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09.勇者の暗躍

 王都へ行った日を含め五日間、私は毎日、前庭に立って空を見上げていた。


(ギルが帰ってこない……)


 ギルから受け取った魔力が切れたようで、食人蔦の声は聞こえない。けれど、彼らが心配そうに私を見る気配は感じられた。

 サワサワ

 少し強くなった風に、なびく髪を押さえる。


「心配だな」


 ふと呟いて、違和感に首を傾げる。

 心配……違う。


「寂しいんだ。私」


 サワサワ

 また少し強くなった風に、足首まで丈があるワンピースの裾が舞い上がり、私は慌てて手で押さえた。


「わぷっ」


 今度は突風が吹いて、次いで地面がかげる。


(え?)


 雨が降ってくるのかと見上げれば、空は雲ではなく巨大な物体に覆われていた。

 物体――銀の竜が中庭に降り立つ。

 深い青の瞳が、私を捉える。


(ギルだ)


 声は聞こえなくとも、わかる。私は銀の竜に駆け寄った。

 途端、

 ガゴゴンッ

 地面を揺らす程の音を立て、魔王城の一部が崩れ落ちた。


(な、何!?)


 たたらを踏んだ私は、落下した瓦礫がれきを見遣った。


「驚かせて、ごめん。竜なのを忘れてて、動いたら翼が引っ掛かった」


 そして掛けられた声に、前方に目を戻せば、銀の竜は見慣れたギルの姿に変わっていた。

 肩に付いた土埃つちぼこりを払う、ギル。翼が引っ掛かって傷付いたのは、建物の方だけの様子。

 怪我が無くて何よりだけど……


「ちょっ、そこまで笑うか魔王城! そうだよ、サラしか見えてなかったよ!」


 どうやら魔王城は怒ってはいないらしい。というか、ギルは大笑いされているらしい。


「あー、はいはい。ちゃんと戻す、戻すから」


 ギルが瓦礫に手を翳す。するとそれはフワッと浮き上がり、元の場所へと戻っていった。


「わー……」


 思わずその光景に見とれる。

 フワフワ

 まるで意思があるかのように、細かな破片までが在るべき場所へ自ら収まっていく。

 すべてがそうなって、やがて魔王城は完全に元通りとなった。


「よしっ、完了。サラ!」

「はいいっ」


 いきなり両肩を掴まれ、私は跳び上がった。

 いつの間にか、まだ距離があったはずのギルは目の前にいた。目の前……過ぎやしませんか。


「んっ」


 近いどころか、そのまま距離はゼロに。ギルの唇が、私の唇に重なる。


(久しぶりの、キスの時間だ……)


 ギルの両手が、私の頬に添えられる。

 掠めるように移動したギルの口が、私の下唇を食む。


「……ただいま、サラ」


 鼻先を付けたまま、ギルが小声で言う。

 だから同じように小声で「おかえりなさい」と返せば、どこか内緒話のようなくすぐったさを感じた。


(何だか、落ち着く)


 初めは、どぎまぎしたキスの時間だったのに。今も鼓動は速いのに。しっくり来て、それが心地良くて。だから、落ち着く。

 頬に置いたままのギルの親指が、私の口の端を撫でる。

 次いでその指は滑り降りて、私の顎を引き下げた。


「ギル。三秒ルールだから」


 一連の指の動きから予測出来た彼の次の行動を、やんわり『約束事』で制してみる。

 息を止めたのか、ギルの吐息が一度途切れて、


「じゃあ、三秒を五日分」

「それ、つまり三秒じゃ――」


 悪びれた様子もなく屁理屈を言い放った口は、やっぱり私のそれを塞いだ。


「んっ……」


 私の反応を窺うように、ギルの舌先が私の舌をついばんでくる。

 やがて逃げないとみたのか、遠慮がちだったギルの舌は大胆に動き始めた。


「ふ……」


 絡んできたギルの舌が、執拗に私の動きを追ってくる。

 追って、追って、追って、

 ピタリ

 突然その猛攻は止んだ。


「!?」


 最後にチロリと一舐めして、ギルの舌が離れていく。


「……五日分でも物足りない」


 あ、五日分が終了したから。律儀だ……。


「! しまった。夜の分は三秒じゃなくてもいいんだった!」

「ぷっ」


 大真面目な顔をして叫んだギルに、つい笑ってしまう。

 心底残念そうな彼の様子に、そして同じく残念だと思ってしまった自分に。


「……うん。物足りない」


 私は自分でも聞こえるか聞こえないかの声量で言って、ポスンとギルの胸に頭を付けた。

 途端、ギュッとギルの両腕で抱き締められる。


「サラが可愛いこと言ってる……」

「う」


 しっかり聞こえていたらしい。

 竜は視力だけでなく、聴力もかなり良いようです……。



◇◇◇



 食堂に来た私とギルが定位置に着くや否や、


「前庭で城壁を破壊したそうですね」


 先客シナレフィーさんによる、ギルに向けての第一声。

 抑揚の無い声なのは常のはずが、不機嫌そうに感じるのは、彼の隣にいつもは在るミアさんの姿が見えないことと無関係では無さそうだ。


「気を付けて下さい。うちの子が面白がって真似をしては困ります」

「あー、そっちの心配……。お前が直すとなると手間だろうからな」


 給仕をするリリが、テーブルに昼食を並べていく。

 王都で食材を買い込んだからか、ここ最近は品数が以前よりも多めだ。そして今日は、厚切り牛ステーキがメイン料理の様子。


「そうなった場合は陛下に振りますよ。ああいった作業は古代竜の十八番でしょう」

「それはそうだけど。速攻、俺に振るとか」

「ギルのあれは、古代竜の能力だったんですか?」


 二人の遣り取りに、私はギルに尋ねた。

 つい先程目にした、フワフワと浮いた瓦礫。魔法かと思っていたけれど、王都でシナレフィーさんが跳ね橋を壊したような、竜特有の能力だったのだろうか。


「ああ、さっきの奴な。俺の種族は重力を操るのが得意なんだ」

「へぇ」


 確かに百キロはありそうな瓦礫も、綿毛のように浮き上がっていた。


「魔王城の場合は、元位置にさえ戻せば後は勝手に修復してくれるけど、カルガディウムを作った時は結構気を遣ったな。点在していた皆の家を集める作業では、細心の注意を払ったよ」

「? 家を集める?」


 耳慣れない表現に、私はギルに聞き返した。


「固まっていた方が俺としては守りやすいから、家屋ごと引っ越してもらったんだ。巣穴に住んでた奴の分は、近くの村から空き家を取ってきて。なかなか大仕事だったな、あれは」

「家屋ごと引っ越し。空き家を取ってくる……」


 それ、何て街づくりシミュレーション。

 既に建ててしまった建物を、ひょいっと持ち上げて新しい場所に移設。ゲームでしか有り得ないあの反則技を、リアルでしてしまうなんて。

 とぽぽっ

 リリが仕上げにシードルをワイングラスに注いで、後ろに下がる。

 私はリリにお礼を言って、自分のグラスに口を付けた。


「そういや、シナレフィー。ミアはどうした?」


 ギルが自分のシードルを一息で飲み干してから、シナレフィーさんに尋ねる。

 そこはかとなく聞いてはいけない雰囲気を醸し出していた彼に対し、ズバッと聞いてしまえるギルが強い。


「新しく手に入れた本を連日試したことで、怒らせたようです。今回の昼食は一人で行って来なさいと、部屋から叩き出されました」

「お前って頭が良いわりには、そこに関しては学習しないよな……」


 ギルが呆れた感じで返して、料理に手を付ける。

 その辺の話は、私もミアさんから聞いていた。シナレフィーさんは、とにかく何でも試したがるらしい。

 裁縫について書かれた本の『簡単に針に糸を通す方法』を読んだシナレフィーさんが、もっと効率の良いやり方があるのではと、五時間ひたすら針に糸を通していたとか。はたまた、部屋に置いてある、大きな樹を切り出したテーブルの年輪を数え始めたとか。

 ミアさんは、その手のことに毎度付き合わされるらしい。遠い目で語られた。

 今回は、怒らせたということは、ミアさんにもっと実害が出るようなことをしていたのかもしれない。何を試したのか、詳細をシナレフィーさんに聞きはしないけれど。決して、聞きはしないけれど。


「私のことはいいでしょう。それで、溶岩地帯の拡大は収拾がついたんですか?」

「あっ、言うなよ。俺は「鉱石を取ってくる」って建前をだな……。まあ、何とか。流れを変えて、魔王城までは来ないように調整してきた」

(えっ!?)


 ギルの穏やかでない台詞に、私は口の中のサラダを咀嚼そしゃくしながら注意を向けた。

 『ちょっと溶岩地帯まで』の真相が、まさかそんなだったとは。


「火山が突然活性化した原因は、おそらくカシムが火の精霊のほこらを壊したからだと。火の精霊が火山へ移り住んだんでしょう。彼は他の精霊の祠も狙っているようです」


 言いながらシナレフィーさんが、ギルに折り畳まれた紙を手渡す。

 それを受け取ったギルは、紙を広げて紙面に目を落とした。


「そこにあるように、今頃カシムは精霊の村に乗り込んでいると推測されます。妃殿下の情報が思うように集まらず、精霊に矛先を変えたんでしょう。妃殿下側から契約を外せないなら、仲介者側の精霊をどうにかしてしまえばいい。大胆な発想ですが、理屈には合っています」

「お高くとまった精霊が、住処を壊されたくらいで人間の言うことを聞くとも思えないけど」

「多分、人間側もそう思っていますよ」

「どういうことだ?」


 紙面から顔を上げたギルが、シナレフィーさんを見る。


「噴火で魔王城が潰れても、火の精霊が消滅して勇者の契約の効力が弱まっても、どちらに転んでも人間には都合が良いということでしょう」

「いや、火の精霊が消滅したら人間だってまずいだろ。次の精霊が生じるまで、何年も気候が極寒となるはずだ」

「そこは二百年前の技術を使うつもりでしょう。人工精霊なんてのも、あったはずですから。現状、人間が自分たちの都合で文明レベルを下げているんです、同じように都合次第で引き上げますよ」

(文明レベルを下げた?)


 私は絶妙な焼き加減のステーキを頬張りながら、シナレフィーさんの言葉を頭の中で繰り返した。

 今のシナレフィーさんの言い方では、オプストフルクトは二百年前の方が発展していたと取れる。そして、その気にさえなれば、今にもそこまでの生活水準に上げられるとも。

 私は、この世界の人が二百年前の文明レベルに戻るのが怖いのだと思っていた。だから、世界の生物環境を変えようとしているギルを、敵と見なしてるのだと。

 でも今の話が本当なら、私の推測はまったく違ってくる。

 私は次の肉にナイフを入れる前に、ギルに顔を向けた。


「オプストフルクトは、ギルたちが来る前の方が発展していたんですか?」

「ん? ああ。元々先代がここに来た理由が、こっちの精霊に、増えすぎた人間の数を減らして欲しいって頼まれたからだからな」

「人間の天敵を新しく創造するより、一時的に外部から持ってくる方が簡単かつ、生態系バランスも再構成する必要がない。精霊にとっては、良いこと尽くめです」


 シナレフィーさんが補足する。そして彼は、四等分したステーキを重ねて刺したフォークを口の中へと入れた。顔に似合わずワイルドな食べ方です。


「人間の数は減らしたけど、先代も俺も知識を取り上げる真似はしていない。シナレフィーが言うように、人間が知識を使っていないのは、事情はわからないが向こうの都合だ」

「そうなんですか」


 自分たちの都合で知識を使わない。便利なものがあるのに、敢えて使わないことなんてあるだろうか。


(人間側に、使えない理由がある?)


 ギルが半分に切ったステーキを一口で食べる様子を見ながら、考える。ステーキ一枚が一口というのが竜族のマナーなの?

 視線を前に戻すと、サラダを食べているシナレフィーさんが目に入る。サラダを食べる姿は、打って変わって上品だ。


「折角、ゼンがくれた情報です。精霊の村を訪ねてみては?」


 皿を空にしてフォークを置いたシナレフィーさんが、ギルの手の中の紙を指差す。


(――そうだ。ゼンさんの書店!)


 『ゼン』というキーワードに、私の中でバラバラに散っていた思考たちが、繋がった感触がした。

 本屋でシナレフィーさんは、全種類取り置いてもらっていると言ってた。積まれた本は、相当な数だった。


(でもそこには、子供が読めそうな本が一冊も無かった)


 以前、私の異世界の話にも興味を示していたシナレフィーさんだ、本のジャンルで選り好みをするとは考えにくい。例えゼンさんの店が専門書店であっても、他にも本があるなら代理購入くらい頼むだろう。

 それなのに、無かった。つまりどこにも出回っていないということ。

 絵本を読まないで育った子が、いきなり医学や経済の本を読めるとは思わない。あれだけの量の本が、一部の人間のためだけに存在する。

 二百年前の大人なら誰でも自分の子に、文字や言葉を教えられたかもしれない。でも、そんな状態が長く続けば、国民全体の識字レベルの低下はまぬかれない。


「自分たちにも大きな被害が出るっていうのに、精霊に喧嘩を売るとか。人間は何がしたいのか、俺にはわからないな」


 ギルが溜息をついて、ガリガリと頭を掻く。


「あるはずの知識を広く人に伝えるだけで、魔物を狩らなくとも、いや狩るよりも生活の質は向上するってのに。それで誰も困ることなんて――」

「誰も困らないことに、困る人間がいる……」


 私の口から、自然と言葉が零れた。

 二人の視線が私に集まる。

 知識を敢えて使わない。それは、隠すことと同義。

 そしてその場合、本当に隠したいのは――


「誰も困らないことに、困る人がいる。そうしないと、自分たちが特別じゃなくなるから」


 隠したいのはきっと、『特別』じゃない自分へのコンプレックス。

 知識を伝えることでコンプレックスを暴露することになるなら、口を閉ざす人間なんてごまんといるだろう。

 沈黙が下りる。

 そしてそれは数秒の後、シナレフィーさんの「――ああ、なるほど」という声で破られた。


「王家は、二百年前より世界と同じ名前オプストフルクトを名乗っています。妃殿下の言うように、『特別』であることに拘っていそうです」

「あれって、面倒だから同じ名前にしてたわけじゃなかったのか……」

「実際、彼らは知識を独占し、金の流れを操ることで人をも操っています。金は一時的に手に入れても、知恵が無ければ手元に残らない。増やす手段を知らない者は、遅かれ早かれすべて手放すことになる。支配する側とされる側の割合を保つ、よく出来たシステムです」


 なるほど。私こそ「なるほど」です、シナレフィーさん。

 最後の一口のステーキを口に入れながら、私は彼に大きく頷いてみせた。


「でも今の人間の王家は、単に政治を担っている者たちの総称だろ? 二百年前に在った三つの王家は、先代が根絶やしにしたんだから。そんなハリボテのような王家に、そこまでの効力があるのか?」

「そのハリボテだということを知っているのが、私たちと一部の人間だから問題なのですよ。紛い物しか見たことのない者に宝石だと偽って石ころを渡せば、信じてしまうものです。人間たちの間で、王家は存在するんですよ」


 シナレフィーさんに「そういうものか?」と返したギルが、器を片手に中のサラダをフォークで掻き込む。


「まあ、私たちが魔界に引き上げたら、その時は仕方なく彼らが民に二百年前の技術を幾つか教えるでしょう。さも、新しく開発したように。それで彼らは『特別』を維持しますが、その後は変わると思います」

「教えるのが、幾つかなのにか?」


 空になったサラダの器をテーブルに戻したギルは、先に空にしていたワイングラスを手に取った。

 とぽぽっ

 ワイングラスに、テーブルの端に置かれたシードルの瓶から独りでに中身が注がれる。

 小さなものから大きなものまで、動かす力か重力操作。


ゼロを一にするより、一を千にする方が容易たやすいものです。きっかけがあれば、一部の人間とその他の勢力図は塗り変わっていくことでしょう。もっとも、今よりマシになるかどうかは知りませんが」

「次の百年花が咲いたら、様子を見に行くのもいいかもな」

「それはいいですね。人間の社会は百年あるとかなり変わります。ゼンの書店が残っているといいのですが」


 魔界から人間界に来る理由が侵略ではなく買い物とは。平和的だ。


「その時はもしかしたら、絵本とか今は無いジャンルも増えているかもしれませんね」


 私がそう付け加えれば、予想通りシナレフィーさんの目が輝く。


「俺は王都の彼方此方あちこちにある機械仕掛けが増えていないか、楽しみだな。あの一個歯車が動いたら次々連動していく奴、見てて面白いんだよな」


 確かにああいったものは、大掛かりなドミノ倒しのようなもの。そう思って見物すれば楽しめそうだ。そしてギルは某教育番組でやっていた、カラクリ装置に大喜びしそう。


(王都か。王都を管理する『王家』は支配する側。だとすると、カシムはきっと支配される側になるよね)


 RPGにおいて王は、勇者に無理難題を吹っ掛けてくるのがセオリーというもの。実は利害が一致していることがわかれば、カシムも手を引いてくれないだろうか。

 ギルの言う装置の解説をしようとしたシナレフィーさんの口を、ギルが手で塞ぐのを眺めながら、私は「ご馳走様でした」と手を合わせた。


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