00.とんだ『花嫁』
ザッザッ
小石が多く混じった土の上を、数人が歩く音が森に響く。
足音の主は、五人の若い成人男性。柱と布張りな屋根だけの簡素な輿の担ぎ手が四人、それを先導する者が一人。
そんな彼らを、私――花木沙羅は輿の上から眺めていた。
(何だろう。この状況……)
不意に強い風が吹き、腰まである黒髪が靡く。黒髪に濃褐色の瞳。そんな何の変哲もない容姿が、この世界では珍しいようだった。
この世界。そう、ここは私にとって、異世界だ。数十分前までは、日本で当たり前のように暮らしていた。
なのに大学の帰り道、いきなりその当たり前は消え失せた。足元に妙な模様が現れたかと思うと、次の瞬間には同じ模様が描かれたまったく別の場所にいた。
床に座り込む自分を見下ろす、数名の人間。こちらの戸惑いを余所に喜び合う彼等に、私は彼等の都合で自分が所謂異世界召喚をされたのだと悟った。
それからは、あれよあれよという間に、彼等の計画通りことを進められた。
純白のドレスに着替えさせられ、ベールと花冠を被せられ。まるで花嫁衣装のようだと思っていれば、本当に私に課せられた役目は『勇者の花嫁』だとか。
ザッザッ
おそらく勇者が待っているだろう場所に向かって、輿が進んで行く。
チャリッ
足を動かした拍子に、私の両足首に繋がれた鎖が鳴った。鎖の先は、輿の柱に繋がれている。
(逃げるとしたら、勇者に引き渡される時よね)
まさか輿ごと勇者には渡さないだろう。勇者が一人で来ているのなら、ここにいる者たちがある程度離れたのを確認してから逃げてもいいかもしれない。
(勇者として世界を救えというのも困るけど、知らない男性に嫁がされるのもハードだってば)
しかし逃げるといっても、ここは森の中。さて、どこへ逃げればいいものか。
一番近い人里は、ここまで歩いてきたくらいだ、彼等の本拠地だろう。ここまで彼等が歩いてきた獣道は、一本道のように見えた。となると、どこまで道が続いているのかわからないが、今進んでいる方向をもっと行った先が一番の候補地か。
道が無い場合は、勇者に直接交渉だ。何の慣習だか知らないが初対面の異世界人と結婚とか、勇者からしても不本意なはず。交渉の余地はあると見てる。
ぐるぐると思考を巡らせていたところ、鎖がまた鳴る。今度は輿が止まった反動が、そうさせた。
(勇者は……まだみたいね)
私は辺りを見回してみた。自分たち以外に人影は見当たらない。
開けた場所の中心に、円形の石畳。その中央に、如何にも伝説の剣ですと言わんばかりの、石碑に刺さった剣が祀られている。
輿は石碑の前へと下ろされた。担ぎ手たちが四方に数歩下がる。先導者だけがその場に残り、私を見下ろしていた。
「カシム隊長」
担ぎ手の一人が、先導者に呼び掛けた。
それを合図に、先導者――カシムと呼ばれた男が佩いていた剣を抜く。
剣とか本当、ファンタジーだ。ただそう思いながら、最後まで引き抜かれた剣を眺めていて――
「え……?」
だから私はそれが自分の喉元に向けられたことに、一拍遅れて気が付いた。
(え? どういうこと?)
剣先に釘付けになる目を、意識して無理矢理カシムへと移す。
「……っ」
ぞくりとする、冷たい緑の瞳と、目が合った。
「『一族』の犠牲を代償として、私は勇者の資格を得る」
感情のない声が、カシムの口から発せられる。
私にとっては見慣れない、浅葱色をした彼の髪が風に揺れた。
(一族……?)
何故、剣を向けられているのか。それだけで手一杯なところへ、さらにわからないことを言われ眉根を寄せる。
「名も無き私の妻よ。お前に愛は与えられないが、代わりに最上の感謝を贈ろう」
「!?」
カチリ
今この瞬間、私の中でパズルのピースが嵌まった音がした。
『勇者の花嫁』、『一族の犠牲』。自分が嫁ぐ相手は、この男。そして彼が妻を娶るのは、一族として殺すため。
(それ、生け贄って言わない?)
ざぁっと血の気が引く。
隙を見て逃げようなんて、悠長に構えている暇など無かったのだと、後悔の念に駆られる。
今からでも何かしら足掻くべきだ。そう考える頭とは裏腹に、私は呆然としてカシムを見つめることしか出来なかった。
カタカタと奥歯が鳴る。
その音が聞こえているはずなのに、絶望した表情が見えているはずなのに、カシムの無表情は崩れない。
どうしてこうなった。どうしてこうなった。
勇者は人を守るものじゃなかったのか。こういうピンチの時に助けてくれる存在じゃなかったのか。
カシムの剣が振り上げられる。
襲ってくるのが勇者だというのなら――
「助けて! 魔王様!」
私は完全に自棄になって叫んだ。
刹那、
「ぐはっ」
やや離れた場所で、男の呻き声が上がった。
「え?」
そして私の目の前には、カシムとは違う男が立っていた。
(誰!?)
決して小柄ではないカシムを超える長身だ。短い銀髪は髪質が硬いのか、少しツンツンとしている。
彼の視線の先を追ってみれば、カシムが倒れていてぎょっとした。
何がどうなったのか。数メートル先で、カシムは仰向けで地面に転がっていた。先程の呻き声は、どうやらカシムのものだったらしい。
倒れていたのも束の間、直ぐにカシムが上体を起こす。そして彼は銀髪の男を認めて、苦痛に歪んでいた表情をさらに歪ませた。
「貴様――魔王ギルガディス!」
「ご本人!?」
あるいはカシム以上の衝撃を受け、私は思わず叫んだ。
魔王が私を見る――かと思いきや、何故か彼は跪いた。
近くなった銀髪が、私の目の前で揺れる。
その真下、彼の指先が私の足首の鎖を摘んでいるのが見えた。
直後、
バキン
バキン
大きな音を立て、鎖は壊れた。それも容易く。魔王恐るべし。
「わわっ」
ぼーっと見ていたところ、彼の立ち上がりざまに横抱きにされ、私は咄嗟にその肩にしがみついた。
途端、彼が飛翔する。
「ええっ!?」
ジャンプではない、フライだ。
地面がみるみる遠ざかる。
カシムが、森が離れて行く。
やがて最初に召喚されただろう村が見えるほどまで上昇した高さで、魔王は空中停止した。
「俺はギルガディス。ギルと呼んでくれ。お前は?」
「は、はい。花木沙羅です。沙羅が、名前」
当然だがかなりの近距離から話し掛けられ、私はやや支えながらも何とか答えた。
そろりと彼を見上げれば、人間とは違う少し尖った耳が見えた。
(う、わ……)
そのまま視線を横に移動したところで、海底のような深い青色の瞳と目が合う。綺麗なのは瞳だけでなく、顔全体の造形もかなり美しい。
「サラか。覚えた」
「あ……」
この世界に来て初めて呼ばれた名前に、ドキリと胸が鳴る。
しかもニッと笑ったギルガディスの表情といったら、これがまたいい感じで。
(ちょっ、本当に勇者より魔王を推したいですけど!)
ここが自宅のベッドの上なら、大いにじたばたしていたところだ。今はギルガディスの腕の中(空中)であるので、我慢しておくが。
「そのまましっかり俺に掴まっていろ。城へ戻る」
「は、はい」
極めつけにいい声で、「俺に掴まっていろ」とか乙女心をくすぐる台詞まで言ってくる。
まるで本当に最初から助けに来てくれたかのよう。そんな錯覚を起こさせるほど、ギルガディスは私を安心させた。