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3.遠比士の淡島1

 しとしとと降り続く雨の中、伊舎那いさなは活気に包まれていた。伊舎那氏、遠氏、すい氏の人間が入れ替わり立ち代り屋敷に来て、書類や衣類を持ってくる。近隣の伊舎那傘下の島々の使いも物資を持ってきては、話し合いをしては去っていく。

 北海、内海ほぼ全域に広がった伊舎那国全体が、伊舎那岐峰いさなきほう遠美君えんびくんの婚儀に沸き立っていた。

 それを一手に担い裁いていっているのは筑紫つくしであった。元来文官であり、外交交渉と記録作成に長けていたこの男の本領発揮の場といってもいい。目の前に山積みにされた木簡、竹簡を瞬く間に裁いていく。

「よし、こちらの書簡は、沖ノ島に。こちらの書簡は小豆島あずきしま穂狭和気島ほのさわけしま、阿波に持って言ってくれ。往復の時間も惜しい。返事は来場をもって代えるよう伝達を。」

「はい!」

 使いのものが木簡の束を抱えて走っていくのを、岐峰と美君は呆然と眺めていた。

「すさまじいな。少し休んだらどうだ?」

筑紫は岐峰の言葉を意に介さず、とでも言うように手を休めることなく返す。

「式までの間がございません。とにかくも出席者の連絡だけは行わぬことには。」

「何か、お手伝いできることはございますか?」

美君は遠慮がちに問いかける。

あるじと美君殿にしていただくことは、衣装に合わせて見栄えのするように努力していただくことと、後は挨拶でも考えていてくだされば結構。」

「そう、ですか。」

少し気落ちした様子の美君の声に、ようやく筑紫は顔を上げる。

「貴方様を我らこれから奥方様とお呼びすることになるのです。私に気遣いなど無用にございます。それに、近頃は元来の得物であるこの筆よりも、不得手な剣を持つことのほうが多かった有様でしたからね。久しぶりに己の得物が奮えて心弾む思いですよ。」

とんとんと肩を叩きながら軽口を叩く筑紫。

「さて、お待ちいただいていた御用向きを伺いましょうか。うちの主に会いに来た建前とはいえ、御用を果たさずには帰られますまい。」

美君の顔が赤面するのを見て、岐峰は筑紫をにらむ。昔からこの男はこういった色恋の話をはやし立てたがる。

「無礼だぞ、筑紫。」

言おうとした言葉を離れた所から聴き、岐峰は声のしたところを見る。声を発したのは奥から入ってきた提羅子ていらしであった。

「御前、失礼致します。大王おおきみ。」

岐峰の前に額づく羅子。

「いや、ここはそもそも筑紫の部屋だ。気にするな。」

それを聞くと、心得たようにすっくと立ち上がり、筑紫を叩く。

「…痛いぞ、羅子らし。」

「貴様は分別というものを覚えろ。いまや主は大王を名乗る存在。美君様は遠の姫君として王妃となられる。貴様が下世話な軽口を叩いてよい相手ではない。貴様のそれのせいでこの婚姻が破談になったらどうするつもりだ。」

「そういってお前は、己の初恋が上手くいかなかったことを恨んでいるのだろう。」

「…あれは、貴様のせいだ。貴様がからかいさえしなければ、私はあの娘と良い仲になれていた。」

「本当にねちねちとしつこい男だ。あれは俺がからかったからではない。お前の口説き方がそもそもまずかったのだ。」

岐峰は、赤面しっぱなしだった美君を見ていたが、途中からこれが照れての赤面でなくなっていることに気付いた。美君は、その様子を眺めながら、我慢していた笑いが噴出すのを抑えられなかったようだ。

 噴出した美君を、筑紫と羅子が見る。

「お二人とも、本当に仲がよろしいのですね。」

「いえ、天敵といって過言でありません。」

「お前こそ、言葉の選び方を学べばどうだ。いちいちとげのある言い方をしよって。」

また続きそうになる羅子と筑紫のやり取りに、また美君が笑う。

「特に羅子殿がそのように感情をあらわにするなんておもってもみませんでした。」

羅子は、気まずそうに目をそらす。筑紫と、羅子、岐峰は幼いころからたいてい一緒に行動していたから、岐峰はその羅子の失恋の話も知っている。こうやって気楽に話せる気の置けない仲間だった。その中に、ぜひ美君も入ってもらいたい。

「…私に対しても、気遣いは無用。羅子と、お呼び捨て頂いて構いません。とかく、姫君。ご用件を伺いましょう。」

「はい。婚礼の様式に関してどういう様式で行くのかと、うちのものから質問があったのです。」

美君の言葉に、筑紫がうなる。

「ふむ、そうですね。実際の所、今そこが悩みどころなのです。姫様は伊舎那の妃として嫁がれる以上、やはり韓国からくにのやりようが正しいようにも思いますが、遠家の面目もございましょう。大陸の様式にあわせればその面目も保てましょうが…」

「そうすれば、伊舎那の面目が立たなくなる、というわけですね…。」

他ならぬ美君からその言葉が出たことに、筑紫は多少驚いた。

「…まぁ、然りです。何とか良い案は無いものかと帥王にも相談の書簡を送ったところです。」

「韓国の様式に合わせても問題はある。我らは家ではなく、この地に台頭した伊舎那という新しい氏族だ。韓国の様式に合わせては、名を変えたのは形ばかりだったのだと受取られるやも知れん。」

羅子のその言葉ももっともだった。どちらを選んでもどちらかが立たぬ。ならばいっそ、まったく違う様式でもいいのではないだろうか。ふと、岐峰の頭にそんな考えが浮かんだ。

「蓬莱の様式は、どうなっているのだろう。」

岐峰の言葉に、皆がはっとした顔になる。それを振り払うように羅子が言う。

「いえ、こちらは村落同士の乱婚が中心でしょう。婚儀の様式となると…。」

「いや、首長同士の婚儀となれば様式もあろう。それこそ、巴太はた殿に聞けばその様式も聞けるかも知れんな。」

筑紫は、羅子の言葉にそう返しながら、岐峰を見る。

廉劫れんごう殿か…。」

巴太氏の長、巴太廉劫の群島への到着は遅れていた。この長雨のせいであろうと思う。とかく、海上にあっては連絡のとりようが無い。

「とかく、到着を待ってみましょう。2,3日の猶予はありましょうよ。」

ここで巴太氏の協力を求めるのは政治の上でも有用だと、羅子も判断したのだろう。婚儀の様式に関しては廉劫の到着を待つ方向で話が落ち着いた。


 遠家の屋敷に戻る美君を送りがてら、岐峰は屋敷の外にでる。雨は止む気配を見せない。

「大王自らお見送りなどしては、それこそ部下に示しがつかないのでは?」

美君はからかうように言う。岐峰は憮然と返す。

「我が妻を人に預けるほうがどうかしている。そうだろう?」

「屁理屈です。」

笑いながら、美君は言う。

「私とて、少しでも供にいたい思いは同じですよ、岐峰。でも、焦らずとも明日も、明後日も会えましょう。」

美君がそういうのにも理由があった。この長雨で、伊舎那の運営は実際の所滞っていた。船の進みが遅いため、具体的な軍事行動を起こせないのである。巴太の軍勢を味方に入れたため、陸からの攻略が可能になった。それを条件にもう一度対話の使者の送ろうとしても、この雨では使者のやり取りもままなら無かった。

 そんな条件のもとでも、筑紫が婚姻の儀を急いで進めているのには理由があった。大きな嵐が来る。そう羅子が言ったためだった。この雨が止みきらぬうち、あと2週間も無い間に、大きな嵐が伊舎那を襲うと。

 婚姻とその嵐がかぶれば、婚姻自体も延期せざるを得ない。そうならないようにと、筑紫はとり急いでの準備を行っているのだ。

 しかし、進軍も使者の派遣も進まないため、美君との時間が持てるようになったのも事実だった。岐峰はほぼ群島で待機している状態になり、空きの時間が出来たためである。

「廉劫殿に斟酌をお願いするのは、良い案だと思います。」

美君は、その笑顔を崩さぬままに言った。

「遠家が突出することもなくなります。帥王にも申し訳が立ちましょう。」

美君は、常々、その遠家の突出を気にした。岐峰の中にも、いつかの撥耶の言葉は残っている。

‐比士をあまり信用するな。-

その言葉は、岐峰の中から消えることは無い。確かに美君との結婚に対して、多くの批判があった。咎人を中に入れては伊舎那の名に傷がつく、伊舎那は遠比士の傀儡に成り下がろうとしている、伊舎那の大王は遠の姫君にたぶらかされたのだ。逆に、伊舎那王は、遠家を見下し、さげずみ、東夷の分際で施しを与えた気になっている、というものもあった。

それらの言葉の一つ一つが岐峰の胸に刺さらないわけではない。しかし、

「おやおや、これはまたお揃いで。仲睦まじい事ですな、大王。」

いつの間にか、遠比士えんひしの屋敷の前まで来ていたのだろう。出迎えにでていた比士に声をかけられるまで、それに気付くことが出来なかった。

「いやはや、結構結構。この距離を送り届けてくださるとは、我が娘を大事に思うてくれておる証拠。ありがたく思いまするぞ、大王。」

そう、しかし。岐峰はこの人物のお陰でここまで歩いて来られたのだ。遠比士が国を建てよと背中を押してくれたから。兵と手を惜しみなく貸してくれたからこそ、今自分は伊舎那の大王などと名乗っていられる。岐峰の心の中には、この河南の大夫に対する絶対の信頼があった。

「しかし、かなわんのはこの長雨。いかがか、屋敷の中で休んでいかれては。もはや、我々と大王は一心同体。いずれ我が息子と呼ばせていただくお方に白湯の一杯でも用意いたしたい。」

「いえ、今日は失礼致します。お心遣い、感謝いたします。」

「ふむ。かしこまりました。娘を送っていただき、真にありがとうございます。なれど、お忘れ召されるな、遠慮は無用にございまするぞ。」

岐峰の丁重な謝辞に鷹揚にうなずきながら、比士は屋敷の中に入っていった。それを美君も岐峰も立ちすくみながら見送る。

疑えば、すべての言葉が怪しく映る。

その疑念に対する激しい反発が、岐峰の胸を叩いていた。雨足は、少しずつ強さを増していっている。

「美君。」

声として届いたかどうか。かすかな声で岐峰は問いかける。振り返った美君は、雨にぬれたその姿で、岐峰を見た。

大夫たいふを、疑っているか?」

岐峰のその問いは、雨の隙間を通り、確かに美君に届いたのだろう。美君の目が、その沈黙が、その全てを“是”と語っていた。

「俺は、信じたい。大夫を信じたいのだ。」

岐峰の胸に、そっと寄り添う体温があった。少し冷えたその体の、そのぬれた髪の雫が岐峰の肩に落ちた。

美君は、その胸の中で、そっと呟いた。

「岐峰。私は、どこまでも貴方の味方です。貴方がそういうのなら、私も父を信じます。」

岐峰のために。本心ではないその言葉を紡ぐ美君に対して、岐峰の中には申し訳のない気持ちがあふれていた。


 雨の降り止まぬ群島に廉劫が着いたのはその2日後のことであった。その船団は、予想よりもはるかに多く、浜を船が埋め尽くした。浜まで迎えに来た岐峰を見た廉劫は、その場に額づいた。

「これは、大王。わざわざのお迎え、恐悦至極に存じます。」

「遠い所をよう来てくれた、廉劫殿。この雨の無事に着いてくれたことをありがたく思う。さぁ、表をあげてください。」

「かしこまりました、大王。なれど、私は貴方様の家臣にございます。廉劫と、呼び捨ててていただいて構いませぬ。」

「判った。ありがとう、廉劫。」

屋敷に移り、羅子や筑紫が見守る中、再び廉劫は玉座の下に額づいた。廉劫の隣には、もう一人男が額づいていた。背は高いが、どちらかというと手足が長く、ひょろりと高い印象を受ける男だった。

「まずは、大王。遅参のお詫びを申し上げます。真に遅くなりました。そして、ご婚儀の件、真におめでとうございます。」

表を上げた廉劫は、晴れやかな顔で岐峰を見る。

「ありがとう、廉劫。」

「遠の姫君にもご挨拶に伺わねばなりますまいが、先にこのものを紹介させてください。」

廉劫の隣の男は、一歩前に出て、また玉座の前にひざまずく。

遠津淡海とおつあわうみ見珂布津みかふつと申します。以後、お見知りおきを。」

「山城よりさらに東に言った先にある地のものにございます。武具の扱いに優れ、兵の指揮にも長けております。我らと供に来た300、こちらの見珂布津と供に手足としてお使いください。」

廉劫の到着が遅れたのはこの軍団を編成していたためであったのだと、岐峰は気がついた。

「心より礼を言おう、廉劫。」

「いささか300では兵数としては心もとなかろうとも思いましたが、我等の軍備の重点は内陸に置くべきと心得ましたもので。」

「ところで、そなたはこのまま帰らねばならぬのか?できれば、そなたにも俺と美君の婚儀に出席してもらいたい。」

廉劫は海上にあったため、婚儀の書状も出欠の連絡も得られてはいない。件の蓬莱の婚儀の様式も岐峰の気にかかっていた。

「婚姻の儀を執り行う前に到着できたのもまた、縁と言うものでしょう。祝いの手土産も無く参じ、真に申し訳は立ちませんが、喜んで参加させていただきます。」

挨拶を済ませて立ち上がる廉劫に、羅子が話しかけに行く。蓬莱の婚儀の様式を聞くのに、この公の面会の場を外すためであった。公の場で聞いてしまえば、それが決定事項となってしまう。

「ご相談があるのです、廉劫殿。出来れば、別の場を設けさせていただきたいのですが。」

「ふむ、よろしゅうございます。こちらも実はお話したいことがある。遠の方々にご挨拶に伺った後に、場を設けていただければ幸いです。」

羅子は、その言いようになにやら不吉なものを感じた。雨は、さらに勢いを増していくように思える。


 夕刻、雨のせいか速く日の暮れたその時間に、岐峰達は筑紫の居室に集っていた。岐峰の隣には、美君、筑紫。後ろに羅子が控え、部屋の片隅には撥耶の姿もある。岐峰の対面には、廉劫と先ほどの見珂布津が座っている。

「ふむ、蓬莱の婚儀の様式でございますか。よく存じ上げております。なるほど、それで行くならば国津の民への対面も保ちましょう。」

廉劫のその言葉に、筑紫はほっと息をついた。

「ありがとうございます。では早速お教えいただけますか、今晩からでも準備にとりかからねば。」

その筑紫を制し、廉劫は岐峰に向き直る。

「それもそうですが、大王。お話がございます。」

「やっと本題か。」

撥耶のその声に、美君が返す。

「婚儀の問題も重要な本題にございます。」

「我らが呼ばれた理由はここからだろう。」

そういって、撥耶は目で廉劫を促す。廉劫は懐から一巻の書簡を取り出し、机の上に置いた。

「この書簡は?」

「どこからお話したものか…。」

岐峰の問いに対して答えあぐねる廉劫に変わり、布津が口を開いた。

「どうぞ、先に中身をご検分ください。」

全員が、その中身に目を通した。そして、絶句した。


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