02.魔界へ帰ろう計画
食事が終わり、リリがお茶を運んで来てくれる。人数分を並べ終えると、彼女は着席する私たちを残して退室した。
私の隣にギルが座り、ギルの前にシナレフィーさん。シナレフィーさんの隣には、予想通り美人(清楚系!)の彼の奥さんが座っている。食事の前にミアという名だと紹介された。
食事の席は、やたら長いテーブル――ではなく普通の四人掛けテーブルだった。貴族的なあれの実物を一度見てみたかったので、少し残念だ。
食事の内容も、驚くほど普通の洋食だった。人間のミアさんがいるからかと思えば、そうではなく、彼女が来る前からこうだという。
言い出しっぺは、ギル。何でも本来の姿では満足行く量が確保出来ず、人型なら小さいし少量で腹が膨れるのではと思ったらしい。そしてそれがドンピシャリ。感動したギルは早速シナレフィーさんにも勧めて、以来二人は省エネのために日常的に人型を取っているのだとか。
人型の魔王は珍しくないが、皆が皆ギルのような切実な理由でないことを願う。ちなみにギルの種族は、古代竜とのこと。そりゃあ食料の確保が難しいだろう。正体を見なくとも相当大きなことは、容易に想像がつく。
「サラはイスカの村の人間に召喚されたと言ってたな。その時にオーブを見なかったか?」
ギルは紅茶を一口飲んだ後、私にそう聞いてきた。
私は今回の食事の際に、自分があの場にいた事情をギルに話していた。
異世界から来たなど信じるだろうかと心配だったが、まったくの杞憂。「俺たちも魔界からこっちに来ているしな」とあっさり信じてくれた。言われてみれば、ごもっともである。
ちなみに食事中における会話は、それしかしていない。ギルとシナレフィーさんの見事な食べっぷりに、呆気に取られているうちに終わってしまっていた。
「んー……」
私は目を閉じて、召喚された時のことを思い起こした。
「あった……かも」
目を開け、ギルに頷いてみせる。
召喚された部屋の中央、台座の上にそれはあったと思う。
勇者だ魔王だと聞いてすぐピンと来るくらいには、私はゲーム好きだ。オーブが丸い宝石を指すなんて常識中の常識。私が見たあれで間違いないだろう。
「やっぱりそうか。あれは元々俺たちが、こちらの世界に渡る時に使用したものだ。サラが異世界から喚ばれたというから、そうじゃないかと思った」
「オーブの所在がわかったのは、朗報ですね」
「ああ。触媒の方は渋い結果だったが、一番の問題だったオーブの在処がわかったというのは、大きな前進だな」
嬉しそうに話すギルと、やっぱり無表情のシナレフィーさんが頷き合う。
「そうだ、サラにも話しておく。俺たちは今、魔界に帰る計画を立てている」
既に紅茶を飲み終わったらしいギルが、私の方に身体ごと向き直って言う。
私は自分のカップに口を付けながら、彼の方を見た。椅子の背に片腕を掛けたギルは、だらしないどころかそれがまた格好いい。イケメンは得である。
「オプストフルクト――ああ、この世界のことな。ここに魔族たちを連れて来たのは、先代の魔王なんだ。当の本人は勇者と呼ばれる人間に殺されてもういないし、だったら俺が魔界に引き上げても構わないだろうと思って。そんなわけで、俺が魔王に即いた日から準備を始めたわけなんだけど、そこで勇者が『転移のオーブ』を持ち去ってたことに気付いたんだ。参ったよ」
「オーブもですが、宝物庫も根こそぎやられてましたね。炎竜の奥方のために貯め込んだ財宝だったと聞いた時は、さすがに多少は同情しました」
「あー……」
溜息をつく二人に、私は苦笑いを浮かべた。
(私もラスダンは隅々まで歩いて宝を集める派です、申し訳ない!)
そして心の中で手を合わせた。
「今日からサラ様も計画に参加されるのですか? ふふっ、楽しみですね」
鈴が鳴るような可愛いらしい声がして、私は正面に目を戻した。
煌めく淡褐色の瞳。同性ですら見惚れるような天使の笑顔が、そこにあった。
(ミアさん……素敵過ぎ。これは竜に拾われるわー)
つい釣られてこちらまで笑顔になる。あのシナレフィーさんですら、ほんのり表情が和らいでいるのだから、凄まじい威力だ。
蜂蜜の髪色も相俟って、実に神々しい。真っ直ぐ艶やかなそれは、先程から撫でまくっているシナレフィーさんでなくとも触りたくなる。
私はあまりの目映さに翳しかけた手を、カップを握り直すことで誤魔化した。
「そうだな。正直、人手は多い方が助かる。俺は出来るだけ多くの同胞を、無事魔界に連れ帰りたい。サラ、協力してくれるか?」
「はい。私にも協力させて下さい」
私は即座に頷いた。
ギルは命の恩人で、彼の敵は私を生け贄にしようとした人間。悩む余地も無い。
「ありがとう。同胞は生きてさえいてくれれば、俺が魔界から一気に回収することが可能なんだ。とは言っても、俺の呼び掛けに応えてくれた魔物に限るけど。中にはそのまま人間との暮らしを望む奴もいるから。特に兎族や猫族なんかには、その傾向が強いな」
小動物で可愛い系の魔物か。
兎から竜までいる魔物社会なら、そういったこともあるかもしれない。そして彼等が人間の傍の方がいいということは、どうやらここの世界でも『可愛いは正義』のようである。
「俺が向こうから回収出来るのは、魔物だけ。だから、サラは転移の際に俺から離れないでくれ。ミアはシナレフィーが連れて行く」
「わかりました」
「さて、オーブはイスカの村か……あそこは小規模だし、どうにか持ち出せればな……」
「いえ、陛下。オーブの奪還は触媒が集まった後にした方が良いかと。狙いがオーブと知れると、転移魔法の触媒集めを妨害されるかもしれません」
「そうか。それもそうだな」
シナレフィーさんの推測に、ギルが「ふむ」といった感じで、指で顎を撫でる。
「とは言え、先程報告したように、触媒集めは難航しています。当初はミアが育てているものが収穫出来た時点で揃う予定でしたが……現状だと、計画に遅れが出るのは必至ですね」
「ようやく半分だからな。先代がいなくなって、人間が急増したせいでやりにくいったらない。あんな辺境にまで住んでいるなんて」
「私はミアと無関係の人間なら、ごっそり減らしてもいいですよ」
「そうなったら、死んだやつらと無関係の人間も、お前と無関係の魔物を殺すだろうな」
「まあ、そうなるでしょうね。私が人間を殺してみせても、目撃した人間はその場は逃げて、別の魔物で鬱憤を晴らすでしょうから。面倒なことです」
「そうそう。だから却下な」
ミアさんの髪を掬って弄んでいたシナレフィーさんを、ギルがビシッと指差す。
ねぇ。
今、とても不穏な意見が、さらりと出ていた気がするのだけど。
数時間前の、初顔合わせを思い出す。
シナレフィーさんの第一印象は、あながち間違いでもなかったらしい。彼は妻以外の人間には、やはり容赦無さそうだ。
こうなるとギルの「俺の嫁」発言は余計どころか、最重要だった。あれがあったからこそ、私の身の安全が保障されたと言えよう。
「サラ。転移のオーブは魔王のいる世界に付いてくる。だから俺たちが魔界に戻った後なら、そこからお前の世界に送ることも可能だ」
「私、戻れるんですか?」
「人間に扱えて、俺に出来ないはずないだろう」
自信ありげに言うギルに、それもそうだと納得する。
元より助力は惜しまないつもりではあったが、そうなると俄然やる気が出て来るというもの。自分のゲーム知識が、役立てられないだろうか。
「触媒集めって、どんなことをしているんですか?」
「鉱石なら、鉱山まで行って魔法で掘り出している。薬草は、栽培出来るものはミアに育ててもらって、そうでないものは野生のを採集しに行ってる」
「多くの触媒は、他の魔法を発動させる際にも必要です。だから、人間と取り合いになるんですよ」
ギルの説明に、シナレフィーさんが難航している理由を付け加える。
確かにそれだと人手が少ない分、ギルたちが不利だ。
でもそれは逆に、人間社会の中ではそれなりに流通していることになるのでは。
「人間に身近なものなら、彼等から買うのはどうですか?」
奪っていざこざを起こしたくないのなら、普通に取引してみればどうだろう。
そう思って提案してみるも、ギルが首を横に振る。
「俺もそう思って、人間の街を見て回ったことがあったんだ。ところが、売ってなかった。店売りしてないってことは、どこかで纏めて管理されていることになる。そういった場所で買うとなると、身分証明がいるだろう。無理だ」
「纏めて管理……もしかして」
私はピンと来た。
ここはファンタジーな世界。で、魔物がいる。と来れば『冒険者』がいるのでは。
そして採集したものを買い取り、纏めて管理しているのは、『冒険者ギルド』なのでは。
「ギル。そこから買えるかもしれません。身分証明書が無くても」
「何!?」
ギルは「管理されている」からお堅いところだと思ったのだろう。けど、私の予想が正しければ、そこと取引するのにそんなものは必要ない。
「多分ですけど、そこは受注発注の店です。いつも取り合いになってる状態なら、定期購入している人がそれなりにいるはず。それなら店の方で、多めに在庫を持っているかもしれません。運が良ければ発注したその場で、手に入るかも」
「何だって!」
「? 妃殿下は異世界から来られたはずでは。どうしてそのような情報が?」
ギルがガタッと椅子から立ち上がる一方、シナレフィーさんが冷静に聞いてくる。
「私の世界には、異世界について書かれた本があるんです。それも大量に。で、多くの異世界でそのシステムを採用している店が存在するんですよ。だからここでも、そうなのではと思って」
そう答えれば、シナレフィーさんが珍しく目を瞠る。
「あら。レフィーったら、サラ様の世界の本に興味津々て顔ね。本当、本の虫なんだから」
彼がそうなった理由は、ミアさんが言ってくれた。
「竜族は、知識欲が強い種族なんです」
「それは身を以て知っているわ。人間との間に子供が生まれたらどちらに似るのか、実験された当事者ですもの、私は」
「それはっ……今は、実験などとは思っていません。誓って」
シナレフィーさんが、今度は焦った様子を見せる。
彼のレアな表情を立て続けに二つも引き出すとは。ミアさん、すごい。
今の話からいって、最初からシナレフィーさんに、ミアさんに対する恋情があったわけじゃなさそうなのに。それどころか、マイナス感情からスタートだったろうに。私なら秒で心が折れる。間違いない。
「そう言えば、聞きましたよ。サラ様も生け贄にされそうなところを、陛下に助けていただいたとか。私も昔、雨乞いの儀式で、水神の花嫁という名の生け贄になるところをレフィーに助けてもらったんですよ」
「それは……奇遇ですね」
どうやら二重の意味で『奇遇』だったようだ。言ってから、数刻前のシナレフィーさんと同じ台詞を口にしたことに気付いた。
「初めて会った時のレフィーったら、「湖と結婚出来るくらいなら、竜でもいいでしょう」なんて言ってきて。開いた口が塞がらなかったわ」
大仰に溜息をついてみせるミアさんに、シナレフィーさんが「ミア……」と少しおろおろした様子を見せる。
「ふふっ、虐めてごめんなさいね、レフィー。今はちゃんと幸せよ。あ、そうそう。子供がどちら似かは、今のところ半々なんですよ。一人目が人間の赤ちゃんで産まれて、二人目は卵で出て来たの! 何だか得をした気分だわ」
ミアさんが弾む声で言い、幸せそうに笑う。
「二人もお子さんがいるんですか!」
見えない。彼女が若いというのもあるが、それ以上に体型がそんな感じじゃない。華奢だ。スリムだ。あ、でも胸は大っきい……。
「幸い人間の生殖については、記された書物が多数あったので助かりました」
ミアさんに替わりの紅茶を注ぐシナレフィーさんは、もう無表情に戻っていた。
(それってあれよね。現代で言うところのエロ本とかそういう……)
ミアさんがにこにこながら、シナレフィーさんが淹れた紅茶を飲む。
エロ本を読み漁ったと言ったも同然の夫に、まったく動じないミアさん。やはり、すごい。
ところでミアさんが、さっきからシナレフィーさんを『レフィー』呼びしてるの。やっぱりこれなんだろうな、ギルが『ギル』呼びに固執する理由は。
羨ましかったんだね。そう思って、ギルをちらりと見る。
「ん? 竜の知識欲についてか? 俺は謎を解くより、探す方が好きだ!」
ドーンという擬音が付きそうな程、どや顔でギルが言う。
そう言えば、ギルも古代竜で竜族だった。謎を解きたい派のシナレフィーさんとなら、良いコンビになっていそうだ。
「シナレフィー。明日、街に行って、サラが話していたような店がないか調べてきてくれ」
「かしこまりました」
ボーンボーン……
シナレフィーさんがギルに返事をしたところで、食堂に置かれた巨大な柱時計が鳴った。
「キスの時間だ」
「キスの時間ですね」
その音に、同時に反応する男二人。
でもって、
(うはぁっ!)
シナレフィーさんが涼しい顔で、めっちゃ濃厚なキスをミアさんに仕掛けた。
それを常日頃からやってるわけですか。そうですか。
「ひゃっ」
ギルから私へは、額にチュッと。
ニッと笑ったその表情、やっぱり好きです。
(キスの時間て、私からギルにしてみてもいいのかな)
もしそれをやったならと想像してみて、慌てた彼を思い浮かべて口元が緩む。
(そ、そのうち勇気を出して……!)
元の世界に帰れるのだから、旅の恥は掻き捨てということで!
良い笑顔のまま私の頭を撫で始めたギルに、私は密かな決意を胸にした。