03.夫婦以上、恋人未満
私を部屋まで送るというギルと、手を繋いで廊下を歩く。
ギルの腕に捕まるか手を繋ぐかの二択を迫られ、こうなった。
そして『キスの時間』を含むこういった触れ合いは、ミアさんがシナレフィーさんに吹き込んだということが判明。人間の恋愛はこうだと言えば何でもやってくれるのが楽しくて、乙女の夢を詰め込んだとこっそり話してくれた。
私も、こてこての恋愛物語は嫌いじゃない。寧ろ好き。
しかも相手のギルは好みの男性だ。最初は戸惑った『キスの時間』が、二回目は既に嬉しかった。果敢にもシナレフィーさんに仕込んだミアさんの勇気には、敬意と感謝しかない。
「ここを曲がれば、サラの部屋がある廊下に出る」
ギルが飾られた花瓶に軽く触れて、私を見る。
目印ということだろう。覚えておかないと。ギルと違って、私は瞬間移動なんて出来ないし。
「本格的な案内は、明日リリにさせるよ。一人で城内を歩きたいこともあるだろうから」
「ありがとうございます」
ギルを見上げて、礼を言う。
その際に、壁掛けランプが突然点いたのが目に入り、驚いた。
「ああ、それか? 辺りが暗くなったら点くんだ。魔王城は気の利く奴だからな」
城の方で点けてくれるなんて。部屋の用意といい、ランプといい、何て理想的な住居だろう。
「魔王城のランプだからでしょうか。イスカの村で見た灯りとは、全然違いますね」
魔王城のものは青白い光を放っている。村で見たものは、黄色味がかった白だった。
それに一定の明るさを保っているという点でも違う。村のは蝋燭の火のようにゆらゆらと揺れていた。召喚から息つく間もなく森に運ばれたので、じっくりと見たわけではないけれど。
「それは多分……夜光蝶を硝子に閉じ込めたものだな。あれも同胞だから、命が尽きる前に助けたいとは思っている」
ギルが顔を顰める。
「人間の集落には、殺された同胞の血肉が衣類や家具になっているものが、そこかしこにある。気分が悪くなる、長居したくない場所だ」
「う……」
私は思わず口を手で押さえた。
ギルの言葉が胸に突き刺さったが故に。
(あああ……素材集めてアイテム作るゲーム好き! 実は全ジャンルの中で一番好き! ごめんなさい!)
その手のゲームで出て来る素材は、植物や鉱石も勿論あるが、モンスター素材の種類も多い。言われてみれば、モンスターから手に入れるためには戦って倒すわけで。んで、落とすアイテムも毛皮とか爪とかなわけで。つまりそれはそういうことだ。
「悪い、血なまぐさい話をしたな」
「いえ……」
どちらかと言えば、血なまぐさいのは私の方かと。うきうきで狩りに狩ってました、はい。
この秘密は墓場まで持って行こう。心に決めた。
等間隔に並んだランプを五個程過ぎたところで、ギルは「到着」と立ち止まった。
そのまま彼が扉を開けてくれる。と、その扉がぶつからないギリギリの位置にリリがいた。
「サラ様、お風呂の準備が出来てます!」
元気に挙手する彼女。
どうやら一仕事終えた後、ここで成果を報告するため待機していた模様。
リリがニコニコしながら、部屋の入口から廊下にいる私を見つめてくる。
そう、私(一応部屋の主)はまだ廊下にいる。
私は元々お世話をされるような身分ではないから、気にしない。けど、彼女に私以外を持て成す機会が来たとき、この対応では不味いのでは。
例えばほら、高飛車でボンキュボンな女悪魔とか。はたまた、何でも食べてしまう悪食を極めた巨漢とか。
リリがお咎めを食らったり、物理的に食らわれたりするのは忍びない。
「リリ。そういった報告は、私が部屋に入った後で教えてくれる?」
「! そうですね。サラ様は、まだ魔王様と一緒には入らないんでした。お一人になってからお伝えした方が良かったですね」
「えっと……」
その「まだ」というのは、やっぱりシナレフィーさんが基準なのよね?
いや、そうじゃなくて。そこじゃなくて。
「魔王様のお風呂も準備万端ですよ!」
あれ、ギルにそんなついでにって感じで言っちゃう?
「おう、じゃあ俺も部屋に戻って入るか」
んで、ギルもそんな感じで返しちゃう?
うーん。これは私の要らない心配なんだろうか。でも単にギルが気安いだけな気もする。
うん、これからも気付いた範囲で彼女に指摘して行こう。
ぽむ
不意にギルの手が私の頭に載せられ、私は反射的に彼を見上げた。
「わっ」
目が合ったギルが、流れるような自然な動作で私の頬にキスをしてくる。
去り際に彼が言った「まだ、時間は早いけど」という台詞からいって、三回目の『キスの時間』だったようだ。
「サラ、また明日な」
「ま、またっ」
いけない、うっとりしていた。隣の部屋に入る一歩手前だったギルに、私は慌てて挨拶を返した。
ギルが片手を上げてみせて、それから部屋に入る。
そしてリリに目を戻した私は、「サラ様を磨くのもお任せ下さい!」と鼻息を荒くした彼女の腕に、ガッシリと捕まった。
数刻の後、私はリリの言葉通りピカピカに磨き上げられた。
さらには、用意されたネグリジェも、彼女の手で着させられてしまった。「サラ様、万歳して下さい」とお手本万歳をしたリリに、つい絆されてしまったといいますか……。
(あ、これも見覚えのある服)
そのリリも退室し、私は一人、クローゼットの中身を検めていた。
ここまで着てきた花嫁衣装は、私がお風呂に入っている間にギルが灰にしたらしい。代わりに魔王城が幾つか着替えを用意したということだった。
で、だ。あるわあるわ、元の世界とそっくりの服やら靴やらが。炬燵が出て来るくらいだ、元の世界の服だって出せちゃうわけだね。
(しかも、よく着てた服だけピンポイントであるような。さすがは魔王城)
明日はひとまず、生成り色のシンプルなワンピースにでもしようか。
私はそう決めて、クローゼットを閉めた。
(さて……)
この後は、もう寝るだけという状況になったわけで。
私はベッドの側まで歩いて行った。
そしてベッドの前に立ち、
「とぅっ」
敷かれた真新しいシーツに、思いっきりダイブ。天蓋付きの広々としたそれは、予想を裏切らない柔らかさで私を受け止めてくれた。
ごろんごろん
二回転しても余裕なのをいいことに、私はベッドの上でじたばたした。例のギルとの出会いシーンで出来なかった分、今したくなった。
「ギルってば、格好いい……!」
部屋の広さからいって隣や廊下にも聞こえなさそうなので、もう声に出して言っちゃう。
颯爽と現れ、一撃で悪者をノックアウト。
そして囚われの私を抱きかかえて、華麗に脱出。
そんな彼の容姿は、美形。おまけに優しさも持ち合わせている。
満点だ。ときめかないわけがない。
ぼすんっ
大の字になって、裏地に刺繍が施された天蓋を見上げる。
(ギルに出会えて良かった)
助けてもらえて、というのは勿論ある。けれど、それ以上に彼と出会えたこと自体に感謝したい気持ちでいっぱいだ。
まるであの時、最初から私を迎えに来てくれたかのような錯覚さえしてくる。彼の『俺の嫁』発言に対しても、最初から嫌だと思ったことは一度も無い。
私に向けられるギルの優しさは、『ゲスト』ではなく『身内』に対するそれで、そして私はそのことが嬉しいと感じている。
(好き……なんだろうな)
我ながら、チョロいと思う。速攻過ぎると思う。
でも、そうだから仕方が無い。ギルの傍が心地よいから。初めて来た場所で、こんなにも寛いでしまっているほどに。
(自分の家より、ほっとしてるかも)
目を閉じて、日本の狭いアパートの一室を思い浮かべる。
備え付けの家電以外はあまり物が無い、小さな自分の城。
母の再婚を境に、もう一年以上実家には帰っていない。独り暮らしでバイトに明け暮れ、大学は奨学金で通っていたから、成績も落とすわけにいかなかった。
毎日、必死だった。あんなに好きだったゲームも、高校二年生の時にプレイしたのが最後だ。
(今、プレイしたら魔王側の肩を持ちそう。ああ、中にはそんなゲームもあったっけ)
くすりと笑った自分が可笑しくて、また笑う。
こんなふうに思わず笑ったというのも、随分久しぶりだ。そんなことを考えながら、私はやって来た穏やかな眠気にそのまま身を委ねた。
◇◇◇
風呂から上がった俺は、革張りのソファーに腰掛け、シナレフィーから貸してもらった本を広げた。
『恋するあなたへ ~初めてのデート編~』。シナレフィーが言うには、唇へのキスはこの『デート』という段階を踏んでからが原則だとか。しかも『デート』を成功判定で終わらせた場合のみ可だとか。
『おい、魔王。魔王ってばよ』
「何だよ、魔王城。俺は今から、失敗出来ない重要なミッションにおける指南書をだな――」
『さっきお前の嫁が、お前のこと「格好いい」って言ってたぞ』
「何だって!」
立ち上がった拍子に手から滑り落ちた本を、どうにか床に付く直前でキャッチする。
危ない。これの持ち主は、本の汚れや折れに厳しいのだ。
「一人でこっそりそんなこと言ってるなんて、サラは照れ屋なんだな。うへへ」
サラの部屋へと繋がる扉を見る。壁を透過する能力は持っていないが、可愛く俺に思いを馳せている嫁の幻が見えた気がした。
『今、「格好いい」とは真逆の顔になってるぞ』
「いいんだよ! 彼女といる時はキリッとするから」
『ボロが出るのも時間の問題だな』
「そんなことは無い。俺的には、格好良くサラを助け出したし、最初のキスも決まったと思ってる」
『見栄を張るのは止めておけって。そういう垣根が無い方が、良い夫婦ってもんだ』
「ぐ……」
正論を繰り出してきた魔王城に二の句が継げず、黙ってソファに座り直す。
『まあ、オレが見た感じじゃ、お前が素を出しても嫁の好感度は寧ろ上がると思うぞ』
「よしわかった。明日からはそれで」
そういうことなら取り繕う必要なんてない。
俺は先程まで見ていた本を、もう一度広げた。
パラパラ
本の頁を捲る。
捲って、悩み、唸る。
「安全性を考えるなら、慣れたうちの城下町でするのがいいんだろうけど……あそこじゃ本に載ってるようなデートは難しいよなぁ……」
魔物は基本物々交換の生活のため、通貨が流通していない。だから商店は少なく、しかも客が被らないようそれぞれが離れて建っている。ウィンドウショッピングをするには、向いてない街の構造だ。
ちなみに先人シナレフィーは、本を漁りに頻繁に人間の街へ行っていたため、その辺の人間より余程人間の街に詳しかったとか(ミア談)。
『根本的なことを聞くとさ、魔王。仕事を手伝ってくれと頼んだ矢先から、デートに誘うってどうよ?』
「え?」
街以外のデート例を探し始めていた俺は、魔王城の問いに手を止めた。
『「え?」じゃないって。お妃さんに仕事手伝ってくれって言って、彼女がわかりましたって答えた。そこで二人で街へ行こうって話を出したら、良くて『視察の同行』。悪けりゃ、仕事に不真面目な男認定だ』
「! 良くても悪くてもデートじゃない!」
突き付けられた事実に、思わず本を閉じてその背表紙に額を打ち当てる。
『キスの時間』は良い感じにこなせたから、デートも楽勝と思いきや……甘かった。
「――待てよ。街の視察だと思われるなら、いっそそれを利用してしまえばどうだ。視察が終われば、そこから城まで帰る道中は仕事じゃない、よってデートになる。名案だ!」
『視察って名目なら、出掛けるのは夕方からにしておけよ。昼間までは閑散としてる場所が多いから。民の生活時間帯を把握してないのかと、減点されるぞ』
「わかった。本当に気が利くよな、魔王城は」
『オレも早いところ魔界の本体に帰りたいからな。その方向に舵を切ったお前のことは、評価してんだよ』
照れたような魔王城の声がして、それを最後に魔王城の気配は遠ざかった。
サラがくれた情報で、魔界への帰還計画は大幅に進展した。やっぱり彼女は、出会うべくして出会った俺の嫁だったに違いない。
(何かこう……つい触りたくなるし、というか気付いたら触ってたし)
撫でた髪のくすぐったさ。キスした頬の、柔らかさ。
「うん。俺はサラが好きだな」
俺はここからでは聞こえないだろう言葉を、彼女の部屋に向かって言った。