第4話 仕事内容
部屋の窓を全開にして空気を入れ替え、やっとまともに呼吸が出来るようになった。
先程までの酒と香水と煙草の匂いは下町の安酒場の物に似ていた。
自己紹介である程度は察しが付くが、兎に角、仕事をする環境でなかった。多分自分以上の非常識な人間の集まりに違いない、とグロリアは直感的に判断した。
少なくともカトレアでは、名前を名乗る時も、貴族の決まり事で身分の低い人間から高い人間に気軽に話しかけることは禁じられている。結構言葉を崩して話している時点で、社交界なら一発退場物だろう。
仕事を始める前からの余計な気苦労に軽く溜息を吐いたところで、席に改めて着いた所で監査室の変態達に話しかけた。
「改めまして、本日より一ヶ月間ここの室長をするグロリアだ。文官の格好で帯剣をしているが、多めに見て頂きたい。早速だが、仕事内容を教えて頂けないか」
グロリアの机に対して直角右手に机を並べる眼鏡の人ことジェラルドが眼鏡を押し上げて答えた。
「仕事内容は東のボーモン辺境伯領地の金の出入りに関してです。昨年より、妙にボーモン辺境伯の羽ぶりが良くなっているのですが、それに対して報告に上がっている税率は変わらず。報告よりも高い税率をかけ、徴収した税を私財に多く回している疑いがあります」
「つまり、上がってきている報告書の中の不備を見つけて証拠固めをすればよいのだな」
グロリアの言葉に対して沈黙が返ってきた。
三人の様子を伺うと、目の前の席に座っていた女好きのリュシアンが苦笑いをして言った。
「それが…一応、怪しいと言われた時点で報告書の不備の確認はしたんだが、これと言って決定打になるものがなくて、暫く様子見をすることで落ち着いていたんだ。そして、一番言いにくいことは……文官の仕事外の現地調査が含まれているんだ……いろいろとあって、直属の調査実行部隊が居なくなっちゃったからね。僕らで調査しないといけないんだ」
監査室とは普通、上がってくる書類とにらめっこする部署だと思っていたが、そうではないらしい。調査実行部隊が居なくなった理由には興味があるが、この職場環境を鑑みるに想像に難くない。
「そーいやグロリア様は、なして監査室の室長なんかになったんですか。王妃様とか普通は政務に携わんないでしょ」
グロリアの机に対して直角左手に机を並べる酒好きのイヴォンに質問をされた。 やはり、この非常識な奴らでも疑問には思うみたいだ。
ジョセフも隠さなくてよいと言っていたので、包み隠さず話すことを決めた。
「実は王様と賭けをしておりまして」
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ことのあらましを話したら、目の前の3人が机の上に上体を伏して肩を震わせていた。
どうして、こうなった。
酒好きのイヴォンと女好きのリュシアンは勿論、冷静沈着と言った風情のジェラルドまで陥落していた。
どこに面白い要素があったのだろうか。
「やばい、陛下が不憫すぎるっ、あははっ」
「優しすぎますよ、陛下っ、クスクス」
「陛下らしいと言えば良いのか、クックックッ」
キョトンとした表情で彼らを見ていると、息を辛うじて整えたジェラルドが眼鏡に触れて、
「すいません、笑いが収まりました。どうかご無礼をお許し下さい」
「構わないが、一体何に対しての笑いなのだ」
グロリアの発言を受け、イヴォンとリュシアンが再び笑いだした。そろそろ笑い過ぎてお腹が痛くなるのでさと思うぐらいに。ジェラルドはそんな二人を傍目に真面目な表情を作って言った。
「戦争をしてまで手に入れたグロリア様に対して、手放すことを条件とした賭けの提案をした陛下への笑いです。グロリア様はあまり深く考える必要はございません」
「そうか、ならば気にしないことにしよう。では、仕事に取り掛かろう。室長になったとは言え、実際にこの部屋を取り仕切っているのはジェラルドだ。お前に平常の仕事の割り振りは任せた。調査とは別に通常の業務もこなす必要がある、私にも書類を回してくれ。そして、空いた時間を調査に充てよう」
「はい、わかりました。では、こちらの資料の計算をお願い出来ますか。あと、あちらの資料の山に目を通して頂きたい。調査に関する基礎資料です」
「わかった。昼までに終わらせよう」
そういうと、何故か三人が異様なものを見る目をしてきた。
私は気にすることなく、仕事に取りかかった。
********
任された仕事を全てこなし終わった所で、お腹が空いていることに気がついた。
計算をし終えた紙の束をジェラルドを提出する次いでに聞いてみた。
「監査室では、いつも昼食はどうしているんだ」
「きちんと食べる時は食堂に行きますが、大抵は適当に持ち込んだものを齧って過ごしてます。グロリア様、もしや昼食をお持ちでないのですか」
「ああ、本来ならば食料の確保は戦において重要なことであるのに、昨日、今日と当たり前のように食事を出されて、感覚が狂い始めたようだ」
「困りましたね…おや、どなたかいらしたようです」
ノックの音で扉の方へと振り向いた。
さっきまで物音一つしなかったのに、急にノックをされた。警戒して、剣に手をかける。ジェラルドが「お入りください」と言ったと同時に、静かに扉が開く。
そこには、刺客ではなく、大きなバスケットを片手にぶら下げたマリーがいた。
「グロリア様の侍女のマリーです。グロリア様に昼食をお持ちしました」
「マリー、いいタイミングだ。丁度昼食の心配をしていたのだ」
「いえ、遅くなり申し訳ありません。只今、用意させて頂きます。監査室の方々の分も用意してありますが、お召し上がりますか」
マリーのお声かけに、監査室の変態達は色めき立つ。
「オレも頂いてもいいんすか?」
「美しい方からの差し入れに感謝を」
「まともな昼食にありつけて嬉しいです。ありがとうございます」
三人は自分の机の上の書類の山を端にやり、机の上で食べられるように準備をしている。この部屋には仕事用の机以外の机がないから、こうする他ないのだ。
無駄のない動きでマリーが皿を並べていく。そして、皿の上に乗っていたのはーーー
サンドウィッチ!!
しかも、三種とも中の具が違う様だ。
見目麗しいサンドウィッチに声も出せずに見惚れていると、周りも同じ様な状態であった。
一つ目は瑞々しさ溢れる葉野菜、そして、その中から顔を覗かせる程よく潰された茹でジャガイモ。人参やベーコン、オリーブといった食材が練りこまれている。
二つ目は魚をベースとしたもの。燻さられたものや、火を通してタレと合わせたもの、炙ったもの。色んな調理法をされたものが合わさっている。しかも、味がバラけることがないあたり、素晴らしい。
三つ目は甘い物系統で纏めたサンドウィッチ。いろいろな果物の甘煮が入っている。しかも、パンにはベリー系の酸味の強目のジャムが塗ってあり、甘煮は卵の薄焼きの皮で包まれ食べやすい配慮がされている。
どれも絶品の一言に尽きる。
他の三人も目を丸くしながら、食べている。美味しさの余り、声も出ないらしい。
戦場での習慣で食事は手早く済ませる私は一番最初に食べ終わった。
一息つくとタイミングを見計らっていたかのように、マリーが冷たい紅茶を差し出してくれた。流石はプロの侍女だ、と感心していたが、あることに気がついた。
「マリー、貴女その荷物を一人で運んできたのか。明日からは私が持っていくべきか」
大きなバスケットには、私達三人の食事に、皿、ティーカップ、それに冷やした紅茶の入ったポットが入っていたはずだ。結構な重さであったはずだ。マリーは微笑んで、
「大丈夫ですわ。御心配に及びませぬ」
と言ってくれた。
ふんわりとした美人さんだが、人は見かけに寄らないものらしい。
皆が食事を終えたら、マリーは持ってきたものを全てバスケットに詰め直して、「5時にお迎えに上がります」と言って静かに退出した。マリー、本当に色々とありがとうございます。
一通り皆で食事の感想を言い終えた所で、先ほど目を通した資料の山について話を聞いてみた。
「あそこの資料についてだが、いくつか質問がある」
「えっ、グロリア様はもうあの資料の山を読み終えたのですか」
イヴォンが信じられないものを見たかのように、グロリアを見る。
「ああ、一通りは目を通した。このぐらいの分量であれば、カトレアの軍部にいた時から毎日のように回されていたからな」
「カトレアの軍部とは、そんなにも机仕事が多いのですかグロリア様」
リュシアンが気遣う様子でグロリアに尋ねる。
「いや、単に周りの武将の多くが脳筋過ぎて、私の部隊に仕事が多く回されていただけだ。お陰で、うちの部隊の奴は脳筋にならずにすんだがな」
そう語ると終いには痛ましいものを見るような目で皆がグロリアを見た。何故そんな目で見るのだ、このぐらいの仕事量は文官にとっては普通だろう、とグロリアはキョトンとした表情をする。
「今まで苦労なさってましたね、グロリア様。しかも、今は監査室の室長とは……我らで最大限仕事のサポートをさせて頂きます」
仕事に協力的なことは大いに結構だから、まぁいいか、とグロリアは労いの言葉の意味を深く考えないことにした。
気を取り直して、グロリアは質問を始めた。
「まず、私はフローシアの領土に関しての知識が乏しい。出来たら資料に書かれていないボーモン辺境伯領の地理的なこと、風土、領民の様子、歴史といった背景知識を簡単に教えてほしい」
彼等はグロリアの質問に快く答えてくれた。
ボーモン辺境伯領は元は鬱蒼とした森林が占めるフローシアの東の地域を開発したところであること。
現在のボーモン伯爵家がその地を治めるようになってから50年ほど経ったこと。
彼の地の名を言って真っ先に思いつくものは、銘酒と謳われる赤ワイン、おおきな白き花弁を持つ百合の花、そしてその百合の花の如き美しさを誇るボーモン辺境伯の愛娘ブランシュ嬢。
先代伯爵の領地経営は、森林の一部を開拓し、新たなる農業法を実行したことで領地経営が上手くいくようになった。領民の不満もその成果があってあまりない。
領地の大半を鬱蒼とした森で占めていて、通称魔女の森と呼ばれていること。そして、ある一定の深い部分に入り込むと霧が急に濃くなり、殆どの人間は帰って来れなくないらしい。もっとも帰ってきたとしても、廃人状態になっているらしい。噂によると、森の奥に住んでいる白の民が領域を侵したものを罰しているのではないかと言われていること。
「白の民か…他にもいたのだな」
グロリアは思わず呟いていた。
ここに来て自分の出自と関わることになるとは感慨深い。
(今まで白の民はカトレアとフローシアの国境にある山脈沿いにしか住んでいないと思っていたが、フローシアでは他の地にも住んでいるのか。)
グロリアの呟きに反応して、イヴォンが話しかけてきた。
「フローシアでは白の民は三種類のタイプがいるだ。一つは東の辺境伯領の森の奥に住むもの、もう一つは西の辺境伯領の山奥、カトレアとフローシアの国境のあたりに住むもの。そして最後が流浪の民として各地を旅するもの。フローシアは建国王がフローシアの出身ということもあって、少数民族である白の民を迫害をしたことがないだ。そもそも、白の民の領域に振り込もうとしたり、白の民を傷つけようとしても、返り討ちにあったり、家が数日後には没落したりするらしいから、そんなおっかないこと誰もやろうとはしないんだけどね」
酔ったような調子で話してはいるが、リュシアンもジェラルドも至って真剣な表情だから真実なのだろう。
続いてリュシアンが口を開く。
「グロリア様の御髪は美しい銀髪であられますが、やはりお母上に白の民の御血筋が流れてらっしゃるのですか」
グロリアは目を細めて語った。
「ああ、母がカトレアとフローシアの国境に住む白の民だったのだが、ある時カトレア側の山の麓に降りて薬を売ろうとしに行った時に脚を怪我した男にあったのだ。手持ちの薬で治療をしてやったら、凄く感謝をされたらしく、それ以降、山を降りる時は何かと理由をつけて、その男に街を連れまわされたらしい。こうなると当然の流れで恋仲となったらしいが、まぁ、皆ももう察していると思うが、その男がカトレアの現国王というわけだ。まぁ、その後母は王宮に側室として入り、私を産んだ。カトレアでは白の民が下層階級と認識されるゆえ良い扱いは受けなかったが、それでも母は幸せそうだった」
(まぁ、このぐらいのことなら仕事仲間には話して大丈夫だろう。口も堅いそうだし。それに、今頃王都の下町でも情報操作で私が白の民の血筋なのはバレているだろうし。)
「ロマンス小説みたいな話ですね」
リュシアンが目を見張るようにいった。一方でジェラルドは眉間にしわ寄せていた。
「しかし、大恋愛の末が王宮での不遇な扱いであろう。カトレアの王も配慮に欠けてはいないか。事実、予測出来たことであろうに。それに閉塞的な白の民がよくぞ駆け落ち同然の行為を見逃したことが不思議でならない」
(やはり、そうだよな。私も疑問には思ってはいたのだが。)
「母は『正解』だから問題はないと言っていた。私が知るのはそれだけだ」
ジェラルドは「そうですか」というと、冷静沈着な表情に戻して話を続けた。
「仕事の話に戻りますが、今回の件は白の民が絡んでいるのではないかという事です」
「白の民がか? 一族以外の人間とは、関わる事は極力避けるはずであろう。しかも、白の民の価値観からして金銭目的で手を貸すはずがない」
「しかし、これを聞いたらそうも言って入られませんよ。ボーモン辺境伯の愛娘のブランシュ嬢が人前にお目見えするようになったのは1年前。そして、彼女がボーモン領で有名になったことには訳はーーー
ーーー彼女が美しい銀髪の持ち主だからです」