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てるてる坊主

作者: 道本幸也

 そのてるてる坊主が吊るされ始めたのはいったいいつだっただろう。僕は覚えていなかった。そのてるてる坊主を吊るしたのはいったい誰なのだろう。それも僕は覚えていなかった。

 なぜそのてるてる坊主は吊るされたのだろう。それすらも僕はわからなかった。だがそのてるてる坊主は確かに僕の部屋の天井に吊るされていたのだし、その存在を僕が無視していたわけでもなかった。ただ気づいたのが遅かっただけなのかもしれない。

 そのてるてる坊主は不思議な色彩に覆われている。極彩色ではない。むしろ、不吉な色。だが、汚らしい、というわけでもない。生を感じさせる色彩である(じゃあ生というのは不吉なことだとでもいうのか? いや、そんなことはない)。僕はそれをずっと眺めているが、その色彩が何を意味しているのかはいまだにわかっていない。

 僕の部屋からは何の音もしなかった。雨の日も、晴れの日も、ベランダに転がる蝉の死体がカラスに持ち去られた時も、部屋の中は無だった。ただ、てるてる坊主を除いては。

 僕とはいったい何なのだろう。僕はてるてる坊主を眺めながらそんなことを考える。

 ここには僕の部屋がある(とりあえず僕はここを自分の部屋だと思っている)。そして、てるてる坊主がある。そして、てるてる坊主を見ている自分が存在し、それを見ながら思考している自分も確かに存在している。

 だが、この二つを結びつけるものが僕には足りていなかった。肉体だ。僕が一つの人間であることを証明するものを、僕は今なにも持っていない。食欲もなければ、物欲もない。性欲もない。ならば僕は何なのだろう。機械か? いやそんなことはないだろう。機械であるならば、それを証明する金属でできた物体がここにあるはずなのだから。

 じゃあ僕はいったい何なのだろう。そもそも考える、というこの行為が物質を保有するものだけに許された行為なのか? 無、すらも何かを思考することはできるのではないか?

 ……考えてもわからない。だから僕はこの思考をやめ、目の前にある(と思われる)てるてる坊主に意識を向ける。

 てるてる坊主は先ほどと少し違った色彩をしている。少しばかり生から遠ざかった色彩。だが落ち着く色だった。


 時がたつ。いまだに僕はここに存在していた。僕という脆弱な存在(形あるものはすべて壊れる、という視点から見れば僕は最も優れた存在となるのかもしれないが)を含有しているこの部屋は、いまだ一切の音を発していなかった。部屋の角に厭らしく溜った埃の量が増えていることだけが、この部屋に時間を与えている。それすらもなかったら、いったい誰がこの部屋に時間があることを証明できただろう? そして、やはりてるてる坊主は未だ天井につるされていた。

 直後、僕は新しい思考に浸る。僕には視覚のみしか与えられていないのではないか? 実際は、音がこの部屋には満ち溢れているのだが、僕が感じ取れていないだけなのではないか?

 ……答えは見つからない。正直に言えば、この視覚でさえも、僕の思考が生み出した、ただのイメージであるということを僕はいまだ証明できていないでいる。いや、証明しなくてもいいのかもしれない。そちらのほうが楽に生きられるような気もする。いや、僕に普遍的な生があてはまるのかどうかは疑問だが。

 

 またしばらく時間がたつ。窓から明かりが入ってくる。それと同時に、てるてる坊主の頭の部分がごとり、という音を立てて地面に落ちた。それだけがこの部屋が発した(あるいは僕が唯一認識できた)音であった。

 てるてる坊主の頭が落ちる音がさながら人間の首が落ちるような音だなあと思っていたら、よく見るとそれは本当に人間の腐りきった生首だった。そして僕のイメージする僕自身の顔とよく似ていた。つまるところ、それは僕の生首だった。

 何が正しいのだろう。何が間違っているのだろう。僕が自殺したということが正しいのか? それともてるてる坊主が落ちた、というほうが正しいのか? それを判断する能力は僕にはなかった。だが、一度そのてるてる坊主のなかに僕の顔を見てしまうと、もうそれは僕の生首にしか見えなかった(髪の毛は抜け落ち、下唇は顎のほうまで垂れ下がっていたが)。

 少なくとも、僕のこの思考は消え去らないのだろうな、と思う。僕が死んだということを、ここで誰が証明する? 僕は死んでいないかもしれない。もともと僕は無だったのかもしれない。わからない。わからないが、この思考の中で僕は生を経験していくのだろうし、僕はさらに腐ってゆくこの生首を見つめ続けるのだろう、と思う。

 ごぐり、という気持ちの悪い音を立てて今度は体のほうが落ちた。この世界に、万有引力は少なくともあるのだろう、と僕は少しだけ安心した。

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