脇役姉御は逃げ切れなかった。
ハロハロー
甘さを求めていた。多忙のあまりで心身ともに疲労で倒れ込んだ。生チョコを口に放り込み、舌の上で溶かしながら、乙女ゲームをしていた。
魔法ファンタジーの世界で、魔物と戦う部隊に配属されるところから始まる。どんな相手を選んでも、常にお姫様扱いの逆ハー状態。悶えるほど、甘い甘い濃厚な恋愛を楽しめるそれをプレイしながら、また生チョコを口の中に放る。
そんな最中、とろとろの生チョコを喉に詰まらせてしまった。飲み物に手を伸ばそうとも届かず、疲労のあまり身体は重すぎて立てず、間抜けにも窒息死した。
そんな前世を思い出したあとでも、乙女ゲームの脇役ルカゼとして生きながら、私は生チョコを堪能している。
間抜けだという一方で、また生チョコを詰まらせて死にたいとさえ思った。
昔から、その夢を見ていたし、それに最期まで好きなものを堪能して死ぬなんて本望だとも常々言っていたくらいだ。
ルカゼは、部隊長を務める。攻略対象者達を鍛え育てた人であり、尊敬されている姉御肌の持ち主。
ゲームでは時折出てくるだけだけど、主人公も攻略対象者も支えるイケている美女で素敵だった。
そんな素敵な女性に生まれ変われたなんて嬉しいけれど。複雑。
ルカゼとして、私は彼らを育てた。まるで親のように、可愛がってきた。
だから――――彼らが一人の女の子にデレデレした姿は見てられない。
主人公にどんな想いを抱き、どんな甘い言葉を告げるのか。今でも覚えている。
もう既に主人公は私の部隊に配属され、彼らはお姫様のような扱いをしていた。見る度に前世で悶えていた甘いシーンが浮かんできて、混乱している。
微笑ましく見るべきか、嫉妬をするべきか、過保護に口出しするべきか。
現世の親心と前世の乙女心がせめぎ合い、本当に、混乱してしまっている。
それに、ゲームと違い、ドロドロのヒロイン争奪戦にならないか、ひやひやである。程よい距離を保ってちやほやするなんて、実際は無理だろう。
大半が尽くした末に失恋で倒れるかと思うと、お母さん……お母さんは辛すぎる!!
あと、もう一つ、厄介なのはある。嫉妬だ。
元々、女性という生き物は、キラキラした同性に嫉妬や敵意を抱くものだと聞いたことある。同性アイドルを好まない女性はそれらしい。
私も少なからず、ちやほやされるヒロインをライバル視しているのだ。自分とは違うタイプだし、私の知る愛が注がれるのだから。羨ましさもある。
厳しくも育てて、そして愛でてきた彼らを奪われることに――――私は、何を感じているのか、はっきりとわからなかった。
「たーいちょっ?」
ラウンジでいつものように部隊でランチをとっていた最中、食後の生チョコを食べながら、例のやつを見てぼんやりしてしまった。
大きな目をした赤みの強いオレンジの髪を、自由にはねさせた美少年に覗き込まれる。
9歳の時から育ててきた一人、ソーヤ。普段は生意気でやんちゃなのに、私を心配そうに見る。
「最近、元気がないようですが、体調でも崩されたのですか?」
私の隣に座っているのは、一歳年上のルルシュ。すみれ色のストレートヘアーで、どんな状況でものほほんとしているくせに、眉を下げて見つめてくる。
「だ、大丈夫ですか? お部屋で休みますか?」
向かいに座っていたヒロインことアンジュが、立ち上がった。長いストレートヘアはブロンドで、さらりと肩から落ちる。
小顔で長い睫毛は上向きで、色白の肌でほんのりピンクの頬。可愛い。
「髪が料理に入るだろ、座りなよ」
そんなアンジュを座らせるのは、左に座るナノンだ。
9歳の時から育ててきた一人、昔は無口だったし他人と関わらなかった。
そんなナノンが、アンジュの髪を指で肩の後ろに払いのける。ちょっと目を背けてしまった。
「大丈夫よ、アンジュ。ソーヤも、ルルシュも、心配は無用。はい、これ、皆で食べて」
「えっ、半分も食べてないじゃん! 好物なのに!」
「ちょっと胸焼けしただけよ」
ソーヤに生チョコの箱を渡したら驚かれたけれど、ヒラヒラと手を振り、歩き去る。
胸元を擦り、そっと息を吐きながら、ロングブーツで廊下を歩く。
髪を掻きあげて、アンジュのブロンドを思い出す。私は黒髪に赤いメッシュが入ったボブヘアーだ。昔から仕事中は邪魔だから、あまり伸ばさないようにしていたけれど、今は鎖骨に届く長さだ。
羨ましい。
ああ、本当にだめだ。
このままではいられない。
こんな気持ちで、部隊長なんて務められない。
私の部隊が結成された時は、驚かなかった。なんとなくそうなるとわかっていたから。そして、嬉しかった。
私の最初の部隊だ。
だからこそ、私はこんな乱れた気持ちで居続けられない。
――異動届けを出して、他の支部に移動させてもらおう。
私はその足で、支部長室に向かった。もう書いておいた異動届けを出して、お願いをする。
「……んー、無理だと思うんだけどね」
「はっ? 何故ですか、私は他の支部に引き抜きの話をもらった経験がありますが……」
「いや、ね。ルカゼ、部下には話したのかい?」
「い、いやっ、話してませんがっ」
支部長は机で頬杖をつきながら、苦笑を浮かべる。
話せるわけがない。逆ハーレムを見ていられないという、逃亡理由を吐かされるなんてごめんだ。これでも部隊長として慕われている自覚はある。
「彼らには、ギリッギリ話さないでおきます。新たな隊長は、今副隊長を務めるニアを推薦します」
異動直前まで黙って、去ったあとは、思う存分アンジュにベタベタしていればいい。
「いや、無理だねー」
支部長はまた苦笑をする。なんでだと眉間にシワを寄せていれば、支部長は顎を上げて後ろを振り返るように仕草を見せた。
後ろを振り返れば、震え上がった。支部長室には二人きりだと思っていたのに、もう一人が扉の前に佇んでいた。
私の右腕、副隊長のニア。二歳年上で、普段から微笑みを浮かべる美男。神出鬼没な上に何を考えているか、今でもわからない。
無表情で私を見据えていたが、やがてにこりと微笑んだ。
「に、ニア……皆には話す――」
「話しますよ、誰も貴女の異動を認めるわけないじゃないですか」
「なぁ!?」
口止めしようとしたのに、ニアは支部長室から飛び出した。
捕まえようとしたが、魔法を駆使してまで私から逃げ仰せやがる。コイツ、くせ者過ぎるっ!
ニアは暴露した。
ラウンジにはアンジュ以外が残っていて、案の定理由を問い詰められる。
「なんでこの部隊を辞めるんだ!? どんな理由があっても納得いくかよ!!」
ソーヤが怒鳴った。ルルシュが宥めようとしても、効果はない。
「これは……ルカゼさんの部隊ですよね。なんで、突然そんな話になるんですか」
椅子に座ったままのナノンが、威圧的な声を向ける。睨むような眼差しだ。
「先ず、理由を聞いてみましょう。どんな事情でそんな決意をなさったのですか? 近頃、元気がなかった原因ですよね……ルカゼさん」
ルルシュは悲しそうに微笑んで理由を訪ねる。涙が浮かんでいた。
後ろでは、腕を組んで傍観するニア。ほら見ろと言わんばかりの笑みだ。お前、あとで絞め殺すぞ。
「前々から考えていたんだ。他の支部で働くことを。お前達が、そうやって引き留めてくれるとわかっていたから、躊躇してたんだ」
「当たり前だろ!! アンタはずっとオレ達の隊長なんだから!!!」
ソーヤが私の腕を掴んだ。
魔物の被害で孤児になった者達が大半だ。私も、彼らも。だから、出会ってから家族のようなものだった。ずっと、私が先頭に立ってソーヤ達を引っ張ってきたんだ。
「隊員が入れ替わることもある。隊長だって、変わる。永遠じゃないんだぞ、ソーヤ」
「っ! これからも、オレ達の隊長はルカゼだけだ!!!」
「悪いな、ソーヤ」
頭をぐしゃぐしゃと撫でてやる。昔からやってやる撫で方。いつもは手を振り払うのに、ソーヤは肩を震わせ大きな目に涙を浮かべた。
つられて涙が込み上がりそうになった私は、無理矢理ニッと笑う。
「本当に悪い。皆、気持ちを整理してくれ」
ずっとナノンの隣で黙っているリクノの頭を撫でてから、私はその場を去る。
泣いてしまいそうな目、怒っているような目。彼らの眼差しが、頭から離れない。
どちらがましだろう。裏切りのように、見捨てるように、去っていくこと。幻滅されること。どちらが楽だろうか。
――いっそのこと、私が男だったらどんなにいいか。
みっともない気持ちに掻き乱されることもなかったのに。あいつらの隊長でいられたのに。
「ルカゼ隊長!」
腕を掴まれた。今まで呼ばれていたのか、気付かなかった。
廊下で引き留めたのは、リクノだ。
9歳の時から育ててきた一人、昔から冷めていた奴だった。紺色の髪と鋭い眼差しの持ち主。身長が私を越えつつある。
「納得いかない。前誘われた時は、即答で断っていたじゃないか」
「……考え直したんだ」
「そんなわけない! アンタはこの部隊をっ、オレ達を大切にしてくれたアンタがっ、離れていくわけない!」
リクノは珍しく声を上げて、辛そうに顔をしかめた。
ああ、大切だ。でも、逃げたいんだ。ごめんな。本当に、ごめん。
「目を逸らすな!」
俯く私の肩を左手で掴み、壁に押し付け、右手は顔の横に置かれた。
「なんでっ……ずっとオレ達といて、くれるって……言っただろ……!」
泣いてしまいそうなリクノの顔を、まともに見ていられなくて、私は彼を抱き締める。
ああ、大きくなっちゃって。抱き締めるの、久しぶりだ。
リクノの頭を左手で撫でながら、右腕で締め付ける。
「よしよし」
「……あの、えっと……」
「私がいなくとも、ソーヤ達がいるだろ。仲間がいるんだ。皆で大切にしてくれ」
「……っ」
親離れする時だ。
大丈夫、仲間が一緒にいるから、やっていける。
「……なんでっ……アンタがいないんだよっ」
私の肩に顔を埋めたリクノの声は、震えている。
私は必死に堪えて、リクノの頭を撫でた。
「お前達なら、大丈夫さ」
それだけ言って、廊下にリクノを置き去りにした。
――ごめん。そばにいられなくて、ごめん。こんな私で、ごめんな。
9歳の時から親代わりに育ててきたリクノ、ソーヤ、ナノンとの思い出を浮かべると、泣きそうになってしまう。
親をなくしたばかりの子どもを世話して、鍛えるなんて、当時13歳の私には荷が重すぎた。でも、上手くやれた。悪夢で魘されて泣き喚く三人と雑魚寝をしたっけ。照れていたけど無理矢理お風呂に一緒に入ったこともある。庇って死にかけて、大泣きされたこともあった。
頭を抱えて、天秤にかけたけれど、やはり今の私には隊長なんて相応しくない。
「わん」
目の前に、淡い若葉色のボリュームある髪の男が顔を近付けた。
「ラシューか」
「オレ、ルカゼの飼い犬だ、連れていけ」
「えー?」
「連れてけ」
数年前に仕事先で拾った犬。実は人狼だと知り、一緒に働くことになった。
私の身長を余裕で越えたラシューは、私の肩に顎を乗せるのが好きだ。
そう言えば、ゲームではアンジュにべったりするはずだったのに、ラシューだけアンジュには近付かないな。
妙だと思いながら「考えてやる」と頭を撫でてやった。
リクノ達は大人しく引き下がらなかった。
翌日から、ソーヤを始め、私に決闘を申し込んでは、異動撤回を求める。
演習の時間は、それとなってしまった。
教え込んだ私が、ソーヤ達に負けるわけがない。しかし、是が非でも移動を取り消してほしがっている姿は、見ていられなかった。
ルルシュも涙を浮かべて、説得しようとする。
ニアはまるで、私が折れることを待つように眺めているだけ。お前の差し金だな。
事情を知ったアンジュも私を必死に引き留めてくれた。可愛い子を泣かせたくないが、その可愛い子が愛する我が子をたぶらかすのは見ていられない。
「あいつらを頼むよ」
そっと優しく頭を撫でて、笑ってやるしか出来なかった。
数日耐えたが、もうだめだ。
私は、夜逃げすることにした。
軽い荷物を持ち、寮をこっそりと出ていく。屋上で飼い慣らしたドラゴンを呼び寄せて、夜のスカイドライブに行こう。
夜風が冷たく私にぶち当たった。そっと息を吸い込み、ドラゴンを呼ぼうとしたその時。
狼の遠吠えが、真後ろからした。
恐る恐る振り返り、見なかったことにしたかった。我が部隊が全員揃っている。
「……ラシュー、お前か」
「オレ、置き去りにしようとした」
ニアの前に座り込んだラシューが知らせたようだ。くそう、ニアめ、手なづけていたのか。なんなのお前。
「なんでっ……なんで逃げんだよ!! こんなのアンタらしくねーよ!!!」
冷たい風の中で、ソーヤは叫んだ。
「アンタ、最初っ、オレ達の面倒見るの嫌がってたけどっ……今更嫌になったのかよっ!?」
「っ……」
そんなわけがないだろ。
「こんな風に出ていく理由はなんだよっ! 自分の部隊から逃げるなんてっ、そんないい加減な人を、オレは尊敬していたのかよ!?」
ナノンが顔を伏せながらも叫んだ。
「どうすればいてくれるんだよ!? なにをすればオレ達の隊長でいてくれるんだよっ!! ――ルカゼ姉!!!」
ソーヤの叫ぶ声が懐かしい呼び名が、一番深く突き刺さった。
姉と呼べと無理に呼ばせたっけ。
本当は離れたくないと泣き叫びたくなり、喉まで込み上げたそれを飲み込んだ。
「ああもうっ! しつこすぎるんだよ!! 女々しく引き留めるな! 変化を受け入れろよ!! そうだっ! お前達が、嫌になったんだよ! だから離れるんだ!! もう私を忘れろっ!!!」
代わりに吐き出した言葉は、喉はおろか、胸の中まで切り裂くような痛みが走った。
そんな言葉を返された彼らは――――見開いた目から涙を溢す。
ソーヤも、ナノンも、リクノも。ルルシュまでもが、泣き出した。
子どもの頃の時のように泣き出したソーヤ達を見たら、もう、言葉を取り消さずにはいられなかった。
「嘘だバカッ!! ここまで言わせんな! 泣くなよ!!」
「っ!?」
「ごめんっ!! ソーヤも、ナノンも、リクノも、大好きだ!! 昔から変わってない!!」
真っ直ぐ走っていき、昔のように三人まとめて抱き締めた。昔のようにきつすぎて嫌がるくらい締め付けたのに、彼らは抱き締め返す。
「な、泣いてねーし!!」
「嘘つくならっ、ほ、他のにしてよっ」
「っ……ルカゼ姉っ。いてよ、オレ達のところに」
「離れないでくれよっ」
「……隊長でいてよっ」
ああ、もうっ本当に、しょうがない奴らだ。
泣きながら引き留められては、もう逃げられない。私は仕方なく、異動を撤回すると約束した。
ルルシュは微笑みを溢し、アンジュも涙を拭い笑った。
それでも信用できないと、鼻を啜りながら、ソーヤは私の荷物を部屋に持っていってしまった。
おやすみを告げて皆を見送ると、最後にニアが残る。
「結局、夜逃げするほどの理由はなんだったのですか?」
他は残ることに納得してくれたのに、訊ねないでほしい。
「変化と言えば、貴女の様子が可笑しくなったのは、アンジュが来てからですよね……」
直ぐ様自分の部屋に入り、ドアを閉めようとしたけれど、ニアのブーツが阻止した。
「おや?」
ニアが顔を近付けて、ほくそえんだ。
「まさか、アンジュの存在に嫉妬してしまい、そんな自分では隊長に相応しくないからと、逃げたくなってしまったのですか?」
言い当てられ、私は顔が爆発したように熱くなったのを感じた。
「ルカゼ隊長が我々のことを少しでも異性として見ていてくれたのは、意外で……嬉しいですね」
目を細めてそっと囁くニアを、殴るべきなのか、口止めをするべきなのか。生チョコを突っ込んで窒息させるべきか。
固まっていれば、クスクス笑いながら、ニアはブーツを退けた。行ってしまう前に、ニアの袖を掴む。
「た……頼むから、それはっ……それだけはっ、誰にも言わないでっ」
この騒ぎの元凶がそれだったなんて、あいつらに知られたくない。幻滅されたくない。
「……言いませんよ、ルカゼ」
目を丸めたあと、ニアは微笑んだ。指先が私の髪を掬うように顎を撫でたかと思えば、そっと離れた。
「私が知っていれば、十分です」
楽しげな笑顔なニアを見て、顔をしかめる。それは、暗に弱味を握ったと言っているのか。
「……ニア、お前、明日演習覚悟しておけよ」
「はい、望むところです」
お前とは、決着つけなきゃいけない気がする。
笑いながら、ニアは歩き出した。
「おやすみなさい、隊長」
「……おう、おやすみ。副隊長」
なに考えているかわからない副隊長を見送り、暗い部屋のベッドに倒れ込む。
逃げ切れなかった。
愛しい我が部隊から。
……見守ってやろう。
生チョコで喉詰まらせて死ぬ、とTwitterで呟いた一言を使おうと考えていたら、
いつの間にかこうなりました!
今日もまたもや思い付いて書き上げてしまいました!
ふかぁい、絆が伝われば、幸いです。
こんな姉御な主人公もいいですね。
そして、息子や弟が甘えた程度にしか考えずに頭なでなでし続けてほしいです。
壁ドン、完全スルーだった……
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
20151024