第1話:闇の中で
大正12年 6月19日
永い嘘をついてきました。
それは人を欺き、ある意味で傷つけるものでした。
私は美しかったのです。
雪のように白い肌も、大きな瞳も、長いまつげも、漆黒の髪も、私は鏡の前で身震いするほどに、自分が美しいということを知っていました。
そして、美しさと言う一見肯定的に見られる才能が、それが激しくも、強く“美しすぎた”が為に悪という名の性質をもはらむということを私は感じずに入られなかったのです。
私は自分の美しさを持て余すかのようにして生きてきたのです。それは、人に好まれると言う境地を遥に越え、神秘的なほどの美しさは、私の肉親までをも、戸惑わせました。
そして、三十歳を越えた頃から、私はある真実を見極めたいと思うようになりました。
それは驚異的な美しさが本当の意味での罪悪となるのならば、醜さもまた、正義となりうるのではないか、という考えでした。
醜悪と言う言葉がありますが、私にしてみれば、醜さは悪をはらむ物ではないのです。他者に絶対的な優越を与え、不快という名の快感を感じさせる、一種の救いのようなものなのです。
実のところ、私は醜いものを軽蔑して生きていた頃もありました。その頃私は人間に媚びを売ることで、財産を築き上げる段階にありました。私の自尊心の為に言っておきますが、私はその頃も、もちろん今も、体を売るなどの下拙な方法で、財産を得ていたのではありません。私の微笑みが、生み出す物は、お金以上の価値をもっていたのです。だからこそ、私は醜いものを軽蔑していました。嫌、むしろ私は怖かったのかもしれません。私が持っていた、たった一つの、私の全てが失われたら、自分もあんな風になるのではないかと、そう危惧していたのかもしれません。
ただ、今の私は違います。私はそれを手に入れ、私の考える主張を試してみたいと考えています。どうして私がここまでそのことに熱中するのか、自分でもわかりません。ただ、私はひどくそれを求めているのです。
そして、ついにその機会を得る事が出来ました。
私は、三、四年前から東京での暮らしを絶ち、この海の見える田舎へと移り住みました。お金は持っていましたが、ある資産家の方のご好意に甘え、私は黄楼館と、地元の人々に呼ばれる、西洋風の屋敷で住むことを決めました。黄楼と呼ばれるのにももちろんわけがあります。高台に位置する私の屋敷は。村の人々の住む港から見上げる位置にあります。そして屋敷の周りには、多くの桜の木が植えてあります。桜の木を家の近くに植える事は不吉であるとよく言われます。しかし、屋敷を立てた方が、相当な西洋かぶれだったからなのか、実のところ本当に西洋人だったからなのかは、私にはわかりませんが、それは見事な桜の木が一面に植えられていたのです。とりわけ春の夕暮れに桜の花は、夕焼けに照らされ黄金色に輝きます。海での仕事を終えた貧しい村人たちは、高台を見上げ、その姿に毎年欠かすことなく、見とれてしまうのだそうです。そういったわけでその屋敷は黄楼館と呼ばれ、私もいつからか、黄楼の奥様とそう呼ばれるようになりました。
そして、私はそんな桜の季節に“その少年”と出会いました。彼は私の屋敷の桜の木々の林の中を無断で歩き回っていたのです。丁度、私が町から、帰ってきたときに彼を見つけました。彼はせむしでした。たださえ背は低いのですが、そのために丸みを帯び、大きな岩のようでした。私は元来、村人と関わることはありませんでした。村で一番の資産家だといっても、私はそれを鼻にかけたりはしませんでした。私はそんなことには興味がなかったのです。だから、わざわざしかりつける気にもなりませんでした。ただ連れの下男が、大きな声で怒鳴りつけました。すると彼は転がるようにして逃げようとしました。あまりに怯え、慌てすぎたのでしょう。彼は幾度も転んだのです。立ち上がり、駆けては、また転ぶ。それを繰り替えしました。しまいに地面を這っているようにすらみえました。隣で下男は、怒りも静まり大声で笑い出しました。下女ですらくすくすとそう忍び笑いをもらすのです。しかし、私はその時、彼には素質があるかも知れないと思いました。そう、私が求めていた絶対的な醜さに。
私は、彼を呼び止めました。そして、下男に彼をつれて越させました。少年は、罰せられるかとでも思ったのでしょうか。涙をうかべていました。そして、その顔は私が想像した以上に醜かったのです。
団子のような鼻、兎唇、浅黒い肌。ただ目だけが妙にきらきらと輝き、子どもらしく、かわいらしくもありました。しかし、それはその容姿には似つかはしく、その澄んだ瞳によって、彼の顔はより醜くく見えました。私の周りにいた人々は誰もが、その醜さに不快の念を感じていました。視界に入れるだけでも、恐れているようでした。ですが、その時の私の心の中は、喜びと神への感謝で満ちていました。私は周囲の当惑の目を無視して、微笑んで彼に語り掛けました。名前、年、親の名、そんな当り障りのないことを尋ねました。彼は名を“トシ”と言いました。今年で十五歳だと、私は彼がもっと幼く貧弱に見えていたので驚きました。彼はもじもじと体をくねらせながら、ゆっくりと言葉を放ちました。そして、私がどうしてここに来たのか、と尋ねると思いもよらない返事をしました。
「…おっ黄楼さんの枝を」
私は彼の言葉を待ちました。
「枝を、折れと」
とそう言ったのです。彼に詳しい話を聞いてみると、彼は村の同世代の子供たちにふざけてそれを強いられたようでした。よく見てみると彼の体には痛々しいあざが多く残されていました。こんな容姿をしているのだから、私は容易に彼の目の前の生活が想像できました。三男だと答えた時に、私の心は決まりました。彼を私の家で預かろうとそう思ったのです。そして、それはあっけにとられるほどに簡単に実現しました。実際、私は養子にとってもいいと思っていました。…もちろん私の現状の生活からしてその表現はおかしいですが。でも、それくらいに私には覚悟がありました。ですが、そう言うに足らず、彼は奉公人という名目で黄楼館の門をくぐったのです。
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