ぼくが ぼくで あるために なにかが なにかで あるために
まえがきは割愛させていただきます。
本編短いので、本編のみでお楽しみください。
深夜12時前 ドアを開け 部屋に戻る
静けさが苦手で テレビをつける
「市民が戦争に巻き込まれています」
疲れた頭でも感じる 強烈な嫌悪感
ぼくの脳が 映る人物を 敵だと感じている
赤い十字の前 泣く人の絵から 場面が移る
嫌悪感を置き去りにして 天気に移る
「花粉が非常に多い季節となりました」
むず痒い鼻でも感じる 分泌されるヒスタミン
ぼくの免疫が 害のない物を 敵だと感じている
ぼくの脳はぼくだと主張する
ぼくの脳はあれは敵だと主張する
ぼくの免疫もぼくだと主張する
ぼくの免疫もあれは敵だと主張する
いつか 脳がぼくの意識に嫌気を感じて
いつか ぼくを拒絶することもあるのだろうか
今 免疫が害のないものを敵と感じているように
いつか ぼくを敵と認識することもあるのだろうか
その時 ぼくは きっと生きていられなくなる
ぼくが ぼくで あるために 敵という認識が必要なのか
安定しているようで ぼくは 微妙で 絶妙な バランスで 今を生きている
60兆の細胞全てで ぼくは作られている
そんなぼくは 何かの拍子に あっという間に 崩れるかもしれない
ぼくがぼくであるために
心も 身体も 全ていたわるべきなのかもしれない
60億のなにかで なにかは作られている
そんななにかは 何かの拍子に あっという間に 崩れるかもしれない
なにかが なにかであるために
赤い十字の前で 泣いている人を 助けるべきなのかもしれない
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各地で起こっている戦争の映像を見る度に心が締め付けられます。
対岸の火事ではなく、いつ自分に降りかかってきてもおかしくない。
そんな気がします。
全てを自分のことと捉え、考えていかないとなと思ったりもします。
ただ、目の前の仕事に全力を注ぐ必要があって、無力感を感じつつ、
日々何かできないのか、何とかできないのかと思いを募らせていて、
そんなことが書きたく、書いてみました。
(なんか思いが書ききれてないので、もうちょっと考えて、良いのが
浮かんだら修正かけたいと思います。)
あとがきは割愛させていただきます。
読んでいただき、ありがとうございました。




