街の噂①
街に出るのは、随分久しぶりだ。
「安いよ安いよ!」
「そこのお姉ちゃん、ちょっと見ていきな」
「今日仕入れたばかりの魚だ!どうだい、まるで生きているみたいだろ」
王宮から歩いて半時間もかからない場所だが、ここはまるで別世界のようだ。
何を買うわけでもなく、見ているだけでも楽しい。
「あ、綺麗」
ピンクの花のビースが散りばめられた、美しいバレッタが店先に並んでいる。
「買うのかい?」
店番のおばさんが、値札を指差す。
(欲しいけれど、自分の為にお金を使うなんて…。お父様が頑張っているのに、自分だけ贅沢しちゃ悪いわ)
「いえ、素敵だけれど。諦めます」
「そうか、じゃあ俺が買うかの」
いつの間に居たのだろう。
隣には長身の、黒服の男が立っていた。
見たところ、年は20代…だろうか。
銀色の肩ほどの髪を、後ろに一つ、結んでいる。
「あらま、見かけない顔だねえ。旅のお人かい?」
店のおばさんは、しげしげと男を見つめている。確かに、この国の言葉にしては独特のくせがあった。
「ああ、俺は奇術師での。いろんな国を回っちょるところぜよ」
男は人の良さそうな顔で、一つ微笑んでみせた。
「へえ。じゃあそれは、国の奥さんにでもプレゼントするんだね」
男はおばさんから商品を受け取ると、軽く頷く。
「ああ、このお嬢さんにな」
「え、私に?」
突然、男の視線が私に移り、思わず声がうわずった。
「そう、お前さんに」
「でも…」
「旅先で知り合うた美女への投資は惜しまんタチでな。ええからとっとけ」
「あ」
私の掌にそれを握らせたかと思うと、瞬く間に男は雑踏へ消えていった。
(お礼、言い損ねちゃった)
男のくれたバレッタを、そっと髪に付ける。
「いいじゃないかい。似合ってるよ!」
「ありがとうございます」
男へのお礼も込めて、おばさんに頭を下げると、再び私は歩き出した。
しばらく歩いていると、古書堂が立ち並ぶ狭い路地に着いた。
古びたかび臭い本の香りが、路地中に漂う。
(好きだな、この匂い)
お父様の書斎も、こんな感じだっけ。
路地を進むにつれ、人は段々少なくなる。狭い通路の突き当たり。かがんで入るしかない狭い間口の店が一軒。
その店は他とは違い、どこか不思議な香りがした。
(どんな本が置いているんだろう)
ドキドキしながら、間口をくぐる。店の中は、湿っぽく、背丈ほどの棚が三つ並んだきりだった。
客は誰もいない。小柄な男が一人、レジで番をしている。だがその男ですら、いびきをかいて居眠りをしていた。
そんなわけで、誰に気兼ねすることもなく、私は店に入ることが出来た。
端から順に、私は本の題名をなぞっていく。しかし、どれも読んだことのある名前ばかりだ。お父様の書斎や、王宮の地下で私は、残念ながら全ての本を、知っていた。興味をひく本が、なかなか見つからない。
じっと本を目で辿る。最後の棚の上段で、ピタリ私の目は止まった。
「『時空と針』…?」
分厚い辞典のような本だ。背表紙は黒く汚れ、明らかに埃が積もっている。紙は乾燥し、触れれば今にも紙が砂のように崩れてしまいそうな。
(何の本かな)
慎重に、私はそれを抜き出した。
初めて聞く名前だ。小説だろうか…
目次をざっと目で確認する。
「時空と歪み」
「十一人の使徒」
「懐中時計」
「女王」
「ホトトギス」
「国家盛衰と針」
………
「何をしている」