表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/9

第1話 プロローグ~伝説の始まり~

1173年6月17日の真夜中、京 ― 五条大橋


頭から被衣を被り、笛を吹きながら鞍馬寺へと向かう少年は五条大橋に差し掛かる。橋の向こうに薙刀を持った謎の大男が立っているのに気付き、立ち止まった。笛を懐にしまい、被衣を深く被りゆっくりと歩いていく。同じくして大男も少年に向かって歩き出した。


「なんだ、女か・・・」


大男はフゥとため息をつき、少年とすれ違う瞬間、腰に刀があるのに気付いた。


「!!、待て」


「・・・・・・」


「待てと言ってんだろうが・・・」と呼び止め大男は薙刀で少年のかつぎをはらおうとし、少年もすかさず薙刀をはらった。


「はっ、やはり男か、オレの噂を聞いて、平家の武者が女の格好か?通りたいのならその腰刀、渡してもらおうか?」

「それはお断りいたします」


「ほう、ならば力づくで奪うまで!!」


ブンッと薙刀を振るう大男、しかし少年はそれをいとも簡単にかわし、橋の手すり部分へと飛び移る。


「なにっ!!」

(なんつう・・・跳躍力・・・)

「おのれ!!」


再び薙刀を振るうが、少年は宙を舞い、大男を踏みつけ橋に降りる。


「ちょこまかとしやがって・・」


薙刀をグルグル回し、少年へと襲い掛かる。少年はその速い攻撃を見事にかわし、大男の腰にあった刀を抜き取った。


「!!、オレの刀を・・・、こいつ、おもしれえ」


「通してくれる様子はないようですね、それならば・・・」


一瞬にして少年の優しい瞳がギラつき、雰囲気の変わりようにに驚く大男。そして、2人の戦いが始まった。



少年の名は「遮那王しゃなおう」、大男の名は「武蔵坊弁慶むさしぼうべんけい」、この2人の対決は世にいう「五条大橋の戦い」である。



1159年12月、運命の子は生まれた。その子は源氏の棟梁・源義朝みなもとのよしともと京一の絶世の美女・常盤御前ときわごぜんの3男として生まれ、「牛若丸うしわかまる」と名づけられた。


そして時は1160年―京


都にて2人の子供と1人の乳飲み子をつれた女性が向こうから来る馬に駆け寄る。馬に乗っているのは源氏の棟梁・源義朝だった。


「あなた!!」


「常盤か、我ら、都を落ちることになった」


「この子が・・・」と常盤は乳飲み子を抱え、義朝に近付ける。


「牛若か」

「はい」


義朝は頬をなで、哀しい瞳で牛若を見つめた。


「常盤、子供達を頼んだぞ」

「はい」


そう言い残すと、義朝は馬を走らせ、京を去って行った。


「あなた」


(常盤、乙若、今若、そして牛若よ・・・決して平家に捕らわれず、生き延びてくれ・・・)



1160年1月19日、かつて保元の乱にて共に戦った平家の棟梁・平清盛と源氏の棟梁・源義朝は激突。義朝は後白河上皇ごしらかわじょうこう二条天皇にじょうてんのうを内裏に幽閉し反乱を起こした。清盛は天皇と上皇を救出して内裏に攻め入り、親友・義朝の率いる軍勢を破った。

世に言う平治の乱である。その戦いで源氏勢は敗れ、長男の義平、2男の朝長、3男の頼朝と共に都を去った。

義平、朝長は平家の落ち武者狩りや傷の悪化などで死亡、同じく父・義朝も部下の裏切りにより尾張の国にて死亡。生き残った頼朝は平家に捕えられ、伊豆へと流された。


清盛は平治の乱の功績により正三位に叙せられ、これが平家の世の始まりとなる。


そして義朝の死を知った常盤は、慈悲を乞うために3人の子供を連れて平家へと赴いたのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ