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19.エリス

「やあ、カシム。全身の骨が砕けるなんて、壮絶な死に方をしたもんだね。一体、どんなご不興を買ったのさ」


 笑いながら宿舎を訪ねてきたジラフを、俺は思わず睨んだ。

 王都の教会で復活後、併設された宿舎に治療のため移されて数日。彼が「壮絶」と表したように、死因が死因だけに一族の特異性を以てしても、俺の身体は完治には程遠い。

 あくまで宿舎のため、ここには見舞客用の椅子など無く。王族にだけ立たせるわけに行かず、俺は手のリハビリを中断し、腰掛けていたベッドから立ち上がった。

 部屋の中央で立ち止まったジラフの前まで行く。何がそんなに楽しいのか、「あ、もう動けるんだ」と手を叩いた彼の前で膝を折る。それが敬意からでなく不服な表情を隠すための行為というのはお見通しだろうに、それでも彼は変わらず笑っていた。


「死んでも生き返る勇者の一族、ね。羨ましいよ。僕の一族は多くが短命だから。精霊から呪いを受けたという事実は、同じなのにね」

「あなたの一族が短命なのは、精霊の呪いが直接的な原因ではないでしょう」

「あれ? その口振り、調べたんだ。ニホン語を使う前の記録は君でも読めるもんね。勇者だから図書館も入り放題だし。ああ、そういや精霊の村にも行ってたんだっけ。村中を家探(やさが)しでもした? ご苦労様だね」


 ジラフが俺の頭を撫でる。幼子を褒めるように。

 そうされて俺が苦虫を噛み潰したような顔をすることも、彼にはお見通しなんだろう。


「そうだよ。僕の一族が短命なのは、近親婚を繰り返したから。仕方ないよね? おきて破りの罰とかで精霊の加護から外されて、同じく加護の無い一族間でしか子を成せなくなったんだから」


 ジラフがその場でしゃがみ、俺と目線を合わせてくる。どうせやはり顔が見えた方が面白いとでも思ったのだろう。

 それならこちらも隠す必要は無い。俺は繕うことなく不機嫌な顔をそのまま彼に向けた。

 案の定、楽しげなままのジラフの顔が目に入る。


「だからさ、転移のオーブをこの世界に持ち込んだ先代魔王には感謝してるんだよ。オーブは精霊の加護を持たない人間を――健康な血を僕の一族にもたらしてくれた。僕の血を、この世界に広く行き渡らせてくれた」


 ジラフの言葉に、俺は俺の推測が正しかったことを確信した。

 一見しただけでは血縁関係が見られない『王家』という名の政府機関。けれどどの家系にも、一つの共通点があった。家系図の中に、必ず異世界人とおぼしき名前が見られるという共通点が。

 『王家』の家系図が書かれた記録において、ある時期を境に王族の寿命は飛躍的に延びていた。その少し前に書かれた「王族のみがかかる病の治療薬が見つかった」という一文。あれは異世界人のことを指していたのだ。

 ジラフが自分の一族の繁栄のために異世界人を喚んだというのなら、すべての家系において、遡ればジラフの直系に繋がっているのだろう。年齢不詳のジラフであれば、彼の実子が新たな王族として生まれていることさえあるかもしれない。

 治療薬、生け贄。誰かを生かすために、また誰かの代わりに死ぬために、喚び出されてきた異世界人。

 先代魔王を倒した俺の先祖は、死ぬ日の朝まで名の刻まれていない墓前に花を手向け続けていたと聞いていた。それはきっと、先祖が手に掛けた異世界人の墓だったのだ。

 悔やまなかったはずがなかった。『消す』のではなく、やはり『殺す』のだから。


「ところでさ、カシム。ここで悠長に僕と話してていいの? 今頃、イスカの村は大変かもよ。あそこは王都と違って、本物の精霊の加護で魔道具を動かしてるからさ。村中の施設が機能してなかったりして」

「どういうことだ!?」


 思考の海に沈んでいた俺は、ジラフの耳を疑うような発言で一気に引き上げられた。

 立ち上がって伸びをしたジラフを見上げる。


「精霊の不安定は、魔王側にしか影響が無いという話じゃなかったのか!?」


 まるで世間話でもするかのように軽く言った彼に、俺は最早、言葉遣いすら取り繕うことを止めていた。


「僕は、「人工精霊がいるから人間側は生活に影響は出ない」って言っただけだよ。人工精霊の恩恵が無い場所への影響までは、知らないね」

「! ジラフ、貴様――あぐっ」


 ドガッ

 立ち上がろうとした俺はジラフから強烈な足蹴のカウンターを食らい、床に転がった。


「ぐ、はっ」


 腹を踏みつけられ、ジラフを睨む。

 笑いながらそうしただろうと思っていた。だが俺を見下ろす彼の顔からは、先程までの笑みが嘘のように消えていた。


「目障りなんだよ」


 底冷えのする濃紅色の瞳が、静かな怒りに揺らめいていた。


「目障りなんだよ、イスカはさ。精霊の村を出たくせに、精霊と繋がりがあるなんて。特別なのは、僕だけでいい。僕の血だけでいい、そうあるべきなんだ」

「う、ぐ……っ」


 腹に乗せられた足に、ジワジワと体重を掛けられる。冷たい瞳は変わらないままに、ジラフの口角だけが上がる。


「ああ、そうそう。村がそうなっちゃったからさ、エリスがとばっちりを受けちゃっているみたいだね」

「!?」

「魔物がウヨウヨする森で、縄に縛られての放置だよ。しかも縛られている支柱が例の石碑! 誰の案だろうね、その演出。ウケる」

「! あいつら――エリス!!」


 既にジラフの歪んだ笑みなど、目に入っていなかった。俺の意識の一切が、エリスへと向かう。


「カシムがちゃんとした勇者になっていたら、あんな目に遭わずに済んだのに。可哀想だね、エリスは」

「貴様らの皮肉などどうでもいい! そこを退けっ」

「おっと、勇ましいね。さすがは勇者様だ。いいよ、ついでに可哀想な彼女に免じて、イスカまで送ってあげる。感謝しなよ」


 ジラフが俺に乗せていた足を持ち上げる。

 その次の瞬間、ジラフの姿は消え、代わりに俺の前にはイスカの門が現れていた。



◇◇◇



(エリスは無事なのか!?)


 イスカの西に広がる森をひた走る。村の上空に魔王が現れたようだが、それどころではない。


「くそっ、もっと早く動けっ」


 怪我でままならない足を叱咤しながら、上手く呼吸が出来ない胸を手で押さえながら、懸命に走る。――竜殺しのドラゴンスレイヤーが鎮座した、あの忌々しい場所へと向かって。

 『カシムがちゃんとした勇者になっていたら、あんな目に遭わずに済んだのに。可哀想だね、エリスは』

 笑いながらそう言った、ジラフの顔を思い出す。

 自分以外の『特別』である俺がこうして無様に走ることで、今頃あいつは多少は溜飲を下げているのかもしれない。


(やけに静かだ。魔界への帰還が近いのか?)


 魔王がイスカに現れたのは、転移のオーブを狙ってのことだろう。

 魔王との力の差は歴然だった。誰が向かおうと奴を止めるのは不可能だ。


(もう、それでいいのかもしれない)


 イスカの村が立ち行かなくなると思い行動した結果が、これだ。エリスを害する村のために、どうして尽くす必要がある。このままエリスを連れでどこか遠くへ行けばいい。


(初めから、そうしていれば良かった)


 召喚した異世界人を殺し損ねたあの日、噂を聞きつけたエリスは明らかにホッとした表情を見せていた。異世界人が死ななければ自分の身が危ないことを知りながらも、だ。

 十年前の火事の時も、そうだった。火に呑まれた家の二階にいた彼女は、助けに来た俺に対し、先に隣の家の子供を助けるよう頼んできた。

 構わずエリスを助けようとした俺を見て、自ら火の海に入ろうとした彼女に心臓が止まりかけたことは、今でも鮮明に覚えている。十二だった俺よりさらに七も年下でありながら、彼女は大人びていた。

 何とか子供を助け出し、エリスも助け出せたものの、怪我が元で彼女の片足は歩くことが出来なくなっていた。それなのにエリスは子供が助かったことに心から喜び、俺に礼を言った。そんな彼女に憂えることなく生きて欲しいと願うなら、やはり犠牲の上に成り立つ未来ではいけないのだ。


「――エリス!!」


 開けた場所に出ると同時にエリスの姿を見つけ、俺は彼女へと駆け寄った。

 石碑を取り囲む石畳の上、石碑に縛られたエリスがこちらを振り返る。彼女は申し訳なさげに、眉尻を下げた。


「そんな顔、お前がする必要なんてない」


 エリスの傍で跪き、俺はその頬をそっと撫でた。顔に掛かった浅葱色の髪の一房を、耳に掛けてやる。それから俺は、エリスの状態を改めて確認した。

 両手は自由なものの、胸の下から腰に掛けて幾重にも縄が巻き付けられている。ご丁寧にも縄は数本に分けられているようだった。すべての縄を順に切っていくしかない。

 俺はいていた紐飾りの付いた短剣を抜いた。


「それ……私があげたものだね」


 こんな状況だというのに、エリスが紐飾りを見て嬉しそうに笑う。

 ギリッ……ギ……

 魔物素材で作られた頑丈な縄に、短剣で切れ目を入れていく。手元が狂わないよう、慎重に慎重を重ねて。

 ブツッ

 やがて一本目の縄が外れた。


「エリス、イスカの村を出よう。あの村はお前を害する。俺の咎がすべてお前に向けられてしまう」


 エリスが、二本目、三本目と外していく俺の手元を無言で見つめる。

 四本目が最後の縄。俺はそれに短剣の刃を当てた。


「私は……行けない」

「! どうしてだ?」


 思わず縄を切る手を止め、エリスの顔を見る。

 かち合ったエリスの緑の瞳が一瞬揺れて、けれどそれが俺から逸らされることはなかった。


「水車は動かない、食料庫はネズミが大量発生、資材倉庫は湿気ってほとんどが駄目。長が機能を回復させるには、人工精霊の力を借りないといけないって。だから、ジラフ様の機嫌を損ねる真似は、これ以上出来ないって」

「いいんだ、もう! イスカもジラフも関係の無い場所へ行くんだ」


 短剣を持たない方の手で、エリスの肩を掴む。

 エリスを見つめる。

 エリスも俺を見つめる。

 けれど、そうした彼女は次には首を左右に振った。


「村には私を庇ってくれた人たちも、たくさんいたの。見捨てられない……」


 「そんなもの」と開き掛けた口を閉じ、そのままグッと奥歯を噛む。エリスが言い出したら聞かないことなんて、身に染みるほど知っている。


「それにほら、私は足も不自由だし」

「お前一人くらいなら、おぶってどこまでだっていける」


 こう返したところでやっぱり首を振るだろうことも、俺は嫌と言うほど知っていた。


「……勇者の一族なんかじゃなければよかった」


 結局、口から出たのは、ただの弱音で。俺はそれ以上は口を噤んで、最後の縄を切る手元に集中した。


「私は勇者の一族で良かったと思ってるよ」


 プツリと縄が切れたと同時に、それまで黙って見ていたエリスが口を開く。


「知っているんだから。昔、村の聖堂で目が覚めたことがあったでしょ? でもって、最近じゃ王都の教会に復活拠点を移したのよ。私にバレるとまずいから」


 ぎょっとして顔を上げた俺の鼻先に、エリスが人差し指を当ててくる。不意打ちであからさまに狼狽えてしまった俺に、彼女はしてやったりといった顔をしていた。


「弱くは無いけど強くもないことなんて、知ってるんだから。生き返るだけで他は平凡なんだって」

「それは……」


 痛い所を突かれ、エリスをつい恨みがましい目で見てしまう。

 仕方ないだろう。先祖が伝説になっていたって、俺は普通に田舎暮らしをしていただけだ。


「そんな平凡なくせに、勇者カシムはいつだって私のことばかり」


 すっかり固まってしまっていた俺に向かって、エリスが両手を伸ばしてくる。

 その仕草はあまりに自然で。

 だから俺は、


「でもそれは今度から、お兄ちゃんのお姫様になる人にしてあげてね」


 だから俺は彼女は何をしたのか、理解が遅れた。


「…………は?」


 俺に伸ばされたエリスの手は、片方は俺の手に添えられ、もう片方は俺の背中に。

 何てことはない。エリスが甘えてくる時は、いつだってこんな感じだ。

 いつだって、こんな感じで抱き着いてきて。そう、これはいつものそれで。

 それなのに――


「エリ、ス……?」


 どうして、

 どうして俺の胸でなく短剣を持つ手の方に、彼女の身体の重みを感じるのか。

 どうして、

 今日はずっと晴れているのに、俺の手が濡れているのか。



 『一族の犠牲を代償として、私は勇者の資格を得る』



 誰かの声が聞こえた気がした。

 いつかここで聞いた、『誰か』の声が。


「う、あ……あぁ……あ……」


 俺の肩に乗せられた、エリスの顔。

 耳元で大きく吐かれていたはずの彼女の息が、段々と小さくなっていく。


「エリス、エリスっ!」


 短剣から手を離し、両手でエリスを抱き止める。

 エリスの髪が、俺の頬をくすぐる。俺と同じ浅葱色をした、髪が。

 エリスを抱き締める。

 強く。

 強く。

 エリスもまた、俺の背を抱き締めた。彼女の爪が、食い込むほどに。


「お兄……ちゃ……ごめ…………ね」


 ごめんね?

 何が?

 何を?

 何、

 何、

 何。


「あ、あ、あ……ああああぁあああああああーーーっ!!」


 そしてエリスの腕は――――俺から離れた。


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