22.人工精霊
魔王城で意識を失い、次に目が覚めた時にはログハウスのような建物にいた。硬い木製のベッドに寝かされていた私を、金髪の少年が見下ろしている。
「やぁ、お目覚めだね。魔物は予定通り回収されたみたいだよ。置き去りにされちゃったね、お妃様?」
楽しそうに話す少年の肩には、青い蝶が数匹止まっていた。
(この子が宮廷魔術士なの?)
てっきり老人、そこまででなくとも中年と思っていたので面食らう。
少年は肩の蝶に指を伸ばし、蝶が移ったその指を前方へと向けた。蝶が少年の指から離れ、ヒラヒラと私の方に向かってくる。しかし蝶は途中で引き返し、再び少年の肩に止まった。
「うーん、一ヶ月経ってもまだ駄目か。蝶ですら男は触れないとか、竜の執着心は相当だね」
「一ヶ月……?」
私は上体を起こし、不可解なその言葉を鸚鵡返しした。
ギルの結界が「男は触れない」レベルに引き上げられたのは、オーブ奪還のときのこと。仮にここへ連れて来られて丸一日経ってたとしても、数日のはず。
「いいね、その訳がわからないって顔。そう、一ヶ月。経っちゃったんだよ、君が僕に攫われてから」
「え?」
「これを聞いても、まだ助けが来るって希望を持てる?」
少年が赤い瞳を細めて笑い、ベッドの端に腰掛ける。彼と目線が近くなる。
「僕の一族の男に異世界人は大人気なんだ、君の取り合いは必至だね。ああ、君の世話を任せた女たちも皆僕の一族だから、情に訴えたところで無駄だよ? 彼女たちは、自分がどういう過程で生まれてきたのか知ってるからね」
「王家にいた、日本人の子孫……」
私がそう呟くと、少年は「正解」とまた笑った。
「絶望した?」
台詞にそぐわない、弾むような声で少年が言う。
少年の周りを、青い蝶がヒラヒラと舞う。
(探索蝶……)
今は青いこの蝶が、赤く染まっていた光景が蘇る。
ギルの声に見上げた天井、密集した赤い蝶、消える私、消えようとするギル……。
(魔物は回収された。ギルは、ちゃんと魔界に帰れたんだ)
何とはなしに、自分の手のひらを見る。
ギルは計画通り、魔物を保護出来た。彼自身も竜殺しの剣の脅威がある世界から去ることが出来た。
開いていた手を握り込む。指は、当たり前だけれど自分のてのひらに沈んだ。
この手を離して正解だった。心からそう思えるほど、私は出来た人間じゃない。
「……絶望は、しないわ。だって、彼の手を離したのは、私なんだから」
それでも強がりくらいは、言っておきたい。
私の返事に、少年は口笛を鳴らした。
「いいね、お妃様。魔王の結界が消えたなら、久々に僕自身が相手をしてあげてもいいかな。魔王妃とか面白いし」
「……っ」
少年が指を自身の唇に滑らせる。その仕草に、触れられたわけでもないのに背筋がゾクリとなる。
(確かに言ったのは強がり。でも)
実際、私は希望を捨ててない。逃げ出せる可能性は、あると思っている。
少年は私を侮っているのか、私の手足は自由。この部屋にある、人が通れそうな大きさの窓も開いている。
(森に入れば……)
窓から見える森は、疎らにだが一般的なものより青みがかっている木が混ざっている。そんな色をした木を、私は知っていた。
この森を進めば青緑の木が増え、青一色になり、その先にきっと精霊の村がある。
ギルと一緒だった時は飛んで行ったとはいえ、森に変化の兆候が現れてからの村まではあっと言う間だった。彼が景色が楽しめる速度で飛んでいたことから、一般道路を走る車くらいの速度と考えて……徒歩で行けない距離ではないと思う。
この森といい、今いる建物といい、おそらくここは王都ではない。私の世話をしているらしい女性たちは、王家なのだからきっと王都出身。土地勘の無い場所、それも森の中までなんて、私を追っては来ないだろう。
(精霊の村まで行けたら、比較的安全なはず)
あそこは普通の人は入れないので、追っ手が来るとしたらカシム一人。そのカシムも男なので、少なくとも今は私に触れない。
それに、最初に魔界から魔王を呼んだのは精霊だという話だった。案外、魔界に渡る方法もあるかもしれない。それだけでも行ってみる価値がある。
「精霊の村に逃げたらどうだろう、なんて考えてる? お妃様」
「!?」
まるでこちらの考えを見透かしたかのようなタイミングで言われ、私は反射的に窓から目を外した。不自然な方向を見たまま動けない私の視界の端に、薄ら笑いを浮かべた少年が映る。
「良い考えだね。賢い、賢い」
少年が足を組み、私の方へ上体を寄せてくる。内緒話でもするかのように。
「でも残念だったね。君が寝ている間に、あそこの結界は穴だらけ。ついでに精霊は大騒ぎ。だってそうでもしないとあの魔王、単体ですぐにでも帰ってきそうな感じだったし。僕は彼に恨みも用も無いから、来られても面倒なんだよ。だから来られなくしておいたんだ」
少年が片手をひらひらさせながら、足を組み替える。
「去り際に魔王城が自動修復機能を付けてったみたいだけど、結構派手にやったから元通りになるまでには百年くらいは掛かりそうかも。生きて会えそうにないね、お妃様」
「……」
ケラケラと少年が笑う。
「ジラフ」
その最中、少年の笑い声に混ざって、静かな、しかしよく通る声が私の耳に届いた。
扉が閉まったと思われる音の直後、見覚えのある人物がこちらへと歩いてくる。
(カシム……!)
竜殺しの剣を背負った天敵とも言える彼の登場に、私は思わず身構えた。
そんな私をカシムが見てくる。しかし彼は私を一瞥しただけで、すぐに少年――ジラフという名前らしい――へと目を移した。
「狙ったように現れたね、カシム。やっぱりお妃様に気付け薬を盛ったのは君だったのかな。可哀想なことをするよね。意識が無いまま犯された方が、まだ幸せだったんじゃない?」
ジラフが今度は足をぶらぶらさせ、それからカシムに肩を竦めてみせる。
「これ以上、お前の好きにさせるつもりはない」
ジラフの前で腕を組み仁王立ちになったカシムは、吐き捨てるように言った。
「心外だなあ。僕に好きにしていいっていったのは、イスカの方だよ」
「王家からの経済支援は別として、お前自身への服従はイスカの長の独断だ。長以外の者は俺に付くと、話を付けてきた」
「カシムに付くだって? 何それ、皆で村を放棄するの? 王都は受け入れないよ、現実的じゃないね」
「そうじゃない。今度は俺がお前を利用する。ジラフ、お前のその知識と技術、俺たちのために使え」
「はぁ?」
ジラフが素っ頓狂な声を上げる。
目を丸くしたのもポーズではないようで、彼は理解出来ないという顔をカシムに向けた。
「ふっ、あははははっ」
次いで、ジラフが腰掛けていたベッドをバシバシと叩く。可笑しくて堪らないといった風に。
「一体何を言い出すのやら。特別な存在であるこの僕が、その他大勢のためにそんな何のメリットも無いことをするわけが無いでしょ」
ベッドを叩いていた手を、彼は今度はカシムを追い払うように動かした。
相手を完全に馬鹿にしたその行為にも、カシムは眉一つ動かさない。第一声の時から変わらない、冷めた目でジラフを見ていた。
「いいや、するさ。お前はせざるを得ない。お前の本当の望みを叶えることは、俺にしか出来ないのだから」
「僕の本当の望み? 面白いことを言うね」
印象通り楽しいことには目がない性格なのか、ジラフが少し興味を引かれたようにカシムに聞き返す。
「お前は魔王に関係無く、元から俺にどうしても竜殺しの剣を抜かせたかった。その理由を考えて、答に辿り着いた。俺にお前の望みを教えたのは、お前自身だ」
「随分な自信の有り様だね。何なのかな、それは」
「死を迎えることだ」
「……っ!?」
(死を迎える? カシムはこの子を殺すと言っているの!?)
カシムの発言に、先程のジラフではないが一体何を言い出すのかと思う。
しかし私とは逆に、ジラフの方は表情から一切の余裕が消えていた。口を戦慄かせてさえいる。まるでカシムに真実を言い当てられたかのように。
「王都の教会の地下には、先代魔王の妃だった炎竜の遺体が保管されている。解体されず綺麗な状態が保たれているのは何故なのか、ずっと不思議だった。その理由が、やっとわかった。お前は――人工精霊は、器を渡り歩けるからだ。鳥でも、――竜でも」
(人工精霊?)
どこかで聞いた単語に、記憶を探る。
(あ、精霊の村で結界を破ったっていう)
光の精霊が結界を破ったと言っていたのは、王家の白い鷹。でもギルは鷹に対して、『器』と言っていた。そしてカシムが口にした「器を渡り歩ける」という言葉。
(じゃあ白い鷹になって結界を破ったのは、この子?)
改めてジラフを見る。
そうだ。普通の人間が通れない結界が張られた村から外に出たのなら、少なくとも初めの一人は普通の人間じゃない。その初めの一人はここにいるジラフで、そして彼は人工精霊。
ギルは、「人工精霊は余程のことがない限り死なない」とも言っていた。小さな村を飛び出した数人が、王都を築き上げる年月。それはどれほどだろうか。
(だからジラフにとって『死』は、取引材料になるの?)
カシムがジラフを見据える。
ジラフはカシムを一切見ようとしない。
「俺なら、竜の身体に入ったお前を殺してやることが出来る」
「……何を、言っているのやら僕にはわからないね」
ジラフが変わらず戯けるように言って、けれどそうした彼の顔が強張っているのは、誰が見ても明らかだった。
「だってそうだろう? 僕を差し置いて王族を名乗った奴の血は絶えて、僕の時代が来たんだよ。その他大勢に埋もれるように死んでいったあいつらより優れた僕が、あるべき地位に収まったんだ。そんな僕がどうしてそれを自ら手放すことを望むのさ!」
ジラフが声を大きくして続ける。滑らかに動かない口を誤魔化すように。
「本音は、置いて行かれたくなかったんだろう」
そんなジラフを、カシムは一蹴した。
「お前は、普通から弾かれたから、拒まれたのではなく自分から拒んだのだと思いたかっただけだ。特別になってしまったから、自分が特別であることに後付けで価値を与えた。俺と同じように」
「君と同じ? 違うね! 僕が特別なのは、君のような下らない後付けの理由なんかじゃない。僕は孤高なのであって、孤独なんかじゃない!」
「別にそれならそれで構わない。だが俺は子を成さず自分の代で呪いを終わらせる。次に俺が死んだ瞬間に、竜殺しの剣を扱える者はいなくなる。永遠に」
「……っ」
眉一つ動かさず淡々と言い放ったカシムに、ようやくジラフが彼を見る。それからジラフは、忌々しげに舌打ちした。
「…………君は、僕に何をさせたいのさ?」
「手始めに、イスカの各施設の復旧だ」
睨むジラフの視線には一切介さないで、カシムが涼しい顔で答える。
「イスカの機関は僕が作ったものじゃないから、大規模な魔法を張り直さないといけない。それこそ、生け贄が必要だね」
「それなら長を殺せばいい」
「即答とか、怖いね。――はいはい、すべては勇者様の良きように!」
吐き捨てるようにジラフが言う。それから彼は、足を振り子のようにして勢いよく立ち上がった。
「じゃあ、サクッと済ませてくるよ」
狭い部屋でもないのに、ジラフがカシムを手で押し退けて部屋の出入口へ向かう。
扉の開閉音が、彼が外へ出て行ったことを伝えた。
◇◇◇
「お前を助けるわけじゃない。これ以上、ジラフの茶番に加担したくないだけだ」
ジラフが出掛けた後、カシムは私を外へと連れ出した。
口調が初めて会った時と違うのは、先のジラフとの遣り取りからして、こちらが素なのだろう。建物から出れば何のことはない、ここは因縁のあるイスカの村だった。
村の門からすぐにある、森の小道に入る。小石が多く混じった土の道。この世界へ召喚されたとき、輿に乗せられ運ばれたあの道だ。
「竜殺しの剣の台座がある場所に行く。あの場所は魔力を増幅させる作用がある。そこで魔王に呼び掛けろ」
(ギルに?)
後ろから「早く歩け」と無言の圧力を掛けてくるカシムに、疑問に思いながらも道を進む。
ジラフはギルの魔力がまだ効いていると言っていた。けれど、既に魔界に渡ってしまった彼に世界を跨いで声が届くのだろうか。万一届いたとして、私は魔物じゃないから、再会するには彼に来てもらうしかない。
精霊は不安定だという。転移魔法の触媒の一つである百年花も、次に咲くのは百年後……。
(それでも……もう一度会いたいのなら、やるしかない)
グッと両手を握り、気合いを入れる。やって駄目でも、やらないうちには可能性は無い。それならやるに決まっている。
「お前たちが置いていった翻訳された本を見た。今、イスカではそれに則って開発が進められている」
「本当!?」
実は気になっていたあの本のその後の話題に、思わずカシムを振り返る。
しかし直ぐさまカシムから、「前を向け」とやはり無言の圧力がきた。
「良かった」
仕方がないので、大人しく前を向いてから言葉を返す。
あの建物から出てここへ来るまで、ちらりとだけ村の様子が見えた。確かに忙しく動いている人が多くいて、活気があるように思えた。
役に立ったというのなら、怖い思いをした甲斐もあったというもの。
「良かった……か、お人好しだな。――エリスも、そんな奴だった」
檻に閉じ込められたあの時に思いを馳せていたところを、『エリス』という単語に一気に引き戻される。
(エリス。カシムの妹……)
カシムは妹エリスを手に掛けた。そうなった過程はわからない。
けれど、カシムが覚醒している以上、それだけは紛れもない事実だ。
無意識に速度が落ちていた足を、意識して速く動かす。今度はカシムからの圧力は無かった。
「今思えば、ジラフは最初からエリスに目を付けていた。ごちゃごちゃと言われるのが面倒だと、そのくらいの気持ちで異世界召喚を提案したんだろう。元々異世界召喚は、ジラフの一族がこの世界の人間と子が成せないがために編み出された魔術。俺が一度お前を殺すのに失敗した時点で、とっくにジラフの中でのお前の使い途は変更されていたわけだ」
ザッザッ
小石が多く混じった土の上を、私とカシムが歩く音が森に響く。
「精霊の村へ行く前に、エリスに本を読んでくれと頼まれた。精霊を怒らせてはいけないという、子供向けの絵本だ。俺は何故あいつがそうしたかを考えずに、断った。ジラフに悟られないように、エリスは俺にジラフの狙いを伝えようとしていたのに」
カシムの、話しているようで独り言に感じるそれに、ただ耳を傾ける。
「エリスを貫いた剣の感触が忘れられない、抱き締めた腕から零れていったあいつの命が忘れられない……。エリスを殺したのは、俺だ。あいつの言葉に耳を貸さずそんな事態を引き起こしたのも、あいつを直接手に掛けたのも。エリスを殺したのは、俺なんだ。お前じゃ、ない……」
深い後悔を感じるカシムの声。彼が口を閉ざした後も、私は何も言えないでいた。
沈黙が続いて暫く、唯一の音だった足音も止まる。
森の開けた場所に出た。中心には、円形の石畳とあの剣が刺さっていた石碑。
ここが目的地、だからもう前を向けとは咎められなかったと思う。けれど、私は結局彼を振り返ることはしなかった。
代わりに、今はもう剣の刺さっていない石碑を見つめる。
カシムに殺されるために連れて来られたこの地で、今度は彼に逃げろと言われているのだから、不思議な巡り合わせだ。
「俺がジラフに、あるだけの知識を、技術を吐き出させる」
石碑の前まで進み出た、カシムの姿が視界に入る。その場で片膝をついた彼のその声は、今度は強い意志を感じるものだった。
「誰もに、「世界が変わった」と言わせてみせる。俺にそれを成し遂げさせたエリスという存在を、誰もが知り、忘れないほどに。それが――せめてもの俺の償いだ」
小さな白い花を咲かせた野草が、カシムの手で石碑の側に添えられる。それから彼は立ち上がり、背負っていた大剣を石碑へと突き立てた。
静かな森、祀られた竜殺しの剣、勇者カシム……まるで、あの日の再来のようだ。
(再来だというのなら)
私は、空を見上げた。抜けるような青い空。
限界まで、大きく息を吸う。
吸って――
「助けて! ギル!!!」
ありったけの大声で、私は叫んだ。
――――ザワザワ
葉擦れの音がする。
それはここへ来るまでも、時々聞こえていた音で。
「……え?」
違ったのは、今はまったく風が吹いていないこと。
ザワザワ
ザワザワ
吹いていないはずの風に、木々が揺れる。
――いや、そうじゃない。
森の木という木を、私が揺らしている。
「!?」
気付けば、私の身体は発光していた。まさかと思い、地面を見る。
「あ……」
私の足元を中心として広がる魔法陣。それは、見覚えのある淡い光を放っていた。
魔法陣の光が、徐々に輝きを増していく。
地面に立っているはずが、浮いているような、あるいは水面に立っているような奇妙な感覚。
「相変わらず、派手な出迎え方だ」
呆れが交じった口調で言ったカシムを見るも、光の向こうに彼の姿は霞んでいて。
けれどどうしてか私には、見えない彼の表情が初めて笑みを浮かべているように思えた。
「カシム、ありがとう!」
既に輪郭がぼやけた彼に、早口で伝える。
カシムとは色々あった。あったけれど、引っくるめて言うならこれしかない。この世界での出来事を、ギルと出会い彼と在るという結末に集約したのなら。
さらに光が増していく。
カシムは、もはや輪郭さえ見えない。
「そいつに感謝することだな」
そしてカシムの謎の言葉を最後に、私の視界は白一色に染まった。