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 かつてこの古城は、辺り一帯を統べる領主のものだった。

 そしてその頃、レオンティウスはまだ人間だった。

 好色だった領主が侍女の一人に産ませた子供であり、城を追い出された母と城下町で暮らしていた。暮らし向きは決して楽ではなかったが、恵まれた才知と容貌から友人も多く、ささやかながらも幸いな日々を過ごしていた。


 だがレオンティウスが二十五歳になったばかりのある日、全てが狂った。

 領主の正妻が流行病で急逝し、領主自身も三日三晩高い熱に魘された。

 病に伏した領主は老いと死に怯えるようになり、その恐怖につけ込むように誰かがそっと囁いた。

 ――この世には人の理を外れ、老いることも死に行くこともない身体を持つ者もいるのです。

 領主は自らの血を引く子供達を金で釣り、城へ呼び寄せた。そして彼らを拘束すると、囁く声の導きのままに不老不死を授ける儀式を施した。集められた子供達の役目はあくまで実験台であり、真の目的は領主自身が不老不死の身体を手に入れることだった。

 だが腹違いの兄弟達を次々と犠牲にした儀式はいつしか強大な魔力を孕み、それが偶然にも何番目かに犠牲になったレオンティウスの身体に、血塗られた呪いとして宿った。


 儀式を終えた直後、レオンティウスの心臓と呼吸は確かに止まった。

 だが彼は目を覚まし、起き上がり、血の渇きにより動き出した。

 初めは復讐の為だった。吸血鬼として蘇らされたことへの怒りと恨みから、領主と儀式に関わった者達を城に閉じ込め、彼らの血を搾り取った。だが煮えたぎる復讐心はやがて耐えがたい渇きに乗っ取られ、レオンティウスは欲望のままに血を啜る吸血鬼へと成り下がった。


 程なくして城内から『食料』は尽き、レオンティウスは身を焦がすような血への渇望に悶え苦しむこととなった。

 城を出て、城下町へ行けば渇きを潤すことはできる。

 だが城下町には母がいる。友人達もいる。彼らを手にかけることは理性が拒んだ。そして今の血に飢えた自分を、かつての自分を知る人々の前に晒すこともしたくなかった。

 そこでレオンティウスは強大な魔術の力で城を、そして周囲の森を霧の中へ閉じ込めた。

 人々が不用意に近づいてこないように。自分を探しに来る人々に見つけられることがないように。


 以来レオンティウスはこの古城で、たった一人で暮らしてきた。

 城を覆う霧の魔力は強く、迂闊な者達が迷い込んできても城まで辿り着くことはなかった。

 時折、財宝目当てと思しき山賊が霧を破って城門まで辿り着いたが、そういう者達はあえて招き入れて糧とした。しかしそれも頻繁にあるものではなく、レオンティウスは常に渇きと戦っていた。


 それから二十年ほどが経つと、領主不在の城下町を戦乱が襲った。

 霧で閉ざされた城は何の被害もなかったが、壁のない町は呆気なく滅びた。

 その頃レオンティウスは城外の異変を察知し、久方ぶりに外へ出て町の様子を見に行った。だが町には母や友人の姿はおろか人の気配一つなく、自宅のあった場所すらわからなくなっていた。かろうじて生き残っていた鶏を連れ帰り、飼い始めたのもその頃で、それから数十年間レオンティウスは人の血にありつくことなく過ごした。

 全ては遠い日のことだ。

 今のレオンティウスには怒りも、悲しみも、後悔の念さえない。時の流れが人間らしい心を奪い、彼は心身ともに吸血鬼へと成り果てていた。


 リアが城へ迷い込んできたのは、城壁も苔生すほど時が流れたある夕刻のことだった。

 旅装の彼女は、常人ならば歩くこともままならぬ霧の中を潜り抜けてきた。身体に刻まれた紋様の祝福が、一時だけ霧を払い、彼女を城門まで導いたようだった。

 城門を叩く時、リアは酷く怯えていた。あとで語らせたところによれば一夜の宿を求めていたそうだ。もし城に住人がいなければ、そのまま隠れ住む気でいたとも言っていた。

 追い払う気になればいくらでも手はあった。

 だが霧の結界を単身抜けてきた彼女には興味があった。若く柔らかな身体と、その中に流れる新鮮な血も魅力的だった。レオンティウスはリアの為に城の門扉を開き、彼女は身体を震わせながら中へ入ってきた。


 レオンティウスは自ら庭まで出向き、リアを迎えた。

 霧で閉ざされた夕刻の庭は薄暗く、その中で見るリアの顔は吸血鬼に負けず劣らず蒼白だった。

「命短き娘よ、ここを吸血鬼の居城と知って訪ねてきたのか」

 出会うなり正体を明かせば、リアはレオンティウスの赤い双眸を見て顔を引きつらせた。

 だがレオンティウスの目的が自らの身体にあるとわかると、かすれる声でこう言った。

「わたくしは、死ぬのは怖くありません……!」

 その言葉は事実ではないようだったが、同時に嘘でもなく聞こえた。

「わたくしの命を奪うと仰るなら、どうぞお好きになさってください」

 リアはそう言うと逃げも隠れもせず、ゆっくりと近づいていくレオンティウスを恐怖に凍りつく顔で待っていた。

 彼女は抱き寄せても抗わず、着衣を剥ぎ取られることも、その首筋に牙を突き立てられることも拒まなかった。むしろ望んで身体を差し出したかのようだった。

 そしてレオンティウスがリアをすぐには殺さず、しばらく手元に置く気だと知ると、不思議と喜んでみせたのだった。

「ずっとお傍に置いていただけるのなら、わたくしも是非そうしたいです」

「お前の意思など聞いてはおらぬ。私が決めたことに従うのがさだめだ」

 レオンティウスは喜ぶリアを奇妙に思ったが、彼女が自分に何を求めているかは尋ねなくてもわかっていた。

 彼女には死ぬか、吸血鬼の傍で生きるかという二つの選択肢しかなかったのだろう。


 リアが城へやってきてからというもの、図らずもレオンティウスの生活は大きく変容した。

 暁と共に起き上がり、まずは厨房に立つ。そして火を熾し、畑で採れた野菜を刻み、リアの為の朝食を用意する。

 城の厨房もかつては領主達に豪勢な食事を提供するための場所だった。

 だが今ではたった一人、リアの為だけに食事を作る場所となっていた。


 厨房に立ってスープを煮込んでいれば、そのうち匂いに釣られてリアが起き出してくる。

 彼女が戸口から覗く気配は、振り返らなくてもわかる。

「目覚めたか、命短き小娘よ。そのか弱き身体の調子はどうだ」

「は、はい……おはようございます。少しふらふらいたしますが、平気です」

 昨夜着ていたローブを羽織ったリアが、もじもじしながらそう答えた。

 レオンティウスはリアを厨房の中へ手招くと、できたてのスープを匙で掬い、二、三度息を吹きかけてから差し出す。

「さて、お前の仕事だ。味を見ろ」

 リアは素直に口を開け、匙を咥える。

 そしてスープをよく味わってから頬をほころばせた。

「美味しゅうございます。レオ様のお料理はいつも素晴らしいです」

「本の記述の通りに作っているからだろう。美味くできなければそれは本がおかしい」


 料理をするようになったのもリアが来てからのことだ。それまでは食事をする為に火を熾す必要もなかった。

 レオンティウスは城の図書室に残されていた料理に関する書物をひもとき、リアが喜ぶ料理を日々拵えている。ただ作ったものを一緒に味わうことはない。


 二十人が並んで座れる食卓に、リア一人だけが席に着く。

 レオンティウスは給仕をする。野菜のスープとパン、それに茹で卵という食事を、リアは心から味わって食べる。

「いつも美味しい食事をありがとうございます」

 リアが傍らのレオンティウスを見上げて微笑む。

 数十年間を一人きりで暮らし、人の美醜を気にする機会もなかったレオンティウスだが、リアが愛らしい娘であることくらいはわかっていた。とても人から恨みを買ったり、罪を犯して追われるような身には見えない。

「そうだ、私への感謝を怠るな。不味い食事を与えてもいいところを、あえてお前が喜ぶ食事にしてやっているのだからな」

 レオンティウスはにこりともせずに応じた。

「全く、お前は毎日三度も食事を取らねばならぬから厄介だな。鶏より手がかかる」

「レオ様はお優しい方です。そんなに手のかかるわたくしに食事を用意してくださって」

「そう思うならもっと私に敬意を払うことだ。近頃のお前は私への畏怖を忘れている」

 釘を刺すつもりで言った言葉をどう受け取ったか、リアはふっと目を細め、柔らかい眼差しをレオンティウスへ向けてきた。

 その視線には敬意も畏怖も含まれておらず、レオンティウスは思いきり顔を顰めるしかなかった。


 異変が起きたのはリアが朝食を終えた後のことだ。

「レオ様、お洗濯をしてきてもよろしいでしょうか」

 リアの問いかけに、レオンティウスは片手を上げて押しとどめた。

「ならぬ。誰かがここへ近づいている」

「え……?」

 レオンティウスの強大な魔力は周囲の異変をも見通していた。

 城と周囲の木々を取り巻く霧を破り、何者かが城門まで辿り着こうとしていた。レオンティウスはいち早くそれを察知し、リアに鶏と雛達を隠すよう命じた。

 リアは迅速にそれを遂行し、彼らの避難が全て済んだ頃、錆びの浮いた城の門扉を蹴り開けようとする者がいた。


 男ばかり六人ほど、誰もが鎧兜で武装している。

 そのうち五人は屈強な、一目見てもわかるほど手練れの兵で、残る一人はやや若いが鎧の上にサーコートを羽織っている。

 サーコートに記された紋様は蛇、リアの身体に刻まれているものと同じだ。


「お前の知己か。その身に蛇の紋様をまとった男だ」

 事実を告げるとリアの顔から血の気が引いた。

「ま、まさか……レオ様、どうなさるのですか」

 リアは小刻みに身体を震わせ、レオンティウスの腕に縋りついてきた。招かれざる客を怖がっているにしてもいささか過剰な怯え方だった。

「レオ様なら彼らを追い払うこともたやすいでしょう。お願いです、どうか遠くへ追いやって!」

 彼女は懇願してきたが、レオンティウスとしてはこうもたびたび霧を打ち破られるのも癪に障った。

 今ここで彼らを追いやったとして、また不意の訪問を受けるのでは落ち着かない。怯えるリアの不安を払拭する為にも、懸念材料は潰しておくことに越したことはない。

「いい機会だ。迎え入れて、二度と来るなと警告してやろう」

 そう答えるとレオンティウスは玄関ホールを目指して歩き始めた。

「レオ様っ!」

 リアは制止するように主を呼んだが、レオンティウスが振り向かないと見ると、慌てて後をついてきた。

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