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獣の耳の令嬢

 モノが自分の秘密について知ったのは、ある穏やかな午後だった。

 後に名声を馳せる彼女も、その頃はまだ五歳と少しの子供に過ぎない。空を写し取ったような翡翠色の瞳と、銀色の髪は当時から十分に美しかった。あけすけな態度も、人を惹きつけた。泣くときは体中で泣いて、笑うときは顔中で笑う。


 褐色の肌は、土と太陽の色。

 太陽がモノを愛すのも当然で、モノは島の自然が大好きな女の子だった。たまに大人に連れられて村の外へ行くと、目をキラキラさせて、いつか広い森や海を駆け回る自分を、夢いっぱいに思い描いたものだ。


「ただいま!」


 その日、表から帰ってきたモノは、すぐに家の異変に気づいた。

 小さく鼻を鳴らす。感じたのは、ククの実の匂いだった。


(誰か来たのかな?)


 村の風習で、大事な来客はククの実を割って迎え入れる。

 家主がお盆に載った茶色の実を差し出して、来客がそれを受け取る。いつも家主と来客、どちらが割るべきかの譲り合いがあった。

 子供ながら、モノは育ての親が、ククの実と共に迎え入れられるのを何度も目にしていた。


「では、頼んだぞ」


 土でできた家は、お椀を伏せて並べたような形をしている。入り口でまごついていると、奥で動きがあった。

 来客としてやってきたのは、村の長の使いだった。


「……モノか」


 長の使いは、一瞬だけモノを見た。

 モノは躾けられた通り、慌てて足をそろえて座る。そんな様子に、使いは眼を細めて、首を振った。


「気を強くな」


 モノは首を傾げる。慰めるような、哀れむような。

 胸の奥がざわざわする、不思議な物言いだった。

 モノは家の奥へ向かって、声を張った。


「帰ったよ!」


 奥から、モノの育ての親が現れた。頭に緑色の布を巻いた女性は、モノと同じ褐色の肌をしている。


「おかえり。分かっていたよ、この子達が騒いでいたからね」


 火で象られた蝶が、しばらくの間、二人の間を飛んでいた。島の人はこうした存在を精霊(イファ)と呼び、親しんでいる。

 彼女は手を振って蝶を払った。火の蝶はかまどに戻り、元あった炎と一つになる。

 でも育ての親はそれきりで、なかなか切り出そうとはしなかった。


「どうしたの?」


 問うても、なかなか応えはない。

 沈黙がやってくると、潮騒の音がした。村は海に囲まれた、島の上にあった。


「……これを」


 差し出されて、モノはびっくりした。


「なに、これ」


 すべすべした、白くて、薄いものだ。葉っぱに思えたが、色も形も違うし、なにより精巧な模様が彫り込まれている。


「きれい……」

「それは、紙だ」

「紙? 本と同じってこと?」


 モノは何度か本を見たことがある。年月が経って、古くて、ボロボロの本だ。

 こんなにきれいで薄い紙を、モノは初めて見た。


「手紙だ」

「……え?」


 モノは首を傾げる。訳が分からなくて、とりあえず育ての親に紙を返そうとする。

 モノが嫌なことや、分からないことを、彼女はいつも捌いてくれる。でもその時だけは、彼女は決して手紙を受け取ろうとはしなかった。


「それはお前に来たんだ」

「私に?」

「ああ」


 育ての親は、頷いた。


「お前の、本当の家族からだよ」


 しばらく、言葉の告げようがなかった。

 波の音が聞こえる。


「……本当、の?」

「私達は、他とは違っている」


 育ての親は、頭に巻いた布を外す。

 現れたのは、三角形の耳だった。髪の中から突き出す、短い毛に覆われた、獣のそれに似た耳。モノの頭にも、同じ形の耳がある。

 銀色の髪の毛から、ひょっこりと突き出す、猫の耳が。


「聞くんだよ」


 物心、という言葉がある。

 その日は、モノにとって意味のある日だった。

 初めて世界の、残酷な形を知った日だった。


「お前には、島の外に家族がいる。だが、お前は一緒に暮らせない。だからこの島に、流されてきたのさ」

「……暮らせない?」


 育ての親は、頷いた。


「私達は、獣のしるしがある――亜人だからね」


 目は口よりもおしゃべりという言葉が、モノ達にはある。育ての親の目は、モノのことをいたわっていた。

 だんだんと、モノにも分かってきた。


 モノはどこか遠くで生まれた。

 獣の耳があったせいで、この島に流された。

 本当の家族とは、引き離されて。


 ずきりと胸が痛む。刺すような寂しさがやってきた。暗い海の上で、一人で漂っているような気持ちになる。


「……オネ」

「大丈夫だ」


 育ての親は、優しくモノを抱きしめた。幼子に必要なのは、言葉ではない。肌で感じるぬくもりだということを、彼女は知っていたのだ。


「強い子にならないといけないよ」


 オネは言った。


「お前はきっと、大変な道のりを歩むことになるからね」


 その時は、よく意味が分からなかった。でも、彼女は嘘をつかなかった。

 オネの教育が始まった。

 厳しいこともあったけれど、それこそがオネの優しさだった。

 島には二つの季節がある。乾期は、相棒と共に密林で狩りをする一方、夜は言葉と歴史を教わった。雨期は農作業を覚え、薬草についても学び、収穫を見積もる算術を習った。

 オネが操るような島の秘術も、少しずつ伝授された。

 島の中には、余所生まれのモノを疎む者もいた。負けまいとする内に、知識をどんどん吸収し、モノは人一倍強い子に育っていた。


(大変な道のりって、このことなのかな?)


 モノはどんどん目立つようになる。

 狩りの相棒がまず目立ったし、彼女自身も、島で珍しい髪色のうえ、顔立ちが大人びるごとにきれいになっていった。


(でも、あんな紙を送ってくるって、私の家族ってどんな人なんだろう?)


 貴族、とは言ってたけれど。

 公爵家とは、一体何なのだろう。





 彼女の疑問が解けるのは、ずいぶんと後になる。

 モノの十五歳の誕生日。手紙も絶えていた生家で、ちょっとした問題が持ち上がった頃だ。


「さぁ行きましょう、お兄様!」


 モノは育った島を出る。そしてそれこそが、彼女が駆け上がるべき、本当の道のりの始まりだった。


 これは、とある公女の物語。


 獣のしるしを持つ人を、この世界では『亜人』と呼ぶ。これは獣の耳を持って生まれてしまった、亜人の公女の物語だ。



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