07.百年花
ギルに倒された翌日の私は、キスの時間において『夜以外は三秒まで』のルールを彼に言い渡すところから始まった。昨夜のレベルでやられると、良くて膝から崩れ落ち、悪けりゃベッドに逆戻りさせられるが故に。
しょんぼりするギルに、垂れた犬耳の幻が見えた。でも振り切った。頑張った、私。
そんな午前を経て、現在午後の三時頃。
私は魔王城の中庭に来ていた。そこで栽培している『百年花』が咲いたと、花壇の一画を管理しているミアさんに誘われたからだ。
「ふふっ、サラさん。昨夜は陛下のお部屋に泊まったとか」
「夕べはお楽しみでしたね」のニュアンスで、ミアさんに微笑まれる。
ちなみに、ミアさんには初顔合わせの後すぐに、『ラフな話し方』及び『さん付け』をお願いした。寧ろこちらが彼女を様付けで呼びたいくらいですから。ええ、今日も神々しいです。
「その……キスの時間に倒れて、部屋に戻りそこねただけです……」
昨夜、目が覚めたらギルに添い寝されていた。その上、ガッチリと彼に抱き込まれており、抜け出せなかった。
着衣の乱れは無かったし、最初に押し倒されていた理由が理由なので、何事も無かったと思う。朝食時にシナレフィーさんと「昨夜の調合」について話し合っていたので、あの後ギルは一旦どこかへ行っていたとも思うし。
あと今、ミアさんが身に覚えがありそうな顔をしたので、この推測で合っていそう。
お互いに曖昧な笑顔を返しながら、二人で庭を歩く。
そして陽の光が当たらない場所に、白い百合に似た百年花は咲いていた。
「わぁ……綺麗ですね」
十株ほど植わっているすべてが、満開だ。見た目と同じで、香りも百合に似ている。
花壇の前に屈んだミアさんに、私も倣った。
「レフィーが来る前にサラさんと見られて良かったわ。レフィーに見つかったなら、また「ああ、咲きましたか」の一言で、ブチッと摘んでいってしまったでしょうから」
「あはは……シナレフィーさんにとっては、触媒は触媒なんでしょうね」
以前、ミアさんは、百年花の他にも触媒を育てていたと言っていた。「また」というからには、きっとそれが咲いた時にでもブチッとやられていたのだろう。
「百年花は魔界に在るものも含めて、すべての花が同日に一斉に咲いて、三日後に今度は一斉に散るのですって」
「へぇ……世界を超えて同調するわけですか。不思議ですね」
「この世界では、魔界から持ち込んだものが細々と繁殖しているだけだけれど、魔界には一面に百年花が咲く草原があるそうなの。とても綺麗なんでしょうね」
「それは圧巻な光景でしょうね。――あ、でも今、咲いているってことは見られないのか……」
百年花は名前が表すように、百年に一度しか咲かないらしい。人間の寿命では、ここで咲いているのを見られただけでも運が良かったといえる。
「あら。サラさんも陛下と結婚されたから、見られるかもしれませんよ」
「え?」
どういうことかとミアさんを見遣れば、彼女がにこりと私に笑顔を向けてくる。
「唇に、キスをしたんでしょう?」
「えっ。えっと……そう、です」
かぁ
そんな定番の擬音が付いたなと思える程、私の頬は瞬時に火照った。
「こうガッツリ、来られたわよね?」
「そ、そうです、ね……」
あの。何の拷問ですか、これ。
モヤモヤ
ギルの形を取りそうになっている妄想を、慌ててパタパタと追い払う。
「息もままならくらいに、濃厚な……」
「そそそうですねっ」
ですから何の拷問ですか。
モヤモヤが、くっきりハッキリしちゃったじゃないですか。
あ、ギルが近い。幻のギルが近い。またギルにキスされ――
「竜の体液を人間が摂取すると、老化が緩やかになるみたいなの」
「へ?」
ヒュンッ
幻のギルが消える。
助かったような、惜しかったような。
というかミアさん、完全に私の反応を楽しんでましたよね。お茶目要素も持ち合わせた美人とか、最強か。
「竜の体液で、老化が緩やかに……」
落ち着くために、ひとまずミアさんの言葉を繰り返した私に、ミアさんが「そう」と相槌を打つ。
(……あ、うん。あったあった、そういうアイテム)
体液と言われたから、すぐにはピンと来なかった。けれど、『竜の血』だったならよく見かけるアイテムだ。
蘇生薬であったり、ステータスUPであったり。神話でも木の葉のせいで浴びなかった一点を除いて、竜の血で不死身になった英雄の話があった。竜由来のアイテムに、奇跡を起こす効果は確かにありそうだ。
「でも寿命が延びるだけで、身体自体が丈夫になるわけじゃないから。きっと私たちは彼らを遺して逝く方になってしまうのでしょうね」
ミアさんが悲しげな表情で、百年花の花びらを指先で撫でる。
それからスクッと立ち上がった彼女の顔からは、もう悲しみの色は見えなくなっていた。
「今のはレフィーには内緒にしておいてね。彼との間では禁句になっているから」
「わかりました」
口の前で人差し指を立てたミアさんに、私は頷いてみせた。
ほんの数日見ただけでも、シナレフィーさんのミアさんに対する溺愛は見て取れた。彼女が言うように、『死』の話題は彼にとって禁句中の禁句にあたるだろう。
ミアさんに続いて、私も立ち上がる。
「そう言えば、サラさんはもう魔王城と話してみたかしら?」
「えっ、ミアさんは話せるんですか?」
てっきり、魔に属する者だけのテレパシーだと思っていたのに。
「キスした後、数時間くらいは魔力を帯びているから、その時なら私たちも念話出来るのよ」
「なんと」
竜の体液が万能過ぎる件について。
「今の時間ならまだ出来るかも。呼び掛けてみてはどうかしら。こちらから話すのは、普通に声に出していて大丈夫よ」
ああ、あの。ギルが私の目から見て、一人で喋っているように見えていたアレですね。
でもミアさんにも念話が聞こえるわけだから、私がそうしても変には見えないのよね?
それなら、やってみたい。
「えっと……魔王城さん、聞こえてますか?」
どこに向かって話せばいいのかわからないので、ギルがよく見ている方向を真似て話し掛けてみる。
『ん? お妃さんか』
本当に反応が返ってきた!
青年男性な感じの声だ。城に性別があるのかは知らないけれど。
「はい。沙羅です。あの、素敵な部屋をありがとうございました」
『初日にもお礼を言ってくれてたよな、こっちこそありがとう。コタツだっけか。飛び付いてくれて、用意し甲斐があったよ。お前の記憶をちょちょっと覗いた時に、寛ぐと言えばコレみたいに出て来たから、選んだんだけど。そんなに良いなら、オレも入ってみたいもんだ』
城が炬燵にどうやって。残念ながら、それは無理かと。
というか、今サラッと「記憶をちょちょっと覗いた」とか言われたよ。魔王城の能力高過ぎやしませんか。
「魔王城の気配りはピカイチよね。いつもあやしてくれる魔王城に、うちの子たちもとっても懐いているのよ」
ミアさんが「そうそう」と言った感じで、会話に参加してくる。
城が子供をあやす、とは。私の固い頭では、まったく想像つかないのですが。
ふと、中庭に来る前に見せてもらった、ミアさんのお子さんの様子を思い返してみる。
一人が人間の女の子でイベリスちゃん、もう一人は竜な男の子でアルトくん。私が見た二人は、寄り添って眠っていた。イベリスちゃんは四歳、アルトくんは三歳。イベリスちゃんの見た目は、人間の四歳相応だ。
ただ、見た目が違っても、どちらも体質は竜寄りだそうで。お世話は基本、ルル(リリと同じ呪いの人形らしい)にお任せとのこと。
というのも、竜の育て方は教わったものの、生まれて数ヶ月でミアさんの体重を超えてしまい、抱き上げたり出来なくなったそうだ。以前、寝返りを打った我が子とベッドとの間に手を挟まれ、シナレフィーさんが戻ってくるまで身動きが取れなくなったこともあったとか。
シナレフィーさんが部屋にいる時しか存分に触れ合えないと、ミアさんは嘆いていた。ある程度成長してしまえば、体重調整する技を習得するらしいけれど。何とも切ない話だ。
『おっと、街の方で喧嘩のようだ。ちょいと仲裁に行ってくるか。じゃあな』
異種族夫婦の子育て事情に思いを馳せていたところを、魔王城からの退席の挨拶で現実に呼び戻される。
「え? あ、はい。行ってらっしゃい?」
城が喧嘩の仲裁をすることに突っ込めばいいのか、「行ってくる」発言に突っ込めばいいのか。よくわからないまま返事をした後、視線でミアさんに助けを求めてみた。
「本当、魔王城って不思議よね」
ミアさんにも、わからないようだ。
うん、まあそうだよね。理屈がわからなくてもスマホは使うし、電車にも乗るもの。そういうものだ。
ミアさんと互いに「うふふ」と、誤魔化し笑いをし合う。
「サラ様~」
その直後に離れた場所から名前を呼ばれ、私は反射的にそちらを振り返った。
中庭と通路の境は柱が並ぶだけなので、すぐに声の主の姿が目に入る。
声の主――リリは、ブンブンと手を振りながらこちらに向かって駆けてきた。
「魔王様からの伝言です」
側まで来たリリが、上げた手をそのままに話し出す。
「シナレフィー様が人間の王都に行くので、サラ様もミア様と一緒に行ってみてはどうかとのことです!」
元気よく言い切った彼女は、やはり元気よくシュパッと上げていた手を下ろした。
王都かぁ。王都なら、『ザ・RPG in人間側』な街を拝めような予感。ちょっと惹かれる。
「ミアさん、私も同行していいですか?」
「ええ、勿論よ。レフィーの背中は大きいから、全然問題無いわ」
「え、シナレフィーさんに乗るんですか」
まさかの交通手段。
「最寄りの馬車止めの近くまでは、レフィーに乗って飛んで行くの。それじゃあ、前庭に移動しましょうか。レフィーが竜の姿で待っているはずよ」
言って、ミアさんが歩き出す。
ギルもシナレフィーさんも竜だと聞いてはいるけれど、実際どんな感じなんだろう。
「よろしくお願いします」
私はワクワクしながら、ミアさんの後に続いた。
でかい。とてつもなく、でかい。
竜なシナレフィーさんに対する感想は、もうそれしかなかった。
前庭に入る手前で、思わず足を止める。
そこから見える景色は、紫。紫の巨体が、広いはずの前庭を半分以上を占めていた。
私を丸呑み出来そうな大きな口が少し動いたかと思うと、琥珀色の爬虫類的な目がギョロリとこちらを見る。
(こ、これに乗れと……)
シナレフィーさんとわかっていても、近寄りがたいのですが。
いや、そもそも『シナレフィーさんに乗る』こと自体、難易度高くないですか。
私が固まっている間にも、ミアさんがシナレフィーさんに駆け寄り、その大きな顔にキスをする。
(あ、デレた)
目付きが柔らかくなったシナレフィーさんに、ちょっとだけ恐怖が減った。ミアさん、ありがとう。
もたもたしていては、またシナレフィーさんの目付きが鋭くなりそうだ。私は覚悟を決めて、前庭に足を踏み入れた。
中庭からそのまま私たちと来たリリが、私の後ろを着いてくる。街へも一緒に行くらしい。
『お、妃殿下だよ』
『ここへ来られるのは初日以来だなあ』
(んん?)
少し歩いたところで予想外な第三者の声が聞こえて、私は思わず周りを見回した。
(あ、食人蔦)
忘れてた。ここには彼らがいたんだった。どうやら念話が出来るようになったので、彼らの声も拾えるようになっていたようだ。
『オレたち癒やし系とは程遠いからなぁ』
『それもだけど、やっぱ最初にジロジロ見ちゃったのが駄目だったんじゃん?』
『そりゃ陛下が、めっちゃご機嫌で抱きかかえてたら見るだろ』
『それなー。オレも嫁が欲しい』
ワシャワシャ
食人蔦たちが、花びらや蔦を動かしながら会話する。
『オレたちは分裂して増えるから、嫁とか関係無いじゃん』
『別に繁殖がどうのじゃなくてさ。嫁が欲しい』
『それなー。せっかく口があるんだから、キスの時間やってみたい』
ワシャワシャ
ワシャワシャ
声が聞こえなかったら、きっと私をどう食べてやろうかの算段に見えたね、これ。実際は普通の、寧ろ微笑ましい感じの雑談をしているわけだけど。
そう思いながら眺めていると、
「ひゃっ!?」
彼らは突然、一斉にこちらを振り返った。
ヒュッ
直後、風を切った音がした。
一本の蔦が、私の耳の側を通ったらしい。
私は反射的にその蔦の行方を追って――それが何をしたのかを直視してしまった。
バリバリ
ムシャムシャ
(花が蝶を食べてるー!)
そこそこ大きさのある青い蝶が、片方の羽、胴体、もう片方の羽の順で花の口の中へと消えて行く。
うわわ。『食人』ではないけれど、食人蔦の食事場面を目撃しちゃったよ。
衝撃的……ああでも、溶かしてジワジワ嬲り殺しにする食虫植物よりはマシなような……
『探索蝶ですね』
モグモグしている食人蔦の口に釘付けになっていた私の頭に、食人蔦たちとは違うテレパシーが届く。シナレフィーさんが発したもののようだった。
シナレフィーさんに目を向ける。
『一部の人間が使役する、失せ物探し用に飼育された魔物です。情報が伝達されたなら色が赤く変わるので、妨害は間に合ったようですね。妃殿下を探しているのなら、依頼主は恐らく勇者でしょう』
「カシムが?」
『妃殿下の契約は陛下が強制的に外しましたが、向こうは縛られたままです。勇者は、貴女を殺して次の嫁を用意しようと考えるはずです』
「結局、命は狙われるわけですね……」
カシムが『勇者の嫁』に拘るのは、やはり森にあった剣を抜くためだろう。
ギルはあの剣のことを『竜殺しの剣』と呼んでいた。ギルもシナレフィーさんも、その竜だ。これほど不穏な名称もない。
(そもそも何で森に放置してあるんだろう?)
あれでは勇者に持って行って下さいと言わんばかりだ。こちらで回収出来ないものなんだろうか。――うん。今度、ギルに相談してみよう。
「食人蔦さんたち、守ってくれてありがとう!」
『あいよー』
ワシャワシャ
『リリ。大きめの帽子を妃殿下に渡して下さい』
「はいですっ」
シナレフィーさんの指示に、リリが亜空間から帽子を取り出す。
おお。これが大きさも重量も無視してアイテムを持ち歩ける、カラクリなわけですな。
ポーションを九十九個なら鞄に入らないことも無いかもだけど、RPGは大量の武具に、場合によっては丸太なんかも持ち歩いちゃうからね。ここでの『鞄』は、亜空間に繋がっている入口を意味するに違いない。
「どうぞ、サラ様」
ぽすっ
リリが私に帽子を被せてくれる。
『勇者が探しているなら、妃殿下の髪の色は目立ちます。それで隠していて下さい』
「わかりました」
リリからヘアピンも受け取り、帽子を固定する。
「それじゃあ、サラさん。行きましょうか」
準備万端となったところで、頭上から声が掛かった。ミアさんは、いつの間にか既にシナレフィーさんに乗っていた。
リリが、シナレフィーさんの爪、手の甲、腕、そして胴体と、慣れた足取りで登っていく。
「よいしょっ……と」
それを真似て、何とか私も竜の背によじ登った。
前からミアさん、私、リリの順で座る。
うう、既に高い。地上が遠い。これは見ては駄目だ、頭がグラグラしてくる。
多分、結界魔法で上空の気温や風圧をカバーしてくれるのだろうけど、目が眩んでずり落ちた場合ってどうなんだろう。
……か、考えないでおこう。
バサッ
竜が巨大な翼を広げる。
『では行きますよ』
そして彼の言葉とともに、竜の巨体は身を固くした私に容赦なく、高速で飛び立った。