1-9:戦いは終わりです
白狼族の一団は、斜面を降りた。村を囲う壁は、昼の戦闘で破壊された後だった。村の中心、広場へはすぐに出られそうだ。
「しめたぞ」
一人が呟いた。松明の灯りが、戦士達の極彩色の仮面を照らす。足元に生まれる影は、夜闇よりもいっそう濃かった。
「この辺りは、どうやら、水が引いている」
「まっすぐに進めば、広場に出る」
「そこを集結の拠点としよう。笛を持て」
「行くぞ。ああ、くそっ、ぬかるんでいるな」
口々に言葉を交わしながら、白狼族は村の奥へ進んだ。
◆
「来た」
モノは民家の上で、腹ばいになっていた。
松明の群れが、村の一番大きな通りを進んでくる。その通りは、まだ白狼族が抑えていた。他の場所では、山猫族が挽回しつつある。
(亜人同士で、争ってる)
モノは思った。
オネからの歴史の授業を思い出す。昔、大陸から亜人は追い出された。差別が原因だ。そして閉め出された先の島で、亜人同士が今まさに殺し合っている。
ひどく寒々しい気持ちになった。こんな果ての島であっても、争いはなくならないのだろうか。
(今は、そんなこと考えてる場合じゃない)
首を振ったのと、ヘルマンの囁きは同時だった。
「来ました」
モノは、念じた。全ての結果が、モノの手腕にかかっていた。
感覚が村中に広がった。
慣れ親しんだ裏通り。イモを納めた納屋の裏。そうした、ちょっとした場所に寄せておいた水に、語りかける。
(来て)
果たして、水は動いた。理を無視して、モノの意志に沿って動く。
今、白狼族が進んでくる大通りは、敢えて水を引かせてあったのだ。水を解放してやれば、元の位置へ流れ込む。
「……呆れた術領域だな」
流れ込む水を見て、オットーが呟いた。精霊術などの効果が及ぶ範囲を、『術領域』というらしい。
「次です。オネに合図を」
ヘルマンが指笛を吹いた。夜闇に、赤が舞う。
オネの火の蝶だった。何匹もの火の蝶が、モノ達を飛び越えて、白狼族が進む通りへ向かう。
「ところで、すごい火だけど、何を燃やしたの?」
モノ達は、少し離れたところに火を焚いていた。明るい炎から、次々と火の蝶が飛び出してくる。
「椰子の脂です。それと、乾燥させた牛の糞」
「……なるほど」
火の蝶は、白狼族のすぐ近くに行くと、水へ飛び込んだ。悲鳴と怒号。もうもうと広場に蒸気が立ち込める。
「よし」
「行きますか」
「はい!」
モノは、サンティを呼び出した。
水が渦を巻き、中から水の虎が飛び出してくる。モノが騎乗すると、虎は力強い唸りをあげた。精霊となったサンティは水の上を走る。速さは水に足をとられる人とは、比べものにならない。
「ヘルマンさんは、ここに」
モノは、屋根の上を仰いだ。
「もし私が失敗したら、オネを守ってください」
ヘルマンは一礼した。
モノは猫の耳を動かす。風も音も、ここで感じるのだ。
松明の灯りの多さから、大体の敵の長の位置は掴めていた。声も覚えている。
裏道を駆け抜ける。
途中、何度も山猫族とすれ違った。彼らはモノを見てまさに度肝を抜かれた顔をしていた。水で象られた虎にモノが乗っていれば、そうなるのも無理はない。
白狼族を痛めつけている者もいた。反対に、しぶとく抵抗している白狼族もいる。
「モノリスだ!」
ある通りを抜けた時、そう叫ばれた。路地に、敵の残党が残っていたのだ。水を掻き分けて、数名が道を塞ぐ。
「退いて!」
モノは、水の弾を撃った。見事に頭に当たった。仮面が割れて、男達が昏倒する。
「圧縮した水は、石と変わらない」
「……死んじゃったってこと?」
「分からない。だが、気にしている余裕はない」
オットーは、モノの服にしがみついていた。
「敵の長を捕まえて、この戦争を止めるんだろう」
モノは頷いた。
最後の角を曲がって、大通りに出る。敵の本隊の真横だった。湯気の中に、密集した松明の灯りが見える。
(近い!)
その時、涼しげな金属音が聞こえた。錫杖の音だ。
(マクシミリアンだ)
サンティを殺した落雷。モノは、水の虎となったサンティを、ぎゅっと抱く。
「雷は、最も強力な、火属性の奇跡だ」
オットーが囁く。
「確か、水辺での雷は危険、なんですよね」
「ああ。着水した雷が、水を伝って、マクシミリアンや白狼族に届いてしまうかもしれない。マクシミリアンの足元にも水がある。乱発はできないはずだ」
モノは、白狼族の隊列を見つめる。
その中に、見覚えのある仮面を見つけた。鳥の羽で一際豪華に装飾された、極彩色の仮面。腕には獣毛。周りは戦士で囲っている。その厳重さが、何よりの証拠だった。
「いた!」
モノが長を見つけるのと、敵がモノを見つけるのは、同時だった。
「モノリスがいるぞ!」
途端、全員の武器がモノの方に向いた。モノは一旦屋根に飛び乗って、距離を取る。
(見つかった!)
矢が飛んできた。慌てて避ける。声の割に、攻撃は激しくない。まだ蒸気が残っているので、モノを見失ったままの戦士が多いのだ。
「モノリス殿!」
一際大きい、怒声があった。
マクシミリアンのそれだ。神官が錫杖を揺らす。と、一条の雷が、屋根を直撃した。もう少しで当たっていたところだ。
「躊躇なく撃ってきたな」
「な、なんでですかっ?」
「特殊なブーツを履いてるのか? それとも、何らかの加護が? うーん、対策済みってことか」
(お兄様……!)
モノはぶるぶる拳を震わせた。
とはいえ、
「見つかってしまいました」
敵も馬鹿ではない。大体の位置は掴んでいる。サンティは大きい。つまり目立つ。
「こっそり、一瞬でさらう作戦は失敗ですね」
「ああ。次のプランで行こう」
雷を回避しつつ、モノは屋根から降りた。
この程度の死線は、狩りでも何度かあったものだ。
◆
白狼族の戦士、ラシャはモノリスを補足していた。槍使いの出番はない。弓矢か吹き矢、いずれにせよ飛び道具の距離だった。
モノリスは長達を襲う動きを見せたが、今は遥か遠くに逃げていた。虎の巨体が、かなり遠くの方で跳びはねている。挑発行為かもしれない。
マクシミリアン神官の雷を恐れてか、決して近づこうとはしなかった。
(水の虎か)
もはや疑う余地はない。モノリスは精霊術師となった。
(視界が悪いな)
未だに蒸気の霧は晴れず、行軍を困難にしていた。火の蝶は、切り払うのは簡単なのだが、すぐに水面に落ちてしまうから質が悪い。
「モノリスは、逃げてばかりだな」
味方の到着を待っているのだろうか。ラシャはその時、奇妙なことに気が付いた。
(妙だ)
暗闇の中で、目を凝らす。蒸気でひどく見づらい。疑問は確信に変わった。
「モノリスが、虎の背にいない」
いつの間に降りたのだろう。思うのと、答えが来るのは同時だった。
「足元をなんか通らなかったか」
「水の中をか」
「ああ。速かった。魚にしては、でかかったような」
ラシャは気づいた。
「虎は囮だ! 水に注意しろ!」
◆
モノは、水の流れを操った。自分の周りに水流を起こす。駆け抜けるような速さで、敵の足元を泳ぎ抜けた。
(長は、どこ?)
最後に確認した位置を頼りに、水の中を泳いでいく。
長の位置は、やがて分かった。松明の灯りで、水面が一番明るい場所だ。そこにある、獣毛で毛むくじゃらの脚が、白狼族の長に違いない。
「足元だ!」
誰かに気づかれたらしい。
構うものか、とモノは一気に速度を上げる。
ただ泳ぐのではない。水でモノ自身を押し出しているのだ。大人の股ほども水深があれば、底の方を泳げばモノの身は完全に隠される。
(このまま、進む!)
勢いのまま、標的の脚に組みつき、転倒させた。
まずは体勢を崩すこと。落ちた来た頭を抱え込むと、首筋に向かって刃を当てた。
空気を吸い込むと同時に、叫んだ。
「サンティ!」
遠くで、サンティの体が崩れた。
周辺の水が渦を巻く。水の虎は、実体を持たない。モノの精霊術が及ぶ範囲なら、自在に出し入れが可能らしかった。
「しまった!」
長が呻き、周囲の戦士が武器を向ける。が、モノが長の首筋に短剣を押し当てると、みんな大人しくなった。
周辺の水を操り、流れを起こしてやると、戦士は全員転倒した。
「モノリス!」
マクシミリアンが電撃を放った。
モノは、水の壁を出現させる。そして自身の足元から、水を一斉に引かせた。
雷が、水面を撃った。水面を雷撃が伝わり、他の戦士に伝播していく。
「不覚」
どうやら、マクシミリアンは対策をしていたらしく、無事だった。
モノは彼を睨み付ける。
「モノリス」
マクシミリアンが苦笑した。
「フリューゲル公女として、生きる決意をしましたか」
答えは、武威を以てした。
第二撃が来る前に、水面からサンティが現れた。水の虎はモノと長を背中に乗せると、跳躍する。なおも撃とうとするマクシミリアンを、白狼族の戦士が遮った。
長も一緒に感電してしまうからだ。
神官の高笑いが、背中を追った。
殺気はない。なのに、鳥肌が止まらず、モノはサンティを急がせた。
長は暴れる。
「放せ」
放すわけがないのだった。
モノは長を拘束したまま、ヘルマンの所へ行く。ヘルマンは櫓を一つ確保していた。サンティが頭から、木の櫓に突っ込んだ。
手すりが千切れて、破片が舞い飛ぶ。
呆然とするヘルマンに構わず、モノは報告した。
「つ、捕まえました!」
「は、はっ! 例のものは、探しておきました」
モノは頷く。
櫓の上には、太鼓があった。大人が抱えて打ち鳴らす、連絡用の太鼓である。
モノはもう一度、高所から周囲を見渡した。
戦は大混乱に陥っていた。片方は、長を失った。もう片方は、逆襲に燃えている。だがこちらも長は行方不明だ。
きっと、ひどい殺し合いになる。
そしてこの時期にそんなことになる恐ろしさを、モノはよく知っていた。
「貴様、何をする」
暴れる白狼族の長を、ヘルマンが封じ込めた。モノは、力いっぱい、太鼓を叩いた。
「停戦! 停戦です!」
それは、戦いをやめる合図の太鼓である。半日前にモノ達が広場に集められた時の太鼓だった。
予想以上に、よく響く。オットーの、音の魔術のおかげかもしれない。
けれど、停戦は山猫族だけでは意味がない。白狼族のリズムでも、太鼓を叩いてやる必要があった。
白狼族がいつまでも戦いをやめなければ、この太鼓は無視されるだろう。戦う者同士の、二つの太鼓の音が響き渡るのが、古来から続く停戦の条件なのだ。今はまだ、山猫族からの一方的な停戦の呼びかけだ。
「貴様」
白狼族の長が目を剥いた。
「それは長か、称号を持った男しか叩いてはならんのではないか」
「このままじゃ、この村は全滅です。水害なんです、戦争どころじゃありません」
「そんなこた知らん!」
「あなた達もですよ?」
そう言われて、白狼族の長は、体をびくりと揺らした。
恐らく仮面の中では、目をまん丸に見開いているだろう。
「……なに?」
「消耗戦になりました。このままじゃ、男が全員死んじゃいますよ。雨季の前に。ヤムイモの作付けの前に」
白狼族の長は、今度こそ本当に沈黙した。
「今は、平和週間です。この意味、ご存知ですか」
「土の精霊に」
「違います。慣習には意味があります、言い伝え以上に、ちゃんとした現実の理由があります」
モノはオネから様々な教育を受けていた。
「雨季に入りました。イモの作付けをする時期です。こんな時期に戦争したら、畑の準備ができないし、すぐに決着がついても」
そこで、白狼族の長は思い出したようだ。
戦争が起きる。死人が出る。その分、働き手は減る。
死人はまだいい。マシなのだ。問題は、けが人だ。
村を維持するための人手は減るのに、口は減らない。けが人を世話をするため、また人手がかかる。
これは戦士の比率が高い、亜人の社会に起こる問題だった。
「今、あなたの氏族には何人残っているのですか?」
「関係のないことだ」
モノは視線を厳しくした。今この瞬間にも、櫓の下では戦いが続いているのだ。
「長。今年が豊作だという保証はありません」
「それでもだ。死よりも重大なことはある」
「長の役割は、一族を死なせることですか」
沈黙は、長かった。
戦争は、すでに、どちらにも有害なものになっていたのだ。
「……よかろう」
白狼族の長の言葉は、弱弱しかった。長は仮面を外す。
何かを諦めたのだ、とモノは思った。
「祖霊に誓って、停戦に同意する」
長は自らの仮面に向かって、そう語りかけた。モノは後で知ったが、極彩色の仮面は、白狼族にとって祖先を象ったものらしい。
白狼族のリズムで、停戦の太鼓が叩かれた。
停戦は、合意された。こうして戦争は終わった。長の身が相手にある状態で、停戦を無視しようとする白狼族はいなかった。
なお、停戦に同意した白狼族の中に、マクシミリアン神官の姿はなかった。
白狼族が持つ秘密の港から、彼の船が消えていたことが、追って判明した。
【読まなくても大丈夫な、この作品の魔法に関する解説】
1.概要
精霊術:物質を操作する、単純明快なパワー系。水だったら水で殴る。
魔術:物質を変質させる。水だったら氷にしたり、逆に何かを変質させて水にしたり。
オットーの防音魔術は空気の変質。
奇跡:なんでもあり。何もない所から水を生み出したりできる。
『雷』は莫大な量のエネルギーを生み出さなければならないので、
魔術の変質では出力が足りない。そのため奇跡でしか用いられない。
2.強力さ、複雑さのイメージ
精霊術<魔術<奇跡
3.燃費のイメージ
精霊術>魔術>奇跡
本編で語るのが本当なのですが、精霊術・魔術・奇跡の使い手が出そろったので、ここで解説させていただきます。
それでは、お読みいただきありがとうございました。