きではない。じっと息をひそめて、状況が変化するのを待つよりも、まずは動いてみるのだ。どうしようもなかった状況が、何かのきっかけで変化して、綻びが生まれるかもしれない。後はそのほつれた糸を、思い切り引っ張って、少しずつ劣勢をこじ開けていくのだ。

 モノはオットーを見つめた。


「……なんだか大陸の方々には、ヒトコト言いたくなってきました」


 フリューゲル家七代目当主、ファッブレ・フォン・デア・フリューゲル公爵の末っ子、モノリス。

 彼女はこうして島を出て、大陸へ向かった。


 口に出した目的は、育った村を巻き込まないため、そして実家に文句を言うためだった。けれど、本当の理由に、モノは気づいている。


 ――私に、何ができるんだろう?


 突然やってきた転機に対するそんな好奇心も、彼女を動かしたのだった。

 想像と物語の中にしかいなかった、『大陸』という存在が、彼女の中で色づこうとしていた。世界は広い。まだ知らないことは沢山ある。そして分からないことが、彼女をワクワクさせた。少なくとも、今は。

 彼女の頑張りは、やがて大陸全体を巻き込む騒動へと発展していく。だがそれは、まだ先の話だ。


「行きましょう、お兄様!」


 モノはそう言って、小さなネズミを掬い上げたのだった。

これにて第一章は終わりです。


ブックマーク、評価、感想等いただけましたら幸いです。

皆様の応援が、作者とモノリスのやる気になります。

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