328話 事象修正 -雷狼神ノ章- 前編
……ゆらゆらと、ただ流されるように漂っている。
この感覚には、覚えがある。確か……そうだ、前世の記憶を遡っている時や昔の仲間達と再会した時のあれと同じものだ。
だが、なぜ今私はこうして漂っているんだ? これの正体は事象の波であり、現在の私では干渉できないため夢と同じように何もできないでいるだけなのだが。
周囲を見渡してもゼロとティーカの姿、いや意識すら見当たらない。ここには本当に一人だけのようだ。こんな場所で、私の意識はいったい今どこへ向かっているというのか。
ザザ――――
(これは……砂嵐のノイズ?)
ここしばらく見慣れた空間の歪みが、中心の虚空を拡大させるように円形に広がっていく。まるで、この事象の波を塗り替えていくように。
そしてそのまま私の意識もその虚空へと吸い込まれていき……。
(しょうがない、ここは流れに身を任せてみるしかないか)
再び私の意識は暗転し、そこで途切れるのだった。
そしてまたまた意識を取り戻すと、視界に映っていたのはそこまで大きくない一つの村……いや集落の様子を上から見下ろしていた。
そこでは大人や子供など幾人もの人が身を寄せ合って暮らしているが、誰もその顔から生気というか生きる気力を感じられない。
今にも消えてなくなってしまいそうなそんな集落だったが、その中心で私は見覚えのあるものを見つけるだった。
間違いない、あれはつい先ほど見た“記憶の石”そのものだ。
こんな高所からではなくもう少し近づいて見られれば……。
「ったく一体全体どうなってやがんだ! ムゲンから聞いてた話しと全然ちげーじゃねーか!」
「もう、そんなイライラしないの。ほら、集落が見えてきたよ」
と、私が石にどうにか近づけないかと模索しようとしたその矢先に、なにやら遠くから会話しながら近づいてくる人影が見えてきた。
……それも、その声は私にとってとても聞き馴染みのあるもので。
「うっし、到着……ってなんだよなんだよ、ここの集落もどいつもこいつも辛気くせー顔しやがって」
「仕方ありませんわよ。ここの方々もきっと、いつ自分達に厄災が降りかかるか不安なのでしょうから」
「そうだぞ騎士カロフよ。この者達は自分達のようにまだ苦しみの中で喜びを見つける術を得ていないのだからな」
「いやだから、俺をお前と同じ苦痛で喜ぶ変態にすんじゃねえっての」
とても見慣れた姿と、見慣れたやり取りをする四人の男女がそこにいたのだ。
カロフ、リィナ、アリステル、カトレア……見間違うはずがない、この世界に降りてからはぐれていたはずの仲間の姿だった。
だがどうして、私が意識だけで彼らは普通に世界を歩き回っているんだろうか。
それに、集落を訪れたカロフ達の後ろにはさらに大勢の人間がその後をついてくるように集団行動をしており。
「これまで巡ってきた集落はどこも崩壊して住むこともできなくなっていたけど、ここはまだ大丈夫みたいだね」
「しっかしこの世界に来てからわけわかんねーことだらけだぜ。なにもねー荒野ばかりかと思えばあちこちに壊滅寸前の集落がいくつもありやがる。んでほっとけねーからこうして無事な町や村がねーかって探し回ってるけどよ」
なるほど、カロフ達も私と同様になにもない場所からスタートして、こうして彷徨っていたというわけか。そんな中で人助けとは、場所が変わろうとやってることは変わらないな、こいつらも。
しかしカロフ達はこんなにも多くの人と出会えたんだな、そこが私とは違う点だ。
「そもそも俺らの目的はこの世界を壊して終極神をぶっ倒すことだってのに、どうしてこんなことになってんだよ」
「それはそうだけど、でも目の前で苦しんでる人を放っておくわけにもいかないって言ったのはカロフじゃない」
「まぁ放っておくのもなんか気分わりーからな」
「ともかく、まずはわたくし達もこれからの方針を決めませんこと? これだけ探し回って一番発展している集落がこの状態だのですから、これ以上歩き回っても結果は変わりませんわよ」
アリステルの言うように闇雲に探し回ったとしてもここ以上の集落を見つけることは難しいだろう。なにより彼らについて歩く人々の顔にも疲労が見えており、これ以上連れ回すのは危険だ。
そもそもの話、ここは終極神の世界で私達の世界の常識が通用しないこともあるため、自分達だけの知識で迂闊に行動し続けるのもよくない結果を招くことになるかもしれない。
「うん、そうと決まればまずはここの人達に事情を説明しにいこう。カトレアさんは連れてきた人達の先導をお願いします」
「承知した」
そうしてカトレアを除く三人は集落の中へと進んでいくが。
「なんつーか……寂しい場所だな、ここは」
「そうだね、なんていうのかな……活力、みたいなものが感じられない気がする」
「無機質な建物に人がただそこにいるだけ……そんな感じがしますわ。あそこに座ってる方も、どんな気持ちでお食事をしているのかまったくわかりませんわ」
視線の先には一人の男性が椅子にまっすぐ座ってテーブルに置いてある果物を手にとって噛んでいる。一見普通の食事のようにも思えるが、その様子からはどうにも生気が感じられない。
本当に"ただ食べている"という行為を表したような行動でしかなかった。
それに加えて私には気になる点がもう一つ……ここで生活する人達は誰も他人のことを気にしている様子がない。必要があれば移動し、食料庫の果物を運んでは無表情で食べ、そして自分の寝床へと帰っていく。
まるでそうプログラムされた行動かのように……。
「えっと……すみません、少しお話させてもよろしいでしょうか」
「はい、なんでしょう」
「お、どうやら今回はまともに話せるやつっぽいな。これまではどこも「食料が尽きた」だの「助けてくれ」とかうわ言しか言わねえやつしかいなかったからな」
で、それらを全部連れてきたと。
しかし会話はできるんだな。ただ話しかけられても相変わらず動きや言葉から感情を感じられない無機質感は拭えない。
私が出会ったゼロやティーカはそんな感じじゃなかったんだがな。
「……というわけで、どうにか彼らを受け入れてはもらえないでしょうか。この集落にも食料の問題など増えるでしょうが、そこは私達も協力してどうにか」
「わかりました、人口の増加ですね。この場所には制約等ございませんのでご自由にどうぞ」
と、考えている間にもうあっさりと難民の受け入れ交渉が終わったようだ。
にしてはずいぶんとあっさり気味な気はするが。
「おいおいそんなに簡単に決めちまっていいのかよ。てかオメェがここで一番偉い人間だってのか? もっとこう長っつーか……リーダー的なポジションのやつはいねーのかよ」
「オサ? リーダー? それらは知らない概念です。“記憶の石”の中には記載されていませんので」
なんだって? 私の聞き間違いでなければ確かにこの男は今“記憶の石”と言った。それは、つい最近ゼロから聞いたあの石と同じものなのか?
人々はその石に集まり生活し、やがてその中にその場所で起きたすべてが記録されるという。
「つまりなんだ? オメェらはその石に書かれてることしかやらねぇってことか?」
「はい、その通りです」
「はぁ? なんだそのわけわかんねー生活は」
「衝撃ですわね……」
ということは、こうした無機質な生活も、カロフ達とこうして話をしているのもすべてはあの石に書かれていたマニュアルに沿っての行動にすぎないということになる。
「カロフよ、交渉はどうなった」
「ん? カトレアか。まぁうまくいった……って言っていいもんかわかんねーけどとりあえず受け入れてもらえるっぽいぜ。ってかお前そっちの女はどうしたんだよ」
ここで難民の先導を終えたカトレアが合流するが、その肩にぐったりとした女性を抱えていた。
「カトレア、そちらの方はどうされたの」
「はっ! 彼女は他の者よりも衰弱が酷く、すぐにでもなにか食べさせなければと考え優先して連れてきました」
確かにカトレアの肩に抱かれる彼女はとても力なくぐったりとしており、呼吸も弱々しい。
「これはいけませんね。すぐに食料を用意しますのでここでお待ち下さい」
男性はそう言うとすぐに食料庫へ向かい、いくつかの果物を抱えてくるとそれを女性へと差し出し。
「こちらをどうぞ」
「あり……がと……うございます。ありがとうございます……!」
女性はカトレアの肩から離れよろよろとした足取りでそれを受け取ると、その場にうずくまって一心不乱に食べ始めていく。
そこにはこれまで見てきたプログラムに沿った行動のようではなく、ただ感情の溢れるままに、目の前の男に感謝しながら涙を流して果物を口へと運んでくのだった。
「ありが……とう……」
そして最後の一口を終えると、顔を上げて食料を持ってきてくれた男性へとお礼を言葉にする。その表情はこれ以上ないくらいの喜びと感嘆に溢れていて……。
だが次の瞬間、彼女は意識を失いその場に倒れてしまった。
「お、おい大丈夫かよ!」
「……よかった、気を失ってるだけみたい。すみません、この方を休ませられる場所はありますか」
「……」
「あの……どうしました?」
リィナに声をかけられた男性はなぜかその場で放心してしまっていた。
ただ、女性をこのままにもしておけないのでリィナも声をかけ続けるとようやく正気を取り戻したようで。
「ああ……はい。では私の寝床へと連れていきましょう」
そのまま男性の寝床である無機質な建物の中へと向かい、そこで女性を寝かせることでようやく落ち着くことができたわけだが。
「ふぃーなんとか落ち着いたな。とにかくここには話せるやつがいて助かったぜ。オメェには世話になっちまったな」
「……」
「っておいおい、まただんまりかよ。それも石に書いてあった通りの受け答えだってか」
女性にお礼を言われてから度々放心していた男性だったが。
「……あの、なぜこの方は瞳に水滴を浮かべながら私にお礼を述べたのでしょうか。それが、先ほどからずっとわからず……」
「はぁ? んなことで放心してたってのかよ。そりゃ命を救われたんだから涙して感謝すんのも当然のこったろ」
「食料を補給しなければ人間は生きていけない、だから与えただけのことです。それがなぜあのような行動に繋がるのか……私には……」
ここの人々はそれぞれ自分に必要なことを自分で終わらせ、それが当たり前として過ごしてきていた。
だからこそ極限状態にあった女性は無意識にその感情を引き出し、男性は自分の行為が未知の結果に繋がったことに戸惑っている。
「こんなもの、我々の"記憶"にはなかったことです」
おそらく記憶の石には前例がないことなのだろう。これまではそれでも不自由することはなかった、もしくはそんなことを気にする必要もなかった。
だがお互いに関わりを得たことで気づいたんだ、自らの中に感情というものがあることに。
「とにかくよ、これで一件落着ってことでいいのか? あとはここの連中に任せておけば問題ないんだろ?」
「どうだろ……この集落に難民も合わせて恒久的に生活できる余裕があればそれでいいんだけど」
確かにそれが一番の問題だ。男性はあっさりと受け入れたが、本当にこのままで大丈夫なのだろうか。
「そうですね、居住は足りていません。食料も数倍の早さで消費されていくので、我々は予想されていた時期の何倍も早く終わりを迎えるでしょうね」
「でしょうねって……いやいや真顔で言うことじゃねぇだろ!」
「そうですよ! 諦めずに方法を考えましょう! 食料はどこで生産されてるんですか、まずはそこから改善していけば……」
「食料は残存するものしかありませんよ。記憶の石に集まった時から我々はそこにある分の食料で暮らし、それが尽きれば我らも生きる術を失い終わるだけですから」
驚いた、流石の私もこの回答は予想してなかった。
まさか……いや、これこそが集落の発展しない本当の理由なのか?
「もしかして……今まで巡ってきた集落もここと同じ生活を送ってきたからああなったってことなのかも」
「決められた場所で、決められた食事が尽きるまで暮らして、それがなくなればもう死を待つだけだなんて……そんな生き方おかしいですわ」
これが……この世界のルールだというのか。そういえば、カロフ達が連れてきた難民やここの住人達も、誰もが若い男女ばかりだ。
彼らがどこから現れたのかはわからない。だが彼らが記憶の石に集まり、そこにある食料が尽きるまで生活し、それが終わると新たな人が集まる……これの繰り返しだというのか。
ならゼロとティーカはどうして……。
「だがリィナよ、これまで巡ってきた集落では完全に人がおらず、破壊され尽くした場所もあったぞ」
「そういえば……あの惨状はどうしてだろう」
「もしかして襲撃を受けた場所を見たのですか」
「あ? 襲撃ってな……」
ゴォォォン……
これ以上の謎がまだあるのかと思われたその時、外から突然強い衝撃が建物の中へと響き伝わってくる。
「ああ、ついにここにも来てしまいましたか。食料の残りなど関係なく、これでこの場所も終わりですね」
「なにわかけわかんねぇこと言ってんだ! とにかく外の様子を見に行くぞ!」
カロフ達が外へ飛び出すと、空気は重く、空は赤く変化していた。
そして頭上……集落の真上には光り輝く巨大な光輪が天に浮かんでおり。
「なん……だ……この空」
「どんな場所であってもあれの光に抗うことはできない。我々の存在を否定し続けるモノ。記憶の石にはあれのことはこう記載されていました」
やがて光輪の光が収まると、その内側が段々と歪み始めていく。そしてその中心からこちらを覗いているような……。
「“転史”と」




