第18話 初めての友達
「貴方はあの時の……!」
静かな声で囁く彼につられ、思わず私の声まで小さくなる。
そしてハッとして通路の先を見るが、すでにセオドア様とピアーズ様の姿は見えなくなっていた。
溜息をつきそうになったのをこらえて、仕方なく金髪の彼に向き直る。
恰好はこの前と同じ質素なもので、王城を歩くとなると悪目立ちしそうだった。
それなのに、その本人はどこか風格があり、有無を言わせない圧倒的な力を感じる。只者ではないと、なんとなく勘で思った。
「まさかシーウェル王国の王太子の侍女だったなんてね。いいと言っていいのか、悪いと言うべきなのか……」
「……恐れながら、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか? ……それに私は、王太子殿下の侍女ではなくピアーズ・エイヴォリー公爵令息の侍女です」
不躾に、悩むようにじろじろ見られては居心地が悪い。
ついでにセオドア様との直接の関係がないことをアピールしながら彼の名前を聞くと、「それは都合がいいかもしれないな」と途端に華やかな笑顔を見せて、彼は私に軽く一礼した。
「ご挨拶が遅れて申し訳ない、エイダ嬢。僕の名前は……。フランだ、気軽にそう呼んでくれ」
「それではフラン様。私に、なにかご用でしょうか……? 主人に用でしたら、私はすでに主人を見失っておりますが……」
「様付けも敬語もよしてよ。見た格好通りの身分だからさ。僕はあんたのことが知りたい、仲良くなりたいだけなんだ」
なけなしの抗議を込めて言った私の言葉は、フラン様——フランによって華麗にスルーされた。
それどころか、ずいっと顔を近くに寄せると、フランはキラキラとアメジストの瞳を輝かせて私の手を掴んだ。その勢いに、思わず負けそうになる。
「仲良くなりたいって……急にどういうこと、ですか?」
「そのまんまの意味だよ。それとも、あの日裏庭で怪しいことをしていたって誰かにバラされたいの?」
「ッ! それは脅しじゃ……!」
「そうとってくれても構わないよ」と、あまりにも朗らかに笑うので、反論する気すら失せてくる。
離れることをあきらめて、改めて、じっとフランの顔を見つめる。セオドア様の美しさがどこか冷たさを感じるものなら、フランの美しさは甘く蕩けるようだった。
そんな彼が、一介のメイドと仲良くなりたいだなんて、何か裏があるに決まっている。
——そう、思うのに。
サッカレー家では疎まれていた私にとって、人から話しかけられるというのは稀なことだった。
ましてや、私に興味を持ってくれる——こんなに強引に距離を詰められるというのも、フランが初めてのことだった。
やめておけと、頭のどこかで警鐘を鳴らしている。それでも、ほんの少しだけ、私という人間に興味を持って接してくれる嬉しさで沸き立つ心を、抑えることはできなかった。
「お茶、よかったら、淹れる、けど……。来る?」
「ぜひ」
たどたどしい私のタメ口に、語尾にハートマークでもつきそうなほど甘い声で応じたフランは、嬉々として私の後ろをついてきた。
本当なら、国同士の情勢が微妙な今、下手なことはしないほうがいいだろう。しかも、私は仮とはいえ王太子の妃なのだ。
分かっている。だからこれは私の独断で、わがままだ。
(フランの要望に沿わなかったら、緊迫した関係の国で、使用人が怪しげな動きをしたことが公になるかもしれない。だからこれは、不可抗力なんだ)
そんな言い訳じみたことを考えながら、
私は来た道と逆方向に足を進めたのだった。
◇ ◇ ◇
ことりと湯気の立つティーカップをフランの前に置く。そしてその向かいに私も座ると、息をついてから口を開いた。
「それで……何が知りたいの?」
「あんたのことならなんでも。……そうだな、なぜあんたは侍女になったの?」
純粋な瞳でそう聞かれて、思わず固まった。
本当のことを最初から全て言ってしまえば、私がシーウェル王国王太子の妃だということがバレてしまう。セオドア様にも内緒で来ているのだ。絶対に話してはならないことだとは、さすがに理解している。
……だが、私は嘘をつくというのが本当に苦手だった。
「スカウト、されたの」
「スカウト? もとは何を?」
「……商家の、使用人……」
「それはすごい。いったい何を武器にしてたんだ?」
「……魔法」
そこまで言って、思わず口を抑えた。
ここまで話すのはよくない。嘘がつけないからと言って、秘密を話すのは話が変わってくる。
セオドア様の秘密はもちろん、私の魔法もこの国でだってよしとされてはいない。
俯いた私に空気を呼んだのだろう、フランは優しく笑うと、私に目線を合わせるように顔を少し下げた。
「そうか。あんたは努力の人間だね。聞いたところ、生まれは平民なんでしょ?」
「……そう、だけど」
「僕は、努力する子は嫌いじゃない。今まで苦労はあっただろうけど、それを乗り越えての今のあんただもんね。尊敬するよ」
その率直な言葉は、そのまま心に灯をともすようだった。何とも言えない気持ちになって、ほわほわと心が温かくなる。
「ありがとう……。私、誰かに褒められた経験が少ないから……。嬉しい」
「ふぅん。僕ならいつでも褒めてあげるけどね。なんだっけ? ピアーズ、とか言う公爵令息よりも」
じっとこちらを見つめるフランと、目が合う。その熱のこもった視線に、思わずこちらから逸らした。
静けさが部屋に広がる。
何か私からも言うべきかと、必死に質問を頭に浮かべていると、「ねぇ、エイダちゃん」と、どこか甘い声で名前を呼ばれた。
「はい」
「今のところで働くのを辞めてさ、この国に来ない? 給料は倍以上出すし……あんたみたいな努力家、僕は欲しい」
「えっ? ……でも、国も、違うし……」
「今時、他国で職を見つけて住み着くなんてよくあることだよ。言いづらいなら、僕から雇い主に言うことだってできるよ」
一国の公爵令息に、侍女が欲しいと言えるなんて、どれほどの地位にいる人なのだろうか。
反論できず、このまま押し切られてしまいそうで、耐えきれずに椅子を後ろに引くと、誤魔化すように両手を振って言った。
「そんな、私はやっぱり拾っていただいた御恩があるし……。でも、そうだな。私、貴方とはいいお友達になれそうだな、って、ほんの少し思ったの」
「ふぅん?」
「ほ、本当……! 私に興味を持ってくれた人なんて、今までにもあまりいなかった
し……。敬語もなかなか外すことができないのに、なぜか貴方に対してはすんなり話せてるし」
そう言いながら、アンの顔を思い浮かべる。
今でこそ、少しずつ敬語をとって話すことができるようになっているが、未だに気軽に話しかけるには勇気が必要だった。
恐らく、王太子妃として扱われているのが、どうしても慣れないのだ。本来の自分の扱われ方を考えると、丁重に仕えられるというのが身分不相応な気がしてしまって気が引けた。
その点、フランの本来の身分が分からないとしても、ごく普通の格好をしたフランに、気軽に話しかけてもらえるというのは、ありのままの自分でいられる気がして、どこかほっとするところがあった。
「そっか。なら及第点かな」
「え?」
「本当は、オトモダチ、以上がいいんだけどね」
立ち上がったフランは、私の傍に来ると、ぺち、と軽く額を弾いた。
面白そうに、でもどこか悔しそうな顔で私のことを見つめている彼は、「そろそろ時間なんだ」と扉へと歩いていく。
そして扉を開けてふいに振り返ると、いたずらっ子のように笑って言った。
「ま、あと4日くらいはあるからね。ゆっくり口説くとしよう。鈍感なエイダちゃん」
パタリ、と扉が閉まる。
なにやら不穏なことを言って去っていったフランのことを思い出して、ボッと頬が熱くなるのを感じた。
「え、もしかして……。いや、そんなまさか……」
ざわつく心に、カップを片付ける手が震える。
フランは唐突に現れて、嵐のようにかき乱して、あっという間に去っていった。
残された私にできるのは、ぐちゃぐちゃになった思考を整理整頓するくらいだ。
(このまま、無事に王国に帰れる、よね……?)
そんな不安で、心が覆われていく。
だがこれからのことを思って顔が陰る私とは裏腹に、フランと思いがけない場所で対面することになろうとは、その時の私には想像もできないことだった。




