第1話 日常
新世界では基本的に、みな大人しく生活している。ストレスも無い訳ではないが、今の世界が理想だと信じているし、あくまで真面目に生きるのが最善だと考えている。私利私欲は押さえて互いを信頼し、住民の利益に反しない程度に個人の権利を尊重し、イデアから任された何かしら公的な仕事をこなし、コミュニティで住人との親交を深め、問題があれば法に照らして幹部に対処してもらう。少なくとも新世界は、そこにいる多くの住人にとって理想の地であり、自分達こそがどこの誰よりも良い暮らしをしているはずだという自負があった。
そのように人々が高度な意識を持つ社会では、もはや神は殆ど人間と同格であり、多くの人々の心には内面化された神があった。これ以上に文句を言うことは、身勝手かつおこがましいことで、イデアや新世界に対する反抗のように考える者もいた。
例えば、適当な飲食店に入ると、こんなやり取りが聞かれる。
「幹部っていい身分だよねえ。結局は、イデアの言うことを聞いてればいいんだもの」
「それだけの地頭があるからな。第一、忙しいに決まってる」
「役に立たないとイデアが判断すれば、幹部の人間も交代するんだ。別に安定した地位じゃないさ」
このように、不満が出たとしても些細な愚痴程度のもので、むしろ新世界に対して親近感すら感じる人も多かった。例えば、イデアから仕事を任せることは、少なからず委譲された権力や責任感を人々に感じさせ、集団意識を高める効果もあったのだろう。
一方で店内には、先程の会話を少し特別な気持ちで聞く少年もいた。少年には家族が無く、打ち解けられる仲間もいなかった。無論、この世界では家族などいなくとも、一人で生活していけるだけの環境は整えられているし、発達したコミュニティで孤立することは少ない。しかし少年には、この世界に対する何とも言えない生きづらさを感じていた。学校にも黙って通っているが、少し機械的な所が気に食わない。
少年の気を引いたのは、「役に立たないとイデアが判断すれば、幹部の人間も交代する」という話だった。イデアや幹部といった統治機関の詳細は、新世界の安全を守るためという理由で公表されていない。多分、話した本人はうっかり漏らしてしまったのだろうが、少年にとっては有益な情報だった。
やがて少年が外に出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。
とは言え、日が沈んで暗くなった訳ではない。ここはあくまで人工的に作られた世界であり、24時間周期でエネルギーを与え続ける太陽というものは存在しない。空もきちんと設計した訳ではないので、雨や雪も降らないし、雷や虹も見ることは無い。唯一、人間の生活リズムを崩さないための、疑似光源が毎日回っているだけだった。
少年は、生まれてこの方「夕焼け」だと信じているものを眺めながら、帰り道を歩いた。




