家無し子
食卓の下座に腰かけて、リヒトはやっぱり黙ったまま、宙を見つめ考え込んでいる。
「朝は、家に入ってくれなかったくせに」
冗談めかして私は笑ってみせるも、反応は無い。
夕食のスープを混ぜていた時だ。
唐突に、リヒトは口を開いた。
「お前の父親に、頼まれたんだ」
「え、何を?」
「今夜…お前を守ってやってくれ、と」
゛何から?゛
そう聞こうとして、ふと止まる。
きっとそう聞いても、答えてくれないに違いない。
だってお父様もリヒトも、何故か私にそれを隠したがっているようだから。
うまく探らないと。
「今日の禁書は、家に置いといていいの?」
「ああ。明日の夕方、お前の父親が取りに来ることになっている」
「そう。…リヒトはあの本、読んだことある?」
リヒトは答えない。
(これは読んだこと、あるな)
長年の付き合いだ。
なんとなく、彼のだんまりの理由は分かる。
スープが温まり、私は二人分の配膳をして、リヒトの向かいに腰かけた。
食器の音だけが、家に響く。
「明日は、誕生日だな」
話を変えるように、リヒトはぽつり呟いた。
「そうなの。こんなにドキドキする誕生日、生まれて初めてだよ」
胸に押し込めていた不安が、再び込み上げてくる。
それを隠すため、私は笑ってみせた。
だが、リヒトは笑っていない。
全てを見透かすように、静かに私を見つめている。
やがてふと、自らの鞄に目を落とすと、中から小さな紙袋を取り出した。
「ちょっと早いけど」
差し出される包み。
何だろう。
戸惑いながら、震える指先でそれを開けると…
「素敵なバレッタ!」
水色の、透き通るほど美しいガラスのバレッタが、中に入っていた。
嬉しい!リヒトからのプレゼントなんて、初めてのことだ。胸がいっぱいになる。
「街に行ったついでに買ったんだ。
だけど、必要無かったかもな」
リヒトの視線が、私の頭上に移る。
「あ」
知らない男性からもらったピンクのバレッタを付けていたことを、ふと思い出した。
「リヒト、私とっても嬉しい。これからはピンクのバレッタと、そしてこの素敵な水色のバレッタ。毎日交互に付けるね。もちろん明日の誕生日は、こっちの水色にする!ありがとう!」
言って私は早速、ピンクのバレッタを外し、水色のバレッタを付けた。
よほど、私が嬉しそうにしていたのだろう。
リヒトは照れたように目を背けた。
「お前の父親には、感謝してるしな」
灯りのせいだろうか、リヒトの頬がほんのり色付いている。
ぼそり呟いて、リヒトは窓の外に目をやった。
「もう14年も経つんだね。リヒトがこの国に来てから」
私がまだ3つの時だ。
王宮の大きな樫の根本に、よちよち歩きの子供が一人、じっとしがみついていたらしい。それが、彼だった。
どこから来たのか分からない。
そうした意味で、名付けられた。
「リヒト」というのは、この国では家無し子という意味。
その意味を私が知ることになったのは、ずっと大きくなってからのこと。
「あれから俺は、お前の父親の計らいで、王宮で働けることになった。家無し子の俺が、だ。だから俺は、あの人の為なら何だってする覚悟はできている」
リヒトはきっと、お父様の為に素晴らしいことを言ってくれている。
でも、何故だろう。
少し悲しい。
「ねえ。じゃあこのバレッタも、私がお父様の娘だから、くれたの?」
リヒトは、はっとしたように私を見た。
そして決まり悪そうに目を泳がせ、小さな声で答える。
「……お前に似合うと思ったから」
YesともNoともつかぬ答えだが、喜びで胸がいっぱいになった。
少なくとも私に似合うと思って、リヒトが選んでくれた。その事実だけで嬉しい。
「約束する。私、このバレッタをずっと大切にするね」
リヒトはほんの一瞬、口角を僅かに上げたような気がした。
だがすぐに、元の顔に戻り、私に背を向ける。
「今日はもう寝る。向こうのソファー、使わせてもらうから」
言ってリヒトは、部屋の隅に寝転んだ。
私も食器を片付け、寝室に入る。
(今日はいろいろあったなあ。
禁書を見つけて、それにリヒトにプレゼントをもらって。
あ!あと、知らない男性にピンクのバレッタももらったなあ…
そして、あの噂…。怪盗0、新聞で読んだことがある。その国1番の宝を盗んでいく、世界一の怪盗。この国に来ている?
…まさかね)
考え込みながら、いつの間にか私は眠っていた。
そして、運命の朝を迎える-…