第六話 女王様と近衛兵? いやいや逆でしょ
どこか浮ついているような空気をまとって、日常は過ぎていく。
ついに電車の君改め湊さんをみつけた同好会一同は、落ち着かない状態ながらもなんとか平静を保っている。
湊さんがああいう恋人がいるとわかったのだし、祐太に話してもいいのではないか? と先輩たちは言っていたけれど、私はどうしたものか、と悩んでいる。湊さんに判断を委ねようかと訊ねてみると、別にどちらでもいいという回答。うーん。
私が伝える方が、運命の相手っぽくない結果になるか? しかし、湊さんの彼はかなり束縛が強く彼女を溺愛しているという。それならばずっとみつからないまま新しい誰かに惚れるというとても少ない可能性に賭けてみてもいいのではないかとも考えていた。しかし、悩んでいる間にへっぽこ捜索隊が湊さんをみつけるかもしれないし。
ここ数日、うんうんとうなりながら考えていたけれど、ベストだと思える答えが出なくて、私は結局、流れに任せることにした。開き直ったともいうけれど。同好会のメンバーにそれを話したら、少し呆れながらも相良らしいかもね、と言われたので、よしとすることにした。
「未生! みきみきみきみき」
もう反応するのも馬鹿馬鹿しくなって、私は小さくため息を吐いて祐太を見ることもしなかった。しかしそれが気にさわったのだろう。祐太は私の顎をつかみ、ぐいんと無理やり上向かせた。痛いんですけど。
「未生、呼んでるんだけど」
「……私、犬じゃないので」
自分の席に私は座っていて、祐太は立ったまま私の顎をつかんでいる。だから、私の首は限界まで上へと向けられているわけで。なんとか手をどけようとするけれど祐太の力がよりいっそう強くなった。いやだから痛いっつうの。
「みつけた」
「は?」
「運命の相手! みつけた!」
ああ……ついにみつけられてしまったか、湊さん。
私は憂鬱な気分になりながらも、死んだ魚のような瞳でおめでとう、と祐太に告げた。
「じゃあ、すぐ連れてくるからな!」
きらきらとした瞳で嵐のように去って行く祐太を、顎をさすりながらながめる。しばらく教室の出入り口を見ていたら、入れ替わりで登校してきた水島が私を見るなり、顎どうしたの? と目を丸くした。
赤くなってる――馬鹿よ加減くらいしろ。
鏡を見ながら、私は盛大なため息を吐いた。
普段なら教室でお昼を食べるのだが、様子が気になり私は湊さんのクラスへと足を運びつつ、どこか適当な所で昼を取ろうと決めた。廊下を歩いていると、少し向こうに人垣ができている。私は、あれだな、とすぐに合点がいった。
「あのさあ、松原」
「松原じゃなくて祐太って呼んで」
「松原、私さ」
「祐太」
「私、彼氏いるんだ、悪いけど」
「そうなの? でも、俺も好きになっちゃった」
ごめんね? と首を傾げる麗しい男に、周囲の野次馬女子は夢を見るかのような吐息をこぼしている。しかし湊さん、さすがだ。全然ときめいてる様子がない。かといって心底嫌そうな顔をしているわけでもない。
これは――無だ。祐太に、一切の興味がない人間の目。
今までの反応を考えれば、きっとありえない。周囲の女子生徒と似たような反応を示すか、ものすごく不快だといわんばかりの、女の敵! 軽蔑するわ! みたいな表情を向けるかのどちらかでしかなかったはず。祐太の言葉に、ふうん、と呟いて、首を傾げる湊さんは、まるで宇宙人か何かのように思えた。
周囲の女子も同じなのだろう。にわかに騒がしくなる。湊さんはちらりとギャラリーを一瞥し、呆れたように息を吐いた。暇人が多いな、とでも思っているのだろう。まあ、私もその暇人のひとりになるけれど。
「うっとうしくてしゃーないんだけど、やめてはくれないんだよねえ?」
「うん。だってさつきは運命の相手だもん」
勝手に下の名前呼んでるし。湊さんはそれにぴくん、と反応を示す。
「まあ、いいけど――あんたのこと、興味もないしどうでもいいのよ、私。そもそも、運命の相手って馬鹿のひとつ覚えみたいに言うけどさ、松原の言う運命の相手って何? 何をもってして、運命の相手になるの?」
「そんなの、わかんないよ。俺が好きだと思った。本物なら、きっとこの先付き合っていけばわかる」
頭のねじが全部ぶっとんでいるような祐太の発言に、はあ? と湊さんが声を上げる。
「そうやって篩いにかけて、落として、残ったものをみつけようって? 馬鹿じゃない。落とされたひともあんたと同じ、心のある人間なんだよ。当事者でもないのに、その影であんたのゲームに苦労して傷付いてるひとすらいるのに、あんた何様なわけ? 今まで紙くずみたいに捨ててきた人たちのこと、ちょっとは振り返って考えなよ」
「…………そんなこと言われたの、初めて」
ぽかん、と呟いた祐太に、ああそう、とため息を吐いて去ろうとする湊さんの腕を、祐太がつかむ。湊さんはそんな彼の行動にたまりかねたのか、触るな! と怒鳴って思いきり祐太の手を振り払った。
「私はぜんぶ、真澄のものなの。他の男に触らせるもんは髪の毛一本だってないわ」
そう言って、人垣に向かい歩いてくる湊さんを、私は呆然とみつめていた。
どうしよう、私は。本当にやらなくてはいけなかったことを、彼女に全部、やらせてしまった。
「――相良さん。過保護すぎ」
うつむいていた私の前に、いつのまに立っていたんだろう。呆れた声で言う湊さんに、私はゆるゆると顔を上げた。湊さんは、なぜか私の顔を見て、目を丸くする。
無言で私の手をつかんだ湊さんに、何も言えずにいた。歩き出した湊さんに合わせて、私も慌てて足を進める。
何人もの声に混じって、未生、と私の名を呼ぶ祐太の声が聞こえた気がした。
「え? ここって」
「本当は立ち入り禁止なんだけどね。なんかこれ、代々受け継いだ鍵なんだって」
あっけなく屋上の扉を開錠する音。私と湊さんはそのまま歩を進めて、また鍵をかけた。これでもう、屋上には誰にも入って来られない。
「相良さん、ごめんね」
「え?」
「さっき。泣きそうになってたから。なんか悪いこと言っちゃった?」
先に屋上へと足を踏み入れた湊さんが、振り返ってこちらへ首を傾げる。さらりと流れた短い髪は、とても柔らかそうだなあ、と思った。
しかし、ここに連れて来られた理由がやっとわかった。私、泣きそうになってたのか。湊さんの声に、私は苦笑して首を振る。
「湊さんのせいじゃない。私が――私が言わなくちゃいけないことを、他人に言わせちゃったから、情けないなと思ってたの」
「うーん……あのさ、ひょっとして理由あり?」
少しためらいながら私に訊ねる湊さんは、一拍置いて気を取り直したかのように笑って、お昼食べようよ、と持参したお弁当を広げる。私も彼女の隣へと腰を下ろした。
湊さんは、かなり勘の良い人間のようだ。それでいて、かなり真っ直ぐ。
さっき彼女が祐太に放った言葉は、本来ならもっと早く誰かがあいつに言ってやらないといけないことだった。けれどそれをしなかった。それは祐太が大切だからじゃない。きっと、それに触れてしまえば祐太はあらゆることに向き合わねばならず、それに付き合っていくのが面倒だと思っているからだ。嫌なものにふたをして生きるのは簡単で、皆、その簡単なほうを選んだ。自分可愛さに。
「――わけ、ある」
ぽつん、とたまご焼きを放り込んで呟いた私の言葉に、湊さんは、そっか、と私と同じようにぼんやりとした声で呟いた。
「ここで話しちゃうと、たぶん私が楽になるだけなんだよね」
「頑固だねえ、相良さんも」
あはは、と空笑いをして、またおかずを口に入れる。
本当は、誰かに話したい。そして話すには、きっと湊さんはナイスな人選だ。
お互いに、肌で感じた。きっと私たちは友だちになれる。このひとの隣は妙に居心地が良くて、ほっとして、なんだか湊さんも、普段まとっている一定の緊張感を解いて、肩の力を抜いているように見えた。
「相良さんとはさあ、たぶん、これからもやってけるじゃん? だから、もしも話したくなったら、話してよ。別にずっと話したくなかったらいいんだけど、もしさ、ちょっと辛くなったら」
絶妙なタイミングで放たれた湊さんの言葉に、私は微笑んで頷いた。よかった、私の思い込みではなかった。
「あのさ、相良さんて、下の名前、なんてーの?」
「未生だよ。湊さんは」
「さつき。いや、知ってるだろうけどね」
多少の気まずさに私があははは、とわざとらしく笑って、湊さんは別にいいけど、と肩をすくめる。
この時から、私とさつきは、気の置けない親しい関係となった。
さつきは屋上を出て、図書室に寄り道すると言うので、私はそのまま階段で分かれた。一年生のフロアーまで戻ってくると、まだ休み時間だというのもあって、かなり賑やかだ。
耳を傾けるまでもなく、きゃいきゃいと廊下ではしゃぐ人々の話題は、大半がさきほどの一件だった。
「湊さん、めっちゃかっこよくない?」
「思った! なんかもう女王様だよね!」
へー、反感買うかと思ったけど、けっこううまい具合にいってる。ひょっとすると同好会のメンバーが陰で動いてくれたのかもしれないな。
しかし女王様って……祐太はそしたらなんなのかな。近衛兵とか? いや、あいつには何も守れなさそうだわ、うん。むしろ守られる側なんじゃないの? こう、ぼんやりしてる状態をさらわれそうになったらお下がりください殿下! とか行って湊……さつきに守られる側なんじゃないの? そんで守られながら、すげーつえー、とか間抜けな声を上げる側なんじゃないの? ていうかもうそっちしか想像出来ない。ものすごくしっくりきた。
「未生!」
「? あ、祐太」
突然、背中から名前を呼ばれて首を傾げつつ振り向くと、そこには祐太が立っていた。考えたら私を名前で呼ぶ男なんて学校中で祐太しかいないのに、なぜ誰だろうかと疑問に思ったのか。どうやら妄想に熱心で、多少頭の回転がにぶくなっていたらしい。
「どうかした?」
「さっき、どうしたの?」
いや、質問したの私なんだけど。何、どういうことよ。
わけがわからずに無言でいると、祐太はしょうがない奴だな、といわんばかりに呆れた様子でため息を吐いた。なんだなんだ、祐太のくせに生意気だぞ!
「泣いてた」
「え? 振られて泣いてたの?」
そんなに初めての失恋がショックだったの!? ていうか、もうあきらめるの? ていうかそんな報告いらないよ?
しかし目を丸くする私に、今度は祐太も同じような表情を返す。
「未生でしょ?」
「え?」
「さっき。泣いてた」
予想外の言葉にしばらく固まっていたが、やがて解凍された私は眉間に皺を寄せて何言ってんだこいつ、と胡乱な視線を馬鹿に向ける。
「はあ? 泣いてないよ」
「嘘だね」
じと目でそんな風に言われましても。本当に泣いてないし。泣きそう、とはまあ、湊、じゃない、さつきにも言われたけどさ。しかし私の目からは一滴も涙は流れていないのだ。
「未生、どうして泣いてたんだよ」
「馬鹿なの? ついに日本語まで不自由になったの? だから泣いてないって言ってるでしょうが」
「嘘」
ええい、何度も嘘だ嘘だと。しつこい。
「何を根拠に!」
「だって、泣いてたじゃん」
「だーかーら、泣いてない! 目だって赤くなってないでしょうが!」
何度繰り返しても、まるで進展しない。押し問答もうっとうしくて、私は上を向いて、ほれ! と祐太に顔がよく見えるように接近した。
「……赤くなってなくても、泣いてた」
「…………もういい、わかった」
どうしても認めさせたいようだ。まったく、馬鹿の考えることって、謎だわ。とりあえずめんどくさくて肯定すると、しかしそれで満足すると思ったのに、馬鹿はもっと詰め寄ってきた。
「どうして泣いてたの?」
ああもう。
なんだよこいつ! 馬鹿は馬鹿らしくその辺で女ひっかけてろよ! スケをコマしてろよ! いや、ごめんなさいやっぱりやめてください被害者が増えるから。
しかしどうしたもんか。腕をがっちりつかまれてるから無視して教室に戻ることもできないし、なんか廊下で泣いた泣いてないなんて言い争いしてたもんだから周囲から注目の的だし。それで? どうすんの? どうなんの!? みたいなお気に入りのドラマの最後の五分をかぶりつきで見てるみたいな顔されるとつれー。超つれー。
「…………コンビニに」
「え?」
「行きつけのコンビニに、タラタラしてんじゃねえよ、がなくなってたの……」
「……なんだっけそれ」
「だ、だがし……」
「…………」
祐太だけではなく、期待していた無数のきらきらした瞳までも、ぽかんと呆けたものに変わった頃、私は、それじゃあ、と祐太の手をほどいて早足で廊下を歩く。
今日だけは、馬鹿はお前だ、という言葉を甘んじて受けよう、と心の中で思った。