340話 まだその時ではない
ザ───ザザ───────
そこに現れたテンシは、異様な雰囲気を放ちながらその姿をゆっくりと変化させていく。
(なんだ……あの形は)
ノイズで囲われた輪郭と、内側の宇宙を思わせる暗黒に変わりはないが、その形が普通の人間のものからグニグニと変化していく。
両足は一つとなって一本の軸となり、腕は倍ほどの長さとなって四本に増えている。
そして最後に……奴の肩から後ろに大きく揺らめくマントのようなノイズの広がりだ。あれを見ていると形容しがたい不安のようなものを感じさせられる。
「“転史”……? どうして、あなた達と一緒に……」
「ハアッ、まったく無知な質問で困っちまうぜえっ。俺らの力も、お前らの力も、もとはといえばすぅべて、“転史”様が与えてくれたものだあってのにようっ!」
テンシが与えた? となるとやはり、本来この世界の人間は魔力を扱えないはずだったが、その法則をテンシが変えたということか?
いや、魔力もマナも性質はアステリムのものと同じだが、この世界で生まれたものだ。……あの最初の改変が行われた後に。
「私達の力が……どうして……。じゃあ、ディライグはなんで……」
「フェリットさん、しっかりしてくれ! ブラム、お前もボサッとしてんな!」
「わ、わかってるわよ!」
フェリットは未だにショックが大きいようで、心ここにあらずといった感じだが、ブラムをはじめとする他の仲間達はすでに立ち直って弓を構え直す。
もう悩むことはない、本当の敵はそこにいるとわかったのだから。
「ほう、射てるのかブラム? お前にこの俺が?」
「ッ……! 舐めないでよ!」
バシュン!
過去の因縁を断ちきるようにブラムは風の矢をケラスに向けて放つが。
「ふん」
その矢は……ケラスの体に届くことはなく、あの男が魔力で生み出した岩の鎧に防がれてしまった。
「ハハハァ! そんじゃ宣戦布告ってことでいいよなぁ! テメェらぁ全員俺らが可愛がってやぁるぜぇ! ギャハハハ!」
その下品な笑い声に合わせてリューガルの周囲から大量の水が生み出され渦を巻く。その波に乗るようにリューガルが水の上を滑ると、それを津波のように広げてこちらへと襲いかかってくる。
……この二人、どちらもこれまでに見てきたそれぞれの町の人間よりも遥かに強い魔力を有している。
「迷ってる暇はないわ。あいつらに向けてみんなで一斉射撃よ」
もはややらなければやられる。トゥーレの戦士達も一斉に二階へ向けて弓を引き絞り。
「待って! あそこにはまだ……彼が……」
「てぇー!」
弱々しいフェリットの静止も届くことなく、次々と放たれる風の矢が館を貫いていく。
だがそれでも、ケラスの岩の鎧とリューガルの津波を貫ぬくことはできない。
「きゃあああああ!」
「ごぼっ……くっそ! 水に流されちまう……!」
そのまま変わらぬ勢いの津波にみんな流されてしまう。何名かは扉を抜けて外まで行ってしまったか。
無事なのは風のバリアで身を守っていた私と……。
「……ディライグ!」
いち早く風の力で飛翔していたフェリットだ。
そして彼女はそのまま崩れ落ちた二階から落下するディライグの体を抱き止め、その場に降り立つ。
「ねぇディライグ……目を開けて……。お願い……」
その切実な願いは叶うことはない。生命活動は完全に止まってしまっているのだから。
そして、そんな彼女に向かって迫る影が二つ……。
(ここはもう、私達の正体を隠すとか言ってられないな)
言い訳は後で考えればいい。ここは私の事象力を加えた魔術で二人を拘束するのが最善だ。
「術式展か……ッ!?」
ザザ──────
テンシ!? こいついつの間に私の目の前に……。
「うおっ……おおおおお!?」
「ムゲン!」
テンシはその腕で私の胸ぐらを掴み、そのまま館の天井を破壊しながら私を上空へと連れ去っていく。
こいつ、私が何をするのかをわかってやがるのか。
「これは……すぐに駆けつけてやるのは無理っぽいな」
たとえ私が全力を出したとしても、テンシが事象力を扱えることがわかっている以上一瞬で決着はつけられない。
テンシも私から目を離すつもりはないようなので、このままでは下の仲間達が……。
「チクショウ、ムゲンはあいつに付きっきりか。だったら……ティーカ、俺はフェリットさんを助けに行くからお前はなるべく安全なところにカクレテテくれ!」
「……ゼロ! ダメ……!?」
ティーカの静止も聞かずに走り出してしまうゼロ。
その向かう先にいるフェリットはというと……。
「くっ……ううっ!」
「守ってばかりじゃあどうにもなんねぇぜフェリットちゃぁんよぉ! その腕に抱えてるゴミを捨てれば、まだ勝ち目もあるんじゃあねぇのかぁい?」
「ッ……黙りなさい!」
フェリットの風の力はこれまでにないほど強く現れている。
それでもリューガルの激流を抑え込むことしかできていない。その腕にディライグの遺体を抱えている影響で全力を出しきれていないのだろう。
「そいつも馬鹿な奴だぜぇ! 俺らと同じようにあの方に身を委ねていればこぉんな惨めな最後を迎えることもなかったのによぉ!」
「どういうっ……意味!?」
「俺らはあの方に選ばれてこの力を得たが、そいつは俺らが力を授かる瞬間を見てたらしくてなぁ! それで近づいてきたんだよぉ、あたかも『俺もその力でのしあがりたい』っていう顔してなぁ!」
そこだけ聞けば、これまで噂で聞いてきた悪逆非道な男のイメージにピッタリだが。
「そいつの本当の目的はよぉ、俺らの邪魔することだったてぇんだからムカツクよなぁ! 火の力を騙し取っただけじゃなく、風の力まで奪って君の中に隠して、さらには俺らが囲おうとしてた女共も町の外に逃がしちまうしよぉ」
「それじゃあ……ディライグはみんなを……私を守るために一人で」
つまり、この連なる町における一連の真相は……テンシによって力を得た二人の男による支配から守るために一人の青年が奮闘したが、逆に悪役に仕立て上げられてしまったせいで、結果いくつもの町に別れることとなってしまった……ということか。
「君が風の力に目覚めてなきゃここまで面倒なことにならなかったってのになぁ」
「どうにか俺が潜り込んで内部分裂させる必要ができてしまった……というわけだ。本当に、俺を受け入れてくれて助かったよ、ブラム」
「アンタ……なんか!」
ブラムの方もだいぶ劣勢だ。すぐにでも助けに行きたいが、目の前のテンシがどうしても邪魔だ。
……そもそも、なぜテンシはあの男達に力を与えるようなことをした? テンシとは、この世界の人間と敵対するものじゃないのか?
「くそっ! 水流が強すぎて近づけねぇし視界も悪ぃ! フェリットさん、大丈夫なのか!? フェリットさ……」
「全部……あなた達のせいなのね……」
「あぁ? だったらなんだってん……。んだ? この熱さは……」
「フェリット……さん?」
この魔力反応は!? フェリットのものであることに違いないが、その性質が大きく変わりだしている。
それに変わったのは彼女の魔力だけじゃない。その表情も、いつも優しかった彼女からは考えられないような……怒りと殺意に満ちたものへと変わっていた。
「お、オイオイ……なんだってぇんだよ。別に今さらそんな顔したって怖くもなんと……」
ジュウッ……!
その何かが蒸発するような音は、誰も気づかないような一瞬のものだった。
だがその一瞬で、流水を操っていたはずのリューガルの手首から先がなくなっていることに気づくのには、そう時間はかからなかった。
「へ……あ……ギャアアアアアアア!? な、なあんで!? 俺の……手が……あ……がっ!??」
それは、先ほどまでフェリットを襲っていたはずの流水が一瞬で蒸発し、それに触れていたリューガルの手も一緒に巻き添えを食らったのだ。
……そして、その高温の原因は。
「今まで……あなた一人に辛い思いを押し付けてごめんなさい……。私が……全部終わらせてあげるから」
フェリットの周囲で舞い踊るあの灼炎によるものだろう。
間違いない、あの炎は本来彼女が抱いている男のものだったはずの力だ。
いや、それだけではない……加えて本来彼女の中に眠っていた風の力の根源もその意思に共鳴するように強まり、炎の勢いを激しくしている。
「フェリットさん……その力は……」
「……ごめんなさい、ゼロくん。私にはもう、この町の未来も、みんなの想いも関係ない。ただここですべてを……終わらせたいの」
その言葉を合図に炎はさらに勢いを強め、館全体を炎上させていく。フェリットとディライグ、その思い出の詰まった館と共にその身を燃やすように。
「や……やめ……! ああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!?」
そして、当然彼女の放った炎の最初の犠牲者となったのは、もっとも近くにいたリューガルだ。
どれだけ流水を発生させようと蒸発し、なす術もなくその体は炎に包まれていく。
あれでは……もう助からないだろう。
「リューガル!? 貴様ら、よくもっ!」
「えっ?」
その光景を見たケラスは逆上し、たまたま彼女の近くにいた人間……つまりゼロを狙って襲いかかっていく。
突然の急襲にゼロは反応することができなかった。
無理もない、未だ何が起こったのか理解できていないゼロにとってこの状況は、ただただ困惑することかできないのだから。
「ゼロっ! 逃げてっ!」
ティーカの必死の叫びも、今のゼロには空虚に過ぎ去ってしまう。
今のゼロにできるのはもう、目の前に迫る岩の杭をただ眺めるだけ……。
ドシュ……!
だが、その杭がゼロを貫くことはなかった……。代わりに貫かれたのは。
「まっ……たく。ボーッとしてない……でよ……」
「ブラ……ム?」
間にブラムが割り込むことで、杭はゼロにまで届くことはなく、彼女の腹部を貫通していた。
「ブラム!? 貴様いつの間に……」
「ゴフッ……この時を……待ってたわよ。この……距離なら……もう射たなくても……いい」
そう言う彼女の手には、強い魔力が込められた一本の矢が握られていた。
「ブラム……? 待てよ……お前までなにを!?」
「……ゼロ、アンタに会えてよかった。おかげでもう一度だけ、人を愛するってことを知れたから……」
「ぶ、ブラム! 待て、その矢をどうするつもりだ! クソッ、抜けない……」
ブラムが何をしようとしているのかを察したケラスは必死に杭を抜こうとするが、何かが引っ掛かっているのかそれは叶わず……。
「ケラス……アンタはここで……アタシと死ぬの!」
「待っ……!」
もはや命乞いする間もなく、その手の矢がケラスの首もとへと振り下ろされる。
そうして二人は共に倒れ……どちらも二度と動くことはなかった。
「なんだよ……これ」
ゼロにはもう、何がなんだかわからなかった。
館では、まだ炎が燃え盛っている。
「ディライグ、安心して……もう、あなたを一人にはさせないから」
そう言うと、フェリットはディライグの屍へと口づけを交わし、自らその身を炎に包み込んでいく。
「なんなんだよおおおおおおおおおおお!!」
すべてが炎の中へと消えていく中で、そんな悲痛な叫び声だけが響いていた。
そして、そんなゼロの叫び声に呼応するように、四つの光が宙に浮かび上がり、一つになる。
あれは……間違いない、フェリット達の中にあった地水火風の力だ。
だが、どうして急に一つに集まった? それに私がこれまで感じていた魔力とはまったく違うものに変質している。あれはいったい……。
ザザ───────
「なっ……!?」
急に私の目の前で行く手を阻んでいたテンシが動き出し、あの光の方へと飛び込んでいったぞ!?
「ゼロ! 早く……その“鍵”を手にして!」
「なんだと! あれが“鍵”だと!?」
そうか、つまりテンシがリューガル達に力を渡したのは、その結果“鍵”が生まれることにあったというわけだ。
ならばゼロがテンシよりも先に手に入れなければならないが……。
「ゼロ……!」
「わからない……わからないんだ……」
駄目だ、あまりのショックにゼロは頭を抱えてうずくまってしまっている。
「くっ……!」
今の私にできることといえば、どうにかテンシの足止めをして一秒でも奴が鍵にたどり着くことを阻止するだけ。
だがそれだけではテンシを止めるまでには至らない。やがてテンシが伸ばした手が光の手前まで届き……。
「おれは……おれはっ!」
その瞬間だった。
一瞬、ゼロの体から黒い影のようなものが飛び出したように見え、それが世界を覆っていくように広がったような……。
「ダメ! ゼロ……あなたはまだ……!」
ザザ─────再修正プログラムに異常発生─────規定コード:巫女の権限によって強制的に並行事象処理が開始されました────
それは、いつかどこかで聞いたような声だった。
誰の声かはわからない。だがその内容は……もう少しで、なにかに気づけそうな、そんな気がしたのだった……。
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