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20.魔王の隣に在る者

 ドガッ

 私の目の前、突如、机が飛んだ。


(え?)


 そう、今、机が飛んだ。――通路を塞ぐようにして。

 無意識に通路を凝視していた私は、起きた現象に呆気に取られた。


「檻にいる一体だけじゃなかったのか!」


 ミニマップ上でも、通路は障害物に塞がれている表示に変わっていた。障害物の手前、男を示す赤いマークがうろうろと動いているのが見える。

 キィギギギ……


「!?」


 ミニマップを注視していた私は、急に近くで鳴った金属音に危うく悲鳴を上げかけた。

 その際に、両手で口を塞いだのが幸いした。でなければ、絶対に声を上げていた。そこにあった光景は、それほどに異様だった。


(……嘘)


 ギギギ……

 壁にあったはずのタペストリーが、いつの間にか檻の鉄格子に絡まっていた。その布が絡まった鉄格子二本が、それぞれ反発し合うように折れ曲がって行く。

 そして金属音が止むと、私の前には人一人通れるくらいの隙間が、ぽっかりと空いていた。

 役目は終えたとばかりに、はらりとタペストリーが床に落ちる。それがもう動くことはなかった。


(出ろということよね……?)


 私はタペストリーを踏まないようにして、檻から出た。

 もう一度、通路の方を見る。いつの間にか、机なバリケードの駄目押しにとばかりに、対の椅子まで移動していた。

 ミニマップの赤いマークはいつの間にか遠ざかっていた。男の方は引き上げたようだ。

 それはそうだろう、机を投げ飛ばしたり鉄格子を曲げるような『魔物』だ。どう考えても人間一人の手には負えない。


(さて、私はあそこまでどうやって行くか)


 私はトムが出て行った窓を見上げた。換気のためか、内側からなら簡単に開くような造りのようで、壊して出て行ったわけではないようだ。

 ズズズ……ガタンッ

 脱出経路を考えていたところ、窓の真下の壁に向かって倒れ込んだ本棚が、私の目に飛び込んできた。


「……」


 ちなみに最初の「ズズズ……」という音は、そこまで本棚が横滑りに動いた音だ。呆気に取られているうちに、別の本棚も移動して先のものに折り重なるようにして倒れた。その上には、また別の本棚が。


「え……」


 そしてガタゴトと煩かった室内が静まり返れば、そこには窓まで続く『階段』が現れていた。まるで私が窓まで行こうとしたが故に、そうなったかのように。


(と、とにかく逃げ出さないとね)


 未だ呆然としながらも、出来上がった本棚階段を上る。

 一番上まで登り窓を開けた私は、思わず「あっ」と声を上げた。


「サラ!」


 真っ正面、驚いたギルの顔がそこにあった。地面に片膝を付き窓枠に手を掛けた彼と、お互い口を開けたまま見つめ合う。


「無事で良かった」

(! あ、それで)


 ホッと息をついたギルに、私はピンと来た。先の不思議現象の正体についてだ。

 考えてみれば以前にギルは、魔王城の壊れた城壁をフワフワ浮かせていたことがあった。カルガディウムへ魔物を家屋ごと引っ越させたのも彼だ。家具の移動なんて、ちょちょいのちょいでやってのけてしまうんだろう。


「ありがとう、ギル。助けに来てくれるとは思ってましたが、まさかあんな手段とは。驚きました」


 ギルの両手に引き上げられながら、私は彼に礼を言った。

 地上まで出て、ギルを見上げる。


「ギル?」


 いつものように、ギルは嬉しそうにしてくれるとばかり思っていた。ところが彼は、不思議な面持ちでこちらを見下ろしていた。


「あんな手段? いや、俺はまだ何も――」


 何のことだといった表情で口にしたギルが、その途中、言葉を止める。『何』に思い至ったのか、彼はバッと再び窓枠を掴んだ。

 本棚、タペストリー、机……ギルが顔ごと目を移して行く。彼の手の中、窓枠がミシッと軋む音を立てた。

 ギルが眉根を寄せ、堪えるような表情になる。


(! もしかして……)


 その彼の様子に、私はハッとして室内を振り返った。


「……助けてやれなくてすまなかった。俺の妃を救ってくれたこと、……心から感謝する」


 ギルは、『彼ら』に頭を下げていた。

 『殺された同胞の血肉が衣類や家具になっている』

 いつか聞いた、ギルの言葉が蘇る。


(魔物、素材……)


 変わらず出入口を塞ぐ机と椅子を見る。

 床に落ちた皺だらけのタペストリーを見る。

 ぐらつくことなく最後まで支えてくれた、折り重なった本棚を見る。

 私は、『彼ら』を見つめた。

 私は、『彼ら』に助けられたのだと、理解した。


(魔王ギルガディス……)


 次いで、『彼ら』がそうした理由をも理解した。真摯な態度で『彼ら』を想う魔王のため、彼が守ろうとする私を守ってくれたのだと。


(ギルの悲願を実現させてみせるから……約束、するから……)


 『彼ら』の代わりに、私は少しでもギルの役に立ちたい。

 私は礼と誓いを込めて、深く、『彼ら』に頭を下げた。



◇◇◇



 ギルの部屋、私は彼のベッドに腰掛けていた。部屋に招かれた際、その主が先にベッドに座り、ポンポンと隣を叩いてみせたものだから。


(何だか、ずっと昔からこうしてたような気がする)


 ギルが語る魔界の見所と注意点を聞きながら、ぼんやりと彼を見つめる。

 魔王城に帰還後、ギルは城の中央にあたる玉座の間に魔法陣を描いた。後はそれを月の光に一晩当てれば、翌日中天の刻に自動発動するという。


(魔界。うん、私は魔界にギルと行く)


 ギルは魔界からなら私に元の世界に帰れるとも言ったけれど、私はきっともうそんな気にはなれないだろう。ギルの隣に在るこの幸せな場所を、知ってしまったから。


「――で、底無し沼になってるから、絶対近寄るなよ」

「うんうん」


 ギルの話は「やっぱり」と「それは意外」の割合が8対2くらいの印象だ。

 とぽぽっ

 私はギルの話に頷きながら、目の前のワゴンに載ったカップに彼の分の茶を注ぎ足した。

 リリが不在――というか今は魔王城に私とギルしかいないため、今回のお茶は私が用意した。味はそこまで悪くないものの、カップの中にちらほら茶葉が浮いてしまっている。一仕事終えた夫を労う大切な一杯のシチュエーションでこれとは、無念。

 ゴクゴク

 優しい夫は、それをにこにこしながら飲んでくれているけれども。


「……ん? また雷か。シナレフィーの奴、やり過ぎるなと言っておいたのに、あいつの中で「やり過ぎ」はどのレベルなんだ」


 それは人間が絶滅するレベルかと。

 そう思いつつも、今はギルにゆっくりして欲しいので、そんな彼の胃を痛めそうな感想は黙っておく。


「カルガディウムは大丈夫なんでしょうか」


 先程から、シナレフィーさんが落としているという雷でピカピカ眩しい窓を見る。

 いよいよ魔界に帰るということで、自主的に魔物が集まって来ているらしく、カルガディウムは現在満員御礼状態。そのため街の管理のために、リリも駆り出された。

 ギルが回収する際、魔物は世界のどこにいても可能らしいが、群れていた方が安全という彼らの生存本能かもしれない。やって来た大半は、魔物素材で有名な種族というのを耳にした。

 実は聞いた瞬間、思ってしまった。「それ、何てボーナスステージ」って。

 でもって、そう思ったのは私だけじゃなかったようで。当然の成り行きというか、数日前から人間がわんさか押し寄せているという。


「まあ……最悪、魔物を狩りに来る人間しか死なないから、人間自体が絶滅することはないはず」

「やっぱりそのレベルの話になってしまうわけですね。シナレフィーさん単体だと……」

「だな……いつもはストッパー役の魔王城は、精霊の村で精霊たちの世話を焼いてもらっているしな……」

「それは適役過ぎて異動させられないですね……」


 風と水の精霊も、それぞれイベリスちゃん作の絵とアルトくん作の泥団子を土産に村へ帰ったそうだし。自由気ままな彼らを思うと、転移魔法の成否の大部分は魔王城に掛かっているといっても過言ではない……?


「サラ。これはもう片付けてもいいか?」


 ギルが空のカップをワゴンに戻しながら、私を振り返る。

 ワゴンを指差した彼に、私は頷いた。私は最初に淹れた一杯を飲み終えた時点で、水分補給も残念感もいっぱいです。

 ギルがワゴンをつつくと、ティーセットを載せたままにそれがパッと消えて無くなる。いつも思うけれど、亜空間が便利過ぎる。私も使えるようにならないものか。魔界に行って落ち着いたら、聞いてみよう。


「お、雷が止んだな」

「そうですね」


 いきなり暗さが増した室内に、窓を見なくてもわかる。止んだ理由が、人間部隊の壊滅でなく撤退だと信じたい。


「リリも張り切っていたからな。決着にそう掛からないと思ってた」

「確かにスキップで出掛けて行きましたね……」


 リリ。そう、実は彼女もガチな戦力だったというね。

 『呪い』の人形というのは伊達じゃないようで。彼女の呪いを受けた敵は、幻に囚われるとか。

 その幻は、敵が味方に味方が敵に見えるという。腕に自信がある者が掛かれば、その場で同士討ちが始まるし、そうでなければ、逃げ込んだ先が敵陣の只中なんて状況に。やばい、エグい。

 物理で一掃のシナレフィーさんと、精神攻撃のリリ(ミアさん付きのルルも)。最強タッグで、心配せずともカルガディウムは安泰のようです。


「キスの時間だ」


 唐突に来たいつもの台詞とともに、いつものようにギルは私の頬に手を伸ばしてきた。けれど触れる直前に、ピタリとその手を止める。

 それから彼は何故か「あー……」と目を泳がせて、結局触れないままベッドから立ち上がった。


「やっぱりサラを部屋に送ってからにする」


 ギルに差し出された手に掴まり、私も立ち上がる。そのまま手を引かれて、出入口の扉へ――

 と、そこで別の扉が私の視界に入った。


「ギル」


 前を行く背中を、ちょんちょんとつつく。身体ごと振り向いた彼に、私は隣の部屋に続く内扉を指差してみせた。

 わざわざ廊下まで出なくとも、そこを通れば行ける。そんな軽い気持ちで。


「……開けていいのか?」


 ギルが遠回りした理由を思い出したのは、彼にそう問われてから。

 つい先日、彼のことを「『隣に通じる扉は許可が下りるまで開けるの禁止』を忠実に守ってくれている律儀な人」と評したばかりなのに。どうしてここに来て失念してしまっていたのか。


(許可……って、やっぱりそういう意味も含む……?)


 いや含むどころかギルの問い方からいって、今この場においてはその解釈でしかないような。


「え、あ……」


 かぁっと、顔が火照ったのがわかった。

 そんな私の反応から、そのつもりはなかったことが見て取れたのだろう。ギルはしまったという表情でまた目を泳がせた。


「いや、サラは悪くなくて……」


 もごもごと呟きながら、ギルが無意識なのか繋いだ手をにぎにぎしてくる。

 にぎにぎ

 何とはなしに、繋がれた手を見る。


「その、……ギル」


 最初に思ったのは、そわそわした彼の気持ちが伝わってくるこの手を離したくないということ。


「……いいです、よ」


 次に思ったのは、「添い寝じゃない一緒に寝る日」の会話をしたあの時と今と、同じ気持ちだということ。

 にぎにぎを繰り返していたギルの手が、きゅっと握った状態で止まる。そうした彼が、私をじっと見てくる。


「じゃ、じゃあそういうことで開けますね」


 熱っぽい視線に居た堪れなくて、私は今度は自分が彼の手を引いて、内扉の前まで行こうとした。


「――ギル?」


 けれど私の足が扉に近付いた距離は、私の腕の長さの分だけで。

 そうなったのは、ギルが動かなかったからで。


「……やっぱり、開けない」

「え?」


 聞き返した時には、私は背中からギルの腕の中に収まっていた。


「開けなくていい。帰さないから」


 耳元でギルの声が聞こえて、次いで部屋の灯りがふっと消える。かと思えば、部屋の中央辺りにポツンと小さな光が闇に浮かんだ。

 その光に蝋燭の火みたいだと思って、


(みたい、じゃない。そういえば、初めてはキャンドルの灯りだけの部屋でとか、前に話してた)


 今日もまた律儀な彼に、幾分か緊張が和らぐ。


「サラ」


 繋いだままの手が、肩よりも高く持ち上げられる。

 手の甲に、ギルの熱が触れた。


(ギル……)


 初めて体験した『キスの時間』を彷彿とさせる。

 そう感じたのはきっと正解で、次は額へ、その次は頬へ。軌跡を辿るように、キスは続いた。

 的確にその場所へキスが来るあたり、この闇の中でもギルの方はバッチリ見えているのだろう。何だか不公平だ。


「ひゃあっ」


 キスが止むと同時に、足が宙に浮いた。

 いつもの、もう慣れたはずのお姫様抱っこ。落ち着くと思ったことさえあったのに、今はその余裕は何処へやら。


「ふぁっ……」


 ギルに耳を食まれ、思わず身を縮こめる。

 耳にされたのは初めてだった。触れた箇所からゾクゾクとした感覚が広がる。

 全身が敏感になっているのか、背中から下ろされたベッドのしわばんだシーツの凹凸に、くすぐったさを感じた。


(わ、わ、わ)


 相変わらずほとんど見えない視界でありながら、ギルの気配はわかる。彼は今、私の肩の横に両手を突いて、覆い被さるように私を見下ろしている。

 前にもここで、こんなことがあった。ギルと初めてキスをした時だ。

 あの時は私が倒れる準備なんて、おかしな理由があって。しかも実際、倒れてしまって。


「……今日も、倒れそう」

「ごめん、先に謝っておく。さっきサラに気絶防止の魔法を掛けた」

「え?」


 私はただ、既にいっぱいいっぱいだと表現しただけのつもりだった。二回目以降、倒れたことはなかったし、本気で気絶の心配をしたわけではなかった。

 そのことは勿論、ギルも知っているはずで。それなのに、気絶防止の魔法……?


「え、ギル? え? ――ひゃうっ」


 魔法付与の真意を問う前に、ギルに首筋を甘噛みされる。

 そのまま噛み痕を舌で舐められ、まるでそれが問いの答なのだと返されたようだった。


「ふ……」


 キスは喉元まで辿って、そこを一度音を立てて吸われた後、少しだけギルの顔が離れる。


「その、例の『ハナキ』は遠慮なく使っていい。後で怒って口を聞かないというのは、困る……」


 強引なんだかそうでないんだか。行動とちぐはぐな発言をするギルに、つい「ふふっ」と笑いが零れる。

 その私の唇に、彼はそっと触れるだけのキスをしてきた。


「愛してる……俺の花嫁。俺の――サラ」


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