ある科学者の
マイク・マーレン・ササキ。日系アメリカ人の科学者の名前だ。ほんの数ヵ月前までは誰からも見向きもされない無名の科学者だった。精々下品な三流ゴシップ紙位が活躍の場だったであろうその科学者が、ここ最近は世界中のメディアを賑わす程の存在となっている。
それは家の夕方の食卓でも同様のこととだった。父さんはおかずに箸をのばしつつ、食い入るようにテレビに夢中だ。母さんはそんな父さんの行儀を見ては小さく咳払いをして注意喚起を促している。
「あぁ、すまない。ついね、それにしてもこの解説の人、あんまり説明が上手くないなあ。俺の方がよっぽど上手く説明できるのに」
父さんはそんなぼやきで母さんの咳払いをかわしたつもりになっていた。
「あ、そうか!ね、ね、あなた、何かに似ていると思ったのよ。ほら結構前に流行ったあれよ、あの予言者の……」
「ああ!俺が学生だった頃も同じような事あったよなあ。ノストラダムスだっけ?あのインチキ臭いあれだ」
「そうそう!丁度その頃よね、私たちが出会ったのって」
何故か両親は見つめ合い、奇妙なピンク色の空間を生み出し始めた。俺はそんな事を余所に黙々と夕飯を食っていた。
それにしてもこの味噌汁は本当に旨い。だけれども母さん、豆腐と油揚げの共演はやっぱり何かが違う気がするんだ。だってそれは全てが大豆由来であって、なんかこう、腑に落ちないんだよ。
テレビ画面に映る下手くそ解説員の話を聞き流しながら、俺の味噌汁考察は深みを増していった。
「ねぇあなた、健斗がまたいつものアレになってるわ。ちょっと注意してくださいよ」
「ん?あ、ああ。なあ健斗、お前のその幸福感を噛み締めたようでいて、気色の悪い薄ら笑いの顔、どうにかならないのか。何か考えを巡らせているのはわかるけど、なんというか……」
またやってしまった。俺の癖。どうやら思考を巡らせる時の俺の顔は相当なものになっているのだろう。見られたのが両親で良かった。これを学校でやってしまったら、それなりに切ない生活を送ることになりそうだからな。
「あ、ごめん。どうもこの癖、治りそうもないけど、なんとか意識して治してみるよ」
父さんは一つ頷くと、再びテレビに顔を向ける。母さんもそれにつられるようにテレビに意識を向けた。
流れる無駄に見えた情報は、その直後とてつもない衝撃を世界に発信することになった。
生中継で行われていたササキ博士の外国向けスピーチの後、彼は急に日本語で日本人向けにスピーチを始めた。
「私マイク・マーレン・ササキはこの度、世界を終わらせる為にこの場に立たさせて頂きました」
中継先であるアメリカの大講堂らしき会場は、通訳込みの時間差でどよめき出していた。
「何をもって世界の終わりとなるかについての定義は私が定める事にしましょう。脈々と受け継がれてきたこの人間中心の文明、並びに人間が築き上げてきた社会……これを『再構築』したいと思う次第です。よって皆さんの中での世界は終わりとなる」
生中継されている会場はどよめきの渦を巻く様子が映し出されていた。
「先に述べさせて頂いた数々の理論、数式、その他諸々は全てこの再構築に集約されるものであり、長時間に渡りご静聴頂いたことについては感謝する次第です。さて、実はもう既にお気付き頂けている人もいるかも知れませんが、もう再構築式は始まっているんです」
ササキ博士はそう言って、壇上から会場を見渡した。リアクションが皆無だったのだろうか、博士は一旦咳払いをし、話を続けた。
「スクリーンをご覧下さい。デジタル化された数字や世界各国の文化の象徴である様々な文字の羅列が出鱈目に書き出されていますね。出鱈目にとは言ったものの、実はこれ、とある式になっています。式に関しての説明は明日発表する私の論文にてとさせて頂きますが、これに最後の一文、そうですね解りやすく言うならば人間の情報を加えると、この式の解が発動する事になります」
ざわめく会場からは怒号のような声が沸き上がっていた。壇上に向かい物を投げつけるものまでいた。
「一つだけ、ただ一つだけ残念に思うことがあるのですが……私自身が再構築した後の世界を観測する事が出来ないのがね、残念でなりません。それから付け加える形になりますが、再構築後の世界、私は新世界と名付けたのですが、その新世界では皆さんの人生は引き続き営まれることになるでしょう。確約はできませんが、可能性はゼロではありません。ただし、今の姿形、並びに記憶が保証されるかは定かではない。これは申し訳ないと言う他ありません」
俺は笑いもせず、悲観もせず、ただただそのスピーチを流し見していた。父さんも母さんも鼻で笑い、悪い冗談を聞いているような雰囲気だった。
「さあ、それでは最後の仕上げに掛かりたいと思います。先程の人間の情報を~との下りがありましたが、さっそく取り掛かりたいと思います。あ、最後になりますが、これより再構築完了までは緩やかに始まり急激に完結する事が予想されます。皆様におかれましては心の準備をよろしくお願い申し上げます。それでは皆さんさようなら」
深々と頭を下げ、博士はそのあと講堂の天井を仰いだ。そしておもむろに右手を胸に差し込み、そこから拳銃を取り出した。
口にそれをくわえた所でテレビの中継は遮断された。