月の雫
「わぁぁッ!」
「助けてぇッ!」
爆発音と悲鳴がこだまする島。
町は一瞬で真っ赤に染まり、紅い火が全てを飲み込んでいく。
そして、それに乗じて、島の中心にある宮殿の地下に入る者が一人。
「タンザナイト様! おやめ下さい、その剣だけは──!」
「うるさい!」
タンザナイトと呼ばれた男は、自分を止めようとした人間に銃口を向けた。
ダァーン!!!
地下に銃声が鳴り響く。
「僕はね、この剣を使って世界を支配するんだ……。この剣は僕を選んだんだよ、ペリドット」
そう言うとタンザナイトは宮殿の中の祭壇に祀られていた双剣の一つ、翡翠剣を手に取った。そして、彼は今しがた自分が撃った相手・ペリドットに向かってニヤリと笑った。その瞳は翡翠色に染まっている。
そこへ──
カタリ。入口の方で小さな物音がした。
「誰だ!」
タンザナイトは音の聞こえた方へ銃を向けた。
「タンザナイト……何をしているの……?」
彼にとって、聞き慣れた声が聞こえた。震えていたが、それでも分かる。
「ルナ……様」
彼の目線の先には、まだ十歳の少女。アメジスト色の瞳を大きく開け、綺麗な薄桃色の髪は土で少し汚れていた。そう、彼女はこの島の長の娘、ルナである。
そして、タンザナイトは少なからず動揺していた。よりによって彼女に見られるなんて。
だがすぐに形勢を立て直し、
「姫様……。お許しを」
そう呟きながらタンザナイトが引き金を引いたのと、ルナの体が謎のバリケードに覆われたのはほぼ同時だった。
「な……っ!?」
次にタンザナイトが目を開けた時にはルナの姿は見えなくなっていた。
そして、──タンザナイトが持っていたのとは別の剣が消えていた。
双剣の一つ、琥珀剣が。
「まさか……あのガキ……っ!」
タンザナイトは盛大に歯ぎしりをした。
──殺してやる。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ルナはサルファー島の王族、サハラ一族の姫。
一族が住まうマラカイト宮殿には一組の双剣が祀られていた。
ルナ達はその双剣を守り続けるという任務も果たしていた。だが──
「わぁぁッ!」
「助けてえッ!」
ある日、いきなり賊が襲って来たのだ。
そして──
「タンザナイト……何をしているの……?」
「ルナ……様」
父親の腹心であり、執事でもあるタンザナイトが双剣の一つを盗んでいたのだ。そして近くに倒れていたのは、島を守る戦士のペリドット。
ペリドットのまわりは血で真っ赤に染まっていた。
彼がペリドットを殺したのだ、とすぐに分かった。そして、タンザナイトは既におかしくなっているという事も。
だから彼の目を盗んでもう一つの双剣、琥珀剣を取り、彼の目の前から姿を消したのだ。
どうにかしてタンザナイトから逃げ延びなければならない。そして、もう一つの双剣を取り返し、マラカイト宮殿に返すのだ。
それまで生き延びなければ。
そのためにも、どこか安全な場所を。そう思いながら空を飛び、捜していると、──見つけた。
海の辺境にある小さな島。ここには一つの村があるらしい。
ここにしよう。そう決めた途端に体からカクンと力が抜けた。
「あ……っ」
ルナの体は地面に真っ逆さま。幸い、地面に落ちる寸前にふわっと体が浮いたが、そのまま地面に叩きつけられた。
「……いった……」
恐らく、この全ての能力はルナが持っている琥珀剣の力なのだろう。
「……でも取り敢えず安全な所には降りられたし、結果オーライね」
無理矢理自分を納得させたその時。パキリと枝を踏む音がした。
ギクッとして振り向くと、ルナと同い年くらいの少年と少女が立っていた。
「お前……誰だ?」
……まぁ、そうなるわよね。
「やだ、あなた泥だらけじゃない! 大丈夫?」
少女がルナのそばに膝をついた。反射的にルナは後ろへのけぞる。
「だ、大丈夫だから。……あなた、怖くないの?」
「何が?」
ルナの質問に少女はきょとんとして答えた。
「私は得体の知れない人間なのよ? もしかしたら、あなたを殺すかもしれないのに」
ルナとしては、知らない人間に無防備に近づく方がどうかしている。
だが少女はきょとんとした顔のまま言った。
「あなたはそんなことしないでしょ?」
「……なんでそう思うの?」
ルナが聞くと、少女はニコッと笑って、
「だってあなたの瞳は人を殺すような色じゃないから」
と言った。ルナはその答えに驚いた。そんなことが言える人がいたなんて。
まぁとにかく、と少年が締めた。
「ウチに来るか? こいつと一緒に暮らしてるから少し狭いけど、それでも良ければだが」
と親指で町の方をぐっと指した。
「せっかくだし来たら? 服もボロボロだし、寝る所ないと不便でしょ?」
結局は少女の笑顔に押されて街へ足を踏み入れた。
「……そういえば、自己紹介してなかったな。俺はモルダバ」
「あたしはマリア。よろしくね」
「……ルナ」
「ルナ? へぇ、すごく可愛い名前じゃない!」
少女ーーーもとい、マリアはニコニコ笑っている。
何だろう、この笑顔を見ていたらなんかふわふわする。安心する気持ちと似ている。
「着いたぞ、ここが俺の家だ」
モルダバが案内してくれたのは樹の上にある、いわゆるツリーハウス。
「……すごいのね」
「でしょ? まぁ、もう少ししっかりしたのにすればって言ったんだけど……言う事聞きゃしないのよ」
「うっせ。これで生活できてんだからいいんだよ」
モルダバに案内された自分のスペースを確認した後、早速モルダバが訊いてきた。
「でもお前何であそこで倒れてたんだ?」
聞いてくるだろうとは思っていたが、やはりギクリとした。あんなこと、出会って数時間の彼らに話せることではない。それに、せっかく安定した居場所を手に入れたのに、それを失うようなことはしたくない。
ルナがじっと黙っていると、モルダバは彼女の頭を乱暴にぐしゃぐしゃと撫でた。
「わっ!」
驚いてルナがモルダバの方を見ると、モルダバはカラカラと笑った。
「まぁいいよ。生活してく上で必要なことさえ分かってれば、さ」
事情は聞かない、という言外の思いやりにルナは少し笑った。
モルダバの顔が少し赤くなったのは誰も知らない。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
夜中。
カタリ、という小さな物音でルナは目を覚ました。そんな小さな音で目が覚めるほど今日は神経がピリピリと張り詰めているのだ、と分かった。
「でも……なんだろ?」
そっと寝床から抜け出て、物音のする方へ行くと……
バシバシッ! キンッ! バキッ!
え、な、何これ。
外でモルダバとマリアが互いに剣を交えたり、打撃を加えあったりしていたのだ。
二人は近くで灯している蝋燭の火でお互いを認知し、闘っているらしい。
「……島にもあったコロシアムと同じようなことやってるのかしら……?」
ルナが飛び出してきたサルファー島にも、剣闘士やいろんな戦士達が実力を発揮するためのコロシアムがあった。
そして、彼らからはどう見ても相手を殺そうとか傷つけようとかいう思いは感じない。
ルナがその様子をじっと見ていると、しばらくしてどちらからともなく音が止んだ。二人は汗をタオルで拭いながらくるっとこちらを振り返った。
「……っ、ルナ!?」
驚いた声を出したのはマリア。モルダバも同様で、切れ長の瞳が大きく開いている。二人は共に息を弾ませていた。
ルナは反応に困ったので、取り敢えず曖昧に笑いながら二人に近付いた。
「ね、ねぇ二人とも……?」
おずおずと訊いてみる。
「な、何?」
マリアはやや腰が引けている。
「私にもそれ、教えてくれない?」
ルナの頼みがよほど意外だったのか、マリアとモルダバはきょとんとしていた。
「それって……さっきの剣術とか格闘技?」
マリアに訊かれ、ルナはこくっと頷いた。
「……ダメ、かな?」
うーんと唸ったのはモルダバだ。
「でもお前女だし……。怪我でもしたら」
危ない、と言ってくれようとしたモルダバの言葉をルナはぶった切った。
「あら、マリアだって女よ? それに……」
「それに?」
ルナは少し目を伏せながら言った。
「……私、強くなりたいのよ」
モルダバだけでなく、マリアも意表を突かれたらしく、目を丸くしていた。それは当然の反応だろう。 たかだか十歳かそこらの少女が強くなりたいなど、おかしいことこの上ないことだろうから。
三人の間にしばらく沈黙が訪れた。
「……いいんじゃない?」
その沈黙を破ったのはマリアだ。
「マリア!?」
モルダバがぎょっとする。
「だって強くなりたいんでしょう? 強くなりたい理由があろうがなかろうが、あたしは大歓迎よ」
マリアはそう言ってニコッと笑った。
そんなマリアに負けたのか、はぁーとため息をついたのはモルダバだ。
「分かったよ……。その代わり、怪我しても知らねーぞ」
「ありがと」
ルナはニコッと笑った。
「ルナ可愛いっ♡」
マリアが堪えかねたようにルナを抱きしめる。
「きゃっ! ちょ、マリア!」
「もー可愛い可愛い〜♡なんて可愛いのこの子は!」
「分かったからぁ! 落ち着いてよ離してぇ!」
マリアはくすくす笑いながらルナを離した。
「まぁ……鍛えるとなったら俺は手加減しないぞ」
モルダバが厳しい目でルナを見た。ルナは上等と言わんばかりのドヤ顔だ。
「任せて。こう見えても体は少し鍛えてたから」
「ほぅ。そりゃしごき甲斐がありそうだ」
「何それー」
夜中だというのに、3人は笑いあった。
「んじゃ明日からな。村にいる他のやつにも紹介しなきゃならんから明日は忙しいぞ」
「分かったわ。じゃあお休みなさい」
そう言って自分の寝床にそれぞれ潜り込む。
だがルナは目が覚めたまま眠れなかった。
「……明日、楽しみ」
ルナの口元が少し綻んだ。
なぜ笑顔になったのかはわからない。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
次の日。モルダバはマリアとルナを連れて村の朝市に来た。
「おぅモルダバ! 何だお前、女二人もはべらして」
野菜を売っていた気の良さそうなオジさんが、ニカッと笑いながらモルダバ達に声をかけてきた。
「おうおっちゃん。実は新入りきたからさ、よろしく頼むよ」
モルダバがルナの方をちらりと見た。
「んー? 新入り? ……おお、このこのエライべっぴんの子か! よろしくな!」
オジさんは今度はルナに向かってニカッと笑った。
そしてマリアの方を向き、
「マリア、今日は何持ってくよ?」
と訊いた。マリアは頬に人差し指を当てて、うーんと考え込む素振りをした。
「んー……。今日は大根と茄子、あとは……ピーマンかな」
げ、とモルダバの顔が青ざめた。ルナが不思議に思って訊くと、モルダバはピーマンが大の苦手らしい。
「了解。べっぴんさんがいるから、ピーマンはたっぷりおまけしてやるよ」
「ありがとオジさん」
「おっちゃんピーマンはいらん! 本気でいらん!」
モルダバが焦った様子で言った。
マリアはそんな彼に一言、
「好き嫌いはいけません」
ぴしゃりと言った。
ルナはそのやり取りを見て、くすくすと笑った。
八百屋を後にした三人は他のお店の人たちや走り回っている子供達にルナを紹介した。
みんながみんな明るく受け入れてくれて、ルナは少しびっくりした。
「……みんな明るいのね」
ルナが少し呆気にとられながら言った。
「そりゃあもう。新入りなんて珍しいもの」
「そうなの?」
マリアの言葉にルナはびっくりした。モルダバが続ける。
「この村は基本的にみんな顔見知りだからな」
モルダバによれば、この村の人々はみんながみんな親戚とか古くからの知人とからしい。
「ふぅん」
そんな会話をしながらツリーハウスに戻り、一日目が終わった。
そしてそれからしばらくの間、平和な毎日が続いた(ルナの家事の腕の高さに二人が異常なほどに驚いていたことを除けば)。
ある晴れた日。ルナは洗濯物を干していた。
「ふう……。洗濯おわりっと」
ん〜っと伸びをしながら呟くと、後ろで「お疲れ様」との声が。
「マリア」
「お疲れ様、ルナ。任せちゃって悪いわね」
そう言いながらマリアは手に持っていたお盆から冷たいグラスをルナに渡した。
「気にしないでいいわよ。私もこういうことは好きだし」
ルナも笑いながら受け取る。
「ね、そんなことよりもモルダバは?」
ルナの問いにマリアは多少不満そうな顔をした。
「……最近さー。ルナってばモルダバのことばっかりだよねー」
「そ、そう?」
ルナは唐突に変わった話題に少し戸惑いながら言った。
「そうなんだってば! それにさー、モルダバもルナのことばっかりだし」
マリアはぷぅっと膨れた表情をした。マリアは少し童顔なので、こんな風な表情がよく似合う。
「そ、そうなの?」
「うん。あたしの顔見ると二言目には『ルナは?』って言うんだよー? もうやんなっちゃう」
「へ、へぇ」
ルナは正直、反応に困った。
逃げ出す術は──
「あっ! もう特訓しなきゃ! マリア、行こっ!」
「え!? ちょ、ルナ?」
琥珀剣を持って戸惑うマリアを引っ張る。そしてモルダバも合流して三人の特訓が始まった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「よし、特訓終了!」
「ふーっ、くたくただよー」
マリアが地べたに座り込みながら言う。
ルナはそんな二人から少し離れて森の茂みの中で佇んだ。
琥珀剣をぎゅっと握りしめる。
途端、頭の中にキィンと声が響いた。
この声は琥珀剣。
____いつまで黙っているつもりだ?____
黙って。
____俺から言ってやろうか____
そんなことさせない。
____お前は俺のものだ____
私は誰にも支配されない。
____お前は俺に喰いつぶされる運命なのさ____
その前に私があんたを封印するわよ。
____やれるもんならやってみな____
望むところよ。
瞬間、胸がギリっと締め付けられた。
「う……うぁっ」
どんどんと強くなる力。
ダメよ、まだ喰われてはダメ──私にはやるべきことがあるの。
そう強く願うと、琥珀剣の力がすうっと消えた。
ルナはその頃にはもう肩で息をしていた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
まだよ、──まだ、喰われるわけにはいかない。
「タンザナイトから翡翠剣を取り返して、マラカイト宮殿に返さなくちゃ……」
ルナはぼそりと呟いた。
そのためにはまず体力をつけて、タンザナイトと対等に戦える身体を作り上げる。
そのために必死に特訓をしているのだから。
「ルナっ!」
そこへ、タタタッとマリアが駆けてきた。右手には新聞を持っている。
「マリア……。どうしたの?」
「これ! 見てよ!」
新聞の一面には、『サルファー島の悲劇!消えた双剣』と見出しが出ていた。
内心ギクリと臍を噛んだが、表情には出さずにしれっと訊く。
「これがどうしたの?」
「違うわよ! これじゃなくて、その下の小見出し!」
マリアに言われるがまま下を見た。
下には──
『島の姫君・ルナ様と執事タンザナイト行方不明』
近くには顔写真も載っていた。
「あ……」
ルナは自分の体から血の気が引いていくのを感じた。恐らく顔も真っ青であろう。
「これ……どういうこと?」
マリアは責めるというよりも哀れむような口調で訊いた。
──ばれてしまった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……ねぇ、どういうことなの?」
「……」
「黙ってちゃ分からないわよね?」
マリアは優しく追及した。でも、あんなことを言ったら、彼らは自分から離れていってしまう。
まだそんなことを思っていた。
彼らは幻滅するような人ではないのに。
「……話したくないのか?」
モルダバが静かに訊いた。
ルナがこくんと頷くと二人ははぁー、とため息をついた。
「どーするモルダバ?」
「話すっきゃねーだろ、もう」
え、何。
ルナが戸惑っていると、マリアから説明が入った。
「実はね……。あたし達、このことはとっくに知ってたのよ」
「……はぁ?」
怪訝な顔をしたルナにマリアが説明した。
「ほら、ルナの一族ってサハラ一族でしょ?島は離れてたけど、よく島の外に出てきていろんな所を回ってたりしてたのを見てたのよ。その中にあなたと瓜二つの女の子がいたの。あの時はよく分からなかったけど……あれはあなたよね?」
ルナが島の外に出たのは一度だけ。八歳の誕生日に記念に出してもらったのだ。あの時はタンザナイトの後ろに隠れていたが、見えていたのだろう。
「多分ね。でも何で島のことまで?」
ルナが聞くと、マリアは言った。
「あたしがあなたと会った時に『ん?』って思ったのよ。見覚えがあるなって。どこで見たんだっけ、って考えてたらその時の船だったの。ここまで瓜二つの子なんてなかなかいない。だからあなたはあのお姫様だって分かったのよ」
それにお姫様が島を放ってここに来る理由なんて、島がなくなったからか島に住めなくなったかのどちらかくらいしかないしね。
マリアはそう言った。
「……おみそれしました」
「話す気になった?」
マリアにそう訊かれ、ルナは苦笑した。
「そこまで分かってるのに、話さない方がおかしくない?」
「それもそうか」
モルダバは椅子にもたれて苦笑いした。
そしてルナはあの日に会ったことをすべて話した。何も飾らず、ただ淡々と。
「私の島は平和だったわ。でもある日、遠い海から賊が襲ってきた。私の父も母も殺された。私は命からがら逃げ出したけれど、私達に仕えていた執事が宮殿に祀られていた双剣を盗んだの」
かちゃり、と琥珀剣を持ち上げる。
「それ、ルナの……」
モルダバが声を上げた。
ルナはふるふると首を横に振った。
「正確には私のじゃないわ。これはその執事が盗んだ双剣の片方」
「それってまさか……」
マリアの顔が青ざめる。
「そう。私も盗んだの。彼の手に双剣が両方渡ってしまったら世界がひっくり返る。そうなる前に私がこの琥珀剣ともう一つ──翡翠剣を取り返し、宮殿に返さなくてはならないの」
ぐっと琥珀剣を握る手に力がこもる。だが次の瞬間、ふっと力を緩めてニコッと笑った。
「……なぁんてね。本当は私が一番取り憑かれてるのかもね、この剣に」
「……剣に?」
モルダバの怪訝な問いにルナはこくっと頷いた。
「あの日の三日前くらいからかな……。私、たまに思考がおかしくなる時があったの。それがはっきりとこの剣のせいだって分かったのは、タンザナイトがもう一つの剣を盗んでいた時よ。本当におかしくなった彼を見て、私も彼と同じことになってるんだって思ったの」
ルナは淡々と話した。
「私の目ね……まだ分かり辛いけど、少しずつ琥珀色になって来てるの。この瞳が琥珀色に染まったら、私は──」
思わずギュッと自分の肩を抱いた。カタカタと震える体を自分では止められない。
怖い。
いつか瞳が琥珀色に染まったら、ルナの自我は消えてしまう。琥珀剣に喰い潰され、翡翠剣と共に世界を潰してしまう。
と、そっと頭に乗った手があった。見上げるとモルダバだ。
「ビビってんじゃねーぞ」
どきりとした。
「び……ビビってなんかないもん!」
なんとか虚勢を張るとモルダバはニヤニヤしながら
「本当か?さっきまでガタガタ震えてたクセに」
とからかってきた。
「あ……あれは仕方なくっていうか、その……っていうかあんたこそビビってんじゃないの?」
「んだとー!?」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ二人。マリアはふぅっと息をついた。
「モルダバってば……不器用なんだから」
「ん? なんか言ったマリア?」
「ううん何でもないわよ」
言い合いが落ち着いてからルナは気づいた。
モルダバはルナを元気付けるためにわざと喧嘩を売ってきたのだということを。今度はマリアと談笑している彼を見つめ、くすっと笑った。
「……ありがと」
ルナは小さく呟いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
それから七年経った。
「ルナ!特訓だ!」
「臨むところよ!」
三人は共に十七歳になっていたが、出会った日から始めた特訓はずっと続けていた。
ルナの瞳は日に日に琥珀色が強くなっていたし、たまに琥珀剣の人格(人間なのかはわからないが)が出てきたりもしたが、何とか上手くやっている。
「……色、ついてきちゃったね」
特訓終了後、いつもマリアがルナの髪を手櫛で軽く梳きながら言うのだ。
ルナは毎回少し困ったように、
「まぁ、仕方ないことなのよ」
と言うだけだった。
ルナの瞳は周りが気づくほど琥珀色に染まり始めている。だが村の者たちも二人も何も言わない。
ルナの素性は村の人間全てが知っている。だからこそ何も言わないのだ。
そんないつも通りの一日が終わり、二人が眠りについた頃。ルナはこっそり寝床を抜け出した。
月はもう少しで満月になる。
「……もうすぐなのね」
少し肌寒い夜、ルナは一人外に出て呟いた。
「ごめんね、みんな」
ひとりごちた時、キィンと頭が痛くなった。
「……っ」
両手で頭を抱える。
「ダメ……まだ、ダメなの……」
_____いつまでこんな茶番を続けるつもりだ?_____
アンバナイト。お願いだから黙って。
_____さっさとこいつらを裏切っておけばこんなことにはならなかったのにな_____
分かってるわよ。でも仕方なかったの。
_____時はもうすぐ来るぞ_____
分かってるわ。
_____その時こそ絶対に_____
「分かってるったら!」
思わず大声を出した。はぁ、はぁと肩で荒く息をしている。
_____奴らを巻き込みたくなくばやるんだな_____
琥珀剣の声は笑いを含みながら頭に響いた。
「分かってる……分かってるのよ……」
「ルナ?」
聞き慣れた声。この声は──
「モルダバ?何してるのよ」
「それはこっちの台詞だよ」
モルダバは苦笑しながら言った。
「……ねぇモルダバ?」
「ん?」
「もし……もしよ?私がある日突然いなくなったらどうする?」
ルナの突然の質問にモルダバは少し怪訝な顔をしたが、きちんと考えてくれたらしい。少ししてから答えてくれた。
「お前がもしいなくなったら、か……。そしたら俺は捜すよ。お前がいないと俺は──」
モルダバはそこまで言ってハッとした顔をした。慌てて口をふさぐ。
「俺は……?何?」
「いや……なんでもない」
ルナはモルダバにくるりと背を向けて話し始めた。
「でも、もし突然あんたがいなくなったら、私も探し回るなぁ。それか、いつか帰ってくるかもしれないって信じて待ってるかも。だって私を見つけてくれたのはあんただもん」
モルダバの方に顔だけ向けてふわっと笑った。
途端に体を引き寄せられた。モルダバの力強い腕にぎゅっと抱きしめられる。
モルダバの香りがとても近くなった。
「も、モルダバ……?」
モルダバは何も答えない。
代わりに彼はますます強くルナを抱きしめた。まるでルナをどこにも行かせないというかのように。
ルナもきゅっと抱きしめ返した。モルダバの驚いた気配が身体越しに伝わってくる。
「私……どこにも行かないよ。大丈夫」
何で私、しれっとこんな嘘ついてるの。いつか出て行ってしまうクセに。
モルダバは少しほぅっとしたように息をつき、ルナをずっと抱きしめていた。
ルナはモルダバの想いがありありと伝わってきて、胸が痛かった。
「あ、そうだこれ」
「ん?」
モルダバはポケットから何やら取り出して、ルナの首にかけた。
「これ……」
「月長石の首飾り。この島は月長石の産地なんだ」
「……綺麗」
「お前にやるよ。大事にしろよ」
モルダバはそう言って笑った。
そして、満月の日。
──時は来たれり。
ルナはまず村にいる伝書鳩に手紙を届けるようにお願いした。宛先は、── “ タンザナイト ” 。
そして二人にばれないようにこっそりと荷造りと整理をした。
自分の荷物は全て持っていかなくてはならない。自分たちのとは違う荷物があるのを見られた時に不審がられるからだ。
だからいらないものをすべて処分するのだ。二人には
「今年流行りの断捨離よ」
などと適当なことを言い、荷物の整理をした。
最低限必要なものだけ残し、あとは全て捨てる。必要なものは地図と羅針盤と少量の食糧と琥珀剣、そしてモルダバのくれた月長石の首飾りだ。
「……これでよし」
きっちりと荷物をまとめ、いつでも出られるようにしておく。あとはいつも通りの生活をして、そして──島を出る。
出るのは──夜中。彼らにばれないように。
そっと寝床を抜け出して港まで降りる。小舟は事前に手配しておいた。
そっと荷物を船に乗せる。一人分の荷物だからそんなに重くはないし、第一に小舟に乗る量だけにしてあるのだ。
最後に剣を乗せたとき、そこへ──
「おい」
怒気を孕んだ声。声は一つだったが、気配は二つ。
ルナが無表情に振り向くとモルダバとマリアが怒った顔をしながらこちらを睨んでいた。
「お前何してんだ」
「何って……旅の準備でしょう?」
感情を懸命に押さえつけている様子のモルダバに対してルナは感情をなくした人形のような表情だった。
氷のように冷たくしなくちゃ。もう二度と私を想い出さないように。
本当はここにずっといたい。でも、この別れが彼らを救うことになるのなら。
涙は要らない。
「お前言ったよな? どこにも行かないって。あれは嘘だったのか?」
モルダバは本気で怒っている。
ルナはさらりと言った。
「嘘よ。悪い?」
モルダバの顔がカッと赤くなった。
「悪いってお前なッ‼︎‼︎」
「悪いけど、こんなくだらない茶番に付き合ってる暇ないの。じゃあね」
ふいっと二人に背を向けて舟に乗り込む。
「待って!」
マリアが止めた。ルナは冷たい瞳で振り向く。マリアは少しびくっとしたがすぐに形成を立て直してルナに向かって叫んだ。
「どうして!? どうしてあたしたちを置いて行くの!?」
ルナははぁー、と深くため息をついた。
「……あんた達といるのに疲れたのよ!」
二人がぎくりと身じろぎした。ルナは矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。
「あんた達はいつもいつもうるさくて……正直ストレスだったわ。だからよ!」
「……嘘だ!」
マリアが叫んだ。
マリア、ごめん。嘘だよ。本当は賑やかですごく楽しかった。でも、でもね──
二人を遠ざけてでも行かなきゃならないんだ。
「……お前、本気で言ってんのか?」
モルダバが怒りに満ちた声で言った。
ルナはむしろ落ち着いた声で言い放った。
「本気じゃなけりゃこんなことしてないでしょ」
ルナはそう言い放った次の瞬間にはマリアの後ろに回り込み、手刀を一発食らわせた。マリアが前のめりにどさっと倒れる。
「マリア!」
モルダバがマリアを慌てて抱きとめる。
「分かった?」
モルダバはルナをギロッと睨んだ。
胸が痛い。でも、ルナには傷つく権利なんてあるわけない。
ルナはモルダバに向かって、泣き笑いの顔をした。
モルダバは今までで一番怪訝な顔をした。
それもそのはず、裏切った友達が自分に向かって泣き笑いの顔をしているなんて、おかしいことこの上ないだろうから。
でもね、モルダバ。
最後だから。『ルナ』としてあなたに会えるのはこれが最後だから。
だからせめて、最後くらい笑わせてよ。
ルナはモルダバの暖かい頬を両手で優しく包んでキスをした。
これが、私からあなたへ、最初で最後の告白。
モルダバの驚いた気配が伝わる。まるであの抱きしめられた時のように。
スッと唇を離す。
「……さよなら」
舟から琥珀剣を取り出す。剣は黒い波に包まれている。ルナは両手でそれを持って、思い切り振りかぶり、地面に突き立てた。
ドスッという鈍い音がした途端に、黒い波は剣を伝って島全体に行き渡った。
「る……ルナ……?」
黒い波は何かを飲み込むようにたぷたぷと音を立てる。ルナはそれを無表情に見ていた。
「ごめんねモルダバ。ばいばい」
すうぅっと黒い波は琥珀剣に埋め込まれている琥珀の中に吸い込まれた。
モルダバの黒目が一瞬真っ白になり、どさっと倒れた。この島にいる人間の、ルナに関する記憶を全て吸収したのだ。
ルナは今度こそ小舟に乗り込み、目的地へ向かった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
モルダバが次に目を覚ましたのは港の近くだった。
「なんでこんなところに……?」
だが、目を覚ますと何か大事なものを忘れてしまったような、胸の中にぽっかり穴が空いたような感覚。
何だろう、これは。
隣にいたマリアも同じような感覚だったようで、きょとんとしている。
何かを忘れている。大切な、とても大切な何かを。
『モルダバ!』
キンッと頭が痛くなる。知らない声のはずなのになぜか懐かしい。
誰だ、あれは──
ざあっと風が吹いた。
途端に、ブワッと記憶が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。
「………ルナ」
「モルダバ? どうし──」
想い出したんだ。
明るくて、人一倍苦労してばかりで、家事が得意で、──誰よりも大切な──
「マリア! 俺、ルナを追ってくる」
「モルダバ!?」
「あいつを一人になんてできない。──ごめん」
マリアはふうとため息をついた。
「行かないほうがいい──なんて止めても聞かないんでしょう、どうせ」
モルダバはにっと笑った。マリアも笑った。
「……行ってらっしゃい」
マリアはモルダバを見送った後、言い表せないほどの悲しさと不安に押しつぶされそうだった。
彼ならきっと大丈夫。きっとルナと一緒に帰ってきてくれる。
「モルダバ……」
まったく、あの馬鹿は。
本当は私もあなたのこと好きだったんだから。鈍感で最後まで気づいてくれなかったけど。
でもルナも大切だから。だから、笑顔で見送るの。
「行ってらっしゃい」って。
「……絶対帰って来なさいよ、あのバカ」
マリアは自分が泣いているのに気づかなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ルナは舟で目的地へ向かっていた。
「モルダバ……」
満月に反射して、彼のくれた月長石の首飾りがキラリと光る。
途端に琥珀剣がカタカタと震え始めた。
「な、何!?」
_____お前、どういうつもりだ_____
……はァ?
_____こんな楽しく明るい記憶を俺に入れるな_____
瞬間、剣に埋め込まれた琥珀がキラリと光った。
「あっ!?」
刹那、黒い波がどばどばと流れ出た。
島のみんなから奪った記憶の集合体だ。
「ダメ! やめてっ」
慌てて琥珀を押えつけるが、時すでに遅し。
琥珀から全ての記憶が流れ出てしまった。
「ああ……」
私は今まで何のためにあんな苦しい思いをしてきたの?何のためにみんなと別れてまで出てきたの?
ぽたぽたと涙が三滴落ちた。
ゴシゴシッと目をこする。
もう涙は流さない。彼と決着をつけるまでは。
舟はいつの間にかサルファー島の港に着いていた。
舟から降りて、奥へ進む。向かうのは宮殿前の広場。
「……!」
宮殿前の広場にはもうタンザナイトが来ていた。
「ルナ様……。お久しゅうございます」
「その名で呼ばないで」
ルナはぴしゃりと言い放った。
「あなたは仲間も仕えていた主人も見捨てて、自分の欲望に突き進んだ。そんなあなたに私をその名で呼ぶ権利はないわ」
ルナは冷たい目でタンザナイトを見据えた。
「さぁ……剣を返してちょうだい」
ルナが言うとタンザナイトはニヤッと嬉しそうに笑った。
「僕が素直に返すような男なら、貴女様もここまで苦労しなかったのでは?」
ルナはふぅっとため息をついた。
「まぁそうよね。じゃあ……」
「どうしますか?」
「……力づくで返してもらうわッ!」
ルナが琥珀剣を振るう。タンザナイトは楽しげに翡翠剣で応戦した。
「ルナ様……なぜ貴女様は僕の邪魔をするのですか?」
タンザナイトは少し苦々しげに言った。
ルナは表情一つ変えずにしれっと言った。
「あなたにこの双剣を正しく使いこなせないと思ったから」
キィン!
タンザナイトが剣を振るった。ルナがうまく着地する。ズザザッと土ボコリがたつ。
「正しく使いこなせない……? 僕は選ばれたんだ! 選ばれた者が使うべきなんだ! ルナ様……貴女はこの双剣に選ばれたわけではない! 僕が選ばれたんだ!貴女に使う権利はない!」
激したように言い募るタンザナイトをルナは哀しそうに見つめた。
「ねぇタンザナイト……。あなたは可哀想な人だわ」
「何、ですと?」
あなたの中に私の愛したタンザナイトはもういない。
もう、私の愛したあなたは。
──それは何年も前のこと──
あなたの家は代々宮殿に仕えていたわね。
そのことから、あなたは私が生まれた時から私の世話をしてくれていたそうね。憶えてはいないけれど。
憶えているのは、私が四歳くらいの頃から。
「タンザナイト! 勉強を教えてちょうだい!」
「はい、姫様」
あなたはいつでも私と一緒にいてくれた。雷が怖くて眠れない時も、寂しくて泣いていた夜も、いつも一緒に。十歳も年上のあなたは私にとって頼れる兄のような存在だった。でも、それだけではなくて──愛していたの、一人の男性として。
でも、そんなあなたが変わってしまったのはあの日の三日前くらいから。
「タンザナイト! 何をしているんだ!」
「離してください父上! 僕は地下に行かねばならないのです!」
「ダメだ! 地下へは王族以外は行ってはならないのだぞ! 分かっているだろう!」
「それでも行かねばならないのです!」
「ダメだ! 止めなさい!」
言い合いが続く毎日。
ある日の夜、私は思い切ってタンザナイトに訊いてみた。
「ねぇタンザナイト……?」
「何ですか、姫様?」
「あなたはいつでも私たちと一緒だよね?」
一緒だと言って欲しかった。ずっと一緒だって。
でも、タンザナイトはにっこり笑うだけだった。
それからしばらくした頃。
王宮に信じられない知らせが届いた。
「長! 賊が襲って来ました!」
「何ッ!?」
数時間後には街は地獄絵図になっていた。
町は紅い炎に包まれ、人々は倒れ、殺されていた。
そこには血まみれの男性や地面に放られた赤子、その近くに転がっている母親らしき女性が倒れていた。
充満する火薬と血の匂い。吐き気がする。
「ルナ様!?」
外にいたのは戦士の一人、ケセラ。
「ケセラ! みんなは!?」
「分かりません! 軍の者は皆てんでバラバラですッ!」
「そんな! 父様は!? 母様はッ!?」
と、そこで彼は自分に向かってきた相手と応戦し始めた。
「と、とにかく早く宮殿にお戻りください! 何でも王族専用の場所があるとか」
「で、でもみんなが」
「いいから早くお行きください!」
「え、」
「早く‼︎ 」
最終的にケセラに背中を乱暴に押され、私は転がるように逃げ出した。後ろで大きな悲鳴が上がった。私にはそれが誰の声かなんて判断する余裕もなかった。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
ケセラが言っていた王族専用の場所というのは地下のシェルター。双剣が祀られている祭壇の下にあるのだ。ルナが祭壇へ近づこうとした時。
ダァーン!!! 銃声が鳴り響いた。
「僕はね、この剣を使って世界を支配するんだ……。この剣は僕を選んだんだよ、ペリドット」
そこにいたのはタンザナイトと戦士のペリドット。
彼はそう言うと祭壇に祀られていた双剣の一つ、翡翠剣を手に取った。
そして、彼は今しがた自分が撃った相手・ペリドットに向かってニヤリと笑った。
──何、これ。
驚きのあまりよろけてしまい、シェルターのドアに体をぶつけてしまった。
「誰だ!」
タンザナイトは私に銃口を向けた。
「タンザナイト……何をしているの……?」
やっとの思いで絞り出した声は震えていた。
「ルナ……様」
彼の瞳は翡翠色に染まっていた。
あぁ、彼はもう戻らない。
そう、分かってしまった。彼が私に向かって殺気を向けてきたから。
もう、私の愛したあなたはいない。
だから、せめてあなたがこれ以上間違いを犯さないように、あなたの欲望を阻止しましょう。
剣を奪い、あなたを倒すためだけに生きてきた。
愛するあなたを取り戻すために──
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「タンザナイト……」
長い長い回想を終えて、ルナは剣を下ろした。ルナの目も、もう琥珀色になっている。
「姫様……?」
「……私、本当はあなたを殺さずに元に戻せないかなって、思ってたの。どうしても、あなたと一緒にいたかったから」
ルナは呟くように言った。
「……でも、もう、無理みたいね。あなたにはここで死んでもらう。そして、この島を永久に封印するわ」
「そんな事はさせない! 私はこの双剣を使って、世界を支配する王になるのだ!」
二人はお互いの命を懸けて激突した。当たっても外れても、これが最後の攻撃。
──そして、ルナの脇腹に剣が突き刺さった。
「く……っ」
ルナも脇腹に食らっているため、かなりのダメージだ。ドスッと琥珀剣を地面に突き刺す。
「はぁ、はぁ……」
「……どうやら勝負あったみたいですね、姫様」
……ダメよ、まだ、死ねない。
どうにかしなくちゃ。どうにか──
と、ルナは自分がかけていた月長石の首飾りが目に入った。
モルダバがくれた、最初で最後のプレゼント。
「……そうよ、まだ、私は──」
たとえ私のことを忘れていたとしても、私には守りたい人達がいる。
「何もかも失ったあなたとは違って、私には守るべき人がいるのよッ!」
ルナは最後の力を振り絞って、タンザナイトめがけて剣を振った。
ドスッ! と鈍い音を立ててタンザナイトの首に剣が刺さった。
タンザナイトの喉から、濁音ばかりの悲鳴が上がった。
ルナは血塗れになりながら、広場の石畳に座り込んだ。いらない手ぬぐいで患部を止血する。
ルナは事切れたタンザナイトを見つめた。
ドクドクドク、と痛む脇腹を押さえ、翡翠剣に触ろうとした。だが剣に触れた瞬間、バチッと電流が走った。
「……ッ!?」
そしてタンザナイトの体から出てきたのは、若い男。
『あーあ……壊れちまった』
「……あんた誰?」
『お前が壊したの? 俺のせっかくの居場所』
何となく分かった。
これは翡翠剣の人格だ。
『……死ねよ』
瞬間、胸がギリっと締め付けられた。
「うぁっ!」
ギリギリギリ。どんどんと締め付けられる胸。
苦しい。まだここで死ねないのに。どくどくと脇腹から手ぬぐいを通り越してたくさん血が出てくる。このままでは放っておくだけで出血多量で死ぬだろう。
「や……だ、やだ……っ。死にたく……ないっ」
ルナはとっさに翡翠剣に埋め込まれている翡翠を割った。
パリィン!軽い音がする。
『なっ……うわぁぁぁ!』
彼はすぅっと消えた。
そして琥珀剣に埋め込まれている琥珀を割る。
こちらの人格も悲鳴をあげながら消えた。
ルナはズキズキと痛む腹を抑えながら呟いた。
「とにかく……宮殿に返さなくちゃ……」
その時、月がパァっと明るく光った。
「きゃ!?」
眩しさに目を瞑る。
次に目を開けると、銀色の髪をした美しい女性が立っていた。
ルナは彼女の突然の登場にも驚いたが、それよりも驚いたのはその容姿だった。
彼女は、──ルナに瓜二つなのだ。アメジスト色の瞳も顔立ちも体もすべて。
「あなたは……?」
女性はふわりと笑い、宮殿を指差した。
「そこへ行けというの……?」
女性はこくりと頷き、先に立って歩き始めた。
ルナも慌ててその後をついていった。
その頃、モルダバは島の港に着いていた。
「これは……」
ルナの舟だ。彼女は無事に着いていたようだ。
そこからまっすぐ歩くと、未だ生々しい戦闘の跡が残る広場へ出た。
だが、新しい戦闘の跡もある。
「うわっ!?」
モルダバが見つけたのは、男の死体。しかも首を貫かれている。
こんな島に来る物好きはそうそういない。恐らくこれはルナの言っていたタンザナイトという男だろう。
「これ、全部ルナが……?」
どちらにしろ、彼女を見つけないことには何も始まらない。
「取り敢えず、あの宮殿に行ってみるか」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ねぇ、そろそろ教えて? あなたは……誰?」
宮殿の地下に入ったルナは、ここまで導いてくれた女性に訊いた。
『そうね……そろそろ答えなくちゃいけない時だわね……』
「あなたは誰なの?」
『私はセレーナ。この双剣の妹よ』
「妹……?」
ルナが驚いていると、セレーナはゆっくりと頷いた。
『長い長いお話になるけれど、いいかしら?』
セレーナは話し始めた。この悪夢の始まりの話を──
それはもう五百年も前の話。
この島には、セレーナ、ジェダイト、アンバーの三兄妹がいた。
いつも仲良しの三人はいつでも一緒だった。
「ジェダイト兄様! アンバー兄様!」
「セレーナ、はやくおいで」
「早くしろよっ」
町の人間も、そんな三人を微笑ましく見ていた。
だが、そんな幸せも長くは続かなかった──
十七歳の誕生日、セレーナは神と名乗る者の声を聴いてしまった。
その日を境にセレーナは町の人間達から『忌み子』扱いされた。
いつも遊んでいた子供達も、「化物!」「早く死んじゃえ」などと口々に言う。大人達も「こっちを見るな化物!」などと言う。
なぜ、そんなことを言うの? 神様の声を聞いたことはいいことではないの?
自然とセレーナは家の中に引きこもるようになった。
いつも遊んでくれていた兄達もその日を境にぱたりと遊ばなくなった。
少なくとも家の中にいれば何も言われずに済む。セレーナはそんな楽に流れた。
だがある日──
「セレーナはいるか!」
島の軍隊が来た。家族は形だけは抵抗したものの、早く手放したかったのだろう。軍の者が一睨みしただけであっさりと手放した。
連れて行かれたセレーナは宮殿の地下にある牢に入れられた。
「お前は罪人だからな。一ヶ月後に公開処刑を行う。それまでここに閉じ込めるのさ」
看守にそう言われ、セレーナは驚愕した。
私……殺されるの?
毎日毎日暗い牢獄の中で、質素な食事といかつい顔の看守たちに見張られる毎日。最初の頃こそ、怖い、早く出たいと思ったが、日を追うごとにだんだんと
『早く殺してくれればいいのに』
と思うようになった。
そして、──公開処刑の日。
白い死装束をきて、十字架にくくりつけられる。
「火を放て!」
死刑執行人の声が聞こえた。十字架につけられた火はゴォォっと勢いよく燃え上がる。
「ナイフを突き立てろ!」
また同じ声が。誰に殺されるのだろう?
マントを着ている影は二人。それはセレーナがよく知っている人だった。
「ジェダイト兄様……アンバー兄様……?」
二人の兄はナイフを持ち、ニヤリと笑いながらセレーナにナイフを刺した。
だが、セレーナを殺した後の島には、災いが立て続けに起こった。
ある島人が言った。
「セレーナを殺したから、神がお怒りなんだ!」
災いを何とかして鎮めたかった王族は、宮殿に祭壇を作り、セレーナを手厚く祀ることで、神の怒りを鎮めたと言われている。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……酷い」
ルナはその話に怒りを覚えた。
実の兄が妹を殺すですって? なんて酷い。
セレーナはふっと笑い、
『まぁでも、その後すぐに兄様達は亡くなられて、神様がお二人を剣にしたと聞いているわ』
と言った。
『それが兄様達ね? その剣は封印しなければならないわ。でも……』
セレーナは言葉を詰まらせた。
「セレーナ様……?」
ルナはセレーナを見つめた。
『この儀式は生きている人間にしか出来ないわ。でもね、生きている人間がこの儀式をした時、その人間は消滅するのよ』
ルナはぎくりとして、双剣をカタンと取り落としてしまった。
『……でも、その剣を封印しなければ……』
「……また同じ事が、どこかで起きるかもしれない、という事ですよね?」
セレーナはこくりと頷いた。
ルナは深く息を吐き、剣を拾った。
自分の命か、他人の命か。そんなの、決まってる。
「……やります、私。私にしか出来ないのだもの」
この先、不特定多数の人が、この剣のせいで死んでしまうかもしれないのなら、ルナ一人が死ぬ方がまだマシ。
『……本当にいいの?』
セレーナは哀しそうにルナの瞳を覗き込んできた。
ルナは不敵に笑った。
「いいです。……彼らともう会えなくなると思うと寂しいけれど」
ルナが儀式を始めようとすると、もう古くなり機能しなくなったシェルターのドアが開いた。
「ルナッ!」
大好きなこの声。ルナは勢いよく振り向いた。
「モルダバ! 何でここに?」
「……おっ前なぁ……」
モルダバは大きく息を吐いた。そして大声を張り上げる。
「……っの馬鹿! なに俺らの記憶を勝手に奪ってんだよ! お陰でこんなにくるの遅くなっちまったじゃねーか!」
まさかここに来てまで叱られるとは思ってもみなかった。セレーナも驚きすぎてきょとんとしている。
「ちょ、ちょっとモルダバ!」
「あと! その変な儀式今すぐ止めろ」
モルダバの顔が変わった。ルナは怪訝に思い、「何でよ?」と訊いた。
「あったり前だろーが! お前が消えたらこっちは困るんだよ!」
「き、聞いてたの?」
ルナは思わず訊いてしまった。
モルダバは大きく頷いた。
「でも! 私がやらなきゃ他の関係ない人が巻き込まれるかもしれないのよ!?」
「だからってお前がやる必要はないだろ!」
「私しか出来る人がいないのよ! ……分かってよ」
ルナは少し涙声になって言った。
「……セレーナ様。私、やります!」
「おっ、おい馬鹿!」
『……本当にいいの?』
セレーナが念を押すように訊いた。ルナは力強く頷いた。
「消えたって私なら問題ありませんし。……モルダバ、離れてた方がいいよ」
ルナはモルダバを無理矢理に押して自分から遠ざけた。
「うわっ! ……ルナ! 待て!」
『邪魔をしてはなりません。……これが彼女の選んだ道です』
ルナは呪文を唱え、ぱっかりと口を開けた祭壇の中に双剣をしまった。
「ルナぁー!!!!!」
途端にギギギィッと音を立てて祭壇が閉まる。
カクンとルナの体から力が抜けた。
「ルナ!」
慌ててモルダバがルナを支える。ルナの体は一瞬消滅したように見えた。だが、彼女の体はキラキラと光っていた。
セレーナは驚いたような表情をしたが、すぐに嬉しそうに笑った。
『ルナ……あなたは私と違って、大切にできる人を見つけたのね?』
「……は?」
『神がこの子を生かしたんだわ。あなたが大切に思う人と生きろ、と……』
セレーナは幸せそうに笑った。
『ルナ……この子は私の遺志の生まれ変わり……。大切にしてあげなさい』
それだけ言うと、セレーナは銀色の光となって消えた。
それと同時にルナが目を覚ました。
「ん……モルダバ……?」
「ルナ!」
モルダバは目を覚ましたルナを思い切り抱きしめた。
見れば、腹部の傷もすっかり消えていた。
「も、モルダバ……苦しいよ」
「!? わ、悪ィ……」
「……ただいま」
ルナは笑顔で言った。モルダバも笑って、
「お帰り」
と言ってくれた。
ただいま、私の好きな人。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ルナ!」
島の港に着くとマリアが待っていた。
マリアは大きな目を赤く腫らし、それでも気丈に笑ってみせていた。
「おかえり、ルナ」
「ただいま、マリア。……黙って出て行っちゃってごめんね」
ルナがそう言うとマリアは堪えかねたようにわあっと泣いた。
「バカルナ! あたしがどれだけ心配したと思ってるのよ!!!」
ルナはそんな彼女をきゅっと抱きしめ、背中をさすった。
「ごめん、ごめんねマリア……。──ありがとう」
その日の夜。
ルナはまた外に出て、月を眺めていた。今日は満月から少し欠けている。
「ルナ」
ルナが世界で一番好きな人の声。
大切な、──彼の声。
「モルダバ。どうしたの?」
ルナはニコッと笑った。モルダバも笑いながら、
「月長石……似合うじゃん」
と言った。
「うん……私が生きて帰ってこれたのも、これのおかげかもね」
「そしたら俺に感謝だな」
「いや、そこはこの月長石に感謝でしょ」
くすくすと笑い合う二人。
ルナはふっと遠い目をした。
「あのね……私、昔タンザナイトのこと、好きだったのよ。信頼もそうだけど、もっと深い意味で」
モルダバは相槌も打たずにただ聞いているだけ。
今のルナにとってはそれが心地良かった。
「でもね、あの惨劇の日に彼が剣を盗んでいるのを見ちゃったの。それでも、どうしても彼を嫌いにはなれなかった」
ルナはふうと息をついた。
「でも今日彼と改めて対峙して、分かった。彼の中に私の好きだったタンザナイトは、もういないんだな……って」
モルダバは隣に立って聞いている。
「……ねぇ、モルダバ」
ルナはついっと彼の指をとった。
「変わらない想いなんて、この世にあるのかな」
ルナは月を見上げた。煌々と輝く月はまるで何か辛いことを隠しているよう。
「……俺は……」
モルダバが口を開いた。
「俺はあると思うよ、変わらないモノ」
「……?」
モルダバはまっすぐルナを見た。
「……お前を大切に想う気持ち」
ルナは目を見開いた。
「……クッサーい」
ルナはくすくす笑いながら言った。
「何だと!?」
モルダバはぎょっとしてルナを見た。
「──でも俺はお前が一番大切だ。マリアのことも大切だけど、もっと深い意味で。分かるだろ?」
ルナは目を見開いたまま固まってしまった。
何かが頬の上を滑り落ちる。
しばらくしてからそれが涙だと気づいた。
「それって……」
「俺はお前が好きだよ。それだけは一生変わらない」
ルナはモルダバに抱きついた。
うわぁぁ、と子供のような泣き声が漏れた。
ツリーハウスの近くだからマリアに聞こえる、なんてことは頭になかった。
「絶対変わんない!?」
「うん」
「絶対絶対絶対変わんない!?」
「約束するよ」
「ホントに私のこと、ずっと好きでいてくれる!?」
「当たり前だろ」
うわぁぁ、とルナは涙をぼろぼろこぼした。
モルダバの服が濡れるなんて気にも留めない。
自分のことで精一杯。
「その代わり、お前ももう二度と俺から離れるなよ」
ルナは泣きじゃくりながらモルダバの腕の中でこくんと頷いた。
タンザナイトに裏切られたあの日のことで傷ついていたのだ、と初めて気づいた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ごめんねモルダバ……」
ルナは目を真っ赤に腫らして言った。
「何が?」
「あんたの服……ビショビショじゃない」
モルダバは服を見て、「ああ、こんなもんなら」と言った。
「これくらい濡れるのは日常茶飯事だし、気にしてねーよ」
狩りは水場ですることもあるので、そういうことなのだろう。
「マリアにも聞こえてたかもね」
「まぁあいつは夜はぐっすり寝る派だからな。多分平気だよ」
「そうかなぁ……?」
モルダバの言う通り、マリアはぐっすりと眠っていた。起きた様子はない。
モルダバが寝床に入る。ルナもそっと入った。
「おやすみモルダバ」
「ああ、おやすみ」
朝起きると……。
「……きゃ!?」
モルダバが物凄く近くで寝ていた。
え、なになに何で!?
よく見るとここはモルダバの寝床。てことは……私、間違えて入っちゃったんだ!
すぐに出なきゃ!と思い、寝床から抜け出そうとするとモルダバがガシッと掴んだ。
「……え?」
「いいからまだ寝てろ」
「で、でもここはモルダバの……」
「いいから。俺が連れてきたんだからつべこべ言わずに寝てろ」
「つ、連れてきたって……」
モルダバはまた眠り始めた。
ど、どうしよう。
昨日両想いになったばかりの人と同じ寝床で寝るとか恥ずかしすぎる。
ルナは腹をくくって目を瞑った。
先に起きたマリアに大目玉を食らったのは言うまでもない。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ガーネット! アイオラ! 起きなさい!」
ツリーハウスには毎朝ルナの大声が響く。
モルダバは外で一人自主トレ中だ。マリアは外で洗濯を干してくれている。
「何だよ母さん……まだ早いじゃんか」
「あんたね、父さんが外でトレーニングしてるっていうのに何でのうのうと寝ていられるのよ! ほら、さっさとご飯食べて行ってらっしゃい!」
「え、父さんやってんの!? マジで! 行く行く!」
アイオラは朝飯も食べずに飛び出して行きそうな勢いだ。ルナはアイオラの首根っこを引っ掴んだ。
「先に飯を食えっていってるでしょ!」
ルナの瞳は綺麗なアメジスト色に戻った。髪は少しだけ銀色がキラリと目立つ。
「大変よねぇ、あんたも」
洗濯を干し終えたらしいマリアが入ってきた。
ルナはご飯の支度をしながらため息をついた。
「ホーント。ガーネット起きてこないし……早く起きなさいガーネット!」
娘のガーネットを叩きおこす。
ガーネットは眠たそうに目をこすりながら起きた。
「なぁにぃお母さん……」
「なぁにぃじゃないわよ! さっさとご飯食べて。片付かないから」
ガーネットをテーブルに座らせ、自分もご飯を食べる。
「まぁ大変よね。子供が二人もいて、旦那はあんなんだし」
マリアが言っているのは、モルダバとこの子供達のことである。
息子のアイオラ、娘のガーネット、そして、──夫のモルダバ。
マリアは今でも一緒に住んで、子育てや家事等、いろいろと手伝ってくれている。
モルダバは十七の時から少しも変わっていない(もちろん成長もしたし、大人になったりもしたが)。
中身は何も変わっていない。ルナとの約束を守ってくれている証拠だ。
「でも少しは大人になってほしいけどね」
ガーネットにご飯を食べさせて、マリアとティータイムにした時の話である。
「まぁ、モルダバだから」
「しょうがないのかしらね」
くすくすと笑いあう。
あの時はみんな必死で、何も考えられなかった。
でも今は違う。
「子供たちもすくすくと育ってほしいものよね」
「確かに。さ、買い物行こっ」
マリアと二人で町へ出る。
「おうルナ! 幸せそうじゃねーか」
いつもの野菜売りのオジさんが声をかけてくれた。
「まぁね。幸せよ」
「幸せオーラ振りまきやがって! このやろー」
ニカッと笑いながらオジさんが言った。
ルナもふふっと笑った。
『ルナ!』
世界で一番愛してる人。──モルダバ。
もう逃げたりしない。守るべきものが出来たから。
さぁ、目を開けて、前を向いて。
「モルダバ……大好きよ?」
ルナは昼の空に浮かんだ月に向かって呟いた。
〜END〜