第八話 別に私だって人並みに憧れないわけではないですよ?
「いいよ? 来れば?」
えっ、と思わず目を見開いたのは私だ。和泉の放った言葉に驚いて妙に間抜けな声が出てしまった。さつきを見ると、少し不機嫌そうに眉根を寄せたものの、嫌だと言い出す様子はない。きっと、こういう状況慣れてるんだろうなあ……。
察し、みたいな空気もれもれで私がさつきを見ていると、さつきは、ちょっと、と声を上げる。あれ、今じゃないでしょ、主張するところ。さっきでしょ、どう考えても。
「ねえ、皆、せっかくだしいいよね?」
猛毒を隠しもしない和泉の笑顔に、私は引きつりながらも否とは言えない。というか、私がだめだと言ったところで、隣の馬鹿はきっと……。
「いいよな? 未生」
ああ、やっぱり。
がっくりと肩を落としながらも、力なく頷いた。どうしてみずからボコボコに殴られたいのかわからない。理解ができない。馬鹿の考えることは一生わからん。いや、馬鹿だから何も考えていないんだろうけどな!
楽しいお茶会が地獄のお茶会へと形を変えていくのがわかっていながらも、私はそれを止めることもできずに、ただ祐太に腕を引っ張られてついていくしかできなかった。
「四人です」
「ご案内いたします」
にっこりと微笑むウエイトレスさんに連れられて、私たちは四人がぴったりおさまる席に腰を下ろした。ファミレスの中でもいちばん安いこの店は、圧倒的に高校生が多い気がする。まあ時間帯もあるのだろうけれど、たまに家族で行く時に利用するファミレスとはだいぶ雰囲気が違って、かなり騒々しい。
「ドリンクバー以外になんか頼む?」
「俺ね、ポテト食べたい」
「私ケーキ食べたい」
「太るよ」
「狭量な男だね」
「別に太ったら嫌いになるとか言ってないじゃない」
ええいややこしい。全員で喋るでない。ちなみに、最初に発言したのが和泉で次が祐太で次がさつき。後はご想像にお任せします。みんなが注文を決めていく中、祐太が私にもメニューを見せる。
「…………あんたのおごりでコーヒーゼリーを食べる」
祐太がちょっと嫌そうな顔をしたけれど、やがて仕方ないな、と頷いた――いや、冗談ですよ、全部の代金ちゃんと自分で払いますよ……。
メニューを一通り見終わって、和泉がベルを鳴らして注文を告げる。けっこう面倒見がいいんだなあ、なんて思っていると、兄妹のいちばん上だからかな、と微笑んだ。あれ、私、声に出してないよね?
「ねえ、ふたりって付き合ってないの?」
首を傾げる綺麗なお顔の和泉。斜め前にいるから、私の隣に座る祐太と向かい合っている形だ。今は、私と祐太を交互に見ながら目を丸くしている。
「ちょっと真澄」
ひじでさつきが突っつく。さっきも思ったけど、すんごい土足で来るなあ。まあ、自分の領土を先に荒らしたのはあんたでしょ? と言われたらそれまでか。でも、私を巻き込まないでいただきたい。切実に。
「けっこうまずい質問だった?」
口角を上げるその顔は、明らかに知っている顔だ。無知で馬鹿なふりをしているだけ。私と祐太に流れているちょっと難しい空気を上手に察しているくせに、和泉は攻撃の手を止めない。きっと、それだけ祐太が気にくわないのだろう。いや、わかるよ、わかります。どれだけ大切にしているかって、ここ一時間程度だけでもすごく伝わってます。だから、祐太に腹が立っているのは、よくわかる。
でも。
ぎゅっと握りしめたこぶしの力を解いたのは、ぴりりとした空気を即座に霧散させてしまうようなのほほんとした声だった。
「ふたりって、俺と未生のこと?」
「……他に誰がいるんだよ。俺とさつきは既に恋人なんだから、あとはあんたと相良しかいないだろ」
呆れたようにため息を吐く和泉に、ああ、と祐太は間抜けな声を上げる。本当にわかってるのかな。なんかまた妙なことを考えていそうで怖い。
緊張感がなくなって、肩の力も抜けた私は、どこか情けない顔をしているに違いない。けれど、祐太が平気そうにしているというだけで、私はこんなにも安心できる。その事実が嬉しくも哀しい。
祐太が馬鹿でポンコツで、本当によかった。いや、世間的にはよくないんだけど。
「未生は幼馴染みだよ?」
「幼馴染みと恋人になっちゃいけない法律はないだろ」
目を丸くする祐太に、和泉が眉根を寄せる。じれったいのだろう。彼みたいなタイプはきっと、祐太のようなつかみどころのない男と会話をするのは苦痛でしかたないに違いない。まあ、私も頭痛が痛いと言いたくなることは日に三十回くらいあるので、共感しなくもない。あれ、なんだろう、涙出てきた。
「でも――未生は違う。運命の相手じゃない」
重たい言葉とはうらはらに、お待たせしました、という店員さんの明るい声。ほかほかと温まった揚げられたじゃがいもが真ん中に置かれて、さっき言葉を発した男は何を思っているのか、いちばん最初に手を伸ばした。
「ちょっと」
ぺしん、と私は何も考えずに祐太の手をはたいた。またも、シリアスになりかけていた空気が、がらりと形を変える。
「痛い……」
「そんなに強く叩いてないでしょ。手で直接食べるならちゃんと拭く」
濡れたティッシュをずい、と差し出すと、祐太は素直に袋から中身を取り出して手を拭う。これでいい? と言いたげに首を傾げたので、私は頷いた。
「……もしかしなくてもけっこう年季入ってる?」
え?
祐太と私が同時に声を上げて、和泉を見た。
「幼馴染み歴。長い?」
……そう言われると、考えたことなかったな。一体、私と祐太っていつからいっしょにいるんだろう。
「何歳からだっけ」
「わかんない」
私の質問に祐太が首をふり、結局はふたりして首を傾げた。和泉はその様子に、なるほどな、と苦笑する。
「あんたにとって、彼女は見届け人なんだな。難儀なこった」
「え?」
ポテトを口に放り込んだ和泉とさつきは、似たような表情で私たちを見やる。なんだってそんな同情めいた瞳を向けられるんだ。祐太が馬鹿だからかわいそうって思うのはよくわかるけど私までも……!?
「他に取られて後悔しても遅いのに。ねえ?」
「別に私は誰かとどうこうなったわけじゃないでしょ」
「へえ? あんなにしつこい虫がいたのにね? まあ、さつきの記憶に残らない程度の奴ってことか」
そこんとこ詳しく。
思わず前のめりになったところで、さつきににらまれた。ええ……なんだよ、いいじゃないかちょっとくらい。
私が渋々体勢を戻してメロンソーダに口をつけると、さつきをはちみつみたいな笑顔で見つめていた和泉が、こちらへと急に視線を寄越した。わあ、とってもフラットなかお。
「相良はどうなんだよ? 気になる男とかいないわけ?」
「うえ!?」
なんだよ突然。どうしてこっちにつっこんでくるの? 祐太がなぐられるんじゃなくて、ひょっとして私? 私だったの!?
「……ちょ、ちょっと飲み物取ってくる」
動揺して一気に飲み干してしまったのに、のどはからからだ。このままだと何か妙なことを口走ってしまいそうで、私は少し急いた動作で席を立った。
ざわざわとしている店内の声が、ドリンクバーの場所に着いてようやく届いた。入った時はいつもうるさいんだよなあ、なんて思っていたのに、繰り広げられていた会話の切れ味にすっかりやられていたようだ。そんなに集中せざるをえないような質問ばっかされるって、和泉は悪魔か。
「未生」
「さつき」
ぽん、と肩を叩かれて、ん、と空になったグラスを渡された。
「松原、いつものやつだって」
「ああ、はいはい」
なんだよ私はどっかの店のマスターか何かか。ため息を吐きながらも、私は祐太のグラスに氷を足して、飲み物を注いでいく。
「……何その色? 抹茶の炭酸?」
「んなわけないでしょ。メロンソーダとコーラを混ぜてんの」
「…………それ、美味しいの?」
「うーん、まずくはないけど」
私も一度飲んだことがあるんだけど、一度でいいかなあ、という感想。罰ゲーム味では決してないけど、単体で飲んだほうが美味しいと思う。しかしドリンクバーを頼むと、必ずあの馬鹿はこれを飲む。祐太の趣味はよくわからない。
「和泉はコーヒー?」
「うん、ブラック」
ホットコーヒーを注ぐ様子を見て、なんともイメージ通りだなあ、と思う。甘い飲み物でもそれはそれで似合うけど。
「私はコーヒー苦手なんだよね。どうしてあんなに苦いんだろう」
「ふーん?」
さつきは緑茶のが似合うイメージあるけどね、まあ。日本人顔だから。あ、でもオレンジジュース注いでる。
私はアイスティーを注いで、ふたつのグラスを両手に持つ。
「ごめんね、真澄が……わかってはいるんだろうけど、どんな事情かはわからないし」
「ん、いいよ。どきっとしたけど……祐太がああで助かった」
苦笑する私に、さつきもまた同じ顔で返す。この気安さが嬉しいなと思った。
ふたりで席に戻ると、意外にも空気は和やかで、どうしたのだ、と和泉を見やれば、毒気を抜かれた、と呆れたように呟いていた。
「いや、祐太ってほんっとに馬鹿なんだね」
「そういう自覚ないけど」
「自覚のない馬鹿ほど怖いものはない」
そう? と首を傾げる祐太。ていうかいつの間に名前で呼び合ってるの!? 祐太の対人スキルというか馬鹿スキルすげえ!
「さつき、ごめん。もうやめる」
「え?」
「運命の相手じゃないって、わかった」
頭を下げる祐太に、いや、とさつきは驚愕の表情と共に首をふる。
「別にいいよ。迷惑行為をやめてくれるんならそれで」
これは……まじか。祐太が、あきらめる? あの祐太が? いや、この場合、あきらめるとは違うのか。交際をする前に気づいた、のか。いや、でも。
「祐太……どうして?」
「真澄みたいには、さつきを好きになれない。て、わかったからかな」
さつきと同じように驚きながらも祐太の顔を見ながら訊ねると、返ってきた答えは、すごく簡単なような、難しいような、当たり前のような、結局はますます私を混乱させつつも納得してしまうようなそれだった。
「祐太は無意識にブレーキかけてるだけじゃん?」
ゆっくりと頷いた私の頭を祐太がぽんぽんとあやすよに撫でる。また、たまに出てくるお兄ちゃんモードか。祐太は私が作ったメロンコーラを飲みながら、微笑んでいる。しかし、すぐに手を止めると、和泉へと視線をやった。
「さっきからそれ言うよな。どういう意味?」
「それはさすがにお前が気づかないとだめだろ」
眉根を寄せる祐太に、いたずらっ子のように笑う和泉。私もわからずに祐太と同じような表情をしながら、アイスティーを飲んだ。……なんか薬っぽい味がする。
「でさ、相良って誰かいい男いないわけ?」
「は? その話終わったでしょ?」
「始まってすらいなかっただろ」
ごまかすように言った私のそれをあっさりとかわす。くそ、和泉は察するくせにあえてそれを無視する。なんて性悪なんだ! あくまでも空気を読めないのではない。空気をびっくりするくらい読んで和泉色へと変質させてしまう。それが和泉真澄、天使のような顔をした悪魔だ。
「祐太のお守りで忙しくてあんまりそういうこと考えてなかったかなあ……」
「未生、俺そんなに手がかかるわけじゃないよ」
「つっこむところはそこなの?」
さつきの呆れたような声に、いや、そうだよね、と私はため息を吐いた。
「相良は、少し祐太から離れてもいいんじゃないの? 別に学校外でだってしょっちゅうお互いの家を行き来してんだろ? どうせ」
「どうせって何よ、その通りだけどさ」
むう、と口をとがらせて言うと、やっぱな、と和泉が頷く。なんなんだよその確信。なんか腹立つわあ。
「どうして未生が俺と離れて男を作るとかいう話になるの?」
「だってお前だけ青春謳歌とかずるいじゃん。祐太が運命の相手を探すみたいに、相良が運命の相手を探すのはいけないことなわけ?」
「確かに。松原ばっかとっかえひっかえで未生は松原以外の男が寄ってこないなんてずるいね」
和泉の言葉に同意するように、にやにやと笑いながら私と祐太を交互に見やるさつきは、すっかり悪い顔になっている。カップルって、似てくるって言うからなあ……。
「未生も、運命の相手を探したいの?」
「え? 私?」
なんでそんなじっと見てくるの? なんというか赤子のような純粋な瞳で見つめられるとすっごく居心地が悪いというかなんというか。何もしてないのに悪事を暴かれそうになっているような気分。
祐太の言葉に、どうなんだろう、と考える。
「運命の相手とかは、よくわかんないけど……」
「けど?」
「恋人という存在に憧れないわけではない、かなあ」
私の言葉に、祐太はぽかんと口をあけて固まっていた。
え? ど、どうしました?