1-1 騎士見習いの少年
こんにちわ。
今回から、物語の本編に入り、主人公が登場します。
誤字脱字、不適切な表現などあれば、コメントで報告をお願いします。
美しい白銀の髪を風に靡かせながら、彼は僕に問うた。
―もし、何かを為そうとするなら、その後押しする物はなんだと思う?
穏やかな顔で帝城のバルコニーから夕日を眺めていた彼は、この時どんな気持ちだったのだろう。
その時の僕は、ただただ緊張で頭が真っ白だったから、そんなことにまで頭が回らず。
気づけば、口が勝手に動いていた。
―そうか、勇気か。実に君らしいね。
答えに満足したのか、彼は僕に背を向け、立ち去ろうとする。
しかし、僕は無礼なことに、口からでる疑問を止めることができなかったのだ。
―・・・私ならか、そうだね。
足を止め、一瞬だけ振り返った。
この時の光景を、後になって、あぁ、と思い出すのだ。
そして、聞かなければ良かったと、思うのだ。
―信念、かな。
彼の、優しげな緑色の瞳の中に。
渦巻く激情を見てしまったから。
第1章 白と黒の境界線
1-1 騎士見習いの少年
―サァー・・・
春風に、黄金色の小麦たちが一斉に揺れる。
大きな実りをつけた穂が波間を生み出し、夕日に照らされ橙に染まる。
黄金が散りばめられたかのように、視界の地平線まで全てが輝いていた。
厳しい冬を乗り越え、暖かな春を迎えた小麦は見事に肥え太り、今年はここら一帯が多収となるのだろう。
平地一体を覆い尽くすかのように広々と続く小麦畑の畦道を、ガタゴトと一台の馬車が通る。
二頭のロバが仲良く寄り添いながら、御者台を振り向くことなくただ漫然と進む。
馬車といっても都住みのお偉い様が乗るような上等なものではない。
御者台でロバを操る老父の後ろには、荷台しかないのだ。
初春が温暖な風と共に優しく吹き、馬車の荷台に仰向けで寝そべっている二人の前髪を撫でた。
騎士見習いだった薄茶色の髪を持つ少年、ピノスは目を閉じ、この穏やかな雰囲気を楽しんでいた。
「風が、気持ちいいですねー」
右隣に自分と同じように寝そべっている相手に視線を向ける。
ピノスは微笑を浮かべ、穏やかな感じで何気なく言葉をかけてみたが。
「・・・」
返答はなかった。
頑としてない。
どうやら、もう一方の御人は会話をするつもりがないらしい。
無情なことに、どうも無視されている。
無愛想なことだ。
二人を沈黙が包み、先程までの穏やかな空気から一点、気まずい雰囲気になってしまった。
いや、もとよりこの気まずい雰囲気は3日ほども続いているのであるが。
(こ、困っちゃったなぁ・・・)
少年ピノスは纏っている深草色のフード付マントの襟をたくしあげ、そっと口元に寄せる。
そして、隣の旅の道連れ相手に聞こえないように、深くため息を漏らした。
(どうして、こうなったのやら)
少年は今一度、瞳を閉じた。
馬車が木輪を鳴らす音に紛れて、御者台の老父の鼻歌が聞こえる。
ロバが歌に合わせて一つ啼き声をあげるのが、牧歌的でなんとも心地よい。
穏やかな雰囲気が戻ってきたので、ピノスは先程の悲しい出来事をスッカリ忘れることにした。
そして、ここに至るまでの、遠くて長かったような、たった数日間の出来事を思い返したのだった。
事の発端は、平穏な日常が、とある劇的な事件によって覆されたことから始まる。
それは、今年14歳の誕生日を迎えた、まだ幼さを残す少年が受け止めるには、大きすぎる事件だった。
◇
騎士見習い。
それは、ここヴァルメリア大陸においては、ある特権的な戦士を指す者の卵である。
騎士とは主と決めた相手に家臣として忠義を尽くし、
誠心誠意を持ってその身を捧げる者のことだ。
彼らは力を象徴する鋼の剣を手に持ちに、堅牢な鎧を纏う。
争いにおいては兵士たちの先頭に立ち、いの一番に敵陣に挑むことで勇気を示し、
主の身に危険が迫るとなれば、何をおいても一番に馳せ参じることで誠実さを体現する。
それが、ヴァルメリアにおける騎士という名誉な職に就く戦士たちであった。
主君に選ばれる者には、主に貴族と呼ばれる人々が選ばれる。
貴族とは、ある種の特権階級、書記官であったり裁判官であったり、
そういった特殊な職業に従事することで一般民とは区別されている者たちだ。
彼らは一般人が従事できない仕事に就いていることから総じて高収入である。
そういう意味で、彼らは他者を懐に入れ、扶養する余裕があるのだ。
そして、貴族は騎士によって主君に“選ばれる”のである。
選ばれた貴族は、相手方の騎士の社会的ステータスやら能力やらを試し、登用する。
貴族が誰それと選び雇用することはできない。
当然、貴族が自分を選んだ騎士を拒否することもできる。
故に立場としては騎士は仕える者でありながら、貴族と対等な立場と言える。
貴族にとって、多くの騎士を家臣に持つことは社会的な高いステータスを有することをも示し、
よって貴族たちは騎士に選ばれるべく、騎士となるべき見習いの少年少女に大いに施すのだ。
そして騎士となるべく、多くの少年少女が集うのが、騎士養成所だ。
騎士養成所は広大なヴァルメリア大陸の南東部にある、騎士の国レガリアにしかない。
レガリアは多くの有名な騎士、あるいは英雄的な戦士を排出している国である。
騎士養成所には貴族から多額の寄付金が送られている。
騎士見習いたちは、少ない費用で騎士になることができるのである。
実情は、少し違うが、これが概ね騎士の国レガリアにおける騎士になるための現状だ。
つまるところ。
少年ピノスは、未だ騎士見習いであった。
「最上級生諸君、君たちには、騎士になるための最後の試練に挑んでもらう」
騎士養成所の屋外訓練所に、騎士見習いたる訓練生たちが150人も集めらている。
彼らは名誉を重んじる騎士の卵であるが故に、姿勢を伸ばし身動ぎもせず整列している。
整列している彼らの面前には簡素に組まれた演壇があり、
壇上に立っているのは、養成所で訓練生を教え導いている、すでに退役した騎士の老師だ。
演壇の後ろには騎士の国の旗が掲げられていて、このレガリアに住んでいればどこにでも掲げられている。
みな、希望に満ちた目で、最後の試練の告知を耳にしている。
その中に、薄茶色の髪が目立つ、ピノスの姿もあった。
「君たちには、帝都の特別合宿所に移ってもらう。
そこで最後の試練として、実地訓練を行う。
騎士としての職務を実際に経験するのだ。
1ヶ月に及ぶ試練を乗り越えることで、真に騎士として認められる。
この訓練所で過ごした3年間を思い出し、忠実に試練を達成してくるのだ」
壇上の老師は次世代を担うであろう訓練生の子供たちを見渡す。
彼を見つめ返す子供たちの視線は、どれも眩しく未来への期待に満ちていた。
それを確認した老師は鷹揚に頷き、
「では、試練内容を説明する。
各自、集合前に配られた用紙を見るように」
訓練生の全員が素早く手に持った羊皮紙に目を通す。
ピノスも指示に従って羊皮紙に目を通すと、このように書かれていた。
『最終試練の内容と注意事項』
内容を掻い摘んで説明すると、
①2日後から指定された人物に従事する。粗相のないようにすること。
②現役の騎士に助言をもらいながら仕事を全うする。よく見習って失礼のないようにすること。
という、至ってシンプルなものである。
実際には読むのも嫌になるような長々とした注意事項が書かれているのであるが。
老師が羊皮紙に沿った内容の注意を喚起し、助言をいくつか口にした。
「以上で説明を終わる。君たちの頑張りを期待しているぞ」
と、老師が最後に一言締めくくり、その場は解散となった。
訓練生たちはそれぞれ仲良しグループと合流しながら、屋外訓練所から離散していく。
ピノスは一人、ひとまず荷物の置きっぱなしである座学の教室に戻り、帰宅することにした。
高く掲げられた赤地に獅子が描かれた旗が、風にたなびいていた。
◇
騎士見習いの少年ピノスは、今年14歳と多感な時期にある年頃だ。
小さな体躯はよく集団では埋もれがちだが、しかし正義と道徳を何より重んじる心が備わっている。
並ぶように建つ白い家の小路を走り抜けて、彼は自宅へと向かっていた。
彼は騎士の国レガリアの北西にあるモノートンという商業都市の郊外に住んでいる。
「母さん、ただいまー」
「あら、おかえりピノス。早いのね」
「今日は明後日の説明だけだったからね!晩ご飯は僕が作るからね」
あらあら優しい子だこと、とピノスの母ナタリアは微笑んだ。
彼女はいま、揺り椅子に腰掛けながら、どこぞの貴族の紋章入りの旗を刺繍しているところだった。
ナタリアは生活に必要なお金を、お得意の刺繍で稼いでいる。
お偉い方の紋章旗の製作を請け負っている商人は慢性的な人手不足であり、
都市近郊の女性が育児や家事の空いた時間で手作業で行っているのだ。
新米は手狭な工場でベテラン職人に教え込まれながら仕事を行うのであるが、
母のように腕を見込まれ、納品期日に間に合わせることができる女は、自宅作業が許されているのだ。
(今日は、春野菜の鍋、でいっかな?)
台所からこの家の食料庫を覗き込むと、今年の春収穫された野菜たちがたくさんあった。
というか、かなりの量である。
見れば、野菜以外にも小麦粉やら汲み水など、あれやこれやと量が増えている。
昨日確認したときは、そろそろ買い出しの必要性を感じてたくらいだったというのにだ。
ピノスはむっとしながらも、むんずと野菜たちを手荷物と食料庫を閉める。
彼に思うところがあるのも仕方がない。
ナタリアは年頃の子供一人いるにも関わらず、それを感じさせないほどの肌ツヤと色気を持った女性だ。
豊かな胸に、小さく丸い愛嬌のこもった顔立ち、大きすぎない背丈にふくよかな腰つき。
ブロンドの髪は収穫前の小麦を彷彿させる金色で、腰ほどまで伸ばし赤のリボンで束ねられている。
その上、夫を早くに亡くした未亡人であるところの彼女は、つまるところ、人気者なのだ。
ここら一帯に住む、既婚未婚老若に関わらず、男という男に、だ。
(野菜が多い所を見ると・・・レガフおじさんのところか・・・いい年して!)
ぷんすかと腹を立てるものの、母親が人気者であることに悪い気はしない。
美しく優しい母は、早くに亡くした夫に操を立て続けているのだ。
ピノスにとって母とは、誇りなのである。
彼の夢は、早くに夫を亡くし、女の一人身で育ててくれた母を楽にしてあげることである。
騎士になり、莫大な給金を稼ぎ、母が気の赴くままに生きていけるように。
そういった想いが彼の胸中を常に占めている。
なので、奪われる心配とか嫉妬とかそこらへんの複雑な心境に苛むのだが。
そんな感情を知ってか知らいでか、美しい母はいつもニコニコと笑顔を浮かべるだけなのだ。
(母さん、大丈夫かなぁ・・・)
騎士養成所の最終試練で一ヶ月もの長い間を、母一人にしてしまうのだ。
血縁関係を他に持たないこの母子は、周囲の好意に活かされている要因が多分にあるのだ。
未亡人の女一人を家に置いていくのは、母を愛する息子には心配でたまったものではない。
いろいろと心配は尽きないが、それでも、母は自分を14年も育て続けてくれたのだ。
きっと大丈夫に違いない。
今日はひとつ、おいしいものを食べさせてあげなきゃと、意気揚々と包丁を握る。
その最終試験で、思いもよらぬ事態に巻き込まれるとも、知らずに。
◇
「気をつけて、行ってらっしゃいね」
あっという間に2日が過ぎ、帝都に向かう日。
ピノスは一軒家の戸口でナタリアに見送られていた。
今日は騎士見習いである訓練生の正装である、紺の布地に金の刺繍がされたチュニックを身に付けている。
母とは昨夜までの間に十分話をした。
どこか抜けたような雰囲気を漂わせるナタリアだけれども、これでも一児の母。
背中に担いだお手製の革のリュックには、彼女によって必要品が詰め込まれている。
「あ、それとこれは、ここに入れておくわね」
そう言うとナタリアが、ピノスの腰に撒かれたベルトのポケットに何かを詰め込んだ。
ベルトはピノスがいま身につけている中で最も高価なものだ。
大陸北西部に住む海獣の革を鞣して作られている。
作りは牛2頭が左右に引っ張ってもちぎれないほどの丈夫さであり、
当然のごとく水を弾く毛皮は簡単には劣化せず、滑らかな質感で肌触りを満たす。
ガウラのベルトと呼ばれ、ここいらでは中々入手できないものだ。
どうも、父の形見のもの、らしい。ピノスも詳しくは知らない。
そのような身の丈に合わぬ高級品に、ナイフ、お椀、塩詰瓶が備え付けられている。
「何を入れたの?」
ピノスは、母がしまい込んだものを確認しようと左腰側のベルトのポケットをまさぐろうとするが、
「お守りよ、お守り。
大事な息子を守ってくださるように、って神様にお祈りしてあるの。
こういうものは、無くさないように大事にポケットにしまっておくものよ。
困ったときに助けてもらえるように、それまで大切にしまっておきなさい」
どんなものか確認しなければなくしたときに探せないじゃん、と思いつつも。
母の言葉には基本的に従順なピノスは、落とさぬようにポケットの上からぎゅっぎゅと詰めた。
「私の可愛い子、あなたならどこでも大丈夫。頑張ってくるのよ」
そう言うと、ナタリアはそっとピノスを抱擁した。
しばし、母の温もりを感じた後、
「それじゃ母さん、行ってくるね」
母に見送られながら、彼は帝都行きの馬車が行き交う大通りへと、向かった。
商業都市モノートンの郊外の小路に一軒家を持つピノスたちの家から、
大通りまでは歩いてもさして時間はかからない。
ピノスは白い壁で挟まれた小路を走り、そこかしこの家の窓から首を出している多彩な花々に笑いかける。
モノートンの伝統的な建築美術が生み出した、白い壁と黒の梁で建てられた家々の合間をくぐり抜け。
ピノスは夢に向かって走り出した。
「行ってらっしゃい」
小さくなっていく愛しい息子の背中が角を曲がって消えるまで、
母は優しい目で見送っていた。