Whiskie padre & Genocide girl
道路はどこまでも続いていた。
草原に敷かれたアスファルトは執念深いヘビのようにうねうねと伸びている。
その道路をコーヒーケーキ色の乗用車が一台走っていた。ハンドルを握っているのは天使のように美しい姿の若い神父だった。窓を開けっぱなしにして走って、黒いフェルト製のボーター・ハットからウェーブしてこぼれる蜂蜜色の髪を風になぶらせていた。縁なし眼鏡の奥には青く澄んだ、少し鋭い瞳がある。
道路の左側はどこまでも続くヨロイ草の青い平原。右側は下り斜面。小さな花をつける灌木が生える斜面のきれた先には市街地を壁で囲った都市が点々と散っている大草原があった。都市同士はひどく離れていたが、市電用の線路を切ってあるらしい未舗装の道路で結ばれていた。
道路はずっと地形の縁を走っていた。左の平原に行く道もなく、右の草原を降りる道もない。ときどきガソリンを売るらしい店がぽつんと立っている。それだけだ。
「いやあ、最悪の人生だよなあ」
と、神父が言った。
「え?」
後部座席に寝ころんでいた少女がたずね返した。
「なんか言った?」
「おれ、何か言ったか?」
「いやあ、最悪の人生だよなあ、って言った」
「そんなこと言ってねえぞ」
「言った。最悪の人生だって」
「言ってねえよ、メスチビ」
「言った」
「寝ぼけて夢でも見たんじゃねえの?」
「わたし、熟睡するときはがっつり寝るけど、目覚めはかなりいいほうよ。だから、間違いない。あなた、最悪の人生だって言った」
「こんなとこでガソリン売るなんて、かったるいだろうなあ、って思っただけだ」
「ほら、やっぱり言ったじゃない」
「なんだよ? 神父が他人の人生あれこれ評価しちゃ悪いってのかよ」
「別に。他人様の人生にケチつけられるくらいだから、我らが神父さまはさぞ清らかな人生をこれまで歩んでこられたんだろうなって思っただけ」
「おれ、ときどき不思議に思うんだ。どうして、おれはこのメスチビを走ってる車から放り出して、ぶっ潰しちまわないんだろうって」
「わたしがかわいいからよ」
「冗談ほざくときは前もって言えよ。運転中なんだから。笑いすぎて、道から飛び出したりしたらあぶねえだろうが」
「それって照れ隠し?」
少女はくすっと笑った。
神父は首をふった。
「この世の中にはな、女を測る尺度におっぱいを使うやつがいる。おれもそうだ。それにたっぷりでかいケツがあって、全体的にちょっと太めだと文句はない。だが、それと同じくらいぺちゃパイが好きなやつもいる。お前のそのチビガエルみたいに貧相な体つきが最高だっていうやつもいることはいるんだ。でも、たいていは変態だけどな。これは嘘じゃねえ。それこそ懺悔室で何度も何度もやつらの変態さ加減をきかされた。もう一生分、変態の泣き言をきいたんだ」
「でも、最悪なのは、ガソリンを売る人生なんでしょ?」
「まあな」
神父はクラッチを踏んで、ギヤを3速に入れた。直列六気筒のエンジンは軽快な音を鳴らしながら、車を前へ前へと駆り立てた。
風は高い空で青い渦を切り裂き、遠くの山塊に溶けるようにして見えなくなっていた。自動車のフロントガラス越しに見る山々はまだ青い影に過ぎなかったが、それでもその岩棚に白い氷河が走っているのが見える。
神父が遠くの山脈だと思っていたものが実はくすぶる炎から昇る蒼ざめた煙の帯だと気づいたころには、煙の壁はどんどん前から迫ってきて、次の瞬間、車は煙の渦を引きながら、黒く焦げた平原の横を走っていた。
神父はブレーキを踏んだ。一人の老人が馬にまたがり、焼けた土地を支配者のように歩いていたのだ。パーキングブレーキをかけると、神父は外に出た。
台地へ歩くと、靴底の下で焼けてもろくなった黒焦げの茎が癖になる音をさせて砕けた。神父は、馬に乗った老人に挨拶代わりに帽子のつばに手で触れた。老人もかぶっていた麦わら帽子のつばを指でつまんだ。
白いシャツに塩の粉が吹いていて、腰には銀色のリヴォルヴァーを差した弾薬ベルトを巻いていた。
「じいさん。ちょっといいかい?」
「なんだ?」
「このへんで神父が真昼間からウイスキーあおっても白い目で見られない市はねえかな?」
「そこの道路をずっと走っていくと、そのうち大きな湿原に降りていく。そこに市が一つある。プレインヴューという市だ。石油で儲けてる市だから、人間のタガも緩んどる。そこでウイスキーでもガソリンでも好きなもんをあおればいい」
「サンキュー、じいさん。あんたに神の御加護を。ところで、じいさん。あんた、ここで何やってんの?」
「畑を見て回っている」
「なるほど、あんた、地主ってわけかい」
「そうだ。このへんは全部、わしの土地だ」
「でも、畑って言っても、何の作物も生えてないようだけど」
「そうだ。何の作物も生えていないことを確かめてまわっている」
神父の頭にクエスチョン・マークが咲き乱れた。
「でも、畑ってのは作物植えてカネを稼ぐためのもんだろう?」
「まあ、そうだ。だが、わしは自分の土地に作物が生えるのが死ぬほど嫌いなのさ。もし、わしの土地にトウモロコシが生えると、家畜を虐待したくなるし、麦が生えると女房を殺したくなる。サトウキビなんぞ生えた日には神さまに呪詛の言葉を吐く――おっと、すまんね。神父さん」
いいんだ、と神父は手をふった。おれもときどき、いや、しょっちゅう神さまをボロクソにけなす。
「しかし、珍しい地主もいたもんだな。おれの知っている限り、地主ってのは土地と小作人がくたびれるまで換金作物を作りまくるもんだと思ってたが」
「そういうやつは多いが、わしは違う」
「人と違う道を歩むってのはかっこいいもんな」
「わしの場合、かっこいいというよりは病気なんだ。この土地は憎たらしいほど肥えてやがる。こうやって見回らんと、あっという間に何か作物が生えてしまう。鳥が糞と一緒に落とした種のせいで、トウモロコシが一面を覆っちまうのさ。それをこうして焼き払うのに、一財産使うわけだ」
「このへんのちんけなガソリン屋がどうして暮らしていけるのか分かった気がするよ」
車のクラクションが鳴った。振り返ると、少女が運転席の背もたれを前に倒して、体を伸ばし、ステアリングの真ん中を叩いてクラクションを鳴らしていた。
「あの子は連れかね?」
「まあ、そんなとこだ」
「親はおらんのか?」
神父はこれまで誰かに少女との関係性をたずねられたときに何百回と繰り返した作り話を話した。
老人は別に特別感心した様子もなく、疑う様子もなかった。とにかく、彼の土地に作物ができないようにすること。それだけが彼の興味を占領していたのだ。
「何を話してたの?」
車を走らせ、馬にまたがった老人がはるか遠くの小さな景色に消えたあたりで、少女がたずねた。
「地主なんだってよ、あのじいさん」
「そんなの嘘よ」
「どうしてそう思うんだよ? だいたい、お前に地主の何が分かるってんだ? 土地なんて買ったことねえくせに、このメスチビ」
「メスチビって言い方やめてくれないかな? エルテって名前があるんだから。それに、地主のことなら、わたしだってちょっとは知ってる。よくターゲットになったもん。わたしが殺した地主はみんな取り巻きに囲まれてた。弁護士とか管理人とか厩舎長とか工場長とか。一人でぶらぶらしてる地主なんて一人もいなかったわ」
「世の中、お前にぶっ殺されるようなやつばかりじゃねえってことだ」
「まあ、別にいいけど――それより、おやつ」
「さっき食ったばかりじゃねえか」
「だって食べたいんだもん」
「駄目だ。後にしろ」
少女は後部座席で寝そべって。どすどすと運転席を蹴り始めた。
「やめろ、このメスチビ! んなことやったって菓子はやらねえぞ!」
「食べたい食べたい食べたい!」
「ったく……」
神父は助手席に置いてあったブリキの箱を開いて、今朝、宿屋の窯を借りて焼いたアップルターンオーバーを一つ、後ろに放った。
エルテは素早く身を巡らして、菓子をキャッチすると、ゆっくり少しずつ味わって食べ始めた。
「初めて会ったとき、あなたのこと殺さないでおこうって決めたのは何でだと思う?」
「隠そうにも隠しようがないおれさまのアダな魅力に参っちまったんだろ」
「お菓子よ、バカね」
エルテは上機嫌に、あ、と口を開けて、思い切りのいい一頬張りをした。
三角形の焼き菓子から、カリッと音がした。
丘の上を走る道路から市を見下ろすことができた。石油景気に沸く市、プレインビューは湿原のなかにあった。市の中央に大きな森があり、森の中心には頂上から炎を吹く塔が立っている。森のまわりを市街地がぶ厚く囲っていた。湿原の向こうは入り江になっていて、小さな漁村と採砂場があった。
城門をくぐって、最初に見つけた安レストランに入り、挟めるものを手あたり次第に挟んだハンバーガーとビールを頼もうとしたが、ここでは金が通用しなかった。
「この市じゃ、もう貨幣や紙幣は使えないんですよ。誰も受け取りたがらないもんで」
ウェイターの言葉に神父は耳を疑った。
ウェイターは親切のつもりで教えた。
「はやく取引所に行って、石油券を手に入れることですね」
「石油券?」
「一年に産出される石油を受け取る権利の証明書です。それがここではお金のかわりに流通してます」
プレインビューの真ん中を貫く大通りには石油券取引所がいくつも並んでいた。どの取引所も石造りの立派な建物で石油券一バレル分の相場が正面の電気パネルに提示されていた。
「原油一バレルの相場はだいたい金貨一枚なのに、ここじゃ石油券一バレルが金貨三枚半の値段がついてる」
神父は取引所の一つに入り、カウンターの係員に、
「おかしくねえかな? だって、石油券一枚で一バレルしか手に入らないのに、それを買うのに三バレル半の金を払わないといけないなんて」
係員は鉛筆で書いたような髭をして洒落たスーツを着た男だったが、指先を優雅に動かしながら説明した――お客さま、現在、世界的な原油高騰により、原油の値段は天井知らずなのでございます。今や石油は金やダイヤモンドよりも価値があり、プレインビューは財宝を積んだ船のようなものなのでございます。こうしているあいだに、ほら、また値段が上がりました。え? もし、油田から石油が取れなければ、どうする気だと? ははは! お客さま、面白いことをおっしゃいますね。このプレインビューの原油は埋蔵量世界一です。あまりにも原油が取れすぎて処理しきれないので、どの油井も原油を吸い上げたそばから運び出せない分を燃やしているのです。その炎をぜひご覧になるといいでしょう。それこそ、プレインビューの繁栄の象徴なのですから。
プレインビューの真ん中。森のなかに高い塔が立っていた。石でできた塔のてっぺんからは空を焦がす炎が噴き上がり、空っぽのタンクを積んだトラックはひっきりなしに森へ入っていき、また出ていく。森の入り口はカーキ色のゲートルを巻いた夏服の兵士たちがサブマシンガンを手に厳重に守っている。五十発入りドラム型弾倉と銃身制御装置までつけた大きな銃は平の兵士が持つには高価すぎる。それだけこの石油塔が重要な施設なのだろう。
「贅沢してやがるなあ」
「同じ贅沢なら砂糖と生クリームを使った贅沢のほうがわたしは好き」
「おれだって、酒とか女のほうがマシだ。しかし、ここじゃあ、石油券を持ってねえと、密造酒の一杯も引っかけられねえとはなあ」
「手持ちのお金を石油券に換金すればいいじゃない?」
取引所に帰ってみると、相場は石油券一バレル金貨四枚に値上がりしていた。
神父は手持ちの金貨を八枚払って石油券を二バレル分買い、八十四ガロン分の石油券に両替した。
椰子の樹通りでポークチョップといんげん、それにビールとクリームソーダの食事にありつくと、石油券も そう悪いもんじゃないかもしれないと二人は思い出した。
この市では住民は誰もが石油券の売り買いに熱中していて、工場の労働者も事務所の筆写係も乏しい給料を石油券の投機に突っ込んでいた。そのせいで市内の商店街と職人街はすっかりさびれていた。みな仕事をやめて、取引所に入り浸り、石油券の売り買いで食っているからだ。石油券市場には常に買い手がいて、値段は天井知らず。この手の投機熱は古来よりチューリップだの存在しないあぶく会社の株だのという形で存在し、その結末は往々にして悲劇的喜劇であり、肩で風を切っていた投機家たちが飛び降り自殺した事実は後世の人々への警句として語り継がれていくのだが、数年後にはころりと忘れて、似たような投機熱がやってくる。どんな真人間でも楽して稼げるなら稼ぎたいものなのだ。
神父はフムウとうなずいた。
「こうしたあぶく銭つかんだ真人間相手の懺悔はまさに腕の見せ所でな。いかにして相手が儲けた金を浄財だの持っていると不幸になるだのとろくでもない考え植え付けて、教会に寄付させるかを聖職者は競い合う。そして、それが一番うまいやつが教皇になるってわけだ」
夜になって、歓楽街に行ってみると、ランプに色紙を貼った深夜営業の酒場が並んでいて、二階のバルコニーから酌婦の笑い声とホンキートンク・ピアノの演奏がきこえてきた。酒場の用心棒が放り出した酔っ払いが汚い水たまりの上で仰向けになったままいびきをかき、ブロンズ製のスロットマシンがニッケルコインを飲み込んでいた。ポーカーテーブルの上にはチップのかわりに石油券がゴム束で重なっていて、シルクハットに燕尾服を着た石油券成金が女たちを相手に一バレルの券を景気よく切っていた。
「そうやって生き生きした顔をしてるのを見ると」
と、エルテ。
「あなた、どうやって神学校を卒業できたのか不思議に思う」
エルテの皮肉を神父はきいていなかった。早速、最初の店でウイスキーを壜で買い、それをちびちびあおりながら、次の酒場ではカモになりそうなやつを探して、ビリヤード勝負をふっかけた。五人連続で破って、小額の券で一ガロン半ほど稼ぎだした。三軒目の酒場についたころには神父はすっかり上機嫌で、エルテに特大クリームソーダを注文してもいいといい、明日になったら、朝飯代わりにダッチオーブンででかいプリンを作ってやると約束した。
エルテはそういうことなら、
「わたしもいい子でいてあげる。誰か殺して欲しい人ができたら、いつでも言って。隠密かつ速やかに殺ってあげるから」
「馬鹿だなあ、メスチビ。こんなご機嫌な夜に誰をぶっ殺すってんだ?」
そのとき、ピアノの曲がぴたりと止まった。
神父はドアのほうを向いてみると、先ほどビリヤードで負かした五人組が剣呑な顔をして立っていた。五人は神父とエルテのテーブルにやってくると、
「さっきの勝負はイカサマだ」
「へえ、ずいぶんなこと言うじゃねえか。神父さまをイカサマ師呼ばわりしちゃいけませんってママに教わんなかったか?」
二人目に負かした男がずいと詰め寄った。
「おれの親父は聖書のセールスマンだったがな、おれが嘘をつくと木に縛りつけて、ベルトでぶっ叩いたぜ」
「それでそんな醜男になったのか? 合点がいったよ」
てめえ! と五人がいきり立ち、腰に差したナイフを抜こうとした。店の空気がいっぺんに変わり、全員の視線が神父と五人の男に集まった。優男がみじめに這いつくばる姿が見たくて、神父が殴られるのを期待しているものも何人かいるようだ。
エルテは神父に目で合図した――殺す? 殺す? こいつらのハラワタ、引きずり出す?
クリームソーダと巨大プリンでこのご機嫌ならチーズケーキを加えれば、神さまも殺してくれるだろうなあと、思いつつ、首をふり神父は男たちに言った。
「カネを返せってんなら、まあ、そうしてやってもいいけど、ただ返すんじゃ面白くない」
神父は立ち上がると、『マッセ禁止!』と看板が天井から下がったビリヤード台のそばに寄った。コーナーポケットから三十センチ離れた位置に八番のボールを置き、そのあいだに手玉を置いた。
「おれがイカサマ師じゃないってことを証明してやる。これをマッセして、八番をコーナーポケットに入れる。入ったら、お前らは消える。入らなかったら、倍額を返す」
「入るもんか」
神父はラックに立てかけたキューを何本か手に取った。二十回に一度成功するかも怪しいトリックショットをやるのだから、納得のいくバランスのいいものを選ぶだろうとみなが思った。
神父が選んだのは一番重くて一番太いキューだった。
「よく見てろよ」
と、いうなり、神父はキューをバットのようにスイングした。一番近くにいた男が横っ面を殴られて、回転しながら、テーブルへすっ飛んだ。
コップと酒壜が割れる音がして、蒸留酒のむっとした匂いが湧いた。神父は続けざまに三人をぶちのめした。二人目に負かした男――昔、父親にベルトで打たれた男が銃を抜こうとした。
神父はショルダーホルスターに入れてあった四四口径の中折れ式リヴォルヴァーを抜いて、男の胸を撃ち抜いた。男は後ろに飛び上がり、ビリヤード台の上に大の字に倒れた。
「神父が銃を持ってやがる!」
野次馬の一人が言った。
「じゃあ、悪党に聖書を持たせろ」
ビリヤード台の上に倒れた男を顎で指した。
「それでバランスが取れる」
ジャキン。
聞き覚えのある音――弾がポンプされ薬室に装填される音がして、振り向いた。
酒場の親爺が十二番径のショットガンを構えて、まっすぐ神父に向けていた。
「喧嘩はかまわねえ。銃を撃つのもかまわねえ。誰か死んで、台のラシャを血で台無しになるのもかまわねえ。だが、おれはマッセするやつには、どうしても我慢できねえんだ。そのガキ連れて、おれの店から出ていけ」
「ちぇっ、ケチがついたな」
「だから、わたしが殺る?ってきいたのに」
「ばーか。そんなことした日にゃ憲兵が出張っておれたちブタ箱送りだぞ。いくら、カネ至上主義の市だって、五人も殺っちまったら、お上は見逃しちゃくれねえんだよ」
歓楽街の目抜き通りから横に入った路地。腐った果物の皮やゼリーみたいに固まり始めた豚の脂を避けながら、二人は歩く。
「憲兵も殺ればいいじゃない」
「お前、ここの軍隊のハジキ見てなかったのかよ? ありゃあ、一分間に六百発ぶっ放せるんだぞ」
「そのくらいよけられるもん」
「うそこけ、メスチビ」
「うそじゃないわよ」
「よーし、じゃあ試してやる」
神父はショルダーホルスターから銃を抜き、エルテの額にくっつけた。
「六発よけられたら、明日のプリンにチーズケーキをつけてやる」
「その言葉、忘れないでよ」
ムキになったエルテの口角が上にひん曲がり、目をギラギラさせて悪魔じみた笑みをつくる。引き金に力がかかり始めたとき、声がかからなかったら、どうなっていたか分からない。
「まあまあ。そんなふうにいきり立ってはいけませんよ」
やってきたのはうさんくさい若者だった。大学の徽章のついた縁なし帽をかぶり、牛乳瓶の底みたいな眼鏡をかけている。
「暴力は何も解決しません。とりあえず銃をしまって、僕の話をきいてはくれませんか。おごりますよ」
若者がおごるといった店は歓楽街の大通りから横町に入り、さらに人気のない路地へ曲がり、その薄暗いアーチの煉瓦門をくぐった先の行き止まりにあった。ランタンの下に分厚い木のドアがあり、若者は肩から体当たりするようにそれを押し開けた。
壁のへこみにどろどろに溶けた蝋燭のかたまりが点る薄暗い店内は獣脂蝋燭の生臭さがした。テーブルの一つにつくと、酸っぱい匂いがするスープが出てきた。神父は遠慮して、テーブルの上の蝋燭で〈ベルサリエリ〉煙草をつけた。エルテは見るのも嫌だといった顔をして、スープ鉢から顔を遠ざけた・
「先ほど、あなたの腕っぷしの強さを見ていました」
若者は、おっと、といって、スプーンを置くと、
「自己紹介がまだでした。ぼくはヴェルスといいます。真実党のメンバーです」
「真実党?」
ヴェルスは人差し指を一本立てて言った。
「唐突な質問で申し訳ないんですけど、この世で最も大切なことは何だと思います?」
「ウイスキー」
「焦がしキャラメルのチーズケーキ」
「真実です!」
ヴェルスは椅子から飛び上がって、まるでそこに真実があるように天井を指差した。神父とエルテは天井を見上げたが、梁のあいだに伸びた煤だらけの蜘蛛の巣しか見えなかった。
こいつ、こんなろくでもないスープを毎日飲んでるせいで頭がおかしくなったのかもな。神父はふと思った。
「この世界で最も尊いのは真実です。ぼくら真実党は常に真実を、真実だけを見て、人を善導しなければいけないと思うのです」
「へー。そりゃあ、ご立派。でも、おれ、神父なんよ。つまり、神さま使って人をだますのを仕事にしててねえ。あんまり、人が真実真実っていうと、こっちの商売がやりにくくなるんだがね」
「大丈夫です。神の存在を騙ることにぼくの興味はありません。それよりも大きな嘘がこの市を支配しているからです。そして、ぼくは真実党のメンバーとして、この嘘に立ち向かいたい」
ヴェルスは言葉を切った。その嘘とは何なのか、とたずねてもらいたさそうだった。神父は、めんどくせえなあ、とため息をつきながら、エルテの足を蹴飛ばした。エルテは蹴り返したが、神父はもっと強く蹴り返したので、しばらくお互いの脛を狙った蹴飛ばし合いが起きた。神父が、これ以上強く蹴られたら立てなくなる、そうしたら、プリンは作れないだろうなあ、と(エルテ曰く)卑劣な脅しをかけてきたので、結局、エルテが折れた。
エルテはしぶしぶ、
「その嘘って何なの?」
と、たずねると、ヴェルスは手をこすりながら、
「それは石油です!」
と、大声でこたえた。
「この市はあの塔から産出される石油の収入で暮らしていて、貨幣の代わりに流通している石油券もまた石油に依存しています。しかし、真実は隠し通せません。あの塔からは石油は一滴も掘り出せていないのです!」
「そんなこと、大声で言ってもいいのか? それが本当なら、この市の人間はみなペテンにかけられて、ケツふく紙にもなりゃしないもんをつかませられてることになる」
「問題ありませんよ。なぜなら、プレインビューの全市民がそのことを知っているからです」
「知っているって何を?」
「塔から石油は一滴も生まれていないことをです」
「おれ、神学校しか出てないから、あんまりアタマよくねえんだけど、つまり、ここの人間は自分たちの持ってる石油券がただの紙切れだってことを知っていて、それでも石油券を持ち続けてるってことか?」
「そういうことです」
「ここの住人はドアホなのか?」
「そうではありません。真実に目を向けられるだけの知性を持っています。ただ、石油券が現実には多くの買い手がいて、値上がりを続けているから、別に石油が出なくてもかまわないと思っているだけです。ぼくはそんな彼らの目を真実に向けさせたいんです」
「でも、寝る子は起こすなっていうじゃねえか。そっとしておいたら、どうだ?」
「真に価値のある生活は真実を知った先にあるのです。そのためにはまず民衆が嘘を嘘として認め、新しい人生を真実の上に築き上げる決意をしてほしいんです。そして、あなたたちにはぼくを手伝っていただきたいんです」
「手伝うって何を?」
「あの塔のてっぺんへ行き、偽りの炎の正体を突き止めて、それを停止します」
「そんなの一筋縄にはいかねえぞ。銃を持った兵隊がいるだろ?」
「それどころか、市当局直属の暗殺部隊が警備してますよ!」
と、ヴェルスはなぜか嬉しそうに言った。
「でも、降りかかる困難が多ければ多いほど、その向こうにある真実は素晴らしいものになります。そして、お二人にはぼくに降りかかる火の粉を振り払ってほしいというわけです」
「ねえねえ、しつもーん」
「はい。なんです?」
「その身にかかる火の粉だけど、殺しちゃってもいいの?」
「構いませんよ」
「でも、あなた、最初に言ってなかった? 暴力は何も解決しないって」
「真実を追求するための実力行使は暴力とはいいません」
「うわ。すっごく都合がいい。でも、嫌いじゃないな。その考え方」
「もちろん、真実の追及が無償の援助を得られるとは思ってません」
ヴェルスは革の袋をテーブルに投げ出した。なかからは古い時代の金貨がこぼれ出していた。
森は街よりも古く、塔は森よりも古かった。
塔が何のために建てられたのか知る者はなく、科学者でもある市長が七年前に調査をして、石油が発見された。
そういうことになっていた。
それは下手くそな神話であり、おそらく一目見ればバレる嘘なのだろう。そのために森に警備兵を増やして、市民が簡単に立ち入れないようにした。
翌日、石油が見つかる前、密猟者が作ったトンネルで森のなかに出ると、まだ朝も早いというのに視界に入るものは全て陰に沈み、足元もおぼつかなかった。
腰丈に生えたシダの茂みのなかに人が歩いてできたらしい浅い溝があり、それは倒木の下をくぐり、キノコの生えたくぼ地をまわり込み、水たまりで盛り上がって道になり、木立のあいだでもとの溝になった。
「エルテ」
神父はしゃがんでエルテを呼んだ。黒のドレスを脱ぎ捨てて、体にぴったりした黒の暗殺者装束を纏い、体のあちこちに大小形も様々なナイフが縛りつけてある。
「この先の木立、どうもクサい。ちょっと偵察してこい」
「じゃあ、これ持ってて」
ブリキの箱には神父が朝つくったプリンを入れた容器が隙間なく詰めてある。
エルテは音一つ立てずに前方の茂みへ消えた。
数分後に木の陰から親指を上げたエルテの腕が伸びた。
木立のなかにはサブマシンガンを装備した暗殺部隊の死骸が転がっていた。木にもたれているものは喉を真一文字に切り裂かれ、うつ伏せに倒れている骸の首は不自然な方向にねじれていた。
八人あまりを抹殺したエルテは、いそいそと神父からブリキの箱を取り返すと、小さなカップに入ったプリンを小さなさじですくい、頬張っては、幸せそうに眼を細め、ほっぺたを押さえた。
「一仕事した後のプリンはまた一味違うのよねー」
「行くぞ、メスチビ。夜になる前には全部片づけて森を出ていきたいからな」
塔の入り口についたとき、太陽は西の空から光を投げかけ、石の塔は燃え立つような色に染められていた。鉄の鋲を打った大きな扉の前にはエルテに仕留められた骸が二つ転がっている。
扉を入ると、がらんとした石の広間に螺旋階段が塔の内側をなぞるように続いていた。神父は警備兵から奪ったサブマシンガンを構えて、階段を上った。すぐに上から銃撃があり、神父が撃ち返すと、警備兵の一人が悲鳴を上げながら、階段から落ちて、体が床に叩きつけられる音がした。
銃撃はまだ止まない。弾を撃ち尽くすと、マシンガンを捨て、リヴォルヴァーを抜いて、応戦した。四四―四〇弾が敵の顔に命中すると、顔がぐっと縮んだ後、頭の後ろから歯と脳漿を飛び散らせた。
階段を上り切ると、松明の揺れる塔の一階は暗い靄に遮られて見えなくなった。階段の終わりは廊下に通じていて、行き当たりに扉があった。
「さあ、いよいよ真実が全てに優越します」
それさえ起きれば、これまでの人死にもそう大きな損失ではないというかのようだ。神父は職業柄よく接する狂信者の匂いをヴェルスからかぎ取った。金貨の報酬がなければ、遠慮したい人種だ。
塔の最上階。そこは異常なほどの明るさ。何かの科学実験用の機械がいくつも並び、迷路のようなガラス管や圧力計のような計器、鉄パイプが張り巡らされ、中央には円柱型水槽があった。
水槽のなかには裸の少女が眼を閉じ、体を丸くしていた。
「たぶん人間じゃねえな」
「なぜです?」
「こいつの下半身見てみろよ。人魚とドラゴンを足して二で割ったようなもんが生えてるじゃねえか」
円柱型水槽の上には巨大なバーナーが設置されていて、かっぱらった太陽のように眩い炎を噴き上げていた。
「ともあれ」
と、ヴェルスが言った。
「石油産出はやはり偽りでした。これを大々的に知らせて、民衆を真実へ導かなきゃいけません」
「でも、こいつすごいエネルギー持ってそうだぜ。上のバーナーもこいつのエネルギーが有り余ったから炎にして上に逃がしてるんじゃねえの? たぶん市で使われるエネルギーもこいつが賄ってるんじゃ――」
神父は身をぐるっと巡らせて、機械の陰に隠れている人影を撃った。
燕尾服と白衣を足して二で割った礼服を着た中年男がサブマシンガンを乱射しながら飛び出してきた。
神父が放った二発目の弾が男の頭の上半分を吹き飛ばすと、マシンガンの銃口が跳ね上がり、数発が円柱水槽に命中した。
ヒビが水槽全体に広がり、割れるまで数秒だった。なかにいた竜族の少女の瞼が開き、瞳孔が縦に裂けた眼が見えたかと思うと、竜の少女はバーナーを木っ端微塵に吹き飛ばし、そのまま、暮れ染めた薔薇色の空へと飛んでいった。
塔のてっぺんの炎が消えてなくなり、部屋は闇に沈んだ。培養液の生暖かい湯気と硝煙が混じって、胸のむかつく臭いがする。神父は〈ベルサリエリ〉の箱をふって、一本取り出すとマッチをすった。
神父が一服つけ、エルテがプリンの箱を開いて、どれを食べようか吟味しているとき、ヴェルスは飛び跳ねていた。
「真実万歳! 真実万歳!」
ヴェルスは帽子を空へ投げつけて、熱っぽく言った。
「さあ、これから真実の生活が始まる! 民衆の目覚めが始まるんだ!」
【五月二十六日夕方】
石油塔で爆発が起き、何かの飛翔物が飛び立ち、炎の噴出が止まる。市当局は一時的なパイプ故障によるもので、炎の噴出はまもなく再開されると発表した。また、竜のような飛翔物を見たという市民の通報はおそらく煙が夕日に映って見えた見間違いとして、市広報部は否定。
【五月二十六日深夜】
依然、石油塔の炎噴出が再開されず。
【五月二十七日午前九時】
石油券取引所が開場。圧倒的な売り相場。石油券一バレルの値段が一時期、半金貨一枚に下落。
【五月二十七日午前十一時】
石油塔の炎噴出が再開されないことから、石油券取引所に売り注文が殺到し、石油券一バレルの値段が初めて銀貨換算に暴落。石油券の流通に不安を抱いた市民たちが食料品その他の買いだめに走る。
【五月二十七日午前十一時半】
石油券一バレル銅貨三十枚まで下落。
【五月二十七日正午】
大通りの石油券取引所が相次いで取引を停止。
【五月二十七日午後一時】
石油券がただの紙切れになったと動揺する市民に対し、市当局は石油券の価値は依然として保証されていると発表。商店に対し、石油券受け取りを拒否することを禁止する緊急令が出される。
【五月二十七日午後一時半】
市当局の警告にもかかわらず、商店は石油券の受け取りを拒否し、商工会議所はこれから加盟商店は紙幣もしくは貨幣によってのみ売買を行うと発表。
【五月二十七日午後二時】
石油券暴落前に売り抜けをして不当な利益を得たというデマが広がり、暴徒が市の助役の邸を襲撃。憲兵隊との衝突で双方に死者が出る。市当局は暴動などによる治安紊乱行為には厳罰で対応すると厳重に警告。
【五月二十七日午後三時】
暴徒による略奪が相次ぐ。中央街の公営質店が襲撃される。同時刻、商業地区のメイトランド百貨店が襲撃される。憲兵隊が市民に発砲。死傷者多数。
【五月二十七日午後三時半】
第三憲兵隊で指揮官が射殺され、憲兵が暴徒に合流。
【五月二十七日同時刻】
市当局が緊急事態宣言。以降、外出する市民は発見次第、裁判なしでその場で射殺すると警告。
【五月二十七日午後四時】
暴徒が市庁舎を焼き討ち。市幹部は全員死亡。
【五月二十七日午後五時】
石油塔の炎噴出停止から一日が経過。プレインビュー全域は無法地帯となる。
誰かが銀行に爆弾を投げ込み、一〇〇バレル券が脹らむ炎の玉に押し出される形で全ての窓と出入り口から噴き出した。
横倒しになった市街電車のそばに車掌の死体が転がっている。子どもたちは夢中になって帽子や懐中時計、時刻表を入れた革のケースを奪い合い、丸裸になった蒼白い骸をカミソリを埋め込んだベースボール・バットで切り裂いていた。
街灯にはフロックコートの中年男が『わたしは市民をだましました』と殴り書きされた札を首から下げて、絞首刑にされていた。
半狂乱になった暴徒たちは目につくもの全てに襲いかかって焼き討ちをしている。
ハンドルを握る神父は暴徒の群れをよけ、時に突っ込み、窓から突き出した銃を発射して蹴散らし、市の外に通じる門を探していた。
「おい、メスチビ! 車につかまるやつがいたら、手を切り落とせ! こんな厄ダネまみれの市からずらかるのにおみやげを連れていきたくないからな!」
言われなくとも、エルテはそうしていた。後部座席の窓に飛びつき、彼女のプリンを入れた箱――それも最後の一個! を奪おうとした暴徒の目をナイフで突き、暴徒がぶるぶる震えて転がり落ちるまで刃を突き刺していた。
ヴェルスがどこに行ったのか、分からなかった。だが、死んでいないことだけは確かだ。ああいう連中はいつだってうまく生き残る。そして、どこか別の市で真実の大切さを説き、そこを地獄に突き落とす手助けをするのだ。
「真実に根差した生活ってのは大したもんじゃねえか。なあ!」
運転しながら、ハンドルを切り、立ちふさがる暴徒――チョッキ付きの背広を着こみ、ボタンホールに花を差している紳士のような暴徒をバンパーでこするように跳ね飛ばした。
少年のような兵隊を暴徒たちが追いかけている。軍服はぼろぼろで解けかけたゲートルがひらひらと尻尾のようについていく。
追跡者の一人がそのゲートルを踏んだ。
兵隊は舗道に転がった。
すぐ暴徒が囲って、蹴るか殴るかした。
そのうちの一人でゴリラみたいな男が砕石用の大きなハンマーを振り上げて、少年兵の頭へ振り下ろした。
そのころには神父の運転する車は市の外へ通じる門を通り過ぎていた。バックミラーに映るプレインビューは炎に包まれていた。
車のなかで一夜を明かした二人は朝靄のかかる低地の草原を見渡した。草原に散った城塞都市から火事のものと思しき煙が上がっていた。プレインビューほどではないが、このあたりの都市も石油券の紙切れ化の被害を受けているようだった。
「ねえ」
「ん?」
もと来た道を戻るべく、アクセルを踏む神父にエルテが言った。
「あの人たち、石油券は紙切れで、石油は出てないって知ってたのよね?」
「ヴェルスの言う限りではな」
「ひょっとして嘘をつかれたのかな?」
「たぶん、それは嘘じゃねえんだろ。真実のためにつく嘘は嘘とは呼ばねえのさ。真実のための暴力を暴力と呼ばないのと同じだ」
「ますます、都合がいい考え方ね。わたし、好きだな、そういうの。もっと好きなのはチーズケーキだけど」
「つくれねえぞ、メスチビ。材料がねえんだ。下の市もあの調子じゃ、しばらくビスケットと干し肉で過ごさないといけない」
「ぶー、ぶー」
「おれにブーイングするな。恨むなら――そうだな、神さまでも怨んどけ。そのための神さまだ」
「はやくちゃんとした市に着かないかなあ」
「へえ、大量殺人鬼の言う――」
「大量殺戮美少女」
と、エルテが訂正。
「じゃあ、その大量殺戮美少女さんの言う、まともな市ってのはなんなんだよ?」
「お菓子の材料がいつでも手に入って、あなたが使える窯がどこの宿屋にも存在する市」
「自分でつくってみようと思ったことはないのか?」
「やったら、すごくまずかった……」
「ベーキングパウダー入れすぎたんじゃねえの?」
「わかんない」
「なんなら、市で殺しの仕事の一つや二つ受ければ、店にあるペイストリー全部買い占められるくらいのカネは稼げるだろ?」
「こんなこと恥ずかしいから、何度も言わないけどね」
と、エルテ。
「わたし、あなたの味付けが好きなの」
「分かるよ。おれほどお菓子作りのうまい聖職者はいない。おれもこうやって神父の服着て、ショルダーホルスターに銃突っ込んで車走らせてると、人生間違えたなあって思う。おれはペイストリー職人になるべきなんだよ――お、あれは」
すっかり焼けた草原にあの奇妙な地主が立っていた。馬は近くの樹に手綱を結ばれ、老人はスコップを肩に担い、麦わら帽子を持っていた。
「よお、じいさん。相変わらず作物憎んでるのかい?」
「おお、神父さんか。まあ、そうだな。わしはこの土地に作物ができることは今だ好まん。だが、そうも言っていられなくてなあ」
「何か植えるのかい?」
「いや、掘るのさ」
「何を?」
「石油を。プレインビューのことはきいた。まったくひどいもんだ。土地に何も生ませないという素晴らしい状態にありながら、あんなことが起こるとは本当にひどいもんだ。しかも、厄介なことになってるのはそこの草原の小さな都市も同じことだ。こうなっちゃ、土地に作物を育てないなんて贅沢は言ってられん。みなを救うために、わしは自分の流儀を犠牲にすることにした」
「それで石油を掘るのか? でも、じいさん、石油掘ったことあるのか? 見たところ、油井用の材木も機械もないようだが」
「スコップがある。石油は土のなかにあると言っても、ぺんぺん草の根よりも深いところにはないだろう。だからな、この帽子を投げて落ちたところを掘るつもりだ」
「そうか。おれもじいさんが見事石油を掘り当てるところを見届けたいけど、あそこにいるメスチビがお菓子の材料をちゃんと売ってくれる市に行けってうるさくてな。まあ、頑張ってくれよ」
神父は車を走らせた。
バックミラーに目をやると、流儀を犠牲にした麦わら帽子が青空に真っ直ぐ突き昇っていくのが見えた。