校舎裏の
学校裏にある駐車場の片隅。
ここは三方を壁で囲われており、真ん中にベンチが一つあるだけの質素で静かな場所。人通りも余りなく、以前は読書家などが使うにうってつけの場所であった。無論、俺はその頃はたまに使っていて、本当に良い場所だった。
しかし、いつからかその場所はリア充ウェーイの溜まり場と化していた。
人目につかないその場所は、彼らにとっても最高の立地条件だったらしく、こんな呼び名で親しまれていらしかった。
通称ヤリ場……目も当てられない程のド直球なネーミングから、読書愛好家達は次第にその場を離れ、リア充共に明け渡してしまっていた。
俺すらもう二度とこんな場所へは来ることはないだろうと思っていたが、今、俺はそんなところに美少女と二人きりでいます。
「んで、授業をバックレてまで俺に話さなくてはならない事ってなに?そりゃぁさぞかし重要な事なんでしょうねぇ」
俺は授業をバックレてしまった後ろめたさから、きっかけを作ることになった杏子へ嫌味たっぷりにぶつけた。
杏子は押し黙ったまま、真っ直ぐな視線を俺に向けてきた。その視線に見覚えが。これってもしやデジャヴ?
半年くらい前。季節は真夏の暑い日だった。暑さに拍車をかける蝉など絶滅してしまえばいいと思っていた。ごりごり君 (カレー味)は暑さで秒殺され、アスファルトの餌食になっていた。
「け、健斗、あのさ。あたしと付き合ってください」
学校一の美少女(性格は悪魔)の口から飛び出したまさかの一言。悪い夢じゃないかとか、何かの冗談かとか、はたまた罰ゲームの類いじゃないかとか、不粋な事を勘ぐった。
俺のような普通の学校生活を送る人種と、杏子のようなリア充は相成れないし、不釣り合いだとも思った。
俺の口から出た言葉は「ごめん、無理」の一言だけだった。動揺は隠せなかった。次の瞬間には、俺は杏子から逃げ出すように走り出していた。
少し離れてから一度振り返ると、そこには泣き崩れる杏子の小さな影が見えた。
逃げ出すなんて言う惨めな手段でしか場面を切り替えられない自分に腹が立った。何よりも杏子を傷付けてしまったことに対して自責の念を募らせた。
人生において、後悔は先に立たない事と、過ぎ去った時間は悔やんでも二度と戻らない事をこの時知った。
その後の俺と杏子は、微妙な距離を保ちながら学校生活を送ることになった。そして今に繋がるのだが。今再び、あの時が繰り返されるのかと内心思っていた。
「健斗、もう告白なんてしないから、そんなにビビって構えるなよ」
杏子は少しはにかみ、照れ臭そうにそう言った。そうか、杏子の目に俺はそんな風に映っていたのか、と思い斜に構えるのを止めた。
「話変わるけど健斗さ、漫画、ゲーム、小説とか好きじゃん?ね、そうでしょ?」
「ま、まぁな。でもさ、それって普通の趣味じゃね?同年代の男子も女子もみんな普通に好きなもんだろ」
そう言いつつ、俺は冷や汗をかいていた。
「じぁあジャンルは?」
あ、それ聞いちゃうんだ。駄目だよ、そこは。だってそれは俺の柔らかい場所じゃないか。
「ねぇ、ほら早くいいなさいよ」
「あ、いや、それは……」
モゴモゴと口ごもる俺に痺れを切らせた杏子が畳み掛けにくる。
「本当はね、知ってる。好きな人の好きな物を調べるのくらい当たり前じゃん。みーんな岡田から聞いて知ってたよ」
成る程。ここ最近、妙に杏子が岡田へ接近し仲良くしていた理由が分かった。そういう裏があったのか。ってか、その前に杏子の奴、さらっと言いやがったな。好きな人の~とか。
伏し目がちに杏子の顔を見ると、やっぱり美人だ。天使の顔だ。俺は胸が締め付けられる感覚を味わった。だからこそ、正直に自分の好きなジャンルを呟いた。
「け、剣と魔法のファンタジー……が、好きです」
言葉にすると尚更恥ずかしくなる。なにかの拷問にすら感じる。まるで自分の恥部を晒すかのようだ。
「そ。あたしと同じ、剣と魔法のファンタジー。いいね!共通の趣味!」
なんと!あのゴリゴリリア充ウェーイの杏子さんともあろうお方の趣味が、剣と魔法のファンタジーだって!?俺は戦慄の眼差しで杏子をまじまじと見た。
照れもしない真っ直ぐな姿勢はガチ勢の証。本物の輝きだった。ま、眩しい。だけれど、何故かその視線には困惑のようなものが混ざっていた。
「あたしね、仲間内にはそんな事、話せなかった。でも、いつも教室の隅で楽しそうにしてるあんたらの仲間に入りたかった。で、そんな趣味の話を一緒にしたかったんだ。今となってはもう、遅いかもしれないけれど」
そんな風に俺達をみていたのか。度々視線があった事は気付いていたけれど……それに加えて最後の台詞。なんの含みをもたせてんだ。
「そか、そうだったんだ。っつーかなんだよ最後の台詞は。なに杏子、大病でも患ってるわけ?」
浅はかな質問だと思った。俺は馬鹿か。もしも本当に病気でもあった日にゃ目も当てられない。だが、返ってきた答えは意外な質問だった。
「昨日のテレビ見た?」
「ああ。あの放送事故レベルのな。もっと話題になると思ってたけど、そうでもなかったな」
「あたしの苗字知ってるよね」
「佐々木だろ。ん!?なんだよ、なんかの冗談だろ……」
杏子は真剣だった。口は真一文字に結ばれ、溢れ出そうな感情を抑えているようだった。
「マイク・マーレン・ササキ……あたしの大好きだった叔父さん。死んじゃった……」
塞き止めていたものが、その一言をもって決壊した。そこには乱暴者の面影は無く、等身大の泣き崩れる少女の姿があった。
こんなとき俺に出来る最善の事。目の前で声を圧し殺してむせび泣く少女の肩を、抱くことが出来たなら。
杏子をベンチへ誘導し、ゆっくりと座らせる。俺はすぐ横に腰を下ろし、手を震わせながら肩を抱いてやった。
◆
時間の概念は失せてしまったのか。言葉のない会話は様々な想いを募らせ、また底無しの不安を煽る。全ての喧騒を無かったものにした。
「ありがと。落ち着いた」
杏子は溢れる涙を拭うと、すくっと立ち上がり、俺から二三歩の距離をとった。
俺はぼんやりと杏子の顔を伺う。濡れた睫毛の瞳からは強い意志が垣間見える。
「やっぱり健斗を好きになって良かったよ。けっこう男らしいじゃん」
「ん、あ、あぁ」
杏子は何かをする気らしかった。ポケットから取り出したチョーク。しゃがみこんで何かをおもむろに描き始めた。
「黙って見てて」
黙って見るのはいいが、あれが丸見えだぞ。と言い掛けて止めた。描き出されたそれを俺は知っていた。俺の大好きなジャンルでは極当たり前なものだった。
「取り寄せの術式……魔方陣か?」
俺はボソッと呟いた。杏子は俺を見上げ視線を絡める。
「魔法ごっこでもはじめ」俺の言葉を杏子は自らの言葉で遮った。
「受け取り」
円形の術式の中心に小さなつむじ風が巻き起こる。それが次第に強さを増して、人の身長程の大きさになる。同時に 魔方陣が緑色に淡く発光を始めた。
混乱だった。アニメや映画の表現ではなく、生の、現実のものとしてのそれは、この世界の理を軽く凌駕していた。
巻き上がる砂埃に杏子のスカート。砂埃が目に入るが、それを閉じる事は許されなかった。色々な意味で。
光が終息へ向かい、風が止み始めると、魔方陣の中心には一冊の分厚い書物のような物が姿を現した。よく見るとレポート用紙の束だった。
「う、え、あ??」
声にならない声とはまさにそんなもので、驚きだとか驚愕だとか、もうわけわかんない状態。俺の腰は砕け、地面にケツを思いきり叩きつけてしまった。チビらなかっただけましではあるが。
杏子は杏子で、スカートの埃を軽く払うと極自然な顔をして、自らが取り寄せたレポートの束を拾いあげた。
パラパラとそれに目を通してから、腰を抜かした俺にレポートを放る。
「あたしの叔父さんの遺書みたいなものよそれ。ね、健斗ならそれ解読出来るんじゃないかな。あたしは多分無理。だって英語苦手だし、仏、独、伊、からっきし。科学も興味なければ数学も全然。つまり全教科駄目って感じ」
天、二物を与えず。これ程綺麗にこの諺が当てはまるのも珍しい。じゃない。そうじゃない。そんな事はどうでもいい。目の前の現実離れした事象をどう飲み込み、噛み砕き、どう解釈したら……納得が出来るのか。俺はショート寸前だ。
「これから世界は終わるって。終わって始まるって。ゆっくりと急激に」
昨日のササキ博士の言葉か。
杏子はなんとも言えない切ない表情で俺を見た。その後ニッコリと微笑むと、くるりと回りその場から立ち去ろうとした。
「お、おい。どこ行くんだよ!?まだ聞きたいことが山程あるのに!待てってば」
俺は杏子の背中にそんな言葉を掛けたが、杏子は右手を挙げ手を振っただけだった。
「二時限目始まるよ」
ハっとした俺は急いで立ち上がると、レポートの束を抱えた。そして、去っていく杏子の背中を追いかけた。