彼とあたしと、鉄の処女1
「ねえ、鉄の処女って知ってる?」
「……は?」
あたしの不審な返事など気にすることもなく、彼はビターチョコレートのような色をしたトロリと甘い瞳をうっとりと潤ませて言葉を紡いだ。
「鉄の処女はね、乙女の生き血でできてるんだ。あれ、良いよね。涎が出ちゃいそう」
彼は思わず身震いしてしまいそうになるほど甘い甘い瞳をあたしに向けて口元をほころばせた。
「君を鉄の処女にかけるととっても素晴らしいと思うんだけどなぁ」
彼はさも名案とでも言うかのように呟いた。
きっと彼の頭の中であたしは鉄の処女に挟まれて、聞くに耐えない悲鳴を上げて、全身穴だらけになってぐしゃぐしゃに潰れて、血だらけになってるはず。
あたしは自分がそんな死に方をする所を想像して、恐怖に身を震わせた。
「や、やだよ」
鉄の処女に挟まれるなんて冗談じゃない!なんでこの男に拷問にかけられて死ななきゃいけないんだ。
あたしは彼に向って思いっきり拒否を示した。
「残念だなぁ。君ほど素晴らしい贄はいないと思うのに」
ジトリと怨みがましい目を向ける彼にいっそ殺意さえ抱くほど腹立たしい。
贄・・・あんたはサバトに繰り出す悪魔か。あたしを贄にして一体なにを望みたいんだ。
「・・・ねぇ、あたしあんたの彼女、だよね?」
とてもじゃないが彼女に言うセリフではない言葉を発し続ける彼にあたしは恐る恐る尋ねた。もしかして恋人同士と思ってたのはあたしだけだったのだろうかと不安になる。すると彼は両手を広げて爽やかな笑みを浮かべた。
「そう!君は僕の最愛のスイートハニー!そして僕は君の最愛のダーリンさ!」
そうだろう?と彼はパチンと片目をつぶった。そして何を今さらバカなことを聞いているんだい?と大げさに肩をすくめた。まるで恋におぼれるどっかの馬鹿男のような仕草に若干の苛立ちを覚えたあたしは、彼に苛立ちをぶつけるようにわざとらしくこの馬鹿男を愛する馬鹿女を演じて口早に言葉を捲し立てた。
「えぇ、そうねダーリン。あたしの愛しいスイート。でもね、あたしが聞きたいのは、『どうして』、『あたし』が、『ダーリン』に、『拷問』に、かけられるのか、ってこと、よ!」
息も切れ切れに叫ぶあたしの問いに彼はよくぞ聞いてくれた、と瞳をキラキラと輝かせて頬を緩ませた。
「簡単なことさ、ハニー。僕の愛しいハニーが交通事故や災害やましてや病気や自殺、あろうことか他殺なんてありきたりな死を迎えるなんて僕には耐えられないんだ。それならいっそ僕の手の中で君が愛らしい悲鳴をあげて死ぬほうがいいじゃないか、と思った次第さ」
そう明るく言われても全然納得いかないのは当たり前だと思ってもいいだろうか。是非とも人間らしいありきたりな死を選ばせてほしいところである。ていうか他殺は全然ありきたりじゃないんですけど。今のところ殺されるほどの深い恨みを買った覚えはない。
「それで僕は考えた。君の可愛らしい悲鳴をより芸術的にしてくれるのは『鉄の処女』しかない、ってね。君は鉄の処女を知ってるかい?」
「なんとなく。あれでしょ?箱の中に釘があるやつ」
彼はあたしの問いに満足気に頷いた。そしてまるで教科書でも読んでるかのようにスラスラと鉄の処女についての説明を、『頼んでもいないのに』ご丁寧に繰り出した。
「鉄の処女は聖母マリアをかたどったと言われてるんだ。女性の形をした空洞に人間を入れて、釘のついた左右に開く扉を閉める」
聖母マリア・・・、なんでわざわざそんな形にしたのか全然理解できない。だって外見と用途が全く一致してない。だけど彼は
『聖母マリアという聖女の外見とは裏腹に中身は非道なまでに残虐な用途』
ということにエクスタシーを感じるらしい。
「ハンガリーの伯爵夫人のエリザベート・バートリーが作らせたと言われていてね、メイドの少女がエリザベートの髪を櫛でとかしていた所、運悪く髪が櫛に絡まってしまったんだ。それに激怒したエリザベートは、髪留めで少女の心臓をグサリ」
彼はまるでエリザベートにでもなったかのように残虐な笑みを浮かべて私の心臓を刺すフリをした。そんな彼の様子に眉をひそめるあたしを、彼はまるで愛おしいとでも言わんばかりに最高にいい笑顔を見せた。
彼はあたしの困ってる顔や、泣きそうな顔を見るのが最高に好きだと言う。
・・・・・馬鹿馬鹿しい。だから彼は、あたしは聞きたくないというのに、どんどんグロテスクでエグい話を進める。余計なことに話し方がとてもうまいものだから、彼の話はよりリアルにそして繊細に脚色されてあたしの耳に入る。そしてそれは耳を塞ぐことが許されないほど聞き入ってしまう。彼の声には魔力が宿っている、そんな錯覚さえ覚えてしまうほどに。
「エリザベートがメイドの返り血がかかった手を拭うと肌が金色に輝いたように見えた。だから処女の血を浴びると肌が綺麗になるとエリザベートは信じた。そこでエリザベートは『鉄の処女』を作らせた。美しくも残虐な聖母マリアをこの世に作ったんだ。エリザベートは村中の美しい処女を集め、次々と鉄の処女に生娘を入れて、血を絞り取った。絞りとった血はバスタブに入れて、毎日『乙女の生き血』のお風呂に入っていた」
血に染まった浴場、血につかるエリザベート。
あたしは真っ赤に染まったエリザベートの異常なまでの美しさを想像して、ぶるりと体を震わせた。
彼の声で聞く『お伽噺』は本当にそこにいるかのように情景が頭の中に流れ込んでくる。
不思議なほど鮮明に。
「村中の娘がいなくなり、ついにエリザベートは貴族の娘に目をつけた。さすがに貴族に手をだすとハンガリー王家にこの事件が噂され始めてね、1610年に監禁されていた娘の1人が脱走したことにより、ついに捜査が行われることになったんだ。城に入った役人達は、多くの残虐行為が行われた死体と衰弱した若干の生存者を発見した。城のあちこちに多くの死体が埋められていることも後に明らかになったそうだよ」
絶妙な間合いと抑揚の聞いた声に自分の意識とは裏腹に彼の話に引き込まれていく。飲み込まれたらおしまいだと頭では分かっているのに、彼はそれを許してはくれない。聞きたくないのに、聞いてしまう。怖くて後で後悔すると分かっているのに、彼は息をのむ瞬間さえも与えてくれないのだ。
「一説によると、エリザベート自身もこの鉄の処女によって拷問にかけられたと言われてる。自分の大好きな拷問器具によって死んだんだよ?まさか自分が鉄の処女にかけられるなんて夢にも思っていなかっただろうねぇ、エリザベートは」
彼はくすくすと笑い声をたてる。私はその無邪気な様子にぞわりと背中を震わせた。身の毛のよだつような話を内緒話を楽しむ子供のように楽しそうにする彼のほうがエリザベートより恐ろしい。
「エリザベートはこのことから『血の伯爵夫人』と異名がついたんだって。あぁ、そうそう、かの有名な吸血鬼は彼女がモデルなんだよ」
知ってた?と彼はウインクしたけど、あたしは「知らない」とそっけなく返した。けれど、冷たい態度なんて彼にとっては心を悩ますほどのものではないし、むしろあたしに精神的ダメージを与えて、まさに彼の大好きな青ざめた顔をしてるのだから、あたしのこの返答は彼にとっては血肉わき踊るほど『正しい』回答と言えるものだろう。
「彼女の叔母は同性愛者、叔父は悪魔崇拝者、そして兄弟は色情狂。そして彼女は性癖異常者。あぁ、なんてすばらしいんだ。ここまでくると笑いが止まらないねぇ」
あたしを鉄の処女にかけたいと言う彼は立派にエリザベートの仲間入りだと思う。
そんなあたしの視線を受けた彼はコロコロと笑い声をたてた。
狂った血筋は彼女を狂わし、そしてあたしの目の前にいる男をも狂わせる。
「ま、結局メイド云々の話とか僕が話した内容は噂や創作と言われてるけどね。世に出回っている鉄の処女だって偽物が多いし」
彼はそれまでの声色と口調、そして表情を一新して、『いつも』の彼のように心地よい声で締めくくった。それを聞いてあたしはホッと肩をおろす。安心したあたしは緊張でがちがちに固まった肩を揉みほぐそうと肩に手を置いた。すると彼はあたしのその手をとり、残虐な瞳を奥に隠して、胸やけしてしまうほど甘くとろける瞳をあたしの目に映す。そしておもむろにあたしに顔を近づけて笑った。顔は見えていないのに、彼がにやりと笑った、そんな気がした。
「ねぇ、ハニー?」
彼は空いた手であたしの頬をひと撫でした。そしてまるで愛を囁くかのようにあたしの耳元でその低音に響く声を発した。
「僕にとってはね、エリザベートがしたことが噂かどうかなんてどうでもいいんだよ?」
じゃぁ、なぜあたしにエリザベートの話をしたの、そう尋ねることはできない。だって今は『彼の脚本』の中にいて、彼の出番だから彼しか話すことが許されない。あたしが『台詞』を口にするのはまだ先。
「重要なのは君が鉄の処女に入ってくれるかどうか、だよ、ハニー」
彼の心地よい甘い囁きに一瞬心を奪われそうになりながらも、あたしは自分の身におこるであろう最悪の事態を想像して身硬くした。そしてあたしは彼に決められた『あたしの台詞』を口にする。
「ちょ、ちょっと待ってよ。まだ言うの?あたし嫌だからね。ぜーったいにい・や」
あたしの拒否に彼は心底残念そうに瞼を伏せた。
「・・・そんなに鉄の処女いや?」
「嫌」
鉄の処女にかけられることを是非にとも望む酔狂な人がこの世に存在するならばその狂った尊顔を拝んでみたいものだ。
「どうしても?」
「どうしても!!」
「・・・・・そうだよね。君にも選ぶ権利があるもんね」
そうだよ。あたしにだって生きるか死ぬかを選ぶ権利があるんです!ていうか絶対死なないけど。
「うん、そっか。分かった」
分かってくれたならそれでいいのよ、とあたしは頷く。すると彼はさわやかな笑みを浮かべて、わがままな子供を諭すように声を発した。
「じゃぁ、君はどの拷問がいいんだい?選ぶ権利くらいはあげるよ。そうだなぁ、僕としては猫鞭とかイバラ鞭なんかもお勧めだな。あとは・・・、」
「ひぃ・・・っ!!」
「ひ?・・・あぁ、ごめんね。僕火責めは好きじゃないんだ。あと押し潰しとか引き延ばしも好きじゃないな。なぜかって?だって美しくないんだもん。僕の美的センスに引っかかるよ。拷問は美しくなくちゃね。その点においては安心していいよ?君ならどんな拷問でも美しい姿になれると信じてるし、君にはとびきり美しい拷問を施してあげるからね?」
そんな話をしているんじゃない、と声を大にして言いたい。
だけどこの冗談が彼の話が終わったことを告げていることをあたしは知っている。だから、あたしがさっきまで彼の話に固まっていたくせに、こんなに強気に発言できるのは彼があたしに対して『話』をし終えたからで、仮に彼が『話』をしている最中にこんな態度をとったら否応なくあたしは『死んでいた』。
だが、ここで一つ言いたいのは、冗談というのが、火責め云々の話であって、彼が『あたし』を『拷問』にかけたい、というのも、『鉄の処女』にかけたいというのも、すべてが『本気』であるということだ。それを知っていてあたしは彼に抵抗するし、彼は言葉にする。それが彼の『愛情』。歪んだまでの愛。彼があたしを殺したいほど愛してくれてることをあたしが知ってるから、彼はあたしを殺すと発言することに躊躇しない。
「あんたのその口に猿ぐつわをはめたい・・・」
「さすがマイハニー、僕のことを分かってる!口を塞ぐ拘束器具には鉄仮面や苦悩の梨なんてものがあるけど、あれはダメだね。全然美しくないよ。その点、猿轡は良いね。ただ一つ残念なのはそのネーミングセンスかな。猿が轡をしているように見えるから猿轡なんてセンスがなさすぎるよ。あぁ、でもハニーになら鉄仮面でも苦悩の梨でも耐えて見せるよ。さぁ遠慮なく僕の口をふさいでくれ」
彼の狂気な愛情を受け止められるのはあたしだけ、とあたしはそう思ってるし、それが間違いじゃないことも知ってる。もっとも、あたしは彼に殺される気もなければ、彼を殺す気もないし、彼が本気であたしを殺そうとしても、殺せないことくらい分かってる。だから彼は平気であたしを彼の狂気に巻き込むのだけど。
さて、本気でこいつのうざい口を塞ごうか。
そうしてあたしは彼の口に自分の口をかさねた。
あ、窒息死。