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1.伊舎那の民2

 そう、この世は闇ではない。寝ておきれば、太陽も昇る。晴れやかな日差しは、木々を、海を、美しく照らしていた。この地を蓬莱と呼んだ先人は、おそらく岐峰らと同じように不安に満ちた夜の後、この景色を眺めたのだろう。

 日氏生き残りの一族100名は、皆武装を解いた状態で帥王の館に参じ、帥王の部下から検分を受けていた。不穏な分子がまぎれていないかを確かめるためである。

 検分といっても、日氏と帥氏は血縁の仲である。再会を喜ぶ声と、怪我を案じる声、散った仲間を悼む声が、帥側と日側で交わされているのが実情であった。

 岐峰は、羅子、筑紫と供に王の館の中にあった。玄関に入ると、そこに飾ってあった巨大な魚の骨が岐峰の目を奪った。あまりにも大きい。このような大きな魚に、ついぞ岐峰は出会ったことがなかった。

「岐峰殿。よう休まれましたかな。」

そう声をかけてきたのは、昨夜とは装いを殊にした遠比士であった。乱れていたひげや蓬髪は一部の隙もなく整えられ、南部の大豪族の風格をにじませている。

「おや、そちらの御仁はお初にお目にかかるな。わしは江南漢水の遠比士。ここに逃げ延び匿ってもろうておりまする。」

いぶかしんだ表情を察したのだろう、比士は筑紫に対して慇懃に話しかけた。何より戸惑ったのは筑紫のほうであった。

「弁韓、日岐峰が家臣、筑紫と申します。」

「ほう、羅子殿といい、この筑紫殿といい精悍な部下をお持ちですな。よきことよきこと。さて、帥王がお待ちじゃて、参りましょうぞ。」

 比士が、奥に声をかけ、御簾が上がる。奥に座した、帥王、帥牙比古は岐峰の顔を見るや腰を上げて走りよってきた。

「岐峰!岐峰か!真に岐峰なのだな?」

「伯父上。おめおめと、参上しました。」

「よくぞ、よくぞ生きて…。」

牙比古は、岐峰の手を握ったまま、離そうとしなかった。その手に熱い雫がこぼれるのを感じながら、岐峰もまた、涙を禁じることが出来なかった。


落ち着いたところを比士がとりなし、岐峰らは帥王の前に座した。報告せねばならぬことがあまりにも多くあった。そして、その須くが、砂を吐く思いで語らねばならない、あまりにも凄惨な戦の顛末であった。

「武遂の裏切りが、敗北の決定打となりました…。」

 日氏の同族であり、北に隣接していた領土を守っていた日武遂。岐峰とは父方の従兄に当たる人物であった。辰韓、馬韓が落ち、弁韓諸国が浮き足立った最中。日氏らの再軍備の情報が劉秀側に漏れた。足並み揃わぬ状態で何とか父岐稜を守る態勢に入った諸豪族の連合は、北部武遂領の無抵抗陥落の報に耳を疑った。武遂は、情報を売り劉秀に助命を嘆願したのだ。

 武遂領からの劉秀軍は5万に及ぶ軍勢であった。諸豪族連合1万は瞬く間に蹴散らされ、周辺の村と町は血と屍で埋まった。

 岐稜は、岐峰の兄達と供に山城に籠り、徹底抗戦を仕掛けると同時に、岐峰ら500を東の海に逃がした。岐稜と兄弟が皆戦の最中、首を切られたことを知ったのは、済州島を出た後であった。


「そうか…。かようにむごい戦であったか。」

「母も、父と運命を供にしたと聞きました。」

 父、母、兄達のことを考える。岐峰は自分の手が腿を血がにじむほどに握っていることにすら気がつかなかった。

「そうか…。そなたらだけでも生きてたどり着いてくれただけでも天の助けというものだ。日の一族100余名はわしが責任を持って保護しよう。」

「伯父上、感謝の言葉もございません。」

 岐峰は、安堵された100名の命を思い、長い息を吐いた。そして、思った。その先に何があるというのだろう、と。

「しかしながら、帥王。口を挟んで申し訳ないとも思いますが、よろしいかな。」

「何なりと申されよ、遠比士殿。」

「これから、日のご一族は身を隠しながら生きて行かねばなりますまい。それも苦しき道となりましょうなと思いましてな。」

「それは、そうではあるが…。」

言いよどむ牙比古は苦く顔をしかめた。日氏を日氏として匿うことは帥氏にはできない。それは、中立を保つ新なる漢王家に対する、明確な宣戦布告となる。そのことは、発言した遠比士自身とてわかっていることであるはずである。岐峰は、不可思議な思いで遠比士を見た。そしてそれは、羅子、筑紫も同様であった。

「恐れながら、遠大夫。確かに、これから日の末裔であるということは忌むべき名として語られましょう。しかし、それは敗者の定めです。我ら一族皆、その覚悟は出来ております。ご心配心よりあり難く存じますが…」

筑紫のその声を留め、遠比士はさらに続けた。

「無論、その通り。それは我ら遠の者も同じ事。しかし、考えて見られよ。この一支のさらに東に行けば、未だ漢の見知らぬ蓬莱の地が広がっておりまする。かつては秦の始皇帝の臣、徐福翁がたどり着いたとされるその地ならば、一からやり直すことが出来るのではありませぬかな。例えば、氏名を改め、この蓬莱に新たに国を起こす事も出来ましょう。」

その言葉を理解するのに時間がかかった。新たに、国を起こす。この蓬莱で。

「氏名を改めるとは、日の名を捨てよと仰っているのか。」

「名は記憶と記録に残ればよい。志とその魂は残りまする。逆賊として怯える事を考えればどちらが良き生き様でありましょうや。」

比士は、羅子の言葉にそう返すと、岐峰に向き直った。

「いかがかな、岐峰殿。そなたが決断なされれば、微力ながらこの遠家の500余名、そなたの手足となりまする。」

岐峰は、答えが出なかった。

「遠比士殿、ありがたきことよ。岐峰よ、無論わしも力を貸そう。」

牙比古のその言葉に、岐峰はただ頭を下げた。しかし、肝心の答えは口から出ることがない。

「遠比士殿、伯父上、真にありがたきお申し出、感謝の言葉もありません。ですが、…時間をください。」

「よろしいよろしい、こちらこそ性急な話をしてしまい、真に申し訳ない。」

比士は、鷹揚に笑い、岐峰の肩を叩いた。

「ともあれ、そなたらの住居を作らねばならぬ。遠の方々が居られる集落の横にまだ平野が残っていよう。そこに住居を作ろう。」

「ありがたき幸せ。なれば、一族の者みなに伝えましょう。」

牙比古の言葉に答え、羅子は館を出た。岐峰と筑紫もそれに従って牙比古に暇を告げたころには、太陽は天高く上っていた。

「主、我々は、主の決定にしたがいます。」

太陽を眺めながら、筑紫はそう声を漏らした。


 突貫で行われた住居の設営は夜半に及び、手を休めたと同時に皆が、泥のように眠った。

この調子で行けば明日には村の体裁が整うのではないかというぐらい、みなの働きはすさまじかった。帥王と遠比士がそれぞれ人員を貸してくれたことも大きかった。

 皆が寝静まった夜、それでも眠られぬ岐峰は、昨夜の浜にまた来ていた。月の光が、先客の姿を照らしていた。

「美君殿?」

「岐峰殿。」

 その佳人は、振り返って笑う。

「今夜も、寝付かれぬご様子ですね。」

「お言葉をそのままお返しします。」

 昨夜とは違う満天の星空と煌々と照る月が浜辺を照らしていた。それでも海は全てを飲み込む暗闇のまま、漆黒の威容を誇っていた。岐峰は砂浜に腰を下ろし、また昨夜と同じくその漆黒の水面に目をやった。

「帥王は大層お喜びだったそうですね。傍から見ていて目頭が熱くなったと父が申しておりました。」

美君の言葉は温かだった。再会の喜びを自分までが分かち合っているかのように。

「有り難い限りです。」

そういう以外に、岐峰は言葉が出てこなかった。ふと、悔しさとも悲しさとも怒りともつかない思いが体をめぐった。

 父を、兄を、母を犠牲にして、生き残った己が居る。逃がされ、生かされ、保護され、また生かされる自分が居る。海を漂う間、己の一族の命をも疎んじていた自分が、今、おめおめとここに生きている。

「良き生き様とは、なんでしょう。」

美君は、岐峰のその言葉に振り向いたものの、言葉は発さなかった。優しい沈黙がそこにあった。岐峰自身も、その一言が失言であったということは痛感していた。自分が何とか拾った命を、この佳人は未だ拾えていない。

「…少なくとも、生きてあることは間違いではないのでは?」

美君の横顔から聞こえてくる言葉は穏やかなものであった。

「質問の答えになっていないかもしれませんが。帥王は岐峰殿が生きておられることを喜ばれたのでしょう?それは素晴らしいことではないですか。それに、」

そう言葉を区切ると、美君は岐峰のほうに振り返った。

「私とて、そうです。私は実は今日、天を眺めにここに来ました。気分が沈んだとき、闇の中に星空があり、月が照ることを貴方が教えてくださいました。生きて、貴方とお会いできたお陰です。」

その微笑が、自分の中に先ほどまで渦巻いていた卑屈な思いを溶かしていくのが判った。

「ありがとう。」

岐峰は、素直に頭を下げた。

「おかしなこと。お礼を申し上げているのはこちらです。私は、本当に暗闇の中にいたのです。漢水にあっては、暁の、夷戎の血を恥じ、今この地にあっては己の身に流れる皇帝の血を呪っておりました。」

「血を、呪う…?」

「ええ。己ほど疎ましいものはなかったのです。今でも、この血の呪わしさに体を焼かれる思いが致します。そんな私に、貴方がこの星空をくれたのです。」

「星空は、天が作り、そこに置いたものでしょう。私が差し上げたわけではない。」

「それはその通りですね。」

また、美君は笑い天を見上げた。波音が支配する砂浜をただ星空と月が照らしていた。

血を呪う。そう、これからも我々は子々孫々そうしていかなければならないのだろう。敗北者として日氏のものとして。

 いや、と岐峰は気付く。血を、祖先を、己を。誇りながら生きることの出来る楽土こそ、必要なのではないか。この佳人が己を呪わずに住む土地を、今この手で築くことが出来れば。誰もが、己を呪うことのない楽土を。岐峰もまた、空を見上げた。夜空の月は煌々と二人を照らしていた。


村の一通りが完成し、その報告に、岐峰は牙比古の館を訪れた。遠比士は供に報告をするため、館の前で待っていた。

「いやはや、なんとも早急に仕上がったもの。これで皆が雨露に慄く事がなくなりますな。」

「いえ、すべては遠比士殿と伯父上のお陰です。」

岐峰と、比士が館に入ると、玄関口に牙比古が立っていた。慌ててひざまずこうとする二人を、牙比古が制した。

「いや、すまんな。夕刻にはこれを見ねば心が収まらぬのだ。」

牙比古は、玄関の大きな魚の骨の前に立っていた。

「…この魚は?」

「ほう、岐峰殿はご存じないか。鯨と申しましてな。人の何倍もある大きな魚でして。一匹しとめれば8つの集落が月の満ち欠けが一巡りするまで食うに困らぬといわれておりましてな。」

「…鯨。」

このような大きな魚が、海を泳ぐということが、岐峰には信じられなかった。

「大陸ではかような呼び名で呼ばれるか。こちらではイサナと呼ばれておる。あまりに勇ましき魚であるがゆえにな。この魚を取るために、何十人、時として100人以上の漁民が命がけで立ち向かう。そして多くの命を落とす。」

そういいながら牙比古は骨をなでる。そこに落とした命たちが宿っているかのように。

「この骨はな、岐峰。誇りであると供に、彼らへの墓標なのだ。」

「これもまた面白うございますな、帥王。大陸に近頃入ってきた宗教にブトというものがございましてな。それにイシャーナという神がある。何者にも縛られぬ自在なる神で、冥界をつかさどるとも聞きまする。自在に大洋を渡る鯨によう似合った名前ですな。」

「ほう、自在なる神か。これは確かに面白うございますな、遠比士殿。」

そのやり取りは、岐峰の頭に、自在に大洋を渡るこの大魚の優美な姿を思い浮かばせた。

その姿の如く、生きることが出来れば。

「伯父上、遠大夫。」

「…?」

「先日のお話しを、受けたいと思います。」

突如、跪いた岐峰のその切り出しに、比士も牙比古も、一瞬わからなかった。岐峰も、もっと落ち着いた状態で言うべきことだということは判っていた。しかし、不思議と後悔はない。このイサナがそうさせているのかもしれない。

「この蓬莱に、誰もが己を恥じずに住む楽土を作りたいのです。どうか、兵をお貸しくださいませ。」

ここに、暁の民も、漢の民もない楽園を。

「良くぞ決断された。遠家は貴殿を支持しよう。」

「帥の兵は己がものと思うてよい。岐峰、武運を祈る。」

「はっ。」

「ところで岐峰殿。名は決められたか?」

岐峰はそこがまだ決められていなかった。しかし、目の前にあるその大魚が、岐峰の口を半ば無意識に動かしていた。

「イサナ…。」

伊舎那(いさな)、を名乗ろうと思います。これよりは、伊舎那岐峰を。」

「素晴らしい。日の民は、大陸から躍り出て大海を駆け巡る、自在なる伊舎那の民となったと言うことですな。」

比士の言葉は、改めて岐峰の胸を打った。

何にも縛られぬ自在なる民。伊舎那の民の長として、岐峰は顔を上げ、今、楽土の建設に向けて立ち上がった。


1.伊舎那の民 あとがきに変えての大河ドラマ風解説。


 炎帝神農と羌(きょう、チャン)族(作中では暁族)についての話をしようかと思います。難しい話はいいよって方は飛ばしてください。


中国神話における天地創造は盤古という巨人の死から始まります。ギリシャ神話や北欧神話にも共通する点ですね。その巨人から人面蛇身の神、伏儀と女禍が生まれ、その子孫として大陸を治めたのが神農氏だといわれています。薬学と農耕を広め、百薬に通じたといわれ、炎帝として神代の三皇のひとりとして数えられます。

 この炎帝の子孫が羌族。現在では少数民族となっていますが、中国の部族の中でもルーツの古い部族として知られています。

 三国志に登場する馬超。かれの出身部族でもあるわけです。

この羌族の民は騎馬民族なので大陸全土に広がって生きます。西に向かった一群は、朝鮮半島にたどり着き、扶余という国を建築。本作では、岐峰らの日氏をその末裔としました。

中央にいた部族は、シュウという王の時代に、黄河流域から出た後に黄帝と呼ばれる姫軒轅によって倒され、大陸の南に封じられます。

この姫軒轅が後の漢民族皇帝一族、劉氏の祖となるわけです。

そして、大陸中部、南部の豪族として度々名をあらわす袁氏。(作中では遠氏。)本作では彼らをシュウの末裔としています。(シュウが牛面人身であること、炎帝神農が薬学の神であることが、後々凄く意味を成すのですけれど、これは本当にあとの話なので、今は忘れててください。)


この話では、その炎帝の血を遠氏と日氏を結ぶ鍵として使わせていただいていますが、完全に想像の範囲を超えていません。当時の弁韓諸国が扶余の末裔かというと実際は難しいと思いますし、袁氏が羌の一族かというとまたそれも不明ですしね。

しかしながら、それを大前提として大胆な仮説の元進ませていただきます。

本作「国生ミノ始メ」のプロローグともいえる本話。古事記で行くと、今回の「伊舎那の民」は神代七代が終わってオノコロ島にたどり着くまでってところでしょうか。次話は「御柱の婚姻」。古事記で最もエッチな所に入りますが、エッチシーンはありません(笑)。ともあれ、乞うご期待、でございます。


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