15.『ハナキ』
(え、待って。これどういう状況!?)
私はギルの部屋のベッドの中で、ここへ来る直前に聞いた台詞を自分も言う羽目に(心の中で)なっていた。
隣り合わせで寝ることを添い寝と呼ぶなら、これは添い寝で間違いない。ギルと私は、そうして寝転がっている。
問題は体勢だ。
向かい合う形、ここはいい。私の背中を抱き込むギルの腕、まあこれも母親が子供にすることがある。私の足にガッツリ絡んだギルの足、これは違うと思う。違うと思う。大事ことなので二回言いました。
「俺は気付いた。近過ぎれば、それはそれで色々出来ないと……!」
「そう、ですね?」
私はギルの胸に顔を埋める格好になっているので、彼の顔が見られない。というか身動きが取れない。ギルの言葉通り、色々出来ない状態になっている。
「あと、この体勢が何気に心地良いことにも気付いた」
(私は抱き枕かな?)
即座にツッコミを入れつつも、「でも、抱き枕側も悪くないな」と思ってしまったり。
ドキドキすることを除けば、私もすっぽりとギルに包まれたこの場所の居心地は良い。
(これは、うっかり寝落ちしそう)
そう思って、それは駄目だとぐっと堪える。
ギルはまたこの後、闇の精霊を捜しに出掛けるはず。寝て起きたら彼がいないという、寂しい事態は避けたい。
「サラは苦しくないか?」
駄目だと思いながらも、くぐもったギルの声が子守歌のようで、うつらうつらしてきてしまう。
「大丈夫です。気持ち良い……」
「気持ち良い……」
「ギルの全身を私の全身で感じます……」
「感じる……」
私の言葉を繰り返すギルが、さらに子守歌となって眠気が増していく。
駄目、眠りたくない。
「ギル……どうにか、して……」
「どうにか……って、ま、待て、サラ。その前にあったはずの台詞も声にして欲しい」
「ん、眠い」
「早急に対処する!」
パチンッ
ギルが返事をすると同時に、私のこめかみの上で指を鳴らす。
途端、私の意識はハッキリくっきり覚醒した。
「わ、すごい。一気に目が覚めました」
「それは良かった。――って、そもそも午睡に来てたんだった……」
ギルが「しまった」と呟く。私は、「私の目的はギルの添い寝なので、起こしてもらって良かったです」と額をコツンと彼の胸に当てた。
「ギルは眠気はどうですか?」
「竜生でも稀な冴え渡り具合だ」
「昼寝は出来そうにないですね。――ギル、顔を見て話しませんか?」
ギルが眠らないのなら、話をしていたい。ここのところ、そういった時間を取れていなかったし。
いつもの感じですぐに了承が来るものと思い、私は身じろぎした。が、予想に反してギルが放してくれない。
「あ……その、諸事情により少し待って欲しいというか――そうだ、例の魔法」
「例の魔法?」
突然の話題転換に、首を傾げる。
ギルが絡めていた足を解き、次に私を抱き込んだ腕を少し緩める。そうしてから彼は、神妙な声色で「いいか、サラ」と言った。
「俺が腕を離したと同時に、『ハナキ』と言ってくれ。で、その後、急いでベッドから出てくれ」
「?」
何故、いきなりそこで私の名字が。
「――『ハナキ』」
大量の疑問符を頭上に浮かべながらも、ギルに指示されたタイミングで口にする。
すると、
「! う、お……本気で、動け、ない……っ」
ピシッとでも聞こえてきそうなほど、ギルの身体が不自然に固まった。
「ええ?」
さらに疑問符を増やしながら、ベッドから降りる。
見下ろす形になったギルは、まだ固まっていた。中途半端に片腕を宙に浮かせた、妙な格好で。
「これ、は……十秒間、俺を、静止させる、魔法……だ」
「えええ?」
冗談みたいな台詞を、とても冗談に見えない息を荒くしたギルに言われる。『静止』には話すことも含まれているのか、無理に話しているように見える。
ギルが口を閉ざすと、すぐに彼の呼吸は整った。推測通り『静止』の範囲は、行動に限らず言動にまで及ぶようだ。
「うおっ」
宙に浮いていたギルの腕が、ボトッとシーツの上に落ちる。十秒経ったので魔法が解けたらしい。
ギルが「よし、発動の確認が取れた」と言って、一息つく。何とも身体を張った確認方法だ。まあ効果を考えると、それしか確かめる術は無いわけだけれども。
「悪用されたらどうするんですか?」
主にシナレフィーさん辺りに。と思ったのが表情に出たのか、ギルはプッと吹き出した。それから身を起こした彼が、ベッドの端に腰掛ける。ギルに手招きされ、私はその隣へ座った。
「大丈夫だ。サラの声で言われない限り効力は現れない」
「それなら少しは安心しました。ギルの創作魔法のはずが、使いこなしていたシナレフィーさんを見た直後だったので」
「本当、それな……」
ギルが遠い目をする。言い方からして、やっぱりあの『私』が現れた魔法は教えたわけではなかったようで。
「『ハナキ』は、普段使わない言葉で、かつサラが覚えやすいものをと思って。詠唱をサラのファミリーネームにしてみたんだ」
「あ、本当に私の名字から来てたんですね」
私の名字は、初日に一度言ったきりだ。それをギルが覚えていたことに、私はかなり驚いた。その次に、照れ臭い気持ちになった。「使わない」と言った彼が、その使わない言葉を覚えていてくれたことに。
彼の心遣いが感じられる、私のために創られた魔法。それが伝わってくる。
一方、まったく伝わってこないのが――
「創造した意図が、わかりませんが……」
これ。これについて。
カシムを止める魔法ならともかく、味方であるギルを止める魔法がいつ必要なのか。
私が必要でないのなら、止められるギルに必要なのか?
いや、制作者本人が止められることが必要というのも、おかしな話――
「……あ」
『ギルが止められる』という状況を思い浮かべて、前庭での光景を思い出す。
『私』に捕まっていたギル。彼は振り払う素振りも見せなくて。
「ギルには拘束されたい趣味が――」
「無いからっ」
私の「もしや」の推理は、言い終わらない内にギルの返事に掻き消された。
「その、意図は……サラを抱き潰すのを防止するため、だ」
「抱き潰す……」
「抱き潰す」から連想したのは、自分の子供の重みで苦労しているミアさんの話。そう言えば魔法でコントロールしているだけで、本来の体重は数百キロとか数千キロとかそんなのだっけ。そこまで考えたところで、ギルから「多分、また誤解してる」と待ったが入った。
「その……今日は添い寝だけど、そうじゃなくて一緒に寝る日が来たら……つまり、そういうことで……」
「添い寝じゃなくて一緒に……」
何気なくギルの台詞を繰り返して、
「あっ、あ……そう、いう」
ようやく理解した私の顔は、ボムッと沸騰したかのように熱くなった。
「ああ、うん……そう、いう」
今度はギルが私の台詞を繰り返す。
私は俯いて、ますます熱くなった顔を両手で覆った。
そうか。そう言えば夫婦だし、色っぽい意味でも『寝る』のか。というか真っ先に連想しないといけないのは、こっちか。そうか。
(……ん? ということは)
両手の位置を頬までずらし視界を開けて、私はギルを見上げた。
「それってギルは、私とそういうことを……したい?」
――って、口に出すつもりはなかったのに! 自ら羞恥プレイに走るなんて!
(うわわ……何してるんだろう、私)
好奇心が身を滅ぼすとは、こういうことをいうわけだ。穴があったら入りたいの気持ちも、ついでに体験だ。
でも言ってしまったものは、口には戻らない。私は開き直って、ギルの反応を窺った。
バチリと目が合った。と思ったら、ギルのそれがついっと明後日の方角に行――きかけて、私に戻された。
「それは……したい」
「!?」
そして呟かれた彼の言葉に、私の鼓動は跳ね上がった。
これはもしやこのまま桃色展開という奴ですか? 夫婦の営みという奴ですか!? こちらから話を振っておいてなんですが、まったく想定していませんでした!
早過ぎる鼓動に引き摺られ、妙なハイテンションになってくる。
『したい』の脳内リフレインに、もはや心臓が早鐘を打っているのか止まっているのか不明になってくる。
(で、でも……ギルならいい、よね)
ギルならいい。ううん、ギルしか嫌だ。
私は覚悟を決めて、握り込んだ両手を膝の上に置き――
「――けど、初めては『静かな夜にキャンドルの灯りだけの部屋で愛を確かめ合う』って書いてあった」
慌ててその両手を口に戻し、「ぷ」以降の笑いを抑え込んだ。参考文献がロマンス小説過ぎる件について!
(でもお陰で、私のやってしまった感は雲散したかも)
笑ったことで、すっかり気が抜けてしまった。白けたわけではなく、良い意味で。
私は今度は口元だけで笑って、両手を身体の後方――ベッドの上に着いた。
ギルが私との間にある片手を、同じようにする。そうしたことで彼の上体は、私の方へと少し傾いた。
「ギルはこの後、また闇の精霊を捜しに行くんですよね。精霊の居場所が特定出来ないと、やっぱり転移魔法は使えないんですか?」
気付けばいつの間にやら、こうなる前に提案した『顔を見て話しませんか?』な雰囲気だったので話題転換してみる。
桃色展開でなくて残念だったような、ほっとしたような。そう思いながらギルを見れば、耳まで赤いくせに平然を装った顔が目に入った。
思わず、パッと目を逸らす。気恥ずかしさに、私は無意味に両足をパタパタさせた。きっと私は、彼と同じ顔をしているだろうから。
「いや、魔法自体は使える」
私より先に立ち直ったらしいギルが、落ち着いた声で私の問いに返してきた。
「ただ、魔力の振れ幅が大きくなって、通路が狭くなったり広くなったりするだろうな」
携帯電話で言うところの、電波はあるけどアンテナが一本しか立ってない、みたいなものだろうか。その状態で電話を掛けたら、大抵途中で切れていた気がする。
「それは止めておいた方がいいですね」
電話なら改めて掛け直せばいい。けれど、異空間を渡っている途中に道がブツッと切れるとか。それは絶対、御免蒙りたい。
「次は奈落を捜してみるか」
「奈落……」
『奈落』という仰々しいしい単語。そして、それを険しい表情で口にしたギル。幾ら魔王でも、気軽で行ける場所でないことが察せられる。そんなところへは、出来る限り出向いて欲しくない。
「奈落の他には、候補は無いんですか?」
「うーん……他、か。闇の精霊は気難しくて。壊されたあの闇の祠は、定住するまで百回は改築させられたという噂も聞いたし」
「百回……」
ツッチーに作ったような、なんちゃって祠ならともかく、森から見える建物なレベルの祠を百回とは。それは確かに、おいそれとは次の定住地は見つからなさそうだ。
でもギルに、奈落に行って欲しくない。
「ギルが奈落はどうかと思った理由は何ですか? 共通点があれば、候補地になるかも」
私は、もう少し食い下がってみることにした。そんな私にギルが「なるほど」と言いながら、ベッドに置いてない方の手で顎を撫でる。
「理由は……単に消去法かな。精霊全般の特徴において、ある程度魔力が満ちているところにしか行けない。村から飛び出た火の精霊が火山に向かったように、村の外では行き先は限られる。その場合に闇が行きそうなのが、奈落かなと」
「魔力が満ちていて、闇属性な場所……」
ギルを真似たわけではないけれど、私も片手を顎にやって頭を捻る。
しかし考えれば考えるほど、避けたくて食い下がった『奈落』が手堅い候補に思えてきてしまい、私は唸った。
ゲームで精霊に会いに行こうと思ったら、深い森の中だったり険しい山頂だったりするのが大半だ。闇の精霊の場合は、洞窟や地底のパターンが多かったように思う。
「オプストフルクトに、光が差し込まない洞窟は在りますか?」
「在るには在るけど、闇のは狭い場所が好きなんだ。それを踏まえると該当する洞窟は無いかな」
洞窟も駄目、か。
「奈落まで行かなくても、もっと浅い層とかは?」
「温かい場所も好きだから、ある程度地熱を感じられる深さにいると思う」
「そうですか……」
他に……他に闇っぽい場所は……
「あっ、風と水の精霊のように、実は魔王城にいるとかは?」
ハッと閃いて、ギルを見る。
魔王はまさに、魔力と闇の体現者。その魔王が住まう城なんて、条件ズバリそのものではなかろうか。灯台もと暗しともいうし。
風と水の精霊は、よく来ると前にミアさんが言っていた。他の精霊が二体も来る場所だ、精霊が好む場所という点で申し分ない。
「それだ」と私は手を叩き――かけて、その手でそのまま頭を抱えた。
「――って、ああ……魔王城にいるなら、魔王城がそれを教えてくれますよね……」
忘れていた。魔王城は話せる建物だった。
上がった気持ちの分、ショックも大きい。俯いた私を、ギルは頭を抱えた私の手ごと、労るように撫でてくれた。
ギルが私をなでなでしながら、「ああ、でも」と何かを思い出したように零す。
「こっそり忍び込まれて、じっとされていたらわからないこともある。実際、水のはミアが目視で確認した方が早かった」
「!?」
ということは、可能性が無きにしも非ず?
「ただ、闇の精霊は気紛れで好奇心旺盛。あいつの性格からいって、一所に留まっていることはあまり考えられないな。ウロチョロしてたなら、サラが言ったように魔王城が気付くと思う」
可能性が無きにしも非ずでも、限りなく低い……か。
「姿もそうだが、本当、猫っぽい奴だよ」
「ん? 猫?」
ギルの一言が何か引っ掛かり、私は記憶を掘り起こすように目を閉じて考えた。
暗くて狭い場所が好き。
温かい場所が好き。
気紛れで好奇心旺盛。そして、姿は猫……!?
「ギル」
目を開けて、私はギルの膝をトントンと指で叩いた。
「ギル。私の部屋まで来てもらっていいですか?」
ギルがキョトンとした顔をして、けれどすぐに彼は「わかった」と立ち上がってくれた。
カチャッ
直通の扉があるのに、わざわざギルは廊下から私の部屋へ入り直してくれた。
『隣に通じる扉は許可が下りるまで開けるの禁止』を忠実に守ってくれている。律儀な人だ。
さて。
これは私の部屋ということで、ノックをしなかったのがいけなかったのだろう。
「……リリ?」
私たちは、部屋の中央にある炬燵で寝転がっていたリリと鉢合わせた。ぐでっと溶けたように寛いでいた、彼女と。
「サ、サラ様!」
私の姿を認めたリリが、見事な早技でシュバッと正座の姿勢に替わる。
「ここここれはですねっ、サラ様が好きな温かみをわかりみたいと……っ」
「う、うん。入ってていいよ? いいからね。わかりみ大事、うん」
八の字眉で慌てて言い訳をし出したリリに、私も釣られて早口で言い返す。
私の横で「『わかりみ』って何だ」と呟いたギルに「共感、ですかね」と返してから、私はリリに近寄った。座り込んだ彼女の隣へ、同じように正座で座る。
目線が近くなったリリと目を合わせ、私はその頭をポンポンと撫でてあげた。
リリが、ふにゃっと笑う。頭なでなで癒やされるよね。さっきまで私もされていたから、これは私がリリにわかりみ。
「ちょっと、ごめんね」
私はリリが落ち着いたのを見て、当初の目的である炬燵の布団に手を掛けた。そのまま布団の端を、天板の上へと持ち上げる。
ペラッ
「にゃん」
「いた!」
猫。黒猫がいた。でもって「にゃん」て鳴いた!
「あっ、待って!」
喜んだのも束の間、黒猫はタタッと駆け出して廊下の外へ。ギルも突然のことで対応仕切れなかったのか、彼の足元を黒猫は擦り抜けていった。
「えっ、何、闇のがいたのか!?」
ギルは驚愕の表情で出入口から廊下を振り返り、「見失った」と一言。
「闇の精霊が自ら捕獲されにくるなんて……コタツ、何て恐ろしい魔物!」
リリに至っては、炬燵を凝視して震えている。
うん、ここは彼(?)に頼るしかない。
「魔王城さん、いますか?」
私は適当な天井に向かって呼び掛け、一拍置いて返ってきた『おー』という声の方向に手を振ってみせた。