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瞳の色だけで選ばれた花嫁だと思っていましたが、龍人公爵に溺愛されているようです  作者: 蒼乃つむぎ


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薔薇だけが知っている

セオドリックが眠ろうと寝返りを打った、その時だった。

寝室の片隅に置かれた水鏡が淡く光を放つ。


セオドリックの表情が引き締まった。

皇族の血を引く者だけが使用を許された連絡用の魔道具。


この時間に水鏡を使う相手など、一人しかいない。

静かに近づき、水面へ指先を触れる。


揺らめく水面に、皇帝の瞳と同じ黄金色の文字が浮かび上がった。


『朝、薔薇の香る場所にて待つ』


文字はすぐに消え、水面は何事もなかったかのように静まり返る。


おそらく――例の件だ。


皇帝がわざわざ直接呼び出す理由など、それ以外に思い当たらない。

だが。

セオドリックの視線は自然と窓の外へ向いた。

その先にあるのは、クラリッサが休んでいる部屋。


昨日まで敵国の令嬢だった少女が、今は自分の妻として同じ屋敷で眠っている。


考えれば考えるほど現実味がない。

戦場なら迷うことはない。

政務ならいくらでも処理できる。


だが彼女のことになると勝手が違った。

下手なことをして怯えさせたくない。

困らせたくもない。

だからといって、どう接するのが正解なのかも分からない。


「……少し距離を置くべきか」

誰にも聞こえない声で呟く。

明日は休暇を取っている。

城へ向かったとしても、人目につくことは少ないだろう。


皇帝とも落ち着いて話ができる。

そう自分に言い聞かせながら目を閉じた。

しかし、その夜の眠りは浅かった。



翌朝。


身支度を整えたセオドリックは静かな廊下を歩いていた。


ふと足が止まる。

クラリッサの部屋の前だった。

昨日は長旅の疲れもあったはずだ。


まだ眠っているだろう。

それでも。

目を覚ました時、見知らぬ土地で一人だったなら不安になるかもしれない。


せめて一言伝えるべきか。

扉へ手を伸ばしたその時。

中から規則正しい寝息が聞こえてきた。

セオドリックは手を下ろす。


起こす必要はない。

「オスカー」

背後に控えていた家令が一歩前へ出た。


「お呼びでしょうか」

「クラリッサが起きたら伝えろ」

「はい」

「私は城へ向かったと」

オスカーの眉がわずかに動く。


婚礼の翌日。

しかも休暇中である。

普通なら妻と過ごすべき日だ。


だが優秀な家令は余計な詮索をしない。

「かしこまりました」


セオドリックは最後に一度だけ扉へ視線を向ける。

そして踵を返した。



皇城。

朝の冷たい空気がまだ残る時間帯。


セオドリックが向かったのは、皇帝の許可なく立ち入ることを禁じられた庭園だった。


咲き誇る薔薇の香りが風に乗る。

東屋の下では、皇帝が優雅に紅茶を口にしていた。

「おはようございます」

声を掛けた瞬間。

皇帝の手が止まる。

そして珍しく目を見開いた。


「……まさか今日来るとは」

セオドリックは首を傾げた。

「朝、とありましたので」

「そういう意味ではない」

皇帝は額を押さえた。


「都合のいい朝に来いという意味だ」

「失礼しました」

素直に頭を下げる。


皇帝は深々とため息を吐いた。

「お前は昨夜結婚したばかりだろう」

呆れた視線が向けられる。

「新婚だぞ?」

「自覚はあります」

「なら今日くらいは妻と過ごせ」

セオドリックは答えなかった。


わずかな沈黙。


皇帝はじっと従弟の顔を見つめる。

そして何かを察したように口元を歪めた。

「なるほど」


嫌な予感がした。

「クラリッサ嬢から逃げてきたな?」

セオドリックは答えない。

ただ、ほんのわずかに視線を逸らした。


それだけで十分だった。


皇帝は吹き出す。

「図星か」

肩を震わせながら笑う皇帝に、セオドリックは眉をひそめた。


「本当に重症だな」

ひとしきり笑った後、皇帝は椅子にもたれかかる。


「さて、本題だ」

空気が変わった。


「余が即位して何十年になる?」

「四十七年です」

セオドリックは即座に答えた。

皇帝は満足そうに頷く。


「そうだ。アストレア王国の国王が変わり、各地で起きていた人間とのいさかいもようやく沈静化した」

黄金の瞳が遠くを見つめる。

「さらに龍人と人間との婚姻を結ぶこともできた」

その視線がセオドリックへ向けられた。


「そこで記念に宴を開くことにした。もちろんお前も参加する」

皇帝の黄金の瞳が鋭く光った。

「そして必ずクラリッサ嬢を連れて来い」


セオドリックの目が細められる。

「和平の証、ですか」

「ああ」

皇帝は頷いた。


「龍人と人間が共に歩む未来。その象徴だ」

アストレア王国との和平。

その中心にいるのがクラリッサだった。


「彼女が姿を見せるだけで安心する者もいる。逆に不満を抱く者への牽制にもなる」

「心得ております」

皇帝は満足そうに頷いた。

「なら問題ないな」

話は終わりかと思われた。


だが次の瞬間。

皇帝の表情がわずかに険しくなる。

「それと――」

セオドリックも顔を上げた。


「例の件を忘れるな」


低い声だった。

庭園の空気が張り詰める。

「……忘れてはおりません」

それ以上の説明は不要だった。

皇帝もまた頷くだけに留める。

互いに何を指しているのか理解している。


「では下がれ」

「失礼いたします」

一礼し、その場を辞した。


庭園を出て馬車へ向かう道を歩きながら、セオドリックは小さく息を吐く。


記念パーティ。

和平の象徴。

そして例の件。

 

考えるべきことは山ほどあった。

だが。

真っ先に脳裏へ浮かんだのは、青い瞳の少女だった。


朝、起きた時。

自分がいないことに気付いただろうか。

不安にさせてはいないだろうか。


「……まずは彼女と向き合うべきか」


誰にも聞こえない独り言を残し。

セオドリックは皇城を後にした。

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