08.『勇者』の目的
人間の王都『カニステル』は、如何にも王都だった。
高い城壁に囲まれ、武装した兵士が通りの至る所に立っている。
建物は赤レンガの屋根で石造り。水路を行き交う船のために、跳ね橋が上がる。
パタパタ
城壁から下がった、赤い布地に金の刺繍が入ったタペストリーが靡く。
王都。王都だ。
「ここから一番近い目的地は雑貨屋です。まずはそちらに向かいます」
始めに馬車を降りたシナレフィーさん(乗車前に人間形態に戻った)が、この後の予定について口にする。言いながら、ミアさんへ手を差し出すのも忘れない。
シナレフィーさんに続いてミアさんが降り、その次に私、最後にリリが降りる。当然の如く、手を差し出されたのはミアさんだけです。はい。
「んっ」
私は一度、ぐっと伸びをした。
馬車に揺られたのは、一時間ほどだろうか。
馬車は竜の飛行に比べて、揺れるし遅い。でもそちらの方が落ち着いた。所詮、私は地を這って生きる生物なのだ……。
「レフィー、空を飛んでいるあれは何かしら?」
「王家が飼っている、鷹ですね」
今回の夫妻は、恋人繋ぎで行く模様。見たいと思っていたので、叶って嬉しい。何をしていても絵になる夫妻である。
「足に手紙が付いていますね。ろくでもない内容でなければいいですが」
竜の視力どんだけ。私には、空に何か白い物体が飛んでいるなという感じでしかない。ミアさんもそうだからこその、今の質問だろう。
「サラ様、すごいですね。すごいですねっ」
私の隣を歩くリリが、興奮した様子で辺りをキョロキョロと見回す。
そう、興奮した様子でプルプルと……あ、やばいのでは。例のバラバラ事件になるのでは。
「リリ」
ギュッ
私はリリの手を握った。
「リリは、私と手を繋ごうね」
「! はいっ」
リリが嬉しそうに返事をする。
いざという時には、すぐに抱き締めて固定しよう。降って湧いたミッションの緊張感は隠し、私は彼女に笑顔を返した。
「あの店です」
街の中心部まで来て、シナレフィーさんが目的の店を指差す。
王都見物をするつもりが、ほとんどミアさんとシナレフィーさんを見ているだけで、ここまで来てしまった。
というのも、ミアさんの問いに次々答えるシナレフィーさんが面白過ぎた。
王都の人口なんていう定番なものから、石畳のデザインをした人物名というマイナーなものまで、すべて即答。王城の隠し通路の数については、それ普通に漏れてたら駄目な情報……。
チリン
シナレフィーさんが店の扉を開け、呼び鈴が鳴る。
「いらっしゃい」
入店すると、奥のカウンターから声が飛んできた。店主だろう、ふっくら体型の気の良さそうなおばさんだ。
店内にいるのは、私たちだけのようだった。それでも、こぢんまりした店内なので、四人でもう満員御礼状態だ。思い思いの場所に行っても、難なく会話が出来るほど距離が近い。
「ここで買った物は、向こうで似たような物を作らせる際の参考にします」
シナレフィーさんが購入の目的を私たちに話す。
王都ならもっと大きな店もあるだろうに、敢えてここを選んだということは商品の質が良いんだろうな。
「あちらは変化が緩やかなので、二百年経っても変わっていないでしょうね」
シナレフィーさんが、側の棚にあったペンを手に取る。
お眼鏡に適ったのか、それを持ったまま彼は移動した。
(先代魔王がこの世界に来て、二百年くらいってことか)
二百年、二百年か。シナレフィーさんは軽い感じで口にしていたが、二百年とは相当な年数だ。日本で二百年も遡れば、江戸時代になってしまう。地球全体では国そのものが存在しない国も多いはず。
(あ……)
それだけ魔物と共存していたなら、魔物素材で作られた衣類や家具というのは、ありふれたものになっているんじゃないだろうか。
人間の感覚で二百年分の生活様式を変更するのは、至難の業。魔物が魔界に引き上げることを人間が知れば、それを阻止しようとする者が出て来てもおかしくはない。
(……ううん、もう勘付かれているのかも)
カシムが勇者として覚醒しようとしているのは、まさにそれが理由なのかもしれない。
ただ魔物を狩るだけなら、冒険者ギルドが請け負えばいい。わざわざ『勇者』に拘る必要は無い。
勇者の狙いはゲームでもそうであるように、魔王――ギルを倒すことのように思える。魔界へ引き上げようとするギルを殺して、素材としての魔物をこの世界に留めるために。
(あくまで可能性だけど、これも『竜殺しの剣』の件と一緒にギルに話してみよう)
当のギルは、「ちょっと溶岩地帯まで鉱石を取りに行ってくる」と出掛けたらしい。(リリ情報)
『ちょっと溶岩地帯まで』。何たる、パワーワード。
(あ、ギルにお土産を買って行こうかな)
物作りの参考にというのは、あくまでシナレフィーさんの用途。私たちには、自由に買えばいいと言っていた。
辺りの棚を、適当に眺めてみる。
商品名も値札も見たことがない文字ではあるが、注視すれば例のアイテム説明欄が表示されることに気付いた。便利!
(何が良いかな)
ギルも亜空間に荷物を仕舞えそうだから、収納グッズ系は要らなそうだ。同じ理由で、筆記用具や紙類も在庫は持っていそうだし……。
ギルが持っていなさそうな物。かつ、ギルが喜びそうな物――
――あ。今、ピンと来た。
私は目の前の棚に並べられていた、紙製のコースターを手に取った。
正方形で、程よく硬度がある紙質だ。
(うん。これなら思った通り、折り紙になりそう)
ギルは以前、謎を探すのが好きだと言っていた。折った状態で渡したなら、興味を持ってくれるかもしれない。
単色、柄入り。何パターンか買って行こう。
懐を探って、銀貨が入った小袋を取り出す。馬車に乗る前に、リリから小遣いとして十数枚もらっていた。
最初、ギルからだと渡されたそれは、ズッシリとした金貨入りの袋だった。
袋を開けた瞬間、目が眩むピカピカに急いで袋の口を閉じた。そして、「金貨を使うのは目立つ」という理由を付けて、リリに突き返した。
とはいえ、折角街を歩くのに文無しは寂しい。なので私は、リリが自分のために用意したお小遣いと同額だけ、もらうことにした。
「これ、買ってきますね」
シナレフィーさんに一声かけて、会計に向かう。
会計で銀貨を渡したところ、じゃらっと銅貨のお釣りが。銀貨一枚でも結構な価値なんだろう。金貨を持ち歩かなくて正解だ。
私の次にシナレフィーさんが、小物数点を手に会計にやって来た。持ってきたのはそれだけでも、店主に商品名を伝えているあたり、それも買うのだろう。
……えっと、延々言っていますが、それ全部買うつもりですか? 買うつもりなんでしょうね。ええ。
精算を終えた品から、シナレフィーさんがそれを例の亜空間にポイポイ投げ入れて行く。
他人の所有印が付いているものは入れられないため、勝手に放り込んで盗む真似は出来ないそうだ。が、説明をしていたシナレフィーさんが『基本的には』と言っていたあたり、抜け道はあるのだろう。そして彼はそれが出来るのだろう。平和的にお買い物していただき、ありがとうございます。
平和的といえば、今回の軍資金。出所が気になって聞いてみたところ、真っ当な入手経路だった。ほっ。
「少し前に拾った物を売っただけ」。私の『ちょっと前』が一年くらい前の話になってきた感覚のノリで、シナレフィーさんの『少し前』は数十年と思われる。それだと、例えば単に道端でむしった草であっても、現在それが希少種であれば金に換わるだろう。
シダの葉の化石に大喜びするのが、人類ですから。寿命が百年に満たない人間にとって、『時間』は高価なのだ。
雑貨屋を後にして、今度は生鮮食品の売り場へ。
ここでは、リリが買い物リストを延々と読み上げる番だった。
その後は例によって、亜空間へポイポイ。穀物、野菜、果物、肉に魚。次から次へと、それらは消え行った。
その間、シナレフィーさんとミアさんは、大きな水槽の前に並んで立っていた。シナレフィーさんは水槽の構造を、ミアさんは水槽の魚を見ているわけですね。わかります。
お次は宝石店へ。魔法陣を描く染料にするらしい。宝石を砕いて粉にするとか、聞くだけで胃がキリキリする。
そんな私に非情にも、シナレフィーさんは代理購入を頼んできた。どうやら過去に、目利きが完璧過ぎて出禁を食らったらしい。
私も私でアイテム説明欄というチート能力持ち。店主が可哀想と思いつつも、心を鬼にして一番魔力補正値が高い物をゲットしてきた。申し訳ない!
最後に立ち寄ったのは、シナレフィーさん行きつけの書店。
「おや、シナレフィーさん。いらっしゃい」
入口から程近い本棚の前に立っていた初老の男性が、片手を上げて挨拶してくる。
棚に本を並べていたようなので、店主なのだろう。店主から名前で呼ばれるなんて、『行きつけ』感がある。
「ゼンさん。いつものはありますか?」
「勿論、用意してあるさ。奥まで来てくれ」
「いつもの」で通じるやり取り、常連客ぽい!
ゼンさんの後ろを、シナレフィーさんが付いていく。「いつもの」が気になった私は、さらにその後ろを付いていった。
ミアさんとリリは、その正体を知っているのだろう。「ああ、あれね」という顔で、それぞれ店内に散っていった。
ゼンさんに案内された部屋に入ると、すぐにとある一点に目が行った。
一画を占める本のタワー。本の摩天楼。何だこの、尋常じゃない数の本が積み上げられたスペースは。
そこへ一直線に向かったシナレフィーさん。ですよねー。
医学、経済学、物理学……見事に小難しいタイトルばかりが並ぶ。絵本や生活の知恵みたいな庶民的な本なんて、一冊も見当たらない。
「以前立ち寄った時から、次に来るまでに入荷した本全種類を、取り置いてもらっているんです」
無意識に物言いたげな視線を送ってしまっていたらしい私に、シナレフィーさんが説明してくれる。
「入荷した本、全種類を取り置き……」
それが、「いつもの」。
何という上客。そして、竜の知識欲の本気、なめてました。
「シナレフィーさんのところには、代々お世話になっていてね。お父様やお祖父様はお元気かな?」
ゼンさんが、今日入荷した分をさらに積み上げながら、話を振ってくる。
その『お父様』や『お祖父様』、きっと全員シナレフィーさん本人だと思います……。
「ええ、まあ元気ですよ。それで本ですが、これが買いに来る最後になります。遠い故郷に帰ることになりましたので」
「おや、それは寂しくなる。けれどシナレフィーさん的には、丁度良い時機だったかもなぁ」
「丁度良いとは?」
シナレフィーさんが本の塊を亜空間に投げ入れながら、ゼンさんに聞き返す。
カテゴリごとに紐で結わえてある様子。ゼンさんの心遣いが感じられる。
「間もなく、王都の検問が強化されるそうだ。一日に出入り可能な人数や、移動出来る荷物の量にも制限を掛けるらしい。そうなると当然、入荷する本の量も種類も今よりずっと少なくなる」
「確かに本が無ければ、王都まで来る必要はありませんね」
「だろう。何でも先日、勇者の直系であるカシム様の奥方様が魔王に攫われたとかで、そうなるらしい」
ドキッ
カシムの奥方ではないし、ギルにも攫われたのではなく助けられたのだけど、それはやっぱり私のことだろう。
「宮廷魔術士様が探索蝶を使ったり、冒険者ギルドへも依頼が行っていたりするようだが、未だ見つからないという話だ。カシム様の身に刻まれた婚姻の証が消えない限り、奥方様は生きてはおられるようだが。その奥方様が見つかるか亡くなるかしない内は、人も物も出入りが厳しいままだろうね」
「そうでしたか」
まったく動じず、シナレフィーさんがしれっと返す。
今の話からいって、前庭で食人蔦が食べてくれた探索蝶の探しものは、私で間違いなさそうだ。
「妃殿下捜索に、冒険者ギルドから多くの人手を出されても厄介です。少々細工をしておきましょうか」
本屋を後にして、馬車への道を行きながら、シナレフィーさんが口にする。
「細工ですか?」
私の問いには答えないで、シナレフィーさんは不意に水路の方へと向かって歩き出した。
移動中では初めてミアさんの手を離した彼に、不思議に思ってミアさんを見る。
そのミアさんも、私に小首を傾げてみせた。
女三人で顔を見合わせた後、私たちも水路へと向かう。
単に観光しているような体で、シナレフィーさんは跳ね橋の下を通る船を見ていた。
そして、船が通り切った瞬間――
ガコーーーン!
かなり大きな音を立て、跳ね橋の片側は川へと落下した。
「え……」
遅れてもう片側の橋がゆっくりと下り、先に落ちた方の橋と何事も無かったかのように繋がる。
普通の橋としては、機能に問題は無さそうだ。
「駆動部を一部、壊しました。そこの跳ね橋は王城の水路へ繋がる場所ですから、急いで修理させるはずです」
帯電して若干パリパリしているシナレフィーさんが、淡々と言う。
そういえばこの人、雷竜だったわ……。
ざわざわ
橋が落ちた音を聞きつけた野次馬が、続々と集まってくる。
次にやって来た船が橋の手前で止まり、中から出て来た持ち主が大声で何かを叫んでいる。
「シナレフィーさんの読み通り、大事になっている感じですね」
「今走って来た人間は、冒険者ギルドで見た覚えがあります。狙い通り、そちらにも依頼が行くでしょう。場合によっては途中で落雷させ、作業を遅らせるのも手ですね」
自然現象もお手の物とか。竜はやはり強かった。
用は終えたとばかりに、元いた道へと戻っていくシナレフィーさん。その手をミアさんが、「船に配慮してくれて、ありがとう」と繋ぎ直す。
シナレフィーさんがそうしたのは、百パーセントミアさんのその一言のためだろう。一回手を離したのも、ミアさんを感電させないためだろうし。仲良しご夫婦、ご馳走様です!
「帰りも、リリは私と手を繋ごうね」
「はいですっ」
リリが今度もまた、嬉しそうに返事してくれる。
先程よりも騒ぎが大きくなってきた水路をチラチラ見つつ、私たちは帰路に着いた。